第45章 大人という偽物

 あの日、ハンナが消えた日のことだ。ライラは、ノースランドで何か騒ぎが起こっていたことを北の長ザグレブから連絡を受けて分かっていたのだが、あれほどの人数がいるのだから、新人のハンナがいたところ困ることもないだろうと、さほど気にも留めていなかった。

 それよりも、ウエストエンドに横行していた偽物たちの処分のことで頭がいっぱいになっていた。そのせいでストロベリーフィールドをミチコひとりに任せきりにしたことを、その後ライラはずっと悔やむことになった。

 偽物たちは次々捕らえられ、ノースマウンテンの麓に集められていた。スノーマウンテンの麓、広大なパンパスグラスの丘に集められた偽物たちを見ながら、うんざりした顔で、ライラは呟いた。

「今回は、ざっと、四十名ってところだね。二十組ほどってことか。ま、思ったよりは少なかったね。北からの連絡はまだだが、さほど増えることは無いだろう。それにしても、年季の入った者ばかりだね。よくまぁ、偽物のまま何年も平気でいられたもんだ。若い奴らはまだ他に生きる道もあるし、賢いから、適当なところで自分の浅はかさに気づいて辞めてたんだろうかね。十代後半からずっと自分と周りをだましてきた奴らだ。まったく可哀そうに」

 ライラはひとつ咳ばらいをすると、声のトーンを一段階あげた。

「私は、パトラに変わり、精霊使いとなったライラという。これからこの国の精霊との取次が私の務めだ。《経験者》にも《守り人》にもなれなかったお前たちの悔しさも、その妬む心も、私にはよく分かる。けれど、精霊たちは決してお前たちのことを許さないだろう」

 集められた偽物たちは、一斉に声をあげた。自分たちは何も悪いことはしていない。勝手に信じた奴らが悪い。自分たちがしたことは、お金を払って石を買って、《経験者や守り人のふりをした》ことだけだ、何なら面倒ごとを実際に片づけたこともある、と。

 ライラはひとしきり偽物たちの声を聞いた後、大きく首を横に振った。

「そのことで、お前たちは、大切なものを失った。それは、《自分自身》だ。お前たちは、本来の自分自身の人生を葬り去った。お前たちは、自分で自分を殺して、偽物のまま大人になったのだ。精霊たちは言う、不要な命ならば、せめてパンパスグラスの餌になれと」

 ざわつく人々は、徐々に静かになっていった。しばらくするとひとりの男が声をあげた。

「自分を取り戻す機会さえ与えてもらえないのですか。二度とこんなことはしませんよ」

「そう言う奴は、必ず同じことをまたやるからね」

 ライラは自分自身を振り返っていた。憧れを通り越した後の恨みや妬みの力は凄まじい。自分の意思でコントロールできるならば、この村に来る前に自分だってとっくにそうしていただろう。

「どうすれば、許してもらえるのですか? わたしには家族もいます。認められたかっただけなんです。子供たちが今どうなっているかと思うと私は……」

 白髪で背の高い男が、情けを請おうとするような弱々しい言葉を発した。その隣の体格のいい男が、その男を指さしながら叫ぶ。

「俺なんて、こいつにそそのかされただけなんだ! 組めば儲かるってよ」

 再び偽物たちがざわつきだし、次々に言い訳をし始めると、ライラは怒鳴った。

「だから、お前たちは、《経験者》にも《守り人》にもなれなかったんだ! 自分たちが、その資格のないやつだってことを、さらに恥の上塗りしてまで証明したいのかい? 子供に会えないのも、お前たちの子供が《偽物の子供》だといじめられ、その心がひん曲がろうとも、あたしの知ったこっちゃない! 自業自得さ!」

 場が静まり返ると、パトラは大きく息を吸ってから吐き出した。

「喜びな。それでもお前たちには、精霊たちからこの指輪が与えられる。これが生き延びることができる唯一のチャンスだ」

 ライラが手を一振りすると、その場にいた者たち全員の右手に茶色の木の指輪が光った。掌側には大きく名前が刻まれている。外そうとする者もいたが、どうやっても指から外れることはなかった。

「お前たちが、その見栄と妬みの心を手放さぬ限り、その指輪は消えぬ。それを付けたまま偽物だった者として生きるか、今すぐここでパンパスグラスの餌となるか決めるんだね」

 パトラの言葉に苛ついた数名が、『ふざけるな! こんなもの、家に帰って、のこぎりで切り取ってやる!』と吐き捨てるように言うとパンパスグラスを村の方角へと登り始めた。

 けれど丘を越える前にその全員が膝をつき苦しみだすと、ものの数分で倒れて、誰も動かなくなった。しばらくすると大きなパンパスグラスがさわさわと動き始め、倒れていた者たちをその下葉で隠した。再びパンパスグラスが移動した後には、何も残ってはいなかった。その場にいた偽者たちは息を呑んでそれを見つめていた。この丘に入った者たちは、誰一人村に戻れないと村では言われていた。その理由がこれなのかと、あちこちで声があがる。

「こんなの恐怖政治じゃないか! 殺されたく無ければ言うことを聞けということだろう?」

「だったらどうなんだい? こっちはこれでも最後の選択肢を与えてるんだ。自分自身の存在を偽り、精霊と繋がるふりをして生きてきたお前たちは、その時から存在しないのと同じなんだよ。もう何年も前から、本来ならお前たちはこの世に存在していない。これまで生きてこられたことに感謝するんだね。精霊たちの怒りを感じるがいい!」

 ライラは皆を睨み付けた。

「偽物として今すぐ終わりたいなら、それでもいいさ。丘を越えてみるんだね」

 ライラへの暴言は続いたが、ライラは気にも留めなかった。祖国にいた頃に浴びた暴言に比べれば、痛くもかゆくもない言葉のつぶてだった。

《こいつらの心は簡単には変わらない。けれど自分を胡麻化して生きるのは容易いんだ。あたしのようにね》

 偽物たちの罵声を浴びながら、ライラはその顔をしっかり記憶した。ひとり、またひとりと。

 あれほど騒いでいた偽物たちは、その視線を受けると、その力に操られたかのように、誰もが黙ってしまった。思考することをすぐに諦め、楽な道へ進もうとするのも、自分自身を捨てた者たちの特徴だ。

 それ以降、丘を越えようとする者はひとりもいなかった。ずっと偽物として自分を偽って生きてきた者たちは、いつだって言い訳をしながら自分の心を簡単に裏切ることが出来るのだ。

 ライラの指示で、生き残った経験者と守り人の偽物たちは、しばらくの間、本物たちと生活を共にすることになったのだが、何故そんなことをさせるのか本物の経験者と守り人たちには理解できないようだった。

 事実、そんな偽物たちと生活することは、ルークにとっては苦痛以外の何物でもなかったようで、毎日のように苛ついた様子を見せていた。偽物たちが二人組で数日間家にやって来て、召使いのように働き、本物の仕事を補佐をするのだが、補佐と言っても、いわゆる家事全般だ。

 すんなりと経験者として認められた者たちには分からない苦しみが偽物たちにはあった。けれど、そんなものにならない方が幸せなのだという事を彼らは知らなかった。ただ憧れだけを持っていた彼らは、その生活がいかに質素で、厳しいものであるかを知ると、少しづつその態度を変え始めた。

 そうしてようやくこの問題がひと段落しようかという頃、ライラは《ハンナとレオが戻って来ない》という知らせを受け取った。正確には、いつまで待ってもやって来ない北の偽物の状況をライラのほうから確認して、ようやく北の惨状と、その事実を聞かされたのだった。

 暮らすのも厳しく、人のいない北エリアに、偽物などいなかったのだろうとライラは考えていたのだが、実際にはそれどころではなかったということだった。北の長ザグレブも、その守り人ガイヤも、その力を失っていた。その仲間も怪我をし、森の木々はなぎ倒され、その姿は見るも無残に荒らされていた。それをやったのはハンナとレオだと聞いて、ライラは耳を疑った。

 そのことを伝えた時、ミチコはかなり動揺していたのだが、恐らく水晶の力で未来を見たのだろう、しばらくするといつも通りストロベリーフィールドで笑顔で虫たちと懸命に働きだし始めた。その様子を見て、ライラも、すぐにハンナは戻るのだろうと安心していた。

 けれど、いつまで待ってもハンナからの連絡は誰にも届かなかった。





 

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