第40章 二つのサンプル体

「レオ!」

 ハンナは前へ動こうとして、柔らかい足元に足をとられて前のめりに転んだ。何日も風邪をひいて寝込んでいた後のように足が思うように動かないのだ。

「レオに何をしたの?」

「何をした、だなんて人聞きの悪い。あなたとこの化け物の変化を数か月ほど分析していただけです。どうにもこうにも化け物になっている間はあなたと離れたがらない。いやはや困り果てました。ともかく一度地上に降りていただいかないといけなかったので、ほんの少し手荒な真似をしましたが、でもこれでお互い恨みっこなしという事にしましょう」

「数か月?……」

「ええ。我々の暦で、ですが。あなた方の暦は自然と共にあるのでややこしくていけません。実に非科学的だ」

 嫌味な笑みをたたえる男には、見覚えがあった。緑の軍服を着て長いローブをまとっている。

 ハンナの目の前にいた男は、記憶の中の男と同じ顔をしているのだが、ローブの長さが倍ほどになっていて、その内側の色は輝くような金色に変わっていた。その肩には大きな勲章が光っている。その後ろにいたはずの布を巻いた人物はいつの間にか姿を消していて、その代わりに、もう一人別の男がいた。もう一人の男は短いローブをまとっていて、忙しく空に向かって何かを操作するように両手を動かしていた。ふたりとも同じような眼鏡のようなものをかけている。短いローブの男が、何かを見つめるように上のほうを見上げながら不平を漏らした。

「いや、それにしても、この化け物、その者を探しまわって暴れるのでなかなか厄介でした。変異体に姿を変えている間中、部屋中暴れて動き回ったので部屋中の壁がボコボコのぐちゃぐちゃです。見てくださいよ。この化合壁にひびが入るなんて。よく耐えてくれましたよ。すぐにでも修理させていただきたいです。この研究棟の修理代分くらいはデータを提供していただかないと割が合いませんよ」

 長いローブの薄い唇の男が、ニヤリと笑って短いローブの男に向かって言葉を発した。

「まぁ、そう文句を言うな。この者は、まだ現状が飲み込めていないようだ。かなり長く眠っていたからな」

 ハンナはレオに近づこうと立ち上がろうとした。けれど、何故か脚が思うように動かない。

「筋力が落ちているので、普通に歩けるようになるにはしばらくかかりますよ。私どもの治療を受ければすぐに元に戻ると思います。この国ではほぼ歩く必要がありませんので、そんな治療が必要かどうかは疑問ですが。

 しかし、どうやったらこの変異体の化け物が姿を元に戻すのか分からなくてね、あなたを動かすことができませんでした。何か月も検査してから試しにあなたの全機能を停止させてみたら、ようやく化け物から元の姿に変わってくれましたよ。

 その腕にはまっているものは、一体どうやったら取れるんでしょうか。まるで体の組織の一部のようなのですが、明らかに別の組織です。あなたが触れると変化するのかと思っていたんですがね。そうでもないようですね。何か月もかかっても解けない謎が色々とありましてね、今度は強制的にあなたには目覚めていただきました。まさか、あなたが目覚める直前にあのような過去映像を見られるなんて思いませんでした。

 いや、実に興味深い事です。まだまだ研究すべきことが多そうで、久々の未知の物体に科学者たちが非常に興奮していますよ」

 男は目を輝かせて、嫌味な笑みを作りながら、腰をかがめてレオの顔を覗き込んでいる。それを見たハンナは、這うように身体を持ち上げて歯を食いしばり腕の力だけで前へ進もうとする。

「レオは……化け物なんかじゃ……ない」

「ああ、失礼しました。そうなんですよね。不思議なのですが、この姿になると、我らと同じ種族の遺伝子を持つ。しかも、思ったとおり、忌々しい王族軍の血筋も混じっている。いったい、どのような変異、どのような進化なのか。そのスイッチはどの遺伝子なのか……。一応聞いてみますが、あなた、ご存じないでしょうかねぇ」

 ハンナの頭は混乱した。その様子を見ながら、男は終始嫌味な口調で言葉を続けている。

「やっぱりねぇ。いやはや、簡単な検査もできない国には生まれたくないものですねぇ」

 呆然としたままのハンナに向かって、男はガラスの壁を指さした。

「今しがた、あなたの脳内映像をこちらのスクリーンに映し出して拝見していたんですがね。前半部分は実際に体験した過去の記憶データであると分析結果が出ています。実際に起こったことであると思われますが……我々が、興味を持ったのは後半です。後半部分にはいくつか不可解なことがあります。あなたはどうやって我々の領域に入って来たのでしょう。身体組成やその分子をコピーして分離し、本体とは別次元で再集合できるようだ。意識を持った3Dホログラムのようなものか、我々が時空移動と呼んでいる長年開発中の技術に似たものか……まさかねぇ」

 ハンナには男が言っている内容がさっぱり分からなかったが、ひとつだけ分かったことがあった。この男は、今、ハンナが見ていた過去の映像を全て確認していたという事だ。

「ところで、この者があなたの国で幽閉、つまり、閉じ込められていた理由は知っていますか」

「それは……」

 ハンナは、『双子は不吉だと信じられていたグリーングラスの迷信に従い、グリーングラスの特徴の耳を持つレオは地中深く隠され、異形異種の弟の方だけがフラワーバレーで名前を与えられずにレオとして生かされていた』と語ったパトラの姿をほんの一瞬、頭の中で思い出しながら口ごもった。と同時に、男が声を発した。

「なるほど、そのような陳腐な理由でしたか。確かにこの国で異種異形は危険とされていましたが、それも我らに繋がる優秀な一族のみを守るため、しかし、もはや過去の話です」

「……どうして、私の考えていることが? あなたも精霊と繋がっているの?」

 それを聞いて、男は馬鹿にしたように目をむいて高らかに笑い声をあげた。

「いやはや、脳内の言語野のシグナルを表示するだけの技術が、妖術とは。精霊と繋がるだなんて、意味不明です。まったく非文明国にも程がある。これですよ」

 男は尖った耳の先端部分にある小さな黒いピアスのようなものを二度、その指先でトントンと触れ、ハンナに見えるように横を向いた。

「それでわかるの? 私たちの指輪のように? あなたは経験者なの?」

「いったい何の話ですか? ああ、あなたの国では、携帯通信機器もないのでしたっけ。あなたに分かるように簡単に言うとですね。これは、携帯型の通信機器、つまり、あなたの国にある電話のようなものです。連絡が来た時にはこれが信号を受け取り、脳内にそのシグナルを直接伝えます。この眼鏡を通して文字や映像として間接的に空間に表示することも可能です。脳内信号を受け取ってその信号を何らかの形で表示するという簡単な仕組みを作り上げただけですよ。

 必要とあれば何でも作り出すのが我々です。この眼鏡であなたを見るとね、あなたに埋め込んだ装置を通して、あなたの脳内の声までも綺麗にあなたの横に映し出されます。こちらの胸に付けた装置で一旦どの言語かが解析されて翻訳された後に表示されていますので、まぁ、まだ若干のタイムラグを修正しなければならないのが課題ですが。あなたが聞いている私の声は、その逆の経路を辿って音となってあなたに伝わっています。実際には、あなたの脳に音が聞こえていると認識させています。あなたの脳が自力で稼働していない場合には情報を引き出せない。

 ま、高度な学問を学ぶ機会のないあなたには到底理解できないでしょうが」

 全く言葉が理解できていないような様子のハンナを見て、呆れたように男は言葉を繋げた。

「簡単に言うとですね、この国の遺伝子を持つ者たちは、埋め込まれた装置によって、産まれた時の階級と成長に応じて脳内イメージを伝える方向が制御されているのです。親は子供の考えていることが全てわかる。身分が上の者は、身分が下の者の考えがわかる。同じ階級同士では、お互いの脳内の声が聞こえてしまう。嘘をつくことが不可能という素晴らしいシステムです。いつだって自分の本当の心で生きていくことになるんですよ。それと、身分が下の者は上の者の心の声を聞くことは出来ないように制御されています。あなたには、私の考えていることは聞こえないでしょう?」

 私に埋め込んだ?……いったい何を……。

 ハンナは混乱する頭のまま、ふたりの男と、銀の台に横たわるレオを床に力なく座ったまま見つめるしかなかった。どうしても脚に力がはいらないのだ。

「ところで、ボバリー家ですが、どこに匿ったのです? 立派な貿易商にしてやったというのに、我々の援助で甘い汁をさんざん吸っておいて姿をくらますとは。我が国の女王が亡くなるや否や、貧乏くさい大量の花々を送りつけてきて、次の王に取り入ろうとしていましたがね。世情を知らないというのは哀れです。これだから貧乏国家相手の取引は嫌です。ま、自然崇拝する者たちを最期まで擁護していた女王が消えれば、自分たちの商売がどうなるか考えたんでしょうがね。どんなに金を持っていても、使うことができなくなければその価値はゼロです。電力もろくにない国で、今頃どんな生活をなさっていることやら。何とも気の毒な事です」

 少しも気の毒がっていない様子で笑う男の横顔を見ながら、ハンナはその言葉に遠い記憶を手繰り始めた。

「大量の花……」

「あなたもさっき過去の映像で見ていたでしょう? あなたの国と最後まで親交のあった女王の遺言でね。自然愛好家とかいう奴らがまだいるんですよ。めんどくさい話です。国民感情もありますし、今反乱でも起こされては厄介ですからやむを得ず葬列の棺周りには用いましたがねぇ。あまりにみすぼらしかったので、ほとんど廃棄させていただきました。

 我々が作り上げた人工花の方が数百倍美しい大輪の花ですよ。人々が携えていた花々は、この国で作られた超一級品の遺伝子の複製です。全てが同じように咲いていて、ほぼ同じ大きさ、同じ品質。見事だったでしょう? 香りも一切無く、安全です」

「複製? 安全?」

 男は、ハンナの言葉に答えもせず、横たわるレオを指さした。

「こちらの変異体の者ですが、以前送られてきたデータでは確かに生体反応の全てが停止していたのです。いい教訓になりました。国外で不要となったサンプルも回収すべきであるとね。

 しかし、疫病の恐れがあるものはこの国には入れないという事になっていますのでね。我々は、てっきりあの箱に触れた母親から産まれた汚染サンプルだと思っていました」

「あの箱? 汚染サンプル……?」

「実験のサンプルですよ。それにしても、ボバリー家も、我が一族に繋がる実験サンプルを隠していたことが明らかとなったばかりでなく、裏切り者の反乱分子と長年親交を保っていたとは。とんでもない裏切り行為です。知らなかったでは済まされませんよ。まぁ、奴らがどこにいるかの見当はついていますので後は時間の問題です。まさかあの執事の独断で、その変異体を生かしていたとは。いやはや驚きです。あなたの過去映像のおかげで様々な謎が解けました。

 しかし、仮死状態にするのは、昔からあの国のお得意なやり方ですが、百年以上経っても進化していないことに呆れますね。あの男、主人にも見捨てられて、今頃は一文無しで行く当てもなく逃げ回っていることでしょうが。命は奪わずに生かしておいてやったというのに、結局我々の探し求めているものを手に入れられずに姿をくらましました。本当に役立たずですよ」

「探し求めているもの?」

「ご存じでしょう? パンパスグラスの丘に隠されているものを」

 ハンナは答えなかった。けれど、無言でいたとしても、相手には全てが読まれてしまっている。男は片側の唇を吊り上げるように笑いながら頷いていた。

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