第35章 茶色い石
ハンナは北の長ザグレブの後に続いて北の空を飛んでいた。北方の湖は一見したところでは、おかしな様子はないように見えた。ただ、北方から流れ込んでいる川の両側が黒く燃やされていて、その下からは赤い土が顔を出しているのが見えていて、それがこのエリアに似つかわしくない色だなとハンナは思いながら
南から来た二組、経験者ラルフと、その守り人で七色の尾を持つ鳥、鳳凰のリベラ、黄色い髪の経験者フラムと赤い大型の火の鳥になっているその守り人フェニクスが、川の中流域で、あちこちに強い光を放ちながら飛び交っているのがハンナの眼に映った。
するすると、北の二組が、南から来た二組のもとへと降下していく。ハンナもその後に続いた。北の長ザグレブが、南の長フラムの背中へ向かって大声で叫ぶ。
「フラム、今すぐ下へ!」
「何かありましたか?」
黄色の髪をなびかせながら、フラムが後方を振り返る。離れたところで飛んでいたラルフが、横やりを入れた。
「何? ザグレブ。もう少しで終わるよ?」
「とにかく、ついて来なさい!」
ザグレブの指示で、南から来た二組が続いて川の中ほどの岩場へ降り立つと、ユニコーンに乗ったラクスもすぐ空から降りてきた。
地上に降りると全ての守り人は姿を変えたが、小さな
「ザグレブ、川が……」
いつもは気の強そうなラクスが険しい顔をしてザグレブを見つめた。ザグレブは川の水を手ですくって確認した後は無言になり、答えを返さなかった。
「ああ、俺にも見えた。川の色が妙だ。しかも、かなり上の方からやられているようだ。湖底がどうなっているか……」
ガイヤは疲れたのか、地面にどさりと腰を下ろすと、ため息をつきながら呟いた。その隣で
「ハンナ、レオが可愛そうよ。元に戻してあげて」
リベラがビーズが光るスカートをなびかせながらハンナに近寄ってきた。
「あの、いつも一回しか石を叩いたことなかったんだけど、もう二回石を叩いてあるの。でも、レオに戻らなくて……一体、どうやったら」
「最初は、何か言葉を決めておいた方がいいね。レオを
リベラの言葉にハンナは記憶をたどる。
「あの、確か、もう一回ゲームするよとか……」
「じゃあ、試しに《ゲーム終了》って言ってみようか」
「うん」
ハンナは暴れる
「まだまだ、ゲームがしたいのかもね」
フラムが黄色い髪をかきあげながら困った顔をしていると、苛ついた顔でラクスがハンナの隣にやって来た。
「この非常事態に、あんた何をやってんのよ! まったく、なんであんたみたいなのが、ここにいるんだか。そもそも、戻り方を教えてもいないのに、なんで石を二回も叩いたのよ。
これがゲームって教えちゃってるんなら、勝ったか負けたか言ってやったらどうよ。そしたら諦めるでしょ」
レオを指さしながらラクスは怒鳴った。その剣幕に圧倒され、ハンナは焦って声をかけた。
「レオ、あのね、ゲーム終わったよ。えっとね、勝っても負けてもいないから、ええと……、《引き分け》だよ」
それを聞くと小さな蛟は動きをぴたりと止め、レオの姿に戻った。戻るなりハンナに尋ねる。
「ねぇ、ハンナ、《引き分け》って何?」
「レオ、《引き分け》と言うのは、どっちも勝ちで、どっちも負けってことだ。つまり、同じくらいの力ってことだけどね。これはね、ゲームではないよ。私たちの世界を守るための精霊たちとの大切な約束で、消えてしまうものを消えないようにする戦いだ。ゲームではなく本物のね」
ザグレブが低い声で言った。
「戦い……」
ハンナには、その言葉はグリーングラスの戦いと、パパが死んだパンパスグラスの戦いを思い出させるものだった。そして、いつも《戦い》によって大切な人が消えるのだという事を知っていた。レオは、戦いと言う言葉を聞いて、眉間にしわを寄せていた。
「どうする? ザグレブ」
そう尋ねるガイヤの声を聴いてもザグレブはなかなか返事をしなかった。無言のまま、川岸にしゃがみ込むと、ザグレブは川面から少し離したところで水面に手をかざし、何かを呟き始めた。
茶色の光が指輪からまっすぐに水中へと進む。その光は一旦水中に放たれると、四方に流れるように広がっていった。そうしてザグレブが手をかざしている周りから川の水が無色透明に透き通り始めた。透き通った部分は、うねりながら川下へと広がってゆき、その部分だけが川底の石まではっきりと見てとれた。
それを見てハンナは初めて、この川の色が《妙だ》というガイヤの言葉の意味が分かった。
ザグレブが川面から手を離すと、透き通っていた水は上流からの水と交じり合って瞬く間に再び薄く色づく川に戻った。川全体が薄い茶色のセロファンで覆われているようだ。川の上流を見つめながら悔しそうな声でザグレブは言った。
「まずは、川の上流を徹底的に確認する」
様子を伺うように話を聞いていたラルフが一歩前に出て、怒ったように尋ねた。
「ねぇ、みんな、ちょっと、何の話? 川の両側が燃えてるのは、あたしたちが燃やしたからだけど、そのせいで川が濁ったって言うの? なんか問題があるのなら、はっきりそう言ってよ。それとも何、あたしたちが綺麗にしただけじゃ不十分? 川の両側は、木も草もかなり枯れていたから殆ど燃やしちゃったんだけど、広がらないようにちゃんとしてるよ。ね、まずかったの? なんか感じ悪いんだけど」
「そうではないよ、ラルフ」
「それでは、どういう事でしょうか、ザグレブさん」
南の長フラムが怪訝な顔で尋ねる。ザグレブは、ハンナから聞いた話を、南の四人にした。
この川は、グリーングラスの開発で汚染され始めているという話だ。話し終えた時、フラムの隣で大人しくしていたフラムの守り人フェニクスが俯きながら小さく呟いた。
「あの時と同じ……」
いつも物静かで大人しく、微笑みを絶やさない優しいフェニクスが、怒りに震えた真っ赤な顔をしている。
リベラとラルフのふたりも俯いた。フラムも同じように何かを思うように考え込んでいたが、顔をあげるとザグレブに言った。
「南の海域が汚染され始めた時、最初はとても些細なことから始まりました。海の色が、ほんの少し赤く変わったのです。ほんの一部分でした。すぐに対応して色は戻りました。
けれどそれから間もなく、全ての海の色が変わったのです。このエリアを我々のエリアと同じには絶対にしてはなりません。
対処療法では、必ず見逃すエリアが出てくるのです。この領域全てが汚染されるのは時間の問題です。我々はひたすら対処療法で何とかしようとした。戦うことを躊躇した結果、南の領域は見る間に消失しました。二度と同じことを繰り返してはいけない。原因となった開発自体を彼らに思いとどまらせねばなりません」
それを聞いてラクスが引きつった声で叫んだ。
「一昨日は何ともなかったんだよ! 本当だよ。気づかなかったんじゃないからね!」
「ラクス、誰も君を責めちゃいないよ。とにかく今は、やるべきことをやろう」
ガイヤがラクスの背中を優しく叩く。ラクスは顔を背けたままパルスに行くよと声をかけた。パルスは川を見つめたままで動けないようだ。
ザグレブが、ゆっくりとハンナに近づいて来た。ハンナはレオの肩を抱いて自分に引き寄せたまま、無言でザグレブを見つめていた。言葉を詰まらせながら話すザグレブの目は、怖いくらいに暗い色だ。
「ハンナ、さっき私が川にしていたことを見ていたかい? 君が見たのは大地が持つ浄化の力を借りる方法だ。今から上流へ皆で確認に行くが、その前にその方法を君に教えたいと思っていたんだが……」
話の途中で、レオが怯えたような顔つきのままハンナに声をかける。
「ねぇ、ハンナ。これってゲームじゃないの? ザグレブが言ってる戦いって、どういうの?」
ハンナは言葉に詰まった。フラムがレオに優しく声をかけた。
「いいかい、私たちは、精霊の領域を守るために、それを奪おうとするものと戦うんだ。
戦いって言うのは、必ず、相手がいる。勝っても負けても、引き分けでも、お互いにいい事と悪いことが起こるんだよ。私たちにできることは、精霊の領域を守ることだけだ。我々は、無敵でも、神でもない。けれどね、領域を守るための力は与えられている。我々は、この開発を止めねばならない。それが精霊との約束に従う事になる。
けれど、我々の敵はグリーングラスの人々ではない。これだけはしっかり覚えておきなさい」
「けど、あの人たち、私のママや、私たちを襲ってきたんだよ。敵でしょう?」
ハンナは思わず声をあげた。それを聞いたラクスが我慢ならないという様子で怒鳴る。
「そうよ! 敵よ! それと同じ血があんたらふたりの中に流れているんでしょ。よく、あんたがそんなこと言えたもんだわ」
怒鳴るラクスの襟を、後ろからザグレブが軽く掴んで、ラクスを睨み付けた。
「グリーングラスが敵ではないと、何度言えばわかる」
ラクスはザグレブの手を振りほどくと、再びパルスを大声で呼び、「先に上流を見てくる」と言い残し、天高く舞った。
「まったく……」
そう呟いた後、ザグレブは皆に指示を出した。
「私はここの汚染度合いを確認してから上流へ上がります。南の皆さんは、どうされますか。
一旦、避難をされた方がいいかもしれません。その場合は、ハンナたちも一緒に連れて帰っていただけると有難いのですが」
ザグレブの指示にラルフが声をあげた。
「は? あたしたちは役立たずだってことですか?」
「このエリアの元の姿を知らない皆さんには危険だと言っているのです」
「ザグレブさん、我々は既に一度領域を失っているのです。共に領域を守らせていただけませんか。何かできることはあるはずです。我々が今ここにいることにもきっと意味があるはずです。
ハンナだって経験者として認められているのです。きっとお役に立つはずです。
精霊たちは意味のないことなどしないとは思いませんか」
ザグレブはしばらく考えていたが、ゆっくり頷くと、視線をラルフに向けた。
「では、くれぐれも勝手な行動はしないという条件で、ラクスの援護と、上流の確認をお願いできますか。ラクスは全て自分でやろうとするはずですから。ああ見えて責任感が強いのでね。
ラクスは、これは自分の責任だと、心の中ではかなり堪えているはずです」
「分かりました。具体的には?」
「大地と森の力を借りるしかありません。水には触れないよう気を付けてください。赤いエリアがどこまで広がっているのかを確認しながら、川色が変化し始めている場所を突き止めたいのです。では、ハンナを教育する間、少しの時間ですが、上流の確認をお任せします。このままこのふたりを連れて行っても、我々が困るだけでしょうから。すぐに後を追いかけます。
湖底については、この川を全て確認した後に、皆で対応しましょう」
「わかった。やってみる。とにかくその場所を突き止めるよ」
ラルフがそう言ったのを聞くと、守り人のリベラが鳳凰に姿を変え、七色の尾を大きく広げてラルフを背に乗せ上流へと向かった。
「ラクスを必ず守ります」
南の長、黄色い髪のフラムは慌ててフェニクスと共にラルフを追いかけ、あっという間に遠くへと消え去って行った。
北の長ザグレブは、しばらく川の上流を険しい顔で見つめていたが、ハンナに手招きをすると、優しい顔で話を始めた。が、ハンナの眼には、ザグレブが意識をして優しい顔を作っているようにしか見えなかった。ザグレブがとても焦っているように見えたからだ。
「ハンナ、時間が無いから一度しか教えられないが、あとは上流で実践だ。いいね」
ザグレブは、両手でゆっくりと河原の小さな石を確認し始めた。何度か表面の石を掘った後、下のほうから薄い朱色にまだらに染まった石が顔を出した。
赤さびが付いたように見える石で、もともとついていたであろう緑色の苔の部分までところどころ赤く染まっている。その石の下に見える石はさらに赤く、掘れば掘るほど赤い石の数が増えていった。川の水が染み出てくるようになると、どの石も全て朱色に染まっている。
ザグレブはそれを見て小さくため息をついた。
「ハンナ、よく見ていなさい。これは、森や大地にあったものを元の姿に戻す祈りだ」
ザグレブはそう言うと、石を掘り返した後の、朱色に染まっている地面の上に片膝をついて、無骨な石が光る指輪のはまった左手を地面から少し浮かせるようにかざして見せた。
「大地と森の木を守りしエレクトロンよ、この一瞬、その数億年の太古の力を開放し給え」
低い声が奏でる呪文と共に、茶色い光が石を包む。光が消えると、朱色に汚れていた一帯は、淡い灰色の綺麗な姿に変わった。ザグレブのいる周りだけ色が変化している。
けれど、上流からやってくる川の水のせいで、地面の下からすぐに朱色の水が溢れ始めた。
「これじゃきっと
座ったまま、その様子を見ていたガイヤが、残念そうに呟いた。
「ケイソウ?」
問うハンナに、ガイヤが頷きながら答える。
「ああ、ハンナ、川の中、特に石にはね、魚たちの餌になる水の森みたいなものがあるんだよ。それはほとんど目には見えないがね。集まって大きな塊になると、石を触った時にも分かる。
その小さな珪藻たちはね、ひとつひとつ姿が違っていてとても美しい形をしている。その水の中の森、珪藻にもいろいろあってね。綺麗な川にしかいないものと、川が汚れてくると目立つものがある。
ずいぶん昔に、このエリアで、《龍》が大きな嵐を起こしたことがあってね、それから後は、ここの川の珪藻の森はとても美しくなったんだよ。その嵐のせいで朽ちた珪藻の死骸は湖の底で眠り、死骸となってからも湖を美しく保つ役目を果たしている。
この星ができて間もない頃から、我々よりもずっと前からここを守って来たものたちだ。一度は消えかけたものを、精霊たちが蘇らせたんだよ。
けれど、今、再び全ての色が変わり、どうやらそれを餌にしていた魚もいなくなったようだ。たった二日でどうしてこんなことが……」
ザグレブは、ガイヤの話を聞きながら川面をじっと見つめていた。そしてハンナに向き直ると、朱色に染まった地面の石を指さしながら、ハンナに言った。
「出来るだけ川を元に戻してあげよう。君にできる範囲でいい、その力を体で感じなさい。時間が無いからね、その指輪の石で一度だけ試してすぐに皆のところへ行く。川を朱色に染める原因となっている場所を突き止め、皆でこの領域の川と湖を元に戻す。
この地面に見えている朱色の石で、まずは試してごらん。上の方はここよりも大きな石がいっぱいで、かなり危険だ。上流でやる時、立っているのも難しいと思うならレオと共に空に留まっていなさい。
それからレオはね、まだ不完全だ。精霊と一体化するタイミングは、まだ君がコントロールしてあげなさい。少しずつ、自分で飛びたい、戻りたいと思うように誘導していくんだよ。さあ、まずは、経験だ。やってごらん」
ハンナは頷いたものの、指輪の石、と言うのが、どの石を指しているのか、分からなかった。中央の赤い石は、ハンナを守る石でレオと繋がる石だ。緑の石は、身体の傷を癒すものだった。
黄色の石だろうか? それとも紫の石? でも、茶色い光が出ていたから……。
ハンナが考え込んでいる横で、レオが言葉を発した。
「ハンナ、どうしたの? 覚えてないの? 大地と森の木を守りしエレクトロンよ、この一瞬、その数億年の太古の力を開放し給え、だよ」
三人の様子を見つめていたガイヤは、目を丸くして驚いた表情を見せた。
「こりゃ、驚いたな」
ザグレブも感心している様子だ。ハンナは、レオに教わりながら、文を区切って少しづつ呪文を唱え始めた。あまりに途切れ途切れの言葉のせいか、最初は何も起こらなかったが、三度目に呪文をととどまらずに言えた時、茶色の石から光が放たれ、地面に転がる石の上を、茶色い光がゆらゆらとさまよい始めた。
ザグレブがハンナに声をかける。
「ハンナ、意識を集中してごらん。まだ君には広範囲は無理だ。ひとつの石でいい。元の姿に戻したいものへ意識を向けるんだ」
ハンナが地面に転がる朱色の石をひとつだけ見つめると、その方向へと茶色の光が焦点を定めまっすぐ進み始めた。
「うわぁ、ハンナすごい! ハンナのママを治した時にそっくりだね」
そのレオの言葉を聞いて、ハンナの脳裏にママの姿が浮かんだ。緑の石で治した傷のことと、赤い血液が一瞬頭によぎる。その気持ちの揺らぎが、茶色の光を震わせた。
ママ……。
ハンナがそう思った時、レオのバングルに光る赤い石から強い光が地面の石に向かって走った。すると、ハンナが祈りを込めていた地面の石は、鋭い音を立てて真っ二つに割れ、ふたつに割れた石は、その後、粉々の砂となって風の中へ消えていった。
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