第4話 ヤミ金の男

「はい、はい。何すか?」


『おい、電話を取ったら〝ハッピーローンでございます〟って愛想よくいえ、っていってるだろう。まだヤクザ気質が抜けてねえな、テメエは』


 マコトは椅子から立ち上がった。


「あっ、アニキ。ずんません。ハッピーロンでございます」


『馬鹿か、今頃、俺にいってどうすんだ』受話口から舌打ちする音が聞こえた。『本当に大丈夫か,マコト、ああ?』 


「いや、そりゃあもう」


マコトは誰もいない事務所のなかで何度も頭を下げた。


「それで……今日はどういったご用件で?」


『いや、それがなあ。ここんとこシノギの調子が全体的に悪くってなあ、今日オヤジからハッパかけらちまってよう』


「はあ……」いやな予感がした。ここのところ月末になるたびに、こんな内容の電話がはいる。組のシノギが厳しいことはわかっているつもりなのだが……。


『昨日までの回収が五百万か……。貸し出しは……、何だよテメエ、まだ予算に届いちゃねえだろうが』


 毎日の貸出金と回収金の実績は全てパソコンに入力され、アニキのところで進捗状況が管理できるようになっている。貸し出しと回収にはそれぞれ月の予算が設定されていて、その達成具合によってマコトらの組内の評価が決まる。まるでサラリーマンと同じだった。


 ただ連中と決定的に違うところは、毎月決まった給料が支払われるわけではないという点だ。ヤクザに給料はない。無給だ。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、それができなきゃ野垂れ死にするしかない。それがヤクザであり、そんなところに憧れてヤクザになった者も多い。もっとも今のマコトには自分の食い扶持を稼げるだけの甲斐性はない。兄貴分の飛田から、小遣いをもらうのがせいぜいだ。


「はあ、すいません」


『今月中にあと百万、貸出し実績を作れ』


「は? 百万っすか」


『商売を長く続けていくためには、貸出し続けることが大事なんだよ。貸さなきゃ、回収できねえ。そして、俺らはどんな奴からも回収する、そうだよなあ』


「は、はい。仰るとおりで……」


 そうだ、闇金業者は何が何でも回収する。もともとこんなところに借りに来る奴らは、まっとうな業者から借りられずに、にっちもさっちもいかなくなった連中ばかりだ。だから回収の厳しさは半端ではない。どうしても払えない奴は内臓を売る。それでも足りない奴は、保険金で回収する。まあ、実際そこまで行く奴はそうそういないが。


 マコトは壁の時計を見た。夕方の五時半過ぎ。しかも今日は月末だ。今月中に、ということは実際のところ、あと数時間のうちで実績を作れってことだ。


 マコトは答えられずにいた。事務所の前で金をばら撒くのなら別だが、例え闇金であっても、金を借りたいと考えている奴に貸すのが大原則だからだ。


『何だマコト。返事がねえぞ』


 飛田の凄みのある声が受話口から響いた。と、同時にマコトの脳裏に、こめかみから頬にかけて大きな切創の痕が残る恐ろしい顔が浮かんだ。


 マコトはぶるぶるっと身体を震わせた。


「や、やりますっ」


もうヤケクソだった。そもそも何の根拠もない。でも兄貴分である飛田に口ごたえするなど考えられなかった。


『よーし、よくいったマコト。今の調子を続けてりゃあ、そのうちお前にも店の管理任せてやるからな。そうすりゃお前、アガリの一部を本部に収めて、後は全部お前のモンだ。酒も女も行き放題だぜ』


「はい、ありがとうございますっ」


 マコトは静かに受話器を置いた。


 泣きそうだった。今までも何度か飛田から無理をいわれてきた。でも、それらをどうにかこうにか、形にしてきたつもりだった。でも今回ばかりは、無理筋だとしか思えなかった。


 マコトは受話器に手を置き、顔を俯かせたままの姿勢で考えた。


 どうする? 今日中に、あと百万円なんてどう考えても無理だ。時間がなさすぎる。でも、やらなきゃ後が恐ろしい。飛田のアニキは怒ると何をしでかすかわからない人だ。


 いつだったか、予算まで一万円足りなかった別の店の店長を半殺しの目に遭わせたことがある。たった一万円だ。


結局、そいつは今でも植物人間状態で、病院のベットの上にいる。


 ふと自分が、体中に管を接続されてベットの上で横になっている映像が頭に浮かんだ。まわりには、とっくに縁を切られた母親や父親、妹がマコトを見下ろしている。皆、わんわんと泣いていた。


(いやだっ)


 マコトは頭を横に振った。やるしかない。どうやればいいのかまったく思い浮かばなかったが、とにかくやるしかないのだ。


 顔を上げ、アルミの灰皿を引き寄せた。煙草に火を点ける。


(今、回収に出てるのが三人――奴らが回収した金額をまた、貸し付けたことにするか? いや、駄目だ。形だけつくろったって、すぐに兄貴は気が付く。ヤクザ以外の何者でもない恐ろしい見かけをしているくせに、頭は切れる)


 マコトは煙草をくわえたまま、オールバックに撫で付けた髪を掻きむしった。ぱらぱらと灰がテーブルに落ちた。


(ああっ、どうすりゃいいんだっ)


 そのとき、事務所に誰かが入ってくる気配があった。マコトは入口に目を向けた。


 ドアの手前で、銀ぶち眼鏡に紺のスーツを着た男が立っていた。


「まだ……営業中ですか」


 マコトはくわえていた煙草を急いで灰皿に潰し、立ちあがった。客だ、いやカモだ。


「ああ、どうぞ。まだ営業してますんで」自然と口元が緩んだ。


 椅子をすすめると、男が事務所の中をきょろきょろと見まわしながら歩いてきた。年齢は三十代前半といったところか。暑くもないのに顔じゅうにびっしょり汗をかいている。


 カウンターをはさんで男と向き合った。マコトは改めて男の全身に目を向けた。仕立てのいいスーツ、袖口から覗いている時計は高級品だ。


(これは、これは。予想外に上客だぜ)


 マコトは笑いがこみあげそうになるのを、必死でおさえた。


「今日はいかほど用立てましょうかね」


 カウンターの上で指を組んだ。細かい説明は必要がない。客がここに来る目的はひとつだけだからだ。


「あの……百万、いや五十万円ほど必要でして……」


 マコトは声が出そうになった。飛んで火にいる夏の虫とはこのことだ。


だが、この男は初めての客だ。いきなり五十万円の貸付けは正直、厳しい。だが、ここで貸し付けが実行できれば、飛田との約束がぐっと実現に近づく。マコトは胸の前で腕を組んだ。


「うーん、五十万ねえ。お客さん、ウチと取引きするの、初めででしょ」


「駄目ですかね……」


「ウチも商売だからねえ、何とかしてやりたいのは、やまやまなんだけどさあ」マコトは後ろの棚の引き出しから、申込み用紙を一枚取り出した。「まあ、いちおう審査するからさ、ここに記入してよ」


 男は用紙を受け取り、書き入れる直前でペンを止めた。そのままの姿勢でじっと紙の上に目を落としている。迷っているのだろう。


 男が顔を上げた。


「あの……お借りするのに必要な書類は何がありますか」


「ウチはさあ、信用第一でやってるからね。基本、その申込み用紙だけ。まあ、お客さんの場合は融資金額が金額だから、運転免許証くらいは確認させてもらうけどね」


 そのかわり回収は地獄の厳しさだよ、とはいわない。闇金に手を出す連中は、そんなことは承知の上だ、とマコトは考えていた。


「審査っていうのは今日、結果が出るんでしょうか」


「お客さん、そんなに急ぐの?」


「ええ……まあ」男は目を伏せた。


 ますます好都合だ、と思った。審査に問題がなければ間違いなく今日の貸し出し実績が作れる。


 男が記入した申し込み用紙を手に取り、マコトは目をみはった。


「へえ、おたく社長さんなんだ」


「ええ、まあ一応」


「ははあ、俺とたいして歳も違わないのにたいしたもんだねえ」マコトは用紙をカウンターに置いた。「佐伯賢治さん、三十三歳ね。この基材産業? あんたの経営している会社はいったい何やってる会社なの」


 佐伯は背筋を伸ばし、眼鏡を中指で押し上げた。その姿に少しだけ経営者らしさがのぞいたように見えた。


「日用品メーカーや化粧品メーカーに、当社が開発した新しい原料や素材を提供しています」


「へえ、メーカーねえ」


そういわれてもマコトにはぴんとこなかったが、佐伯が具体的な会社名をあげてようやく想像がついた。日本人なら誰でも知っている大企業ばかりだった。


「それで従業員六十名、年商十八億円かい。この会社は、あんたが作ったの」


「ええ、私が一人で立ちあげた会社です」


 と、いうことは会社の株券の大半はこいつが独占しているということだ。うまく立ち回って会社の株を手に入れられれば、乗っ取りや架空上場話の投資詐欺など、いろいろと旨みが広がる。


(こいつぁ、とんでもねえカモになるかもしれねえぞ)


 マコトは心の中で舌舐めずりした。


いっぽうで、浮かれてばかりはいられないとも考えていた。確かめておきたいことはまだある。第一、そんな立派な会社の社長がなぜ、ヤミ金などに手を出すのか。


 マコトはカウンターに両肘をついて指を組んだ。


「ちょっと訊かせて欲しいだけどね。そもそも何でそんなに立派な会社の社長さんが、ウチみたいなところに来るの?」


「いや、まあそれは」佐伯が視線を落とし、苦笑いした。「非常にお恥ずかしい話なんですが、実は私、禁治産者でしてね」


「はあ? アンタ破産してるのか」


「まあ、そういうことです」佐伯が鼻の横を掻きながら、答えた。

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