14恥目 山菜椎茸おにぎり

 天気は快晴、身体良好。足の疲れはすっかり抜け、足取りは軽やか。


 古稀庵から最寄りの小田原駅の改札口。箱根観光や湯治客で賑わう構内は、きっと平成と変わらない。行った事はないから知らないけど。


 藤重のおかげで海臭かった袴は綺麗になり、僕もそこらの客達と大層変わらない身嗜みに戻った。彼が寝押ししてくれたのだろう、汚れはもちろんシワがない。全く、つくづく出来るやつだ。


「悪りぃな、金借りちゃった上に昼飯まで。ありがとう」

「勘違いするなよ、お前のだけじゃないからな! 中也さんと2人分じゃからな!」


 藤重から手渡された紅色の風呂敷はほんのり温かい。中はおにぎりだろうか。風呂敷を撫でると山が4つ、ポコポコとある。掌で山を撫でると口の中に唾液の海が現れた。この海はおにぎりを食べないと、永遠に水位を増していくだろう。


「昨日のあまりの山菜と椎茸を混ぜご飯にして握っただけじゃ。手はかけとらんからな。不味ければ捨てればいいじゃろ」


 ツンとそっぽを向く藤重は言葉の割に、顔を真っ赤にして照れている。


「司は天邪鬼だなぁ。そんな事言っても、昨日から準備していたのくらい知ってるさ。乾燥させていた山菜を漁って悩んでたろうに」

「悩んどらん! 適当じゃ、適当!」


 適当ではないが、適当である。彼のいう適当はつまり、山菜を選んだのはいい加減ではないが、椎茸と合いそうなふさわしい山菜を選んだという事だ。となると。このおにぎり、相当美味い。

 藤重の手料理は全部美味い。昭和に来てすぐに食べていなくて良かった。こんなに美味いものを食べて舌が肥えてしまったら、間違いなく生活に支障が出ていた。


 今から東京に戻るというのに、既に彼の手料理が恋しい。連れて帰りたい。風呂敷に顔を近づけ匂いを嗅ぐと、椎茸の香りが涎をだらしなく垂らさせようとする。


「もう腹減って来た」

「1人2つじゃからな! 中也さんの分まで食うなよ!」

「保証できねぇなぁ、僕は育ち盛りの男の子だから」


 風呂敷の結び目に手をかけると、素早くパチンと手を弾かれる。


「まだ食うな!  中也さん、こいつに風呂敷持たすな、食われるじゃ!」

「借りた本で手がいっぱいだよ」


 手には2つ、僕にはわからないような本や資料やらがぎっしりつまった風呂敷を両手に持っていた。その風呂敷持つ手が男の人らしいごつごつした骨の浮き方、ぽこっと浮き出た血管、肌は白く細い。無駄な肉感がない、平たい手をセクシーだと感じてしまう。

 僕はイヤラシイ奴だ。ただ隣に立っているだけの中原さんをじろじろと見てしまう。おにぎりの事なんかどこかに飛んで行ったかのように、瞬きも忘れて彼をじっと見てしまうのだ。


 彼は優しいので、僕の視線に気がつけば声を掛けてくれる。僕はそれを待っているようで、待っていないようで。

 頬に熱を持たせてぼうっとしていると、改札口付近で駅員が電車のアナウンスを始める。


「おぉ。ほれ、時間じゃ。さっさと行け」


 もうすぐ来てしまう新宿駅行きの電車を見ようと、高そうなカメラを持った人がゾロゾロとホームへ向かって集まり始めていた。


 何事かと思うと、鉄道を趣味とする所謂「鉄ちゃん」達である。隅から隅まで読み込んだであろう時刻表からは愛が感じられた。未来も今も、それが趣味に限らずとも、何かに夢中になれる人はカッコいいもんだ。

 そんな鉄ちゃん達の間を縫うようにホームへ入ると、電車はすぐに止まり、僕と中原さんはさっさと乗り込んだ。

 対面式の座席に座り、窓を開け、ホームへ立つ藤重へ声をかける。


「色々ありがとうな、藤重。近いうちにまた来るよ」

「……」


 藤重は睨むようにこっちを見るだけで、返事はしない。こいつは何か思う事があると黙る癖があるのだろうか。「何か言えよ」と言ってしまいそうになったが、金を借りている手前、荒っぽいことは言えない。


 間もなく、発車の合図がかかる。電車はキィと音を立てながら線路をゆっくり、ゆっくり走りだした。そして、それに合わせるかのように――。


「要ェ!」


 藤重が大声で僕の名前を呼んだ。確か馬鹿野郎とか呼ばれていた気がしたが、今は間違いなく名前で呼ばれたのだ。


「司、司って呼べぇ!」


 まるで映画のラストシーンのようだ。僕らが乗る電車を追う藤重、いや、司は必死に叫んでいた。鉄ちゃんや他の見送り客も司に注目している。


「中也さんとまた、飯食いに来い! 太宰も、先生も、吉次ってやつも、みんなみんな連れて来い!」

「お、おう!」


 僕も電車の音に負けないよう返事を返す。


「いつだって歓迎しちゃる!  だって――、俺達、友達じゃけぇな!」


 離れていく電車、姿が小さくなる司。それでも司が手を振りながら走る姿はハッキリ見えたし、ハッキリ聞こえた。姿が見えなくなると、窓から身を下げて席に付き、景色を眺めた。するとやりとりを見ていただけの中原さんが口を開く。


「嬉しそうだったね」

「本当だよ!」


“台所に入るな、図々しい奴!“


 司は苛立っていたわけではない。本当は嬉しくて仕方がなかったのだ。


――1863年、高杉晋作率いる奇兵隊設立時に23歳でタイムスリップして来た司。その中に居た山縣有朋と意気投合した司は、その後、彼の側を離れる事なく生涯を共にした。


 しかし友人や仲間は出来たとしても、戦いで命を落とし、戦争から帰還しても貧困で死んでいく。司の心は瞬く間に荒んでいったらしい。

 そして司にはどうしようも出来ない、心を荒ませる様なことが起きた。タイムスリップをした僕ら平成の人間は移行先で歳をとらないようで、それが元になって気味悪がられた司は次第に避けられるようになったという。


 おまけに対象者である汚職や嘘で山縣有朋も嫌われていく始末。四方八方敵だらけ。しかし山縣さんは、司を見捨てずに、寧ろ彼を頼って晩年まで世話を焼いてくれたという。

 そんな山縣さんが亡くなってからというもの、司は人の目に怯えて外に出られない日が多くなった。


 中原さんと出会ったのは、中原さんが森鴎外関連の資料を求めて古稀庵にやって来たのがきっかけ。

 知人として関係は持ったものの、3年は門の前で会話する程度。鎌倉駅まで出てくるようになったのはつい最近のことだそうだ。


 司は傷つき過ぎたから、人と繋がる事に怯えた。慎重になっているから壁を作る。


 だから山縣さんは「答え合わせはこれからだ」と言ったのだろう。彼もきっと花言葉の意味を理解していた。対象者の寿命を迎えても、このままでは司は帰れない――そう感じていたんではないだろうか。


 聞いた話を思い起こすと、僕はどうして彼に受け入れてもらうことが出来たのだろうかと不思議になった。僕は思ったことをそのまま中原さんに尋ねると、彼は迷うことなく答えてくれた。


「あまくせさんは、図々しいからね」


 中原さんが笑ってそういうと、風呂敷に包んであったおにぎりを手渡してくれた。そして紙切れが一枚。


『自転車、探しておく』


 所々、文字が滲んでいるのは気のせいだろうか。まだほんのり温かいおにぎりに一口、齧り付く。人は傷ついたら傷ついた分だけ、温度では感じられない温かさを持たせたおにぎりを握れるのだ。


 そして不意に思い出す。店の自転車を無くした事に。


「帰りたくないなぁ」

「弁償かな?」


 中原さんの言葉で胃がぎゅっと痛くなる。電車は御構い無しに風景を早送りしていった。



 冬の夕暮れは早い。

 新宿駅についたころには太陽が夕方の顔になろうと傾き始めていた。相変わらず人が多い東京、相変わらず人だらけの新宿駅。


 僕は憂鬱に帝大付近までの道をのらりくらりと歩いて行こうと決めた。司はバス賃も貸してくれたが、早く帰って爺さんに怒られたくない。


「あまくせさん、近くまで一緒にいいかい? 1人で歩くには荷物が重いんだ」

「勿論いいですよ。でも、帰りはこっちですか?」

「まあまあ、久々に飴屋も見たいしね」


 中原さんは憂鬱な気分を察してくれたのか、風呂敷を1つ僕に持たせて一緒の帰路についてくれるようだ。気遣いは嬉しいが、何日も仕事をすっぽかした事や、自転車を無くした事、怒られる事で頭がいっぱい。おかげで下駄が鉛のように重い。

 そんな時に限って普段は遠く感じる距離が、今日ばかりは不安が距離を短く感じさせてくる。行きは良い良い、帰りは怖い。自業自得だけど、帰りが怖すぎる。


「うわぁ、その角を曲がったら飴屋……」


 飴屋が目と鼻の先。憂鬱マックス、吐き気マックス。


「俺、一緒に行こうか? 一緒なら怒られないかもしれないよ」

「どうしてですか……」

「俺は客だからね。客の前では怒らないんじゃないかな」

「そんな爺さんじゃないですよ! きっと今頃、あんぱん買って来ないって怒り狂ってますって! だから、いいです! 1人で大丈夫です! 僕、男ですから!」


 僕は中原さんの気遣いに恥ずかしくなった。みっともない所を見せたと恥ずかしくなったんだ。

 此処でうじうじしていても、何も結果は変わらない。怒られる時は怒られるのだ。それをずるずる引き伸ばしては、気持ちは疲れるだけでいいことはない。


 男として生きると決めたなら、ビシッと潔くするやる事をすべきだ。それが正解。


「では、これで。僕は行きます、いろいろありがとうござい……」


 風呂敷を差し出すと同じくらいだ。頭を2回、ポンポンと撫でられる。


「じゃあ頑張って、要」


 僕には出せない低い声が耳元で色っぽく揺らいだ。しかも「あまくせさん」ではなく、「要」と呼ばれて。力が抜けてしまうのに、アドレナリンがブワッと溢れ出す。


 僕はまた堪らず、風呂敷を落として逃げるように「じゃあまた!」と顔も見ずに走り去ってしまった。さっきとは意味の違う、"恥ずかしい"が襲いかかって来るので、僕の気持ちは慌ただしく変化する。

 

 頭に残る、撫でられた感覚に浸っている理由はわからなかった。



「俺は男だと思ってないけどね」


 あまくせさんが落とした風呂敷を拾い上げ、夕陽に照らされた帰路を辿る。調子に乗って名前で呼んでしまったが、早かったろうか。そんな事を考えては口元を緩める。俺はあまくせさんにすっかりハマってしまっている。


 それがどんな意味かと聞かれたら――内緒だ。

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