第46章 古い地図

 「そろそろ北を閉じる準備をしたほうがいいね」

 ライラは、大きな精霊の分布図を広げながら呟いた。ここ最近では、ライラはかつてパトラが暮らしていた家に移り住み、パトラの残した書庫の中で暮らしていた。

 その場を掃除していた偽物のふたり組が、ライラが読んでいる地図を、不思議そうな顔で覗き込み、ちらちらと視線を送りながら掃除をしている。

 その場に呼ばれたルークは、偽物のふたりに部屋の掃除は後でいいと伝え、早めに昼休みを与えた。偽物たちの行動は、妖精たちにずっと監視されているのだが、彼らにはもちろん妖精たちは見えていなかった。偽物たちは、ルークの言葉を聞くと残念そうに部屋を出て行った。ふたりが出て行ったことを確認して、ルークはライラに尋ねた。

「西へはいつ向かわれるのですか」

「ハンナが戻ったらすぐに、と思ってたんだがね。あんた、ここひとりじゃ大変だろう」

「私は、ひとりでもここを守れます。ジャックもいますし……ハンナが戻ると信じておられるんですね」

 ライラはそれには答えなかった。その代わりにこう言った。

「この地図にある記号、なんだと思う?」

 ルークは、ライラが指さした場所を見つめた。そこには、見たこともないマークが記されていて、そのマークは西の国、ウエストエンドと、隣接する国境近くの上に記されている。

「さぁ……、何の印でしょうか。鳥の足のようにも見えますが」

「このマークのところだけ、インクが新しいんだよ」

「そこへ行かれるのですか」

「ああ、こんなざっくりした位置じゃ確認する範囲は広いがね。何かあるかと思ってね」

 ライラは精霊の領域を守るために考えうることは全て経験者たちに伝えていたのだが、自分にできることは、かつてパトラがそうであったように、精霊たちの言葉を人々に伝えて取次ぐことだけだった。あとは精霊たちに認められた者たち、経験者と守り人に任せるより他なかった。

 しかしどれほど手を尽くしても、北エリアにも南の海にも動物たちが戻ってくることは無かった。それはつまり、守るべき精霊の領域が消え、まだそこが彼らが住める環境にないという事だ。

 何か方法はないのかと、ライラはパトラの家に残されていた書物を片っ端から読んではみたが、どうやら過去の書物の中には今起こっていることへの鍵はなさそうだと諦めかけていた。

 そんな時、ライラは自分が破壊したミチコの家のことを思い出した。あの家もかつてはパトラの家だった。何かヒントがあるかもしれないと探し回って、長椅子の背もたれの中から見つけたのが、この地図だ。それは、どうやら精霊の地図のようだった。一緒にあったもう一枚の地図と重ね合わせると、ある一か所にマークが重なった。それが何を示すのかパトラには分からなかったのだが、何かがそこにある、という直感があった。

「そこに、解決の手掛かりがあるとお考えなのですね?」

 ルークが、その古い地図を見つめながら、ライラに尋ねた。

「さあね。それは行ってみないとわからんね」

「……ライラ様は、ここも、そのうち終わるとお考えですか」

「何故そんなことを聞く?」

「パトラ様が、終わらないものはないと、言っていらしたので……」

 ライラは、ルークを見上げ、その目をまっすぐ見つめた。

「確かにね。あの婆さんの言ったことは正しいよ。終わらないものなどない。私だって、少し前までは、ずっと続くと思っていたものが沢山あった。ずっと続くものなどないということは、経験するまで分からなかった。ここが消えてしまうのが、もうすぐなのか、まだずっと先なのかは分からない。あたしには未来は見えないんでね。けれど、どの領域だって、たとえ消えたとしても、蘇らせることは出来る。精霊たちが許してくれさえすればね……あたしたちは、そのために選ばれてここにいるんだ。その消えていく世界を見届ける道を選んだのも最終的には自分だ」

 呟くパトラのその言葉には、力が無かった。レオの誕生日以降というもの、フラワーバレーには不穏な空気が流れ続けていた。花は戻らず、多くの経験者や守り人の偽物がスノーマウンテンへと送られたと騒ぎになっている。人々は疑心暗鬼になり、各地で問題が起こっていた。

 意図的に偽の宝石を指輪にはめていた者たちは観念していたのだが、そうとは知らずに親から石を与えられていた子供たちへの影響は思いのほか大きかった。

 偽物の石を作り続けていた主犯格のボバリー家は、どういうわけか騒ぎが起こるずっと前に、真っ先に自ら西へと逃げていたのだが、《捕まって家族共々スノーマウンテンへと送られた》という噂が広まっていた。実際にはスノーマウンテンにはボバリー家はいなかった。おそらく、姿を隠すために意図的に流された嘘の噂だろう。彼らはここを離れる前に全ての花を消し、それからは、村の苗木は全て育たなくなっていた。

 どのような薬が撒かれたのかは分からないが、グリーングラスが関わっているだろうことは明らかだった。何が起こったか分からない村人たちは《経験者》に救いを求めようとした。けれどほとんどが偽物だった彼らは忽然と姿を消し、村には戻ってこなかった。もはや《経験者》と《守り人》の信用は地に落ちていた。

 偽物に相談を持ち掛け、騙される寸前だった村人たちは、ライラにとても感謝するようになったのだが、花の消えたフラワーバレーに子供たちの笑顔はもう無かった。子供たちから笑顔を奪ったのは、他でもない、その国で子供たちに嘘をつき続けた大人たちだった。

 ボバリー家のおかげで仕事を得ていた人々は職を失い、かつて豊かだったと思われていたこの国は、実際には貧しさを補うために奔走していたボバリー家の力でなんとか平和を保っていただけだったのだという事に人々は気づき始めた。そして、その力は、憎むべき隣国の援助によって成り立っていたのだという当たり前の事実にも人々は気づいたが、誰もそれを認めようとはしなかった。全ての責任をボバリー家に転嫁することで、人々は怒りを鎮めていたのだ。

 生きることで精いっぱいの村の人々は、職を得ようと国外へ出ようとするのだが、他国の言語もろくにできない人々にできる仕事はそうは無かった。自然と共に生きてきたフラワーバレーの人々は、ひとたび国の外に出ると、教養の無い国民としてぞんざいに扱われ、科学的な知識もない人々は馬鹿にされるような言葉を何度も浴びせられ、すぐに祖国へと戻って来た。心豊かだった国民は、他国と比較することで徐々に妬みの心に支配される卑屈な国民となっていた。

『茶色の木の指輪を貰えれば、経験者と守り人の下で働ける』というこれまた嘘の噂が広まると、今度は、その偽物を身につける者が現れ「俺は、経験者と守り人を知っている。口をきいてやろうか」と噓をつき、ブローカーのような仕事をする《偽物の偽物》まで出始めた。

「全く、パトラばあさんのせいで、あたしゃ偉い迷惑だ。偽物探しもいつまで経っても終わりゃしない。さて、どうやってこれをうまく丸め込むかね。まったく、人の浅知恵と、欲望ってのは際限がない」

「ライラ様、それを言うなら、上手くまとめる、ではないのですか?」

 ルークは真面目な顔で答えている。最近すっかり笑わなくなって、その超がつくほどの美形にもうっすらと陰りが見え始めていた。

「ともかくも、今はストロベリーフィールドの収穫エリアを広げるさ。苗が生き残ることができたのは、あのエリアだけだし、生活の糧も必要だしね。それが本来、農業で力を合わせて生きてきた国の皆が一番心を取り戻せる方法のはずだろうし……」

 ライラは、ため息交じりに言った。最近は自分の顔がミチコそっくりにげっそりしてきていることにライラは気づいていた。精神的な疲れが体力的な疲れへと繋がり、急速な体力の衰えと共に、その顔は見る間に皺だらけになっている。妖力で修正はできても、それは妖力に基づくもので、結局はいつか元に戻るのだ。それならば、そのままでいようとライラは思っていた。

「精霊の谷のほうは、どうなっている?」

「霧の妖精たちに管理を任せていますが、そろそろ限界かと」

「ああ、分かった。一度見に行かねばね」

 一つ大きくため息をつくと、ライラは「ミチコを助ける」というユラ神様との約束を果たすため、その準備にとりかかった。

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