第32章 ロゼの丘の精霊たち

 花の谷フラワーバレーの人々がパンパスグラスの丘と呼んでいる場所を、精霊たちはロゼの丘と呼んでいた。その広大なロゼの丘の中腹部分の平らになっているところだけが、雪が積もったように真っ白に見えた。そこにひしめきあうように多くの経験者と守り人が集まって来ているのが、丘の上を飛ぶハンナの眼に映った。いつか見たような気がすると、ハンナは記憶をたどるが、その記憶はあいまいだ。ルークが丘に降り立ち、ジャックが姿を変えて現れると、丘にいた人々が一斉に声をかけた。

「ルーク、久しぶりだね」

「お久しぶりです。どうですか、西側は」

「相変わらずさ。東よりはましだがな。ここはどうだ?」

「最近、少し気になる状態になってきています」

「どこも同じだがな。南は壊滅状態らしい」

「ええ。聞きました」

「ねぇ、ジャックは、そろそろ慣れた?」

「ええ、もうすっかり暴れ馬ですよ」

「僕は、馬じゃないってば!」

「それにしても、ふたりとも相変わらず美形ねぇ」

「今度、ご飯でも行きましょうよ」

「なかなか時間が取れませんよね。交代要員が欲しいものです」

「やっぱりみんな同じね」

「ジャック大きくなったわねぇ」

 そうやって人々が声をかけ合っている中に、何とか隙間を見つけて、ハンナが蛟を連れ、どさりと音を立てて不格好に降り立った。白く雪のように見えていたものが、小さな石だという事にハンナは気が付いた。あまりの人の多さにハンナはじっとしたままで、経験者と守り人の集団を見つめ動けなかった。どの経験者も、守り人もルークとは比べ物にならないくらい光輝いて見えている。

「誰?」

「ちょっと、あれ、見ろ」

「まさか、グリーングラスの……」

「噓でしょ」

「集められた理由って、まさか」

 ルークは、慌てたようにハンナの前に立ちはだかると、振り返りながら、ハンナに向かって、『早くみずちをレオの姿にしてから、ちゃんと挨拶くらいしなさい』と言った。ハンナが慌てて赤い石に触れると、レオが姿を現した。それを見ていた経験者と守り人たちは一斉にどよめいた。

「え? ちっちゃくない?」

「あり得ないんですけど」

「子供……っていうか、あの小さい子、まだ幼稚園児、って感じ」

「どういうこと?」

「ちょっと、あの耳、見て」

「え? まさか、グリーングラスの……」

「噓だろ」

「集められた理由って、まさか」

 同じ会話がリピートしてハンナの耳に聞こえてくる。レオは怖がってハンナにしがみついてきた。ハンナはレオを安心させようと、その肩に優しく手を置いた。

「あなた、名前は?」

 ハンナより少し年が上くらいに見える赤毛の女の子が、ハンナに向かって質問してきた。赤毛のロングヘアが気の強そうな眼差しとぴったりマッチしている。

「ハンナ・フレデリックです。こんにちは」

「ハンナ……。で、君が守り人ね? 名前は?」

「僕、レオって言うの、小さいレオ。守り人レオじゃないよ!」

「何言ってんのか、幼稚園児の言う事はよくわかんないわね。でも、よく守り人になれたわね。君、どんな特殊能力があるの?」

 レオは、きょとんとした顔で、赤毛の子を見つめていたが、思い出したようにその子に向かって話し始めた。

「あのね、知ってる? 人に名前を聞くときは、先に自分の名前を言うんだよ。まったく、礼儀がなってないね」

 その言葉に、赤毛の子の顔は、髪の色と同じくらい真っ赤になった。まさか、幼稚園児に見える子からそんな言葉が出るとは夢にも思わなかったのだろう。ハンナも、一体レオはどこでそんな言葉を覚えたのだろうと驚いてレオを見つめた。赤毛の子の周りでは、ついさっきまで好奇の目で見ていた経験者や守り人が、『こりゃあ、ただ者じゃないぞ』と言いながら笑っている。

「あ、あ、あたしの名前は、ラルフ。ノースランドを守ってる」

「こんにちは。ラルフ。ねえ、幼稚園児って何? 特殊能力って何?」

「は?」

「ねぇ、幼稚園児って何? 特殊能力って何?」

「幼稚園児ってのは、君みたいに、幼稚園に行ってそうな子で、特殊能力ってのは、特別な力の事よ。君、良くそれで守り人になれたね」

「ぼく、特別なのは知ってるよ。ルークが、僕の事、クールで特別だっていってたもん。でも、僕、幼稚園には行ってないからわからない。幼稚園って何? どこにあるの?」

 興味津々の眼で話を続けるレオの隣で、ハンナは焦ってラルフに頭を下げた。

「あの、ほんとに、すいません。この、レオは、あの、ついこの前、この世界に生まれたばかりというか、何というか……」

 ラルフは、ハンナに目を向けると、不思議そうな顔をしてハンナの顔を見た。

「それにしても、その耳、どう見てもグリーングラスの人だよね。なんでここにいるの?」

「ねぇ、ラルフ、グリーングラスって何?」

 明らかにグリーングラスのいで立ちのレオが、ラルフに質問した。

「は? え? あんたたちって、かなりヤバいふたり?」

「ラルフ、もうそれくらいにしたら?」

 ラルフの後ろから、フリルがいっぱいのミニスカート姿の子が顔を出した。細かい細工のそのフリルには小さなビーズがちりばめられていて、その子が動く度、キラキラと光を放っている。

「こんにちは、ハンナ、レオ、よろしくね。私の名前は、守り人リベラ。この経験者ラルフの守り人よ」

「こんにちは、リベラ」

 レオは、正しく挨拶をするのがとても嬉しいという顔をしている。

「ねぇ、リベラは女の子?」

「気になるの? だけど、その質問は、初対面ではとっても失礼。礼儀がなってないわ」

「そうなの? ごめんなさい。だってね。リベラとっても綺麗だから。ねえ、初対面ってなに? 失礼ってなに?」

 綺麗と言われて舞い上がったのか、リベラは頬を赤らめている。ハンナが《綺麗》という言葉の意味をレオに教えてからというもの、レオは『ずっと見ていたい物のこと』を綺麗と言うのだと思い込んでいる。おそらくレオは、リベラのフリルとキラキラ輝くビーズが気になって、ずっと見ていたいだけのようだとハンナは気づいていたのだが、あえてその事には触れなかった。

 リベラは、照れながら、私は男の子でも女の子でもないし、望めば男の子にも女の子にもなれるのと答えていた。そして、丁寧に、初対面ってね、失礼ってのはね……とレオにひとつずつ教えている。どうやら、とても優しそうな子に見える。

「ねぇ、ちょっと、あんた、ハンナっていったっけ? あたしの質問聞いてた? なんでグリーングラスのふたりがここにいるのよ?」

「えっと、それは、あの……」

「ふたりとも混血ハーフだよ。仲良くしてあげて」

 答えに窮していたハンナの背後からルークが声をかけた。するとラルフは突然直立不動の姿勢になって答えた。

「はい! もちろん仲良くします! ルーク様のお知り合いなら、何が何でも仲良くします!」

 ハンナは、ラルフのあまりの分かりやすさに驚きながらも、とりあえず味方になってくれそうな同年代の知り合いができたことに安堵した。

「それでは、この娘もフラワーバレー担当なのですか? 私があんなに希望しても駄目だったのにな。パトラは絶対ダメだって、フラワーバレーはふたりで充分だって言っていたのに」

「いや、この娘はまだ、どこになるか決まってないと思うよ。僕も結構忙しくなってきたから、今回のミッションでいろいろ教えてあげてね。このふたり、かなりヤバいふたり……っていうより、異次元的に存在が危険だから」

 ラルフとリベラは、きょとんとした顔になった。ルークは、また他の人々から声をかけられて立ち去った。どうやらここにいるすべての人と挨拶をしているようだ。

「ね、その耳、どういう構造なのか見せてよ」

 ラルフはハンナの意向を確認する間もなく耳をまじまじと見始めた。これまで気持ち悪いと言われたことはあっても、ここまで知らない人に至近距離で関心を持たれたことのないハンナは、その対応に困って慌てふためいた。レオは、自分の耳を立てたり下げたりして、ラルフと楽しそうに会話をしている。それ便利でいいなと、ラルフは心底感心しているようだった。

 初めてだ、気持ち悪いって言われなかったの……。

 突然、ハンナの頭の中で大きな声が頭の中で反響した。ライラの声だ。

「パンパスグラスの精霊たちよ」

 その場にいた全員が、一斉に北の山の方角を向いて跪いた。ハンナも慌ててそれに倣った。

「レオ、お利口さんって覚えてる? ここに座って、お利口さんにできる?」

「うん、お利口さん、できる!」

 レオは最近覚えた言葉を使えるのが嬉しいのか、得意そうにハンナの隣に座り口を閉ざした。

 大きな風がロゼの丘に吹き付けたかと思うと、経験者たちの前にライラが現れた。紫のマントは、パトラが使っていた物よりふた回りは大きそうだ。ライラは、昨日会った時よりも少し瘦せて見えた。たった一日で顔つきがシャープになり、若返ったような印象だ。

「皆忙しいと思うので、手短に伝える。初めて会う者もいるようだから一応名乗っておく。私の名はライラ。精霊使いパトラに変わり、精霊たちの領域をお守りする誓約を結んだ。人間たちと精霊との橋渡しをするのが主な責務だ。今回、集まってもらったのは、私自身から皆への挨拶と、これから成すべきことについて皆に伝えたいことがあったからだ。併せて、数年ぶりに新たに我々の仲間に加わった二名も紹介する。敵ではないので、顔をしっかり覚えておくように」

 ライラは言葉を終えると、右手を上げ、人差し指を振った。ハンナとレオの身体が宙に浮き、一瞬でライラの隣まで飛んで行った。大勢の経験者と守り人たちの前に立たされ、ハンナはその視線に緊張して動けなくなった。レオは、相変わらず口を閉じ、じっとしているが、驚きすぎたのか目を真ん丸に開けている。

「挨拶しなさい。馬鹿娘」

 ライラは無表情で前を見たまま、小声でハンナに囁いた。ハンナは、このライラは外見が変わっても中身は変わっていないのだと理解した。酷い目にあったことを思い返すと腹が立ち、言い返したい衝動に駆られた。けれど、多くの人々が自分を見つめているのを感じたハンナは、少しムッとした表情のまま、ライラの言葉に従った。思わず声に怒りの力が入る。

「ハンナ・フレデリックです。こんにちは!」

 レオは、ぴくりとも動かない。

「それと、こっちが、レオ……、えっと、レオ……」

 ハンナは言いよどんでから、かまうものかと声を出した。

「レオ・フレデリックです」

 レオは口を閉じたまま、不思議そうな顔をしてハンナを見ていた。ライラは片方の眉毛をあげてハンナを横目で見ている。

「パンパスグラスの精霊たちよ。このグリーングラスの血を引く者たちは、我々の敵ではない。むしろ、グリーングラスと戦うには、うってつけのふたりなのだ」

「ライラ様」

 一人の男が立ち上がった。

「何か?」

「その者たちは、どの領域を任されておりますでしょうか」

「……それだがね、西を任せようと考えているのだが、皆はどう思う」

 それを聞いた人々がざわつき始めると、もうひとり別の男が立ち上がった。さっき、ルークに声をかけていた男だ。

「我々はすでに六名で守っており、十分に数は足りていると考えております。我々だけでは不十分という事でしょうか」

「いや、何、西のエリアは、お前たちのおかげで、最も安定しているからね」

「と、申しますと?」

「このふたりは、精霊たちが認めたものの、かなり厄介なことに、全く何も知らないのだ。付け加えると、全く何もできないのさ。どうやらここに来ている所を見ると、飛ぶことだけは何とかマスターしているようだがね。見ての通り、こっちの小さいほうは、言葉もよく知らない」

 それを聞いて聴衆は一斉にざわつきだした。

「そのようなものを我々にと?」

「一から教育してもらうには、最も安全かと思ってね」

「安全とは言っても、すべきことは山のようにあります!」

「教育などする時間は無いと?」

「それは、これまで精霊使いのパトラ様が、されてきたことで……」

 そこまで言って、男は口をつぐんだ。ライラは、ふんと鼻を鳴らした。

「だから、これからも私がすべきだ、と言いたいんだね。そこの西の皆も同じ考えかい?」

「ライラ様、失礼を承知で申し上げます。我々の西の領域で、その明らかにグリーングラスの者たちが受け入れられるとは、到底思えません」

「私も同じ意見です」

「ライラ様、我々は、領域を守るだけで手いっぱいなのです」

「じゃあ、他に受け入れてくれる領域はあるかい?」

 その問いに場が静まり返ったが、その時、ひとりだけ立ち上がったものがいた。

「ライラ様、あたしで良ければ、教育っていうの、やります」

 その声の主は、ラルフだった。それを見たライラは、ため息をついて答えた。

「ラルフよ。あたしもここに来たばかりで、それほど詳しくは無いんだけれどね。お前、確か、精霊たちからボイコットされた経歴があるんじゃなかったかね」

 ラルフの周りにいた人々がくすくすと笑いだした。

「そ、それは、あいつら、じゃなくて、精霊たちが、あんまりわがままだから……」

 ライラは掌を振って、ラルフに座りなさいと指示を出した。

「どういうつもりで、手を挙げてくれたかは分からないけれどね、その勇気と気概には感謝するよ。けれどね、このふたりは普通じゃないんだよ。だから、出来れば経験値の高い、熟練の経験者に頼みたいと思ったんだが……」

 ライラがそこまで言っても誰も手を挙げなかった。どうやら、ライラはまだこの人々を黙って動かせるだけの立場にはないようだ。

「じゃあ、こうしよう。北から順番に、全ての領域を回らせる。どの領域にも不公平が無いようにね。ひとつの領域で、ひとつの《石》分の教育を行うこと。これでも文句があるってんなら、その領域には、今後、守り人はひとりも送らないから覚悟しときな!」

 ライラは、急に精霊を守る立場の人とは思えないような言葉を発した。人々が驚いた顔で自分を見つめたので、ライラはまずいと思ったのか、ひとつ咳払いをすると、話題を変えようとして空に向かって突然怒鳴った。

「衣装係のファクテイオよ! すぐにここへ来て、この臭い二人をなんとかしなさい。経験者と守り人にふさわしい衣装を与えるように」

 ライラが人差し指を二度回すと、ハンナとレオは青い光に包まれた。何が起こっているのかは分からないが、何かが全身をくすぐるように動き回っているのが分かった。光が消えると、ハンナとレオは、頭のてっぺんから靴の先まですっかり綺麗になっていた。

 ハンナのスカートは丈が無くなり、スカートが短くなった分だけブーツの長さが伸びていた。短いスカートの下は動きやすいロングパンツでカバーされている。そのロングパンツの上を覆う長いブーツは、その色や細部は異なるが、すべての経験者が履いている物に似ていた。ブーツの横には小さな透き通る羽が四枚付いている。レオは緑の軍服姿ではなく、白のジャンプスーツ姿となった。見ようによっては、赤ちゃんロンパース姿にしか見えなかった。

 ハンナが何より驚いたのは、大切にしていた長い髪が、いつの間にかカットされていて、肩につくくらいの長さのボブカットになったことだった。丸出しになった耳には大ぶりのイヤリングが付けられた。これでは耳が目立って仕方がない。

 光が消え、ふたりが姿を現すと、笑いと歓声の両方があがった。レオは、相変わらずしっかりと口を閉じ、じっとしている。ハンナは頭が軽く、動きやすくなったことに気が付いた。

「それでは、ようやく、本日の本題に入る」

 ライラはそう言うと、人差し指を一度振り、ハンナとレオを宙に浮かせて元の位置に戻した。

「皆も知っての通り、我々の領域は、十年ほど前からまた徐々に狭まり始めている。その大きな元凶は、もちろんグリーングラスであることに変わりはない。けれども、ほとんどの人間たちが精霊や虫や動物たちの声を聴けなくなり、多くの国々が既にグリーングラスに従ってしまった今、我々にできることは少ない。

 これまで通り、領域を守ることについては、我々は精霊と合意しているが、それが限界に近いことは精霊たちも理解をしているのだ。我々にできることは、今あるものを守ること。残念ながらそれ以外はない。そして、この領域を脅かす者たちとは、これからも戦うことになる。それを戒める力を我々は得ているはずだ。

 まず、《経験者》と《守り人》だと嘘をついて詐欺を働き金を稼いでいる偽物たちについて、厳しく処分をすることとなった。現在、この場所にいる者たち以外は、全て私の声が聞こえなかったという事になる。その者たちが偽物であることは明らかだ。

 各自領域に戻り次第、各国にはびこる全ての偽物へ、『すべての《経験者》と《守り人》は、近々起こる次の戦いで最前線に立つことになる。そのための訓練をスノーマウンテンで行う』と伝えなさい。おそらく多くの者がその偽の指輪を手放すことになるだろう。指輪を手放したものについては、今回に限り許すことにする。我々が罰を与えずとも、社会的に信用を失い、非難を十分に受けるだろうからね。

 もし偽物たちが、指輪を手放すこともせず、その命令も拒否した時には即時スノーマウンテンへ送ること。もしも精霊に繋がる可能性のある者がその中にいるのであれば生きて帰れるだろうが、全員が森の餌となることは間違いないだろう。

 そして、その指輪を与えた張本人とその関係者については全て自由に処分してよい。その方法については皆に一任する。

 次に、ここロゼの丘に埋められたものについてだが、グリーングラスの子孫であるこのふたりによってグリーングラスへ戻されることが、精霊たちの希望だ。だが残念なことに、このふたりは、グリーングラスでもこの国でも厄介者扱いとなっている。精霊たちが、時期を待つよう希望している以上、現時点で我々にはどうすることもできない。何よりも、このふたりを我々の側の者として教育することが急務だ。

 残念な知らせが、もう一つある。南の領域だが、ほぼ壊滅状態となっていることは皆知っているだろう。南の海洋域は、資源の奪い合いと広範囲の化学実験によって、精霊の領域はほぼ喪失した。残っているのは島々の奥の領域だけとなっている。けれど、そこも間もなく海底に沈むことになるだろう。現在、そこにいる二名の経験者と守り人が後処理に追われている」

 ライラがそう言うと、真っ白な髭の大きな男の人が無表情で立ち上がった。その隣には、同じく真っ白な長い髪のがっしりした体格の人がいた。ハンナの眼には、ふたりとも、銀色に輝いて見えた。ふたりの表情は険しかった。ライラは言葉を続けた。

「最期まで、戦ってくれたことを精霊たちは感謝しています。このグリーングラスのふたりへの教育についても、そちらの後処理が終わる頃で構わないので、ぜひお願したい」

 髭の男の人は、何も言わず頷いだ。ライラは、頭を下げ話を続けた。

「南にいた他の経験者と守り人たちは、一時的にだが、スノーマウンテンと、北方エリアを守ることが決まった。すでに姿を消してしまった他の精霊たちは、もうこの世界へ戻ってくることは無いだろう。精霊たちが、完全にこの世界から消えた時、この星は終わりを迎え、それは我々の存在の終焉を意味するのだ。全ての命が悪天候にあえぎ、飢え、奪い合いながら、その遺伝子を残せずに、なす術なく消え去ってゆくだろう。

 我々の望む楽園が、手に入ることはもう無いかもしれない。けれど、我々がひとりでも存在する限り、精霊の国をゼロにすることも決してできないはずだ。皆心して、各自の領域を守っていただきたい。私からは以上。パンパスグラスの精霊たちよ。各自領域に戻り、自らの責務を果たすのです」

 そう言うと、パトラは姿を消した。その場にいた経験者たちは、それぞれの守り人と共に次々に空に登っていった。それは見事な光景だった。ある者はユニコーンにまたがり、ある者は龍に乗り、ある者は翼を持った鳥のような生き物に、またある者は角の生えた猛獣のような生き物に乗って、空高く飛んで消えていった。

 ハンナとレオの目の前には、ラルフとリベラがいた。その後ろには、背の高い黄色い髪の人と、その隣でほほ笑むハンナのママくらいの年頃の人が立っていた。黄色の髪の人が、おそらく一番年上のようだ。その人は、鈴が鳴るような、けれど低い声でハンナに言った。

「私はフラム、こっちは守り人フェニクス。よろしく。では、行きましょうか」

「え? あの……」

「あなたたちの教育を最初に任された北の領域の者は八名います。ほかの四名は既に戻りました。わたしたちは、南の領域から移動したばかりの四名で、あなたと同じく、一時的に北の領域にいる者です」

 黄色い髪のフラムがそう言う間もなく、赤い光と共に大きな赤い鳥が現れた。隣にいたはずのリベラとラルフはもう空の上にいた。リベラはその姿をクジャクのような姿に変え、その長い尾はキラキラと七色に光っていた。四人が飛び始めたのを見たハンナは、慌ててレオのバングルに触ろうとして、レオが息を止めたように黙ってじっとしていることに気が付いた。

「レオ、お利口さんだったね。偉かったね。もういいんだよ。今からまたゲームするよ」

 レオは、ぱあっと明るい顔になると、ようやく声を出した。

「ねぇ、グリーングラスって何? 混血ハーフって何? 子孫って何? 厄介者ってなあに?」

 ハンナはその言葉に応える前に、レオの赤い石に触れようとした。そしてレオの後方、丘の下の方に細長い棒が地面から顔を出していることに気が付いた。

 どこかで見たような……。

 ハンナは記憶をたどろうとしたが、空にいた者たちが北の山の方角に向かって動き始めたのを見て、慌ててレオの石に触れた。

 もう私には、他の道は無いんだ……。ママ、大丈夫かな。きっとすぐ会えるよね。

 ハンナはレオを空に舞い上がらせると、急いで四人の後を追い始めた。

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