第5話 マコトの決断

「それでウチに来たと?」


 佐伯が頷いた。


「まあ、カードも切れなけりゃ、ローンも組めないですからね」


 マコトは椅子に背を伸ばし腕を組んだ。


「そういう客はウチじゃ珍しくもないんだけどね。だけどアンタ、そんなんじゃ会社の経営はどうしてんだ? 資金調達もできねえんじゃないの」


「当社は二人代表制にしてまして、銀行との交渉は完全にそっちに任せてます」佐伯が椅子から身を乗り出してきた。「だから、問題はありませんし、そもそも破産したのは創業してから間もない頃の話ですからね。破産状態から今の会社の規模にまでしたってわけです」


「へえ、そうなの」


 マコトはじっと佐伯を見つめた。嘘は目に出るというが、それは経験からも本当だと思っていた。佐伯もマコトの視線を真っ直ぐ受け止めている。その目からは嘘を感じることができなかった。


訊きたいことはまだ山ほどある。たとえ禁治産者であっても、佐伯ほどの立場の人間ならば、他に金を調達する手段があるのではないか。いや、そもそも佐伯のいっていることは本当なのか。


だが、せっかく五十万円を借りたがっているのだ。審査に問題がなければ、いろいろな疑問に目をつぶってでも融資してしまったほうがいいとすら思いはじめていた。そうだ。五十万といわず、百万まで積み上げてやってもいい。そうすればアニキとの約束も果たせる。


「あの……、どうかしましたか」


 マコトは、はっと我に返った。目の前に不安げな表情をした佐伯の顔があった。


「わかった。ちょっと審査させてもらうわ。アンタの会社に在籍確認を入れるけど問題ないね」


「ええ結構です」佐伯は腕時計に目を落とした。「まだ残っている者がいるはずですから」


 マコトは立ち上がり、奥のデスクに移動した。受話器を手に取り番号を押す。一回の呼び出し音も鳴らずに相手が出た。


「新橋のハッピーローンですが、いつもお世話になってます。一件、確認お願いします」


『はい、お世話になっとります。どうぞ』野太い声が返ってきた。


「港区芝浦○丁目の○レジデンスタワー3205号、佐伯賢治 生年月日は昭和五十○年七月十六日、電話番号が033455○○○○、以上です」


『はい、ちょっと待って』


 相手がそういうと待ち受け音に切り替わった。曲はなぜかディズニーランドのエレクトリカルパレードだった。


 ヤミ金にはヤミ金の貸し倒れ予防策がある。今、マコトが電話をしているのはヤミ金同士がお互いの客の情報を提供しあって作っている、通称『センター』と呼んでいるところだ。もし他のヤミ金で問題を起こした者がいれば、ここの名簿に記録が残っているはずだ。


 待ち受け音が途切れ、相手が出た。


『ないね、他の店での実績はない。上客かもしれねえな』


「そうですか。ありがとうございました」


 受話口を顔から離したところで、相手の声が追いかけてきた。マコトはまた耳に戻した。


『あんたさあ、気を付けなよ。終業時間まぎわで、しかも月末で、こんな上客が来るなんて怪しいぜ。せいぜい足許を見られねえようにな』


「はあ、そりゃあ、もう」


 余計なお世話だ。こっちだってそのくらい考えてるぜ、という言葉をぐっと呑みこんでマコトは電話を切った。すぐに受話器を上げ、今度は佐伯の会社の番号を押す。


『はい、基材産業株式会社でございます』


 若い男の声が応じた。


「遅くに申し訳ありません。私、関根と申しますが、佐伯賢治さんはいらっしゃいますでしょうか」マコトは相手に怪しまれないようにできるだけ柔らかい声でいった。関根というのは、もちろん偽名だ。


『はあ、佐伯と申しますと社長の佐伯のことでしょうか』


「そうです。佐伯社長さんです」


『生憎、佐伯は出掛けておりまして、本日は戻らない予定になっているのですが、いかがいたしましょうか』


 男は、全く疑う様子もなく答えた。


「そうですか、では結構です。携帯のほうに電話してみますんで」


『あっ、失礼ですが佐伯にはどのようなご用件で』


 マコトは答えず電話を切った。


 まあ、ここまでは合格だ、と思った。他店での実績はない。在籍していることも間違いなさそうだ。だが、これで終わったわけではない。


 上着のポケットから佐伯の名刺を取り出し、『基材産業株式会社』とパソコンで検索してみる。検索結果の最上段に同名のホームページがある。リンクにカーソルを合わせ、クリックした。


 紺色を基調とした上品なデザインのホームページがあらわれた。業務内容や取扱い製品などの紹介ページのリンクが並んでいる。マコトはその中で代表ご挨拶の文字をクリックした。『ご挨拶』と毛筆で書かれた文字の下に代表の顔写真が掲載されていた。マコトは顔を近づけ、その画像に目を凝らした。


 七三に分けた髪、銀ぶち眼鏡。画面の晴れがましい笑顔こそ違うが、間違いなく今、ここに来ている佐伯の顔があった。マコトは続けて会社概要のページに移動した。佐伯が申込用紙に記入した内容と同じ資本金、従業員数、年商が記載されていた。


(おいおい、こりゃ本物だぜ)


 マコトはマウスを強く握りしめた。胸が高鳴っている。だが、本物だと確認できた反面、疑念も大きくなった。


 カウンターに戻り佐伯と向かい合った。


「佐伯さん、今日、免許証持ってる? 見せてもらいたいんだけど」


「ああ、どうぞ」


 差し出された免許証の写真と、佐伯を見比べる。表記されている住所も申込み用紙と同じだった。


「これ、コピーさせてもらうよ。それとさあ」マコトは免許証をカウンターに置き、佐伯に顔を近づけた。「あんた、たった五十万円の金を何に遣うの? 自分の銀行口座にそれくらいの現金が入っているんじゃねえの」


 この言葉に、佐伯が眉間に縦じわを刻み、眉を八の字に下げた。


「いや、それは……」


「まあ、俺らからすりゃあ、アンタが何にどう遣おうか知ったこっちゃないんだけどさ。ただ、どうしても不思議なんだよな。アンタみたいな人がわざわざ条件の悪いところで何で金を借りるのかって」


マコトはさりげなくいったが、本当のところはいちばん訊きたいところだった。


「その点に関しては、さきほどお話したとおりですが――」


「アンタが破産してるってのは承知してるよ。だから表の業者からも借りられないってのもわかってる」頭の後ろで手を組み、椅子にもたれかかった。「だけど、それでも引っ掛かるんだよなあ」


 佐伯は答えず、ハンカチを取り出して顔の汗をふいた。


「なあ、本当はこんなこと訊くもんじゃねえんだけどさあ、何か事情があるんじゃねえの。人には言いにくい事情がさあ」そもそもヤミ金に手を出す連中は皆、人にいえない事情を抱えているものだが、それでもマコトはどうしても訊いておきたかった。


「うーん……、まあ、それはそうなんですが」


 佐伯の顔から汗が滝のように流れた。白いハンカチが灰色に変色している。本当にわかりやすい反応だと思った。


 佐伯が上目使いの目をマコトに向けてきた。目が「言わなきゃだめか」といっていた。


 マコトは組んでいた脚をほどき、カウンターの上に両肘をのせた。同時に壁の時計を見る。佐伯が来てからもう一時間以上が過ぎている。こうなったら、コイツに賭けるしかないと思った。


「無理にとはいわねえけどさ。俺らの融資の基準ってのは、つまるところ人間性なわけだよ。高い金利で担保も取らずに貸し出すからには、本当に返してくれる誠実な人間か、どうかってのが決め手なわけよ」


「そうですか……」佐伯が泣き笑いの顔になった。何か苦いものでも絞り出すような表情に見えた。「実は、本当にみっともない話なのですが……、痴漢に間違われてしまいまして」


「ほう、そりゃあまた」


 マコトは真剣な表情を作った。ここで笑顔にでもなろうものなら、きっと佐伯は話すのをやめてしまう。あくまでも相談を聞いているといった態度を取らねばならないが、いっぽうで意外すぎる佐伯の告白に興味しんしんだった。


 佐伯は顔の前で手を振った。


「もちろん、痴漢なんてやってません。ただ、相手がかなり性質の悪い連中でして……」


「何だよ、やってねえんなら、そういえばいいじゃねえか」


「まあ、それはそうなんですが……、どうにも面倒な状況になってしまいまして」


「ふーん」マコトは煙草を取り出し、佐伯に「喫うか」と振りだした。


「あっ、すいません」


一本抜き出した佐伯に、マコトは火を点けてやった。


「しかし、そのことと、五十万円と何の関係があるんだ」自分の煙草に火を点けながら訊いた。


佐伯が深呼吸するように、大きく煙をすいこみ、ゆっくりと吐き出した。


「実は……、金を要求されてまして……いや、お恥ずかしい話ですが」


「ははあ」


 マコトは視線を引いて佐伯を見た。なるほど、そういうことだったか、と思った。それですぐにでも金が必要なのか。


「それが、五十万円なのかい」


「いや、面目ない」


「自分の口座には、入ってねえのかい」


「まあ、それもですね……、恥の上塗りなのですが、妻に管理されてまして……」


 マコトは口の端に、冷笑が浮かぶのを抑えられなかった。自分が稼いだ金を自由に使えない男の何と多いことか。佐伯はトラブルを内々に解決するために、わざわざこんな場所で金を借りるのだ。


マコトからいわせれば馬鹿としかいいようがないが、こういう連中のおかげでシノギができているのも、また事実だった。


「そんなんで、金を返すあてはあるのかい」


「少しでも時間に余裕があれば何とでもなるんです。経営者ですから経費はある程度自由に使える。ただ、今すぐといわれるとなかなかな難しい」


「なるほどねえ」


 理由はよくわかった。納得もできる。本人確認もほぼ間違いがない。本当に稀なケースだが、こいつには五十万円融資してもいいのではないか。


 マコトは煙草をじっくりと時間をかけて喫ってから、灰皿に潰した。


「あんた、ウチの融資条件わかってる?」


「十日で一割の利息とか……ですか」


 マコトは声を上げて笑った。


「トイチ(十日で一割の利息)なんてのじゃ、このご時世やってらんねえんだよ。法律が変わってからウチみたいなのは、ますます厳しくなってるからねえ」そういいながら、また後ろの棚から紙を取りだした。


「これ、契約書。今日、ハンコ持ってる? なけりゃ母印でもいい」


 佐伯がほっとした顔になった。


「えっ、それなら?」


「五十万、融資するよ。ただし条件がある」

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