第41章 王国の発展のために

「なるほど、場所は知っているが、その中身が何かはよく知らないのですね。それは好都合。それにしても、その化け物、いえ、変異体を救ったあの薬、手に入るものならぜひ分析して化合物を作り上げてみたかったです。あなた、あれを母親からもらっていたようですが。そういえば、遠い西の国の魔女の子孫だといわれていたとか? であれば、あなたにも魔女の血が半分あるという事でしょうか?」

 男はおかしくてたまらないという顔で、もう一人の男と顔を見合わせて笑っている。

「全く笑わせますね。魔女とか、呪術とか。この世にはね、科学的に分析できないものは無いのですよ。一見不可思議な現象も、脳のある機能を使いこなせる部分が遺伝的に決まっているだけのことです。そうでなければ、いかさまの心理操作です。疫病や戦争、飢餓などで不安定な心になった人々を巧みに騙し誘導するのは太古の昔からあるいかさま。大した悪人ですよ」

「いかさまなんかじゃない! ママは悪い事なんかしない! 本当に未来が見えるんだから!」

 男はあきれ顔で、両掌をあげて肩をすくめてみせた。

「空を飛び、電気を放つ、あの人を傷つける力も母親から継いだ力なのでしょうか」

「それは……」

「あなたの母親が、どういう人物だったのか教えて差し上げましょう。まあ上手く王家に取り入って近づいたものです。どのような洗脳が行われたのかは分かりませんが、我々には王子の洗脳を解くことは出来なかった。

 あの女は一文無しで、文字もろくに書けなかった。何から何まで王子に与えられて生きていた。王子様と出会うおとぎ話なんてのは、最悪の依存型の寄生虫のストーリーです。

 しかしね、そんな暮らしが長く続くわけがない。格が違いすぎるのですよ。よほど自分の無知と格の違いが恥ずかしかったのでしょう。ある日突然、受けた恩を返すことも無く、異国の戦地へと赴こうとする王子を見捨ててこの国から逃げるようにあなたを抱えて消えました。

 国王の毒殺未遂騒ぎの犯人であることに間違いはないと我々は考えていました。数々の証拠もあったのです。あなたの母親は、よほど命が惜しかったのでしょう。尋問前日に忽然と消えたのです。何もしていなければ逃げる必要などなかったはずだ。まぁ、そのおかげで、全ての国民に思考伝達装置を埋め込み制御することが可能になりましたのでね、その点だけは感謝していますがね」

 男はそう言うとニヤリと笑い、ローブを翻すと、ハンナに人差し指を向けた。

「いいですか、あなたの母親は、それは、それは、卑怯な女です。あの女にも追跡装置はずっとつけていたんです。が、やはり我々と同じようには動作しないことがあった。どういうわけか、十年ほど前からシグナルがおかしなことになっていましてね。シグナルが消えたかと思うとまた現れる。そんなことが何度もあり、その度に我々は後を追い続けました。

 それが突然、その追跡装置が隣国で連続動作しだしたのです。隣国で我々の装置が稼働するほどの電力を有する場所は一か所だけです。

 ようやくあなた方と、あの裏切り者の貿易商の家で出会えた時は、驚きと喜びで全身が震えました。あの女の唯一の武器だった《美貌》というものは、もう見る影も無く消えていたのが、とてもお気の毒でしたよ。しかしあの女とはもう会えなさそうですねぇ。あなたがここへ来たのはそれと関係があるのでしょうか? 

 それにしても、あの薬の作り方を知ることが出来ないのは非常に残念……」

 男が言ったある一言が引っかかり、ハンナの頭にはそれ以上話が入ってこなかった。

《もう会えない? 一体何を言っているの?》

 ハンナが心で語る声に、男はほんの少しだけ気の毒そうな素振りを見せて答えた。

「追跡装置の登録さえしておけば、我々にはある音が聞こえるんです。生体反応が消える音とでも言いましょうか。一部の種族は、『虫の知らせ』というらしいですよ。我々には見えないものが、一部の種族には見えるのと同じです。彼らには聞こえない音が、我々には聞こえる。心の声だって、我々には見える。全ては脳内の電気システムによるものです。そのスイッチを開放すれば誰だって同じことが出来る。現に我々は、あなたが今脳内で見ていたものを信号に変え、すべて映像化して見ることが出来ています。

 ああ、おしゃべりが過ぎました。今度はこの者を目覚めさせ、脳内記録データと遺伝子データを表示させてあげましょう。あなたも知りたくはないですか?」

 黒い固まりがどこからともなく姿を現すと、レオの身体を包み始めた。レオを助けなければという気持ちはあるのにハンナの身体は、鉛のように重く沈み、少しも動こうとしなかった。呆然として考えられない頭の中で、ハンナは呟いた。

《あなた達にはレオのことを分析なんかできないわ……。レオは世界にたったひとつの、精霊と繋がる蛟よ》

 すると男は、自画自賛するかのように胸を張って、自国がいかに素晴らしいかを延々とまくしたて始めた。

「どんな物体だって、その組成や分子構造を明らかにすれば、同じものを作り上げることは、この国ではいとも容易いんです。たったひとつのものなど存在しません。存在しているものは全て何かの複製です。その証拠に、この国では、空気も水も食料も、毎日必要量だけが複製されています。全てが二度と不足することはありません。空気中の成分でさえ、全て我々が必要とする成分だけに置き換えることが可能になりました。

 とても小さな装置ひとつで二酸化炭素は消え、酸素となる。その逆もしかり。必要なものだけを生み出し、不要なものは消す。飢える者もいなければ、富む者もいない。我々の技術のおかげで、この世界は均衡を保っていけるのです」

《違うわ、あなたたちが汚したものは、精霊と私たちの力で取り戻している。あなたたちは壊すだけ》

 男は、ハンナの心を読みながら、少し苛ついた顔で話を続ける。

「他の国が文句を言っている空気中や海中に存在する有害物質だって、我々の力で消したり戻したりしてさしあげることは簡単なんです。もちろん相応のお支払いはしていただかねばなりません。高額な取引で売りつけると文句を言う国はいますがね、美しい空と水に感謝していただきたいくらいですよ」

 ハンナは、呆れたように驚き、思わず声をあげた。

「あなたたちがわざと汚しておいて、元に戻すことでお金儲けをしているって言うの?」

「そんな、人聞きの悪い。全ての国が豊かになることが、我々の望みです。だから、我々の属国になりさえすれば、高額な費用を払わずとも、その恩恵を受けることが出来るのですよ。この国の天候だって、気温だって、範囲は限られますが自由に操作可能です。天気予報など不要になる日は目の前です。唯一コントロールできないのが、忌々しい隣国のせいで発生する災害です。

 けれどそれも間もなく解決するはず。季節も関係なく、天候に左右されず、最適な光と栄養を与えられた、虫や微生物や薬の被害の無い良い野菜が楽に手に入るんです。必要な国にはお分けすることもできる。もちろん属国になりたくないというのであれば、お高くはなりますが。

 ああ、念のため言っておきますが、我々の国の作物を自国で育てようとしても無駄ですよ。二世の遺伝子には、実が付く前に枯れてしまうように遺伝子操作がされています。その辺、あなたの国の方たちはよくご存じのはずです。やられたらやり返さねばねぇ。

 いいですか、我々の未来の技術のために他国のサンプルは存在しているのです。

 あなたは、森や湖や海が我々のせいでダメになったように言いましたがね、サンプルを集めているだけです。必要以上に奪ったりしていません。我々の手でどんなものだって造り上げることが出来ます。ただ、いくつもの実験をし、それが完成するまでにサンプルが十分に必要なだけですよ。我々がその気になれば、元の状態に戻すこともできるのです。ただ、その必要がないだけです。その国に必要とされていないものばかりだからです。それが必要となった時に、我々がまた作ればいいだけの話です。他国で誰も必要としないものを有効に利用しているんだから、非難される筋合いはありませんよ」

 胸を張って自慢げに語る男を見ながら、ハンナは気分が悪くなった。それの何が素晴らしいのか全く理解が出来なかった。何もかもを作り出せるなんて嘘だとしか思えなかった。

《この男は嘘つきだ。きっとママも生きている》

 男はハンナの心を読んで、憐れんだような顔を見せて、なお言葉を続けた。

「あなただって、その化け物だって、必要数のサンプルがあれば、我々にはなんだって造り上げられる。成長する仕組みであれ、病気であれ、それが発現する遺伝子スイッチがどこかにあるだけの話です。我々がその全てのスイッチを操作する方法を解明するのにさほど時間はかからないでしょう。生まれる瞬間から、我々は目に見えない物質たちにコントロールされている。だからこそ安全で幸福なのです。

 この王国の発展のために、全てはサンプルとなるべくして存在しているのですよ」

 ハンナは怒りで身体が震え出すのを感じた。

《レオを助けてここから逃げないと……》

 そう考えるハンナの思考は、全て相手に読まれている。

「我々の国の上空は完全に制御されています。その空の装置が、数か月前に突然破壊されました。未確認飛行物体の存在を確認した。先の戦い以来の出来事です。

 神隠しにあったように忽然と消えたと報告された軍の部隊が、泥まみれになってこの塔の前に現れた。あなた方と共に空から降って来たとしか思えない。我々は目を疑いましたよ。我々の国の空を覆う無人兵器の網にかかっていなければ、この国は今頃どうなっていたことか。その巨大な変異体は、我々をどうするつもりだったのです?

 さあ、この王国の発展のために、貢献するのです。どうすれば、この化け物は姿を変えるのか話すのです。そうすれば、あなた方をこの国への亡命者として受け入れることも考えてあげましょう。このように恵まれた国は、他にはないはずです」

 男が手を広げながら声高らかにそう言うと、倒れているレオの上の黒い物体はすっと消えた。

「さあ、ここでもう一度、見せるのです。逆らおうとしても無駄です」

 倒れたままの姿勢で首の後ろを抑えつけられ、命令されてもハンナは動かなかった。

 ただ、祈った。男に疑いを持たれないよう、その祈りに細心の注意を払いながら。

《レオ、起きて。精霊と繋がるの。あなたの力だけで飛ぶの。レオならできるわ!》

 その祈りに応えるかのように、レオのバングルの赤い石がうっすらと光ると、ローブの男は色めき立った。男がハンナの首を掴む手に力を込めた。その痛みにハンナが唸る。

「素晴らしい! すぐに両サンプルの分析を!」

 ハンナの頭上に黒い物体が襲い掛かり、横たわるレオと赤い石の上にも再び黒い物体が渦巻き始めた。うう……と辛そうに呻くハンナの声がきこえると、突然、火花が四方に飛び、金色の閃光が赤い石から室内いっぱいに幾つもの筋となって放たれた。

 バリバリという大きな音がして、室内の空気は一変した。気温があっという間に下がっていき、ハンナの息は白くなった。空気が上手く吸えなくなり、胸の痛みを感じ始めると、ハンナは全身の力を失った。けたたましい警報音が鳴り響くのが聞こえ、四方に見えていたガラスはその色を変え始める。

「退避! 退避!」

 誰かが大声で叫んでいた。さっきまでハンナを押さえつけていた男たちは、もうその場にはいなかった。男たちがかけていた眼鏡は縁が変形し、大きくひびが入った状態で床に転がっているのが横たわるハンナの目に映った。いくつもの足音が聞こえ、一体どこに潜んでいたのかと思う程の人々が動き始める気配をハンナは感じた。

 ハンナが力なく仰向けになって騒音のする上空へ目をやると、小さな丸い底をしたカプセルが泡のように天井から離れて昇って行くのが見えた。それは、ハンナが天井だと思っていた部分だ。カプセルが回転すると、透明なカプセルの中に人の影が見えた。皆一様にハンナの方を見つめているようだ。カプセルが離れていった箇所には、いくつもの穴が開き、そしてまたすぐに重厚な金属がその穴を覆い始めた。

《レオ……逃げて》

 次の瞬間、ハンナの身体は宙に浮いた。呼吸が楽にできるようになり、ハンナは大きく深く息を吸った。前からは優しい風が吹いてきて、脚に力が入り始める。

 ゆっくりと立ち上がったハンナの足元には、蛟の、ではなく、巨大な龍の頭があった。

 これまで立っていた蛟の頭はとても小さかった。少し足を滑らすと顎や胴体のほうに転がっていたのだが、今ハンナが立っている龍の頭の大きさは、かつてハンナが暮らしていた自分の部屋の大きさほどがあった。

 これ……レオ?

 ハンナの指輪の緑の石が大きく光り、自分を包んでいる。左右を見回しながら、自由に歩けることに感動したハンナは、龍の角も何倍も大きくなっていることに気が付いた。何から何まで大きさが違うことにハンナは驚いていた。パンパスグラスのような柔らかな髭が、ハンナの足元を包んでいる。ハンナがどんなに頭を振って周りを見ようとしても、龍は飛ぶ方向を変えなかった。夕日の方向へと突き進んでいく。眼下には複雑な幾何学模様の道や箱のような同じ形のものが見えているが、畑や森や湖はどこにも見えなかった。誰一人歩いている様子がない。

 この国の人たちは、一体どこにいるの?

 振り返えった先には、高くそびえるガラスの塔と、その先端にだけ鈍く光る銀の壁があった。その左右には巨大な穴が開いていて、そこから天空へとたなびき、いつまでも吹きあがる白い煙が見える。その上空には、丸い飛行物体がいくつも浮いて塔の周りを回っていた。

 銀の巨大な龍は、大河の方向へと向かっていた。龍の脚には、幅広いタトゥーのような黒い模様があり、その中央には巨大な丸く赤い石が光っている。

 レオ?……よね?

 ハンナの声にレオの言葉は返っては来なかった。

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