第50章 小人たちの森へ

 大きく羽を広げたペガサスの背にルークが怒りの表情で乗っていた。まっすぐにハンナを見つめているルークのその少し後ろには、キラキラと長く光る尾を持つ鳥に乗るラルフが見えた。

 ハンナの掌の中では、小さな博士とスカイが『お化けが出た』、『幽霊だ‼』、『いやいや、きっとハンナと同じ空飛ぶ巨人たちだ!』と大騒ぎしている。

「まったく、君って人は……」

 ルークが怒りに震える声をあげかけた時、ペガサスが前足をあげて高い声をあげた。その後、ペガサスは弾むようにハンナが乗っている巨大な龍の周りをぐるぐると回り続けた。ルークは制御不能になったペガサスの上で、『おい、こら、お前! じっとしろ! 落ち着け!』と怒鳴り始めたが、ペガサスは喜びを爆発させるように飛び跳ね、いう事を聞かない。

「ちょっと、それって、レオなの? あんた、ハンナだよね?」

 ルークの後ろにはクジャクのような姿をしていた鳥に乗るラルフがいた。目を丸くして声をあげたラルフは震えるような声で尋ねた。突然目の前に現れたふたり、いや四人の姿に驚きすぎて、空中で停止していたハンナがなんとか頷くと、ラルフは感激したように両手を広げて空へとジャンプをして、広い龍の頭に飛び移ってきてハンナを抱きしめた。クジャクのような姿をしていた鳥も優雅に龍の頭上に舞い降りると、その姿をリベラへと変える。

 それを見たペガサスも、嬉しそうに龍の頭に降り立つと、その姿をジャックに変えた。自分が降りる前に姿を変えたジャックのせいで、ルークは龍の頭上に転げ落ちた。頭の上に四人を乗せた龍は上目遣いで、何事かと頭上の皆を見つめている。

「ジャック……お前……」

 肩を揺らしてわなわな震えるルークを突き飛ばし、ジャックはラルフの上からさらにハンナを抱きしめた。突き飛ばされたルークは再び龍の頭上に転がり、その長い髪は顔にかかって原形をとどめないくらいに乱れている。

「あらま」

 キラキラのミニスカートを履いたリベラは、気の毒そうに美形のルークが跪いている姿を見つめている。

「ハンナ! 本当にハンナだ! ねえ、君はレオなの? すごいね。すごくかっこいいや」

 上目遣いの龍にジャックはしゃがんで触れると、不思議そうに声をかけた。龍は、前足の指を一本だけ立てているようだ。リベラもしゃがんで龍の頭を撫でると、龍はその鱗の色を少し薄い桃色に変えたように見えた。ラルフは、『あれからどうしていたのか。みんな心配している。話したいことが山ほどある。連絡もらえてみんなどれだけ喜んだか……』と、まくし立てている。

「あ、あの、この人たちを先に《小人の森》へ連れて行く約束をしているの、それからでもいいかな?」

 ハンナは掌の上にいるふたりを皆に見せようと広げた。

「うわぁ。小人はじめてみた! 激レアだよ、これ。どこで見つけたの?」

 ラルフとリベラが珍しそうに博士とスカイをじっと見つめた。掌の上では『このオーラは雌雄同体種族だ‼』『ふたりが四人に増えたぞ!』『記録しろ!』と驚く声が上がっている。その声はハンナには理解にできるのだけれど、通訳機器を持たない他のメンバーには伝わっていない様子だった。皆が久しぶりの再会に和気あいあいと楽しそうに話をしている後ろで、突然怒りを爆発させた声が響いた。

「お前るぅうわぁぁあ!」

 ルークは、髪を振り乱し、ラルフとリベラの後ろから前を覗き込んでいたジャックの襟首を掴んだ。振り乱した髪のままの姿でジャックをぐいと後ろへと引っ張り、ラルフ、リベラを押しのけると、ルークはハンナを思いきり手前に引っ張って抱き締めた。その反動で、広げたハンナの掌の上にいた博士とスカイが空に飛んだ。くるくると宙を舞っている。

「おっと、大変」

 リベラが博士とスカイを、大きく手を伸ばして掴んで掌へ優しく乗せた。そっと掌を開くと、空に舞った二人は目を回して倒れている。

「ルーク様、そ、その頭、いったいどうしたんですか?」

 ルークが龍の頭の上でひっくり返っていたことにさえ気づいていなかったラルフは、驚いた顔をしてルークを見つめている。

「ごめんねぇ。大丈夫?」

 リベラの関心は、小人たちにしかなかった。その可愛らしい声に、スカイは真っ赤になっているようだ。ハンナはルークに抱きしめられて、身動きが取れないままだった。

「あ、あの、ルーク……」

「ほんとに、どれほどみんなが心配したと思っているんだ。グリーングラスに行ったと聞いて、もう戻らないんじゃないかと思っていた」

「ごめんなさい……」

 ハンナがしょんぼりした声を出すと、ルークはようやくハンナの肩から手を離した。そうして何事も無かったかのように髪と衣服を整え、ゆっくりと振り向くと、ジャックに歩み寄り、その耳元で小さく囁いた。

「てんめぇ、覚えてろよ! これから毎日、朝飯抜きににしてやるからな!」

 ジャックは、ルークの意味不明な怒り方に顔を引きつらせながら答えた。

「えっと、何で怒ってんのかイマイチわかんないけど……それにいつも通りにするだけのことをそんな風に言われてもこれっぽっちも圧がないんだけど……」

 ルークは、無表情のままジャックの石を無言で一度だけ叩いた。ペガサスが暴れながら天に舞う。そうしてルークがその上に飛び乗ると、ハンナの方に振り返り、また冷静な表情になった。乱れていた髪は、すっかり整い、風にたなびいている。その髪を片手で、撫でるようにかき上げながらルークはハンナに言った。さっきまで転がっていた人と、まるで同じ人とは思えない。

「ついておいで。案内するよ。あ、でも、小人の世界の中には入れないよ。僕たち大きすぎるからね」

 そう言いながらウィンクしたルークを見て、ラルフは『やっぱりルーク様って素敵』と言っている。ペガサスが不満そうに嘶いた。『連れて行くのは、僕だ‼』と言っているようだ。

 リベラが、掌の上の博士とスカイに、『また会いましょ』と別れを告げ、ハンナに手渡した。ハンナの掌の上で博士は、『雌雄同体種族は、いくつかタイプがあるようじゃな』と呟いていた。

「ハンナ、私たちは戻らなきゃ。ノースランド、かなり大変なの。あんたが元気だったってみんなに伝えておくよ。あと、ライラが、あんたに用があるって。ルークが連れて行ってくれると思うから必ず会いに行ってね。行かないとあたしがライラにボコボコにされるから。

 あのおばさんさ、未だに優しいのか怖いのか分かんない。じゃ、伝えたからね。ほんとに無事でいてくれてありがとう」

 ラルフとリベラからもう一度抱きしめられ、ハンナは一緒に帰りたい気持ちでいっぱいになった。リベラが姿を変え空に舞うと、掌の上では、博士が『また姿が見えなくなった』と大騒ぎしている。皆が頭上から消えたことを確認してから、龍は前を行くルークの後を追い始めた。

 進み始めてほんの二分ほどでルークが下降しだした。岩だらけの川らしき場所が見えてきて、ペガサスは間もなく苔だらけの岩が転がる横の川辺に降り立った。

「ここからは歩くよ。狭いし、足元滑るから気を付けてね」

 ルークがペガサスから降りたのを見て、ハンナも龍から飛び降りた。ハンナはレオの石に触れようとしたが、やはり自力で姿を元に戻していたレオを見てルークが言った。

「こりゃ、たまげたな。大きさもそうだったけど、いったいどんな成長速度なんだ」

 ルークとレオ、ハンナとその掌に乗ったふたりの小人の五人が前に進みだすと、ペガサスが後方で嘶いた。まだ姿を変えるタイミングをルークが調整しているので、ペガサスは自ら元に戻ることができないようだ。

 そう言えば、さっき、ルークは一度しか石に触れなかったな……。

 あれはわざとだったのかと思いながらハンナが後ろを振り返った。ルークは気にもせず前へ前へと岩場を進んでいる。

 ジャックは石に触れてもらった回数に応じ、姿を変えることができる回数が変わる。ルークがジャックの赤い石に二回、四回、と偶数回触れなければ、自分で元には戻れないのだ。しつこく嘶くペガサスに向かって振り返り、ルークは『そこで待っていろ!』と怒鳴ったが、それを聞くとペガサスは一層激しく嘶き暴れ出した。

「ねぇ、ルーク、一緒に行きたいって言ってるよ」

 ハンナが言うと、ルークは一瞬考えた後、ペガサスのところまで戻り、『うるせぇ、馬』と言いながら赤い石に一度触れた。ペガサスから姿を変えたジャックが現れると、『ふん!』といい、互いにそっぽを向いている。

「また、姿を現したぞ。こいつは検体④か。それにしてもこいつら、かなり、大人げない奴らじゃの。姿を消す種族は、皆こうなのか?」

 博士がハンナの掌の上で、呆れたような声を出している。

「検体番号④は、形状は小さめですね。姿を消すが時々実存する、と。それと……この雌雄同体種、検体番号③ですが、かなりのナルシストで形状は大きめですが、その特徴が、記録上の伝説の巨人にとても近いです」

「伝説の巨人? 国を救ったとかいう例の巨人か?」

「ええ、まさかとは思いますが……。ともかく、検体④とは険悪な様子です。先ほど確認した各検体は、検体②と繋がりがあることが確認できましたが、時間があれば遺伝子検査をしたかったですね。それにしても外見的特徴があまりに違いすぎます。検体⑤は、ナルシスト検体③を崇拝している様子でした。この者たちも群れで生活するのかもしれません。そして、検体⑥も雌雄同位体、キラキラで可愛い……もう一度会いたいですねぇ……あんなに可愛い雌雄同位種族、始めて見ましたよ。彼らが放つオーラは、一体何エネルギーなのでしょうか」

 博士とスカイが忙しく動かしている手元には記録装置のようなものがあった。小さすぎることと異国の文字のせいで、ハンナには何が書かれているかはよく分からなかった。けれど、ふたりの話の様子から、どうやら経験者の特徴を忘れないうちに簡単に記録しているようだということが分かった。スカイが博士に繰り返し確認しているのがハンナの耳に届いていた。

「《消える》のは、三体、検査体①のグリーングラス遺伝子の子供、今後ろにいる検体④、あと⑥の雌雄同位種族ですね」

「ああ、そして宙に浮くのは、②、③、⑤の検査体だ。どうやら、それぞれペアになっているのかもしれん」

「彼らが宙に浮くときには、片方が力を与えるために消えるのでしょうか?」

 スカイの声が聞こえている。恐らく異性体番号①はレオで、②はハンナなのだろう。やはり、彼らには精霊に繋がった後の者たちはやはり見えていないようだ。

「どうやら、まだ我々が利用していない脳の領域を使う必要がありそうだな。戻ったらすぐ対応したいんじゃが、この異生物たちに会って実験を重ねる必要があるな」

 ふたりの会話を聞きながら、ハンナはルークの後について苔の森を歩いていた。レオは不思議そうに苔に触れている。岩の上には、無数の苔が生えていて、辺りには霧が立ち込めていた。苔の種類は様々だった。明るい緑や濃い緑、長い穂を持つものや、棘のようなもの、レオは、新しいものを見つける度、しゃがんで触れるので、なかなか前に進まない。木の上から雨粒が時折落ちてきて、茶色の苔の上で跳ねると、茶色の苔は見る間に色を変え、緑色に変わる。レオが興奮して持って帰りたいと駄々をこねる度に、「苔の森の苔たちは、我々の国でしか生きられんよ」と、博士がレオに声をかけ、何とかレオを諦めさせていた。

 見たことのない苔の森を歩いている間、ジャックは拗ねたように何も言わなかった。どうやら姿をすぐに戻してもらえなかったことで相当気分を害したようだ。ルークも無言だ。

「なんだか険悪な雰囲気じゃのう」

 ハンナの掌の上で、博士がハンナを見上げ声をかけた。ハンナも、いつも以上に仲の悪いふたりを見て、この数か月の間にでふたりにいったい何があったのかと思い始めていた。

「着いたよ」

 ルークの声にハンナは前を見た。川の上流の岩の間に流れる水はほんのわずかになっていた。目の前に広がっているのはスノーマウンテンへと続く岩肌だ。ルークが指さした場所は、そのうちのひとつの、巨大な岩の前だった。同じような大きの石が三つ並んでいる。

 ハンナは掌に乗った博士とスカイを丁寧にその岩の上に置くと、ありがとうと礼を言った。

「いや、礼を言うのはこっちの方じゃ。しかし、このレオという者が、何に姿を変えているのか、やはり我々には確認できんかった。けれど同じような個体がいくつかあるという事が知れたのは収穫じゃ。な、どうじゃ、たまには会いに来てはくれんか?」

 ハンナが、そうしますと挨拶をしているのをルークが不思議そうな顔で見つめていた。

「ハンナ、こいつらの言葉が分かるのかい?」

 ルークがそう問いかけた時、ハンナの耳にパチンと小さな痛みが走った。

「あ……」

 レオも同じように耳の先端を触っていた。レオとハンナの耳には、小さな赤いしみが出来ている。岩の上では、博士とスカイが何やら叫んでいるのだが、ハンナにはもうその言葉の意味は分からなくなっていた。博士とスカイが、顔を見合わせて何かを言っている。どうやら、ハンナとレオの耳に付けておいた翻訳機が自動焼失したことに気づいたようだ。

「ハンナ? どうした?」

「あ、ううん。やっぱり何言ってるかわかんない。けど。御礼だけ言ってみたの」

 岩には小さな穴がいくつか開いていた。その真ん中の一番大きな穴の前で、ジャックとレオがしゃがんで手を振っている。博士とスカイのふたりは、そそくさと小さな穴へと消えていった。それを見て、ルークはため息をついた。

「こいつら愛想が悪いんだよな。俺、ずいぶん昔に川が溢れた時、この石をここまで動かして助けてやってんだけど。いつになったら、こいつらに好きになってもらえるのかなぁ。俺こいつらのこと結構好きなんだけど。一人になりたい時とかさ、この森を見回ってると見かけるんだ。遠くから見るだけだけどね。一歩でも近寄ったら怖がって逃げるしな。こいつら、すごく綺麗な音楽を奏でるんだぜ。まぁ、いいさ。さ、ハンナ、行こう」

 レオが残念そうに岩の穴を見つめながら、ありがとう博士、ありがとうスカイと声をかけた時、三つの岩に開いているいくつかの穴の奥から無数の小人たちが出て来た。その中央には博士がいる。何かを叫んでいるが、相変わらず何を言っているか分からないので、ハンナは困った顔になり、ルークは頭を掻いた。

 すると、大勢の小人たちが、ぞろぞろと博士の指示に従って列を作り始めた。その列は、右へ左へと別れて行き、文字を形作っていく。真ん中で指示している博士の横では、スカイが何かの機械を操作しているように見える。小人たちが一生懸命に走り回って、文字を作り、それが次第に文章になっていく。フラワーバレーで用いられている言語だ。

《ありがとう。次に、会う時は、また、巨人サイズで、会えるように、可視化、システムの、準備をして、おくから、また我々の……仮想BOX、ハウスへ、招待しよう。いつの日か、また、皆で、世界中を、旅し……よう》

「へぇ、面白いね。なんだ、こいつら、随分知能が高いんだな。知らなかったよ。一体何だい? 仮想BOXハウスって?」

 ルークは、その美しい鼻筋を小人たちが作る文字に極限まで近づけていた。文章を作っている文字のところどころの小人たちが、そのルークの姿を見ながらとろんとした顔で動かなくなるので、文字列は、時折へんてこな文章になりかけるのだが、その都度、博士が叱って、その者をつまみだし、文字を修正していた。

 ルークは、動かなくなったせいで博士に叱られ文章の外に出されていた小人たちをひとりずつつまみ上げ、優しく掌に乗せると、次にその子たちを使って、文字を書き始めた。

「いい子だから、じっとしていてね」

 ルークがウィンクすると、ルークの掌の上から悲鳴のような甲高い声が聞こえた。ハンナは、どの国でも愛される無敵の人っているのだなと呆れながらその様子を見ていた。

 その隣では、レオがウィンクの真似をしようとして両目をつぶっている。

「じゃあ、君は、ここ。で、君と君はここで繋がっていてね。あと、君は、ここ、っと」

 ルークが並べた子達で書いた文字は、《いつも森を守ってくれてありがとう。みんな、大好きだよ。またね》だった。ハンナは博士を再び掌に乗せ、高い所からその文字を見えるように手を持ち上げた。

 その後に、スカイの指示で並んだ文字は、

《お前、二度と『こいつら』って言うな!》だった。

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