第7話 詐欺師万起雄

万起雄は横断歩道を渡り、通りをはさんだハンバーガーショップの前で足をとめた。ここなら、あの女子高生たちが出てくるのがよく見える。


上着のポケットからスマホを取り出した。電話番号を押す。番号は契約書に書かれていたものを記憶していた。


 数回の呼び出し音の後、相手が出た。


『はい、ハッピーローンでございます』


 マコトという男だった。終業間際に百万円の貸し出しを決めたからだろう、機嫌の良さが声に滲んでいた。


「さきほどはすいません。佐伯です」


『おお、何だい、どうしたの』声に笑みが混ざっているように聞こえた。『まさか、もっと貸してくれっていうんじゃねえだろうな? いいぜ、こっちは。アンタがいいなら』


 万起雄は思わず笑い出しそうになった。ずいぶん信頼されたものだ、と思った。


「いえ、申し訳ないんですが、その逆なんです」


『逆? 逆ってどういうこと』


「せっかくお借りした百万円なんですが、さっきは明日にでもお返ししますといましたけど……」万起雄はいったん言葉を切った。


『おお、ウチはもっとゆっくり返してくれていいぜ』そういった声にこちらを覗うような響きがあった。


「いえ。お返しする気がなくなっちゃんたんです」


『は?』そういったあと、一瞬の沈黙があった。万起雄の目の裏に、ぽかんと口を開いたマコトの顔がよぎった。


『おい、アンタ。冗談も休み休みいえよ、なあ』


 万起雄は今度こそ声を上げて笑った。


「冗談じゃないですよ。あんたらみたいな悪どい連中から借りた金なんて返すわけがないじゃないですか」


『なんだと、テメエ』


 マコトの声が低くなった。


「と、いうわけで百万円は頂いておきます。どうもありがとうございました」


『待て、この野郎っ、おいっ、待たんかいっ』


 怒鳴り声に万起雄は受話口から耳を離した。


「そんな大きな声を出さなくても聞いてますよ。何ですか」


『おい、テメエ、自分が何をいってるのか、分かってんだろうな。ああ? こらっ』


「凄まないでくださいよ。アンタだってこれがどういうことか分かってんですか」


『こっちはテメエの住所から何から全部わかってんだぞっ。今からでもテメエの会社行って暴れたっていいだぜっ』


「それなら、どうぞ。そうしてください。じゃあ僕はこれで」


 万起雄は電話を切った。




「おい、こらっ、待てっ」


 ツーという音が受話口から聞こえた。マコトは「くそっ」と電話を戻し、さっき作成されたばかりの佐伯の申込書を取り出した。記載されている携帯番号にかける。呼び出し音もなく留守番電話に繋がった。


「電源切ってやがるっ」


 マコトは誰もいない事務所の中で叫んだ。すぐに佐伯の会社の番号にかけた。さっきはつながった番号だ。空いた片方の指が自然とトントントンと机を叩いていた。


 だが、電話はつながらなかった。受話口からは、やはりツーという発信音が聞こえてくるだけだ。マコトはもう一度同じ番号にかけた。だが、何度やっても結果は同じだった。


 心の中に嫌な予感が広がった。だが、その考えは決して認めたくないものだった。そんな馬鹿な。俺に限ってそんな――。


(落ち着け、落ち着け)


 マコトは事務所の中を見わたし、深呼吸した。こめかみから汗がひとすじ落ちてくる。


 ふと思い立ち、パソコンで基材産業と検索した。検索結果の最上段に、ホームページの名前がある。その文字をクリックした。


 404 NOT FOUND


 真っ白の画面に、その文字だけが浮かび上がっていた。


 かっと頭に血が昇った。


「があああっ」


 マコトは立ち上がり、机の上の書類や電話をなぎ払った。紙がひらひらと宙を舞い、電話のコードが外れて壁にぶつかる。怒りはそれだけでは収まらなかった。そこらじゅうの机や壁を思い切り蹴り、最後に白い画面を映し出したパソコンを蹴り倒した。


 ガシャンと音を立て、机から落ちたパソコンの液晶が割れた。画面が真っ暗になった。


 マコトは肩で息をしながら椅子に座りこんだ。開いた膝に両肘をのせて頭を抱えた。


(やられた……)


流れ落ちた汗が床に落ちる。それらが集まって水たまりになるさまを、ただじっと見ていた。全身から力が抜け、何も考えられない。頭の中が真っ白だった。


(アンタだって、これがどういうことか分かってんですか)


 ふいに、電話での佐伯の言葉が耳によみがえった。


 その途端、マコトの背筋に冷たいものが走った。指先から震えが始まり、全身に広がっていく。食いしばった奥歯がかちかちと音を立てる。自分の意志で身体をコントロールできなくなっていた。


(殺される――)


 本気で思った。たった一万円、目標に届かなかった店長は、怒り狂った飛田に植物人間にされた。


百万円騙し取られたなんてばれた日には――もう、考えるのも恐ろしかった。


(逃げるか?)


 もうシノギなんて知ったことか、全ては命あってだ。死んじまったら、元も子もない。


 いや、だめだ。連中はどこに逃げようが追ってくる。その執念深さは何より自分がいちばんよくわかっている。万がいち、うまく逃げおおせても、これから先の人生、ずっと追手に怯えた生活をしていくのか――いやだ。そんな生活、絶対にいやだ。


 マコトは顔を上げた。


「と、とにかく落ち着け、落ち着くんだ」


 自分にいいきかせるように声に出していった。震える手で煙草を抜き出し、火を点けた。


 煙を吐き、気分が落ち着いてくると少し頭が回るようになってきた。


(そうだ、あの野郎、どこから電話してきた? まだ、そう遠くには行っていないはずだ)


 マコトは椅子から立ち上がった。当てはない。だが、とにかく探さなければ。


 出口に向かいかけたところで、電話が鳴った。無視しようかと思ったが、習慣とは恐ろしい、気が付くと受話器を上げていた。


「もしもし――」


 先に相手の声が受話口から湧き上がってきた。佐伯だった。


「あっ、テメエ。今、どこにいやがるっ」


「その感じは……確認したんですね。僕の情報を」


「テメエ、くそ舐めたマネしやがってっ、ぶっ殺すぞゴラァッ」


『いやだなあ、そんなに殺気立っちゃって。そんなことしたら、アンタは経済犯じゃなくって、刑事犯になっちゃいますよ』


 佐伯の声は落ち着き払っていた。せせら笑っているような調子さえ声に交じっている。そのことがマコトの怒りをさらに大きくした。


「テメエ、佐伯って名前も偽名だろ? いいか、今どこだ? すぐそこに行くからな。待ってろテメエ、ただじゃおかねえからな」


 マコトは子機を耳に当てたまま、出口に向かった。


『アンタ、今、子機で話してんだろ。事務所を出たら電波が届かなくて切れちまうよ』


 そういわれて足をとめた。悔しいが、佐伯と名乗る男のいうとおりだった。


『まあ、落ち着きなよ。今からいい情報を教えてやるからさ』


「なんだと、いいかげんなことぬかしやがると――」


『金、取り戻せるかもよ』


「なにを――」いってやがる、と言葉が続かなかった。いったい、何をいいだすのだ、コイツは。


『そもそもさあ、俺が五十万でいいっていってるのに、アンタが無理矢理百万、貸そうとするからだぜ。どうせ月末でノルマ足んなかったんだろ?』


「おい、いい加減にしとけよ」マコトは声を低くしていった。「どうせテメエも堅気じゃねえんだろう。チンケな詐欺師がヤクザもん舐めたらどういうことになるか、わかるだろうが」


 ふんと鼻から息を吐く音が聞こえた。


『ヤクザが代紋かけて俺を探すってことは、アンタも兄貴分に報告しなきゃなんないね。〝百万円、ケチな詐欺師に騙し取られました〟って』口ずさんでいるように軽い口調だった。『ねえ、訊きたいんだけどさあ。アンタ、それがバレたらどうなんの?』


 ぎりっと噛みしめた奥歯が鳴った。この野郎は、何もかも計算済みだ。


(殺す……)


 本気でそう思った。


『百万円のうち、五十万円は頂くから。そのかわり残りの五十万円取り戻すヒントを教えてやるよ。いや、うまくいけばもっと取り戻せるかもなあ、まあ、それもアンタの腕次第だけどね』


「何だと、頂くってどういう意味だコラ、誰がやるっていった、おお?」


『聞きなさいよ。百万円騙し取られました、一円も取り戻せてませんじゃ、アンタ、マジに命が危ないんじゃないの』


 言葉に詰まった。全くもって、そのとおりだったからだ。電話の向こうの男が、にやりと笑う気配があった。


『いいかい、一回しかいわないからよく聞けよ。何度もいうけど、いくら回収できるかはアンタ次第だからな』


「テメエ、ふざけたことぬかしてんじゃねえぞっ」


 マコトは怒鳴りながらも、受話口に神経を集中させていた。

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