53恥目 薫と要


「で、その、君と僕の接点って何?」

「それすら覚えててくれないの?」


 薫があんまりにも悲しそうな顔をするから、本当に彼女を傷つけてしまったようで、罪悪感が頭を支配した。何を言っても彼女の心に棘を刺すだけらしい。


「……ごめん」


 僕はぴょこんと頭を少し長く垂らし、顔を上げる。 

 美人なお顔で、綺麗な潤んだ黒目を揺らめかせて泣きそうな顔するので、僕の罪の意識はどんどん強くなってゆく。とにかく早く思い出さなければいけないと焦って、身に覚えのない悪事をあれかこれかと必死で考えた。


 その反面、狡いとも思った。


 女の涙はこれ程の防御力と攻撃力を兼ね備えた、とんでもない武器だなんて。僕も女として性を受けているのに、誰でも出来るような技じゃない。

 よく訓練された、完璧な涙だ。僕には無いものばかり出されては、もう何す術もない。薫は啜り泣きながら、言葉を詰まらせて、弱々しい声で言う。


「そうだよね……要くんは誰にでも優しいもん。花街の子だってお嫁に行くなら要くんのところがいいって、皆口を揃えて言ってる。薫は約束したのに、要くんだって、約束してくれたのに。記憶に残るように、いろんなことやったのに、薫は悲しいよ」

「約束、ですか」

「うん、って言ったのに・・・・・・」


 どうやらちゃんと弟のようです。思い出せないのに、胸のあたりがバクンと一拍、大きく鳴ると気持ち悪くなった。それと同時に薫の目から、なんとか溢さぬようにしていた涙が一粒だけほろりと流れる。すると今度は静かにシクシクと涙を流した。


 僕の負けだよ。


 本気で、神に誓って何したか身に覚えがない。けれどこんなに泣くんだもの、多分殺されて同然のことしたんだよ。口から出まかせを言ったに違いないと日々の行動を顧みた。


 何か大事なことを言われたのに相手の気持ちもしっかり汲み取らず、忙しさにかまけて適当に口から出したものを返事とする。特に考えたり、それに訂正もせずに。そういう事なら山程心当たりがあった。仕事や相談でも似たようなことはして来た心辺りはある。つくづく最低な野郎だと、自分を責めた。


 寧ろ足を刺されただけで済んだ事に感謝すべきなのでは? 神よ、僕を生かしてくれてありがとう。もっと真面目に、言葉はよおく選んで生きようと思います。


 僕の心ない最低な行動に傷付いて、柱に寄りかかり泣くの薫を見ていた。朝露のような澄んだ雫が頬をつたう度、綺麗に泣くなぁと思いながら、結局はごめん以外の次の言葉が見つからない。


 罪の念に耐えきれず、下を向いて黙り込むと、すぐに「キャッ」という薫の短い悲鳴が聞こえた。あまりに高い声だったから、すぐに彼女を見た。

 すると中也さんが、柱に薫が持って来た刺身包丁を突き立てて、彼女を今にも殺しそうな勢いだ。


「ただで帰すと思うなよ」


 怒りが彼の眉頭に集まって、そのシワを一つずつ解くには、きっと1日2日では足りないだろう。


「俺、中原に喧嘩売るのやめようと思う」

「それは良い判断ですね。要さんに優しくした方がいいですよ、中也さんが黙ってませんから」


 その表情を見たしゅーさんは真面目な顔でそう誓ったようだ。

 中也さんだって、さすがに僕のお兄さんだから殺す事はないだろう。まあ、下手に馬鹿にしたらこうなるかもしれないと、肝を冷やす事くらいは出来ただろうか。

 それでもしゅーさんは当事者でもないのに、自分が刺されるのではないかと気が気でないようだ。


 そんな彼とは対照的に鼻でフッと、ホコリでも一気に吹き飛ばすような鼻笑をする薫。


「……コッワ。薫あなたに用事ないんですけど。女の子に平気で銃口向けるとか、卑怯すぎじゃない?」

「元旦に殺人犯そうとする女に言われたくはないね。要はお前の記憶なんかこれっぽっちもねえってさ」

「……」


 薫は傷ついたのか、黙り込んだ。そういえば、さっきまでの涙は何処へ? まさか、嘘泣き? 僕は騙された? ・女の涙って、本当におっかないんだな。心配していたの、何だったんだろう。

 僕がショックを受けていると、彼女は静かに禁句を発した。


「……チビ」

「あっ、バカ女! それ言ったらいけん!」


 慌てた司が2人の間に入るが、薫の口はマシンガンのように止まらない。


「どうせ、身長もちっさければ、アソコもちっさい男なんでしょ! 女の子に相手してもらえなくて、要くんが優しいから、この際男でもいいと思ってるんでしょ!?」

「あ?」


 ああ、また低い声。中也さんが完全に喧嘩を買った。どんな顔をしているか僕からは見えないけど、絶対に殺す、そう背中に書いてある。

それにしても中也さんってチビかなあ。確かにしゅーさんや糸魚川と並ぶと小さく見えるけど、僕は全然気にしたことがない。僕は同じ目線で同じ景色が見えるから、そこを含めて好きなんだけど。

 

 そんなにチビなのか?


「あ、チビって気にしてんのかァ?」

「やめなさいって!」


 チビ、チビって。容姿のことをバカにするなんて。糸魚川にまで、なんだか僕がイライラしてきた。これ以上彼を馬鹿にするなら、例え薫や誰に何を言われたって、話を聞いてやったりなんかしない。


「僕が悪いかもしれないけど、中也さんを悪くいうなら話は聞かないよ。司に頼んで警察に来てもらう」


 薫はそれを聞いて、大きい目を丸くした。


「えっ、要くん、この人の味方するの!? 薫のことじゃなくて!? 男の人だよ!?」


 僕は今どんな表情をしているだろうか。だって、とても許せないんだ。自分の事を貶されているように腹が立って、イライラして、ぶん殴ってやりたかった。


「男も女も関係ないだろ」

「要くん……」


 薫は顔を赤らめて、また泣きそうな目をした。その涙には、もう騙されない。

 警察を呼んでやろうか。本気で考えた。埒が明かないからもう呼んじまえ! 司に警察を呼んで来てくれと頼むと、そら来たとそそくさ外へ出た。


 すると薫が急に奇声のような歓声をあげた。


「今の顔、すっごく素敵だった! あの時と同じだよー、もう、薫、濡れてきちゃったぁ」


 語尾にハートマークが付いている。悪びれもせず、体をくねらせて、唇に艶を持たせる。その表情は誰が見ても発情。

 糸魚川は待ってましたとベルトに手をかけ、文人くんの文人くんを沈めるべく、ズボンを下ろす動作を始めた。すかさず初代さんが右からビンタ、左から司のグーパンチが飛んできて事には至らない。


「あの時もね、要くんはこんな顔してくれたのぉ……」


 薫は美化された僕の表情に酔いしれながら、その時の事を話始めたのだった。

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