第47章 無駄な努力か
「お呼びになりましたか? あの……ライラ様……」
経験者ルークが、ライラに何度も声をかけていた。精霊の谷のキッチンで、遠い過去へと記憶を飛ばしていたライラは、ああ、と言いながら我に返った。
山のようにパンを作り続けていたせいで、一歩ルークに近寄っただけで肩と腰に痛みが走り、ライラは屈みこんだ。ジャックが心配してライラの身体を支え様子を伺う。ルークがキッチンを見回しながら、やっと我に返った様子のライラに尋ねた。
「お呼びになったのは、これのためですか? こんなに沢山、一体どうするおつもりです?」
「ああ、こっちはお前たちでお食べ。あの子たちが食べるかと思ってね。まだ連絡はないかい? これで良かったのかね。お前はどう思う、ルーク」
そう言いながらライラはため息をつく。
「それは精霊使いのライラ様から、直接精霊にお尋ねになるべきかと」
「いったい何の話ですか? ハンナは?」
ジャックは話が見えないという顔をしている。
「ああ……、畑も見にいかなきゃね。結界を解いたら、どうなることか」
「やっぱりハンナに連絡できないの?……」
ジャックがもう一度呟いた。その場にいた三人の会話はほとんど嚙み合っていなかった。突然の出来事に皆が動揺していた。ライラの隣にいる守り人ジャックは泣きはらした目をしている。
三人がいるキッチンの窓からは、広い庭が見えていて、その大きな屋敷にある庭の中心に作られた氷の家の中では、白い花で囲まれた人物が眠っていた。
その人物は、ストロベリーフィールドの中央で眠るように目を閉じて横たわっているのを発見されたライラの従妹、ミチコだった。その周りにはたくさんの蝶が飛び交っている。この精霊の谷で何日も懸命にルークが治療を試みていたが、どれほど指輪の力を使おうとも、ミチコはもう息を吹き返すことは無かった。
《ユラ神は、その子孫が覚醒すると、その後わずか数年でその生を全うする》という話をライラはかつて故郷のユラ神様から聞いていた。その通りになったという事なのかもしれなかった。
これでもう、ユラ神の血を引く、未来を見ることの出来る者はいなくなってしまったのだ。
ライラは、よろけるようにキッチンから裏庭へと続くドアを開け外に出た。ルークとジャックもそれに続く。氷の家に入ると、ライラは手に抱えていたカゴに入ったパンを、ミチコの枕元にある室内の台の上に置いた。台の上には、ミチコが好きだったものが山のように積み上げられている。
「あんたの好きなイチゴパン、持って来たよ。食べられないってのは分かってんだけどさ。でもにおいは分かるだろ? ハンナたちの分も作ったんだけどね。あんたさ、そこから見えるなら、あの子を呼び戻してくれないかい?」
そう言いながら、ライラはミチコが胸の上で握りしめていた小さな水晶のペンダントをそっと外し、自分の首にかけた。
「あんた、もう持っていてもしょうがないだろ? これ、パンの代わりにと言っては何だけど、あたしが貰うよ。ずっと欲しかったんだ。それくらいいいだろ? どうせ、もう誰も使えないんだし。その代わり、約束は果たすよ」
ライラは、重ね合わせたミチコの手に自分の手をしばらく載せていた。あれほどライラが腹立たしい思いで見ていたかつての嫉妬と憎悪の対象は、見る影も無くやせ細っている。けれどその顔は笑顔だった。ミチコは幸せそうに微笑んでいる。
「ライラ、あなたがいてくれて良かった」
それが、ライラがミチコから聞いた最期の言葉だった。ストロベリーフィールドの完熟イチゴで作ったストロベリーサンドをミチコに持って行った日だ。その時のミチコはとても元気だったので、まさかそんなに早くいなくなるとはライラは思いもしなかった。
ミチコは村の壊れた家には戻ろうとはせず、『私はスノーマウンテンで生き延びられる程強いのよ』と笑っていた。ストロベリーフィールドに結界を張り続け、そのフィールドの隅で、動物たちと建てた小屋でひとりで暮らし始めたミチコは、ここにすぐにハンナが戻って来るからと、毎日、毎日、ストロベリーフィールドで虫たちと共に楽しそうに働いていた。
「この異変も間もなく終わる。それまでの辛抱よ」
ミチコはそう語っていた。何かが見えているのかもしれないと、それを聞いてライラは思っていたが、その詳細は告げられることは無かった。予言の内容が自分に告げられないことに、何か理由があるに違いなかったが、ライラはあえてそれを尋ねることはしなかった。ミチコが、何故かとても明るい表情でそれを語ったからだ。
けれどそれも二度目の収穫が終わるまでだった。
ある朝、甘い香りが充満するストロベリーフィールドの中央で、ハンナのママ、ミチコは眠るように倒れていた。虫たちも妖精たちもその周りで泣き続けていた。ライラがようやく偽物たちの処分をすべて終えてひと段落し、ミチコの様子を確認しにストロベリーフィールドへと戻って来た日のことだ。
殆どのイチゴは刈り取られて、すぐに出荷できる状態になっていた。これを一人で終えたのかとライラは信じられなかった。虫たちや妖精たちは、『気づいた時には倒れていた、働き続けるミチコを止めればよかった』と、ミチコの周りで後悔の言葉を重ね続けていた。その時ミチコは、またかすかに息があった。何かすべきことがあって、必死に持ちこたえている、そんな風にライラは感じた。おそらく、最期にハンナに会いたかったのだろうとライラは考えていた。
どれほど娘に会いたかっただろうかと、ライラはミチコを不憫に思ったのだが、その眠る顔までもが幸せそうに微笑んでいたので、きっと娘のことも見えていたのだろうと考えていた。この笑顔は、きっとハンナは無事だという証だ。
この数か月、北の森から消えたハンナのことを、北を守る経験者や守り人たちが、懸命に捜していた。けれど、北の者たちが語った「経験者ハンナが守り人と共に東の方角へ飛んで行った」という言葉を聞いた他の経験者と守り人たちは、その話を曲解した。
『ハンナは本来の自分がいるべきところへ戻りたかったのだ、はなから裏切るつもりで、自分に力をくれる守り人を得られるまで待ち続け、とうとう指輪の力も得たので、より力のある自分の国へ逃げたのだろう』という噂が広まり、数か月後には誰もハンナとその守り人レオの話は一切しなくなっていた。
「まだハンナから連絡は無いのかい? こちらからの呼びかけにも?」
ライラはゆっくりと視線をルークへと向けた。その隣では、相変わらずジャックがすすり泣いている。
「ノースランドのメンバーによると、暴風雨を巻き起こした後、グリーングラス方向へ向かったという事でしたが……。誰の呼びかけにも全く答えなかったそうです。それから連絡は一切、誰にもありません。何度もコンタクトは取っているのですが……」
「ノースランドの長と、その守り人は、気の毒だった」
「ええ……」
ルークは沈痛な表情をしていた。経験者ザグレブの守り人であるガイヤは、気づかぬうちに体内に蓄積していた毒物により飛べなくなったことで精霊から解放され、その全ての力を無くしていた。緑の石の力で蘇るには限界があった。気づいたのが遅すぎたのだ。何より、本人が、もうここまでにしたいと告げた。それにより、それを受け入れた経験者ザグレブもその力を失った。
他の何人かの仲間もこの前の作戦で怪我をしたのだけれど、それでもザグレブとガイヤのふたりは、ノースランドに留まり残された時間をそこで生きることを選び、皆と活動を続けているのだという。
北に残る他の若い者たちは幸い体力のある若者たちばかりで、数日あればまた元に戻れるだろうとのことだった。南から応援に来ていた四名が懸命に森と湖を元に戻そうとしていたが、山も川も瀕死の状態で、虫も動物もその姿はなく、精霊の力を使っても、何年かかるか分からないほどの被害だと聞き、ライラは、そこにいた全員に『身体が汚染される前に西へ移動するように』と告げていた。
けれど、北のメンバーたちは、あと少しだけと言い続け、まるでハンナを待ち続けるかのようにその場所の回復に力を注いでいると、ライラには報告されていた。
「南も、北も、当分難しいね」
「ええ、あとは、ここと西だけです」
「あたしたちがやってることは、一体何なんだろうかね……」
ライラが、誰に言うとでもなく何気なく小さく呟いた言葉に、ルークが俯きながら答える。
「それでも、やり続けることに意味があるのだと、パトラ様はおっしゃっていました」
「……あの婆さんらしいね。ああ、あと何年生きられるか分かってんなら、ミチコに聞いとけばよかったよ」
「どういう意味ですか?」
「こんなしんどい事、さっさとやめて、好きなことしたいって意味さ」
「ライラ様!……」
「冗談だよ。あんた、見かけはチャラいのに、ほんと真面目でつまんないよね。趣味もなさそうだし、自分大好きだし、だからモテそうでモテないんだろうが」
ライラは、こういうばかばかしい会話に笑い転げていたミチコを思い出し、その場の雰囲気を変えようとして、笑顔で眠るミチコの前で面白い話をしようとしていたのだけれど、その言葉は、ルークの心の地雷を踏んだだけだった。
「今、その話が……、いったい、誰と、何の、関係が……」
苛つきながら、紙を逆立て始めたルークの横を、ライラは何事もなかったかのように鼻歌を歌いながら通り抜け、「じゃあ、ミチコ、また来るね」と言い、氷の家から外へ出た。憤慨した顔のルークの後を追うように泣きじゃくるジャックが続き、もう我慢できないというように金切り声をあげる。
「ねぇ、なんでみんな助けに行かないの? ハンナはどこ?」
ジャックは、ここしばらくずっと顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。そのせいで、腫れ上がった目の大きさが半分以下になっていても、誰もそのことを指摘しなくなっていた。
「返事が無い以上、どうしようもないんだ……。お前だってわかっているだろう、ジャック」
広い庭を横切りながら、ルークの表情は再び険しくなった。ジャックがそれを聞いて怪訝な顔をする。
「ねぇ、いったい、どういうことなの?」
「捕まっちまったんだろうね。グリーングラスに」
パトラが後ろを振り返り、あまりにもさらりと言いのけたので、ジャックはむっとした。
「捕まったとしても、守り人のレオがいるんだから、逃げられますよね……。ねぇ、どうして、助けに行かないんですか!」
パトラは再び前を向き振り返りもせずに両方の掌を天に向けると、歩きながらそれに答えた。
「知らないね。だいたい、あたしたちは万能じゃないんだよ。万能なのは精霊であって、我々はその力を借りているだけだ。あのパトラでさえ、あの国のことは、人づて、いや、妖精たちから聞いていただけだったようだし。あんな物騒な国、行ったこともないもんでね。行ったが最後、帰って来たものはいないよ。パンパスグラスに人間が立ち入るようなもんだ。
考えることと、働くことを放棄した東の国なんか、どんなに頼まれたって探しに行きたくも無い。知ってるかい? あの国の人々は、産まれた時から生きることを統制されてるんだ。鳥たちの話では、子供たちは小さいセルの中で暮らしている。素晴らしい仮想現実の中だけでね。そこに飛び込んで行ったんなら、あの子もそっちの方が良かったってことなんじゃないのかい?
辛い現実から逃れて、夢の世界の中だけで生きたかったんだよ。それが幸せだってんなら、誰にもそれを止める権利なんかないさ。母親と同じで、ひとつの国への帰属意識ってものが無いから、愛国心ってものも無いのかもね」
「ライラ!」ルークが声を荒げた。その声に反応して歩みを止め、ライラが振り返る。
「呼び捨てにすんじゃないよ! この若造が! 一応あたしだって、気を遣って、ミチコの前では話してないだろうが。愛国心の無いことが悪いとは言ってない。自分の国のこと以外考えらんないような奴らよりはましさ!」
ライラはこぶしを振り上げた手を引っ込めると、ミチコの水晶のペンダントを握り、天を仰いでしばらく目を閉じた。数分そうしている間、ルークとジャックは、ライラが泣いているのか、一体何事かとその様子を見つめていた。再び目を開けたライラは、氷の家をじっと見つめてからふっと息を吐いた。
あの笑顔は、間違いなくハンナが無事で、ここへ戻って来るってことだろう。だけど、あの子が戻って来たとしても、これからいったいどうすればいいのか……。
しばらく水晶を握りしめてから、ライラは言った。
「いや、分かっていたんだけどね。やっぱり、あたしには未来の姿はなんも見えないね」
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