13恥目 蔓の隠し事

「なんだかなぁ」


 綺麗に敷かれた布団の上に体を投げる。僕はそのまま寝転んで、頭の後ろで腕を組みながら足を空中でバタバタさせた。


「司も気難しい奴だね」


 中原さんも呆れ顔。藤重は「しっかり働け」なんて言ったくせに、結局何をするにも「触るな」と怒るばかりで恩を返すことも出来やしない。彼の対象者である有朋さんの事だって、まるで話してくれなかった。聞いたところで怒るだけ。


 いや、怒るだけじゃなかった。戸惑って、迷って、何度か考えていた。けれど話し出すことはない。「お前をよく知らんから」と、出会ったばかりの僕にはごもっともな理由で話すことを拒否する。


 近づこうとするとだんだん離れて行くクセに、世話を焼いて近づいて来てはガミガミ怒る。いい奴だけど超面倒くさい。親しくなるにはどうしたものか。悩むばかりだ。


「やっぱり、出会ったばかりだから仕方ないんですかねぇ。中原さんは何か知ってます?」


 寝転んだまま尋ねた。だって足が疲れてるんだもん。


「司と5年くらいの付き合いになるけどね、深い事は知らないな。古稀庵に引きこもって、俺以外に会おうとしないしね。時々、何か聞いてほしそうな顔をするけど結局何も言わないさ。知っていると事とすれば、いつ平成から来ただとか、そんな事くらいかな」

「秘密主義なんですかね」

「……そうでもないよ」


 中原さんは少し黙った後に、口を指で隠すようにしてクスッと笑った。


「司が知っている中原中也を惜しみなく話してくれたさ。秘密主義なら本人にベラベラ話すとは思えないよ」


 藤重が知っている中原中也とは、僕が知っている中原中也と同じだ。それは平成までに伝わった歴史。僕は国語の授業の時にだいぶ苦しめられた記憶しかないが、藤重は中原中也の作品が好きだったのだろうか。


 はたまた、彼に憧れてたのか。はて、憧れていたなら対象者は中原さんになるはずだ。何かきっかけがあって彼の人生を知っているんだろうが、惜しみなく話してくれたって、それはいいのだろうか?


 僕は「何か変わりましたか?」と聞いた。


「本来の1930年の僕は中央大学に入学して、元恋人の子供に名前を付けるそうだね」

「は?」


 元恋人の子供に名前を付ける。僕には理解不能だ。クレイジーが過ぎる。この人、なかなかぶっ飛んだ人じゃないんだろうか。まさか授業だけでなく、会話も苦しめてくる気なのか!


「司と知り合ってから平成の人間って奴に興味津々でね。人生をぐるっと変えられたのさ。だからあまくせさんが東大近くをうろついているって聞いた時は、司と同じ人だと思ったから君の働き先に通ってたんだよ? どうやら今の俺は必死な人間を見るのが楽しいみたいだ」

「見世物じゃないんですけど」


 大変なんだけどなぁと、顔が思わず引きづった。


「応援したいだけさ。神童に味方される事を誇りに思いなよ」


 満足そうにドヤっとしちゃって得意げな顔。神童なんて自分でよく言うなと思ったが、中原さんがあんまりにも自信満々に言うもんだから、僕も「そうですね」と返してしまう。


 僕は中原中也の事をあまり知らないが、なんとなくでも藤重司に出会ったことで、中原中也は人が変わったのだろうと思う。彼の面倒見の良さが中原さんの傷ついたところに沁みれば、人は案外、簡単に変われてしまうのかもしれない。


 ならばしゅーさんも、鎌倉で僕と走って何かが変わったりしたのだろうか。それはまだ、わからない。あの人が死にたいと思わないように、寂しくないように、助けてあげる方法が。


 僕は正しい歴史が思い出せない。対象に憧れていたという先生が特別違っただけで、藤重も僕と同じ状況ではないだろうか? もし解決策を藤重が知っているのなら、僕はやはり彼に近づかなければならないのだ。


 親しくなるにはどうしたものか。うーん。天井をじっと見つめても何も答えが出ないなら、僕お得意のやり方でやるしかないだろう。



「藤重くん! お手伝いさせてください!」

「台所に入るなって言ったじゃろうが!」


 翌日、朝起きてすぐに山菜三昧の朝食を済ませた。朝食を作るときも、後片付けをする時も、入るなと言われた台所にも素足で構わず入ってやった。我ながら人の嫌がる事をして最低だとわかっている。


 けれど、僕はしつこく付きまとう以外の方法がわからない。このしつこさが無ければ長く走る事は出来ないし、人を探すこともできない。だから藤重に恩返しをしようとする体で、無理矢理親しくなってやろうと思うわけだ。


 世間の皆様、嫌ってどうぞ。僕のやり方は最低だから。そして藤重司、心を開け。いや、こじ開けてやるから覚悟しろ。僕は君と親しくなるまでは、決して手段は選ばない。けれど上手くいかないんですよ。しぶといやつだ。


「どうしてこんなに役に立ちたいのに、藤重は何もさせてくれないんだ。僕だって必死なのに」


 午前中は藤重の後をちょこちょこと付いて歩いた。洗濯をしていれば隣にひっついて強引に変わろうとしたり、一息ついている藤重の肩を揉んでみたり。しかし藤重は「中也さんと遊んでろ」とめんどくさそうに言うばかり。なかなか手強いやつだ。


 広い茶の間に大の字で寝そべって、右へ左へゴロンと転がる。藤重の手強さにやる気がなくなって来はじめた。


 中原さんは何をしているのかと目をやれば、山積みになった書物を読みながら呑気にお茶をすすっている。紙をめくる音と、遠くの部屋で藤重が慌ただしく動き回る物音が古稀庵の庭に溶けていく。


 あまりにものどか過ぎる時間。僕は無意識に中原さんをジッと見つめて暇を潰し始めていた。飴屋にノートを買いに来ていただけの学生が、まさかの偉人。教科書で初めましてをした人が、心臓を動かして息をして存在している。


 部屋に射す冬の日差しが黒髪に反射してキラキラ。書物を読む真剣な表情は整った顔立ち。不思議なもんで、ずっと見ていられる。


 まるで美しい景色見ているような気持ちに似ている。魅入られて、近付きたくて、なぜか鼻がツンと痛くなって、息をするので精一杯。それに足して、風邪っぽく体が熱くなって、背中に鳥肌でも立ったかのようにブルっと震える。


 なんだ、これ。無意識に寝ていた体は起き上がり、ずいっと中原さんの体に触れそうなぐらいの距離まで来ていた。それがわかったのは、近き過ぎた僕を不思議に思って、彼がこちらを向いて、視線があんまりにも近く、額がコツンと当たりそうだったからだ。


「遊ぶ、かい?」


 こんなに近づいたのは自分だから、大袈裟には驚けない。手に持った本を静かに置き。右手だけ頬杖をついて。微笑んだ顔からは色気さえ感じる。「遊ぶかい?」なんて、まるで小さい子に言うようなセリフなのに。

 なんだかいけないことに誘われているような怪しくてミステリアスな声は、僕の心拍数をドクドク音を立ててあげていくんだ。


「ふ、藤重のところに行きます」


 目が見れなくなった。畳で足を滑らせながら、慌てて茶の間を出る。バタバタと人の家を走る、走る。飲み慣れないウイスキーを瓶に口をつけて、一気飲みをしたみたいに視界は揺らぐ。さあ大変だ。僕の知らない感情と体の火照りが、冷ませないでガンガン熱をあげる。

 もうむしゃくしゃして、裸足のまま庭へ出てしまうくらいだ。冬は寒いはずなのに、夏みたいに暑いぞ。


「藤重ぇ」


 庭で葉の手入れの準備を始めていた藤重を見つけ、へなへなと頼りない声で呼んだ。「なんじゃ」と最初から怒り口調だったというのに、よろよろ歩く僕を見てすっ飛んでくる。


「どうしたんじゃ! 顔が真っ赤ちゃ! 具合でも悪いのか? 水に濡れたからか? 薬あったかのう」


 具合が悪いわけじゃない。わからない、わからないんだ! もうむしゃくしゃ、ぐちゃぐちゃ。頭の中ドロドロだよ。気を抜けばさっきの中原さんがフラッシュバック。ああなんか、それにも耐えられない!


「いいから仕事ちょうだい……」


 だから藤重には仕事を求めるしか出来ないのだ。



 地を這うように伸びた蔓。風景に溶け込んではしがみつくように、いつも何処かで目にしている蔓。廃墟や庭先、コレはどこにだってある蔓なのだ。

 しかしこの蔓は古稀庵には似合わない。それでもうまく蔓が溶こめるように手入れをしているのが藤重だ。


 ようやく仕事をくれた。それがこの蔓の手入れ。無駄な部分をハサミで切っていく、簡単そうで難しい作業。庭に違和感がないように溶けこませるには、僕みたいな素人が手を出してはいけない気がする。


 仕事だからやるにはやるんだけどさ。黙々と言われた通りに作業を進めていくと、藤重は急に口を開いた。


「これはへデラ。アイビーとも言う」

「この蔓に名前あるのか?」

「何にでも名前はあるじゃろ。俺が平成から来るときに渡された植物だしな。出歩くときは切ったのを懐に入れて歩くんじゃ」


 藤重が平成から来た時に渡された花、いや、植物はへデラ。花ではないこのへデラに花言葉なんてあるのかと思ったが、続けて話してくれる。


「永遠の愛、友情、信頼、誠実、不滅。これが花言葉。花言葉の意味を理解しなきゃいけないのに、理解出来んまま有朋さんは死んだんじゃ」


 沢山の意味を持っている。ムラサキケマンは2つなのに。藤重の言う通り、全てを理解するには時間が沢山かかりそうだ。どうやって確かめればいいのかわからないものばかり。あの親父が何を望んでいるのかわからないが、対象者であるその人と花言葉が結ばれなければ、きっと意味はない。


「有朋さんが死ぬる間際に言うたんじゃ。お前の答え合わせはこれからだって、庭の手入れを頼むなんて。へデラを触りながらな。そねぇな事を言われたら帰れんじゃろ。じゃけぇここに居るんじゃ。まあ、平成に帰る意味もないんじゃけどな」

「答え合わせ……」


 藤重は解決策を知っているどころか、探している。対象者が居なくなって、さらに答えがわからなくなって。何年も探しているのに見つからない。


 彼が気の毒になった。困っているのは僕じゃなくて、彼だ。始まったばかりの僕と、終われない彼じゃ苦しさがまるで違う。

 気難しいのは悩んでいるから。八方塞がりで息が出来なくって、余裕がないからカリカリしてしまう。


 きっと誰にだってあることなんだ。人は目に見えないものに苦しむ。それを全て1人で理解しろなんて、永遠にもがき苦しめと縄で縛られているのと同じだ。


「お前に会うて少し考えが変わった。よう考えてみれば、俺は教える立場にあるはずなんじゃな。俺みたいに後悔して留まって欲しいたぁ思わん。金はやるけぇ、さっさと帰れ。久々に平成の人間に会えただけでもラッキーじゃ」


 不器用にニカッと笑って、歯を見せてくる。無理をした引き攣った口元。そんなこと、本心じゃないはずなんだ。中原さんの言う通り、何か聞いてほしそうな顔をするけど結局何も言わない。


 吐き出せば楽になる事ってあるんじゃないだろうか。どうしようもなくなって全てを諦めた藤重とこのままサヨナラをしたら、しゅーさんだって救えない。俯いた顔がほら、いつの日かのしゅーさんの「助けて」の顔と一緒なんだから。


「なんだよ、助けてって言えばいいじゃんか」

「ばっ! 何を言いよるんじゃ!」


 やっぱりすぐに怒る。図星を突かれて焦った顔を隠すように、わかりやすく怒る。


「金の為の情けならいらんぞ! 汽車代だけじゃろ、気にせんで持っていけ!」


 恩や金の為じゃない。金があれば帰るのが楽なだけで、歩いて帰ろうとすれば帰れるのだから。それよりも藤重が本心を押し殺して、怒りや悲しみ、孤独に隠れて生きていくのが、堪らなく嫌なのだ。


 家庭的な世話好きで面倒見の良い奴が、苦しいまま庭の手入れだけしてなんて。神様がいるなら、まるで見る目がないじゃないか。

 僕がムラサキケマンを渡された意味は、きっとしゅーさんのためだけじゃない。勝手にそう思い始めていた。

 その花が意味を持つのなら、偶然でもここ居る運命がきっと教えてくれている。


 しゅーさん以外の人の助けにもなれ、と。


「司、俺は気づいたよ。へデラの花言葉の共通点にね」


 後ろから声がすると思うと、中原さんが藤重の隣に足を大きい広げて、踵をつけてしゃがんだ。僕の心臓はまたドキンとしたが、藤重を見るとすぐに収まる。彼は眉間に皺を寄せて戸惑っていた。


 自分にはわからないことが、他人にはあっさりわかってしまったからだろうか。


「なんじゃ……」


 聞くのが怖いのだろう。声が強張っている。だから恐る恐る怖い話を聞くように尋ねた。


「へデラの花言葉の共通点、それは人との関係が長く続くように願っているんじゃないか?」


 中原さんはきっと、今気づいたわけじゃないようだ。昨日「あまくせさんが居るだろう?」と言ったのはこういうことだったんだ。藤重が古稀庵に引きこもって、中原さん以外に会おうとしない事。それはへデラの意味を理解するに出来ない状況だったのだ。


「藤重。僕らは君を、助けたいんだ」


 蔓は絡みついて離れない。丈夫で枯れずに伸びていく。彼を見ると、そんなことは思いもしなかったと言う顔だ。


「なんじゃ、そう言うことか」


 その証拠に、藤重が笑いながら泣くのは、答えに一歩近づいたから。

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