第29章 消えたボバリー家

 村の中心の広場には、あっという間に到着した。お祭りの時期でもないのに、突然広場に現れた大きなピンク色の羽根のペガサスと、真っ白の小さな龍のような生き物に、村の中心部の広場は大騒ぎになった。広場で休憩していた人々や、オープンカフェでくつろいでいた人たちは、驚いた様子で口々に大声をあげ始めた。

「経験者よ!」

「なんで、こんなところに?」

「近くで戦いでも始まったのか?」

「逃げたボバリー家を探してるんじゃないか? ほら、新聞に載ってたろ」

「あれ? あの子、この娘じゃないか!」

「ほんとだ、新聞に載ってる娘だ! 」

「パトラの家にいた娘?」

「あれ、龍?」

「あんな白くて小さな龍、いないだろ。大きい白蛇みたいだ」

「あの娘、経験者だったの?」

「そんなわけないじゃない、あの耳見てよ」

 その声に反応して、ハンナは自分の耳に触れた。今朝は慌てていて、いつものように髪を纏めることも耳を隠すことも忘れていた。風で後ろになびいたままの髪のせいで、その耳はさらけ出していた。

「グリーングラスのやつか? 何故、経験者と一緒にこの国にいるんだ?」

「きっと、グリーングラスの魔女よ! 経験者を操っているんだわ」

「ボバリー家も、きっと魔女が消したんだ!」

 自分に対する好奇と悪意に満ちた瞳にとり囲まれ、ハンナは呆然となった。ママが悲壮な顔でルークに声をかける。

「ルーク、ここではなく、ボバリー家へ!」

「え? 村へ行きたいとのことだったのでは?」

 ルークがそう言う前に、ペガサスは飛び立った。『まったく、村へとは言ったけどさ、思い込みで行先決めないで、ちゃんと聞いといてよ』といななきながら。ハンナは、多くの人が自分を指さしていることに怯えていた。鼓動がどんどん大きくなる。動きたいのに、思考は停止している。

 ペガサスが飛び立ったのを見て、ハンナは慌ててみずちに叫んだ。

「レオ! ペガサスについて行って!」

 ハンナが叫ぶと、小さみずちは遠くに取り巻く人々に向け大きく口を開けだ。突然、その口から大きな風が吹いて、オープンテラスのテーブルが吹き飛んだ。辺りは騒然となり、悲鳴がいくつも聞こえる。

「やっぱり、魔女よ! みんな逃げて!」

「グリーングラスの攻撃だ! やつらが花も虫たちも消したんだ!」

「私たちの龍を、どうやって手に入れたの?」

「あれは、龍じゃない。火を持ってこい!」

「早く焼いてしまえ。またあの戦いを起こさせるものか!」

 辺りにいた男たちが立ち上がり、棒に火をつけた棒を持った人々が、広場の店の奥から次々にやってきはじめた。ハンナは、大人たちの恐ろしい形相と、レオが吹き飛ばしてしまった人々が呻く姿を見て怖くなった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。でも、あの、違うの……」

 ハンナが小さく声をあげると、みずちは再び口を開け、今度は小さな風が吹いた。

「焼け!」

「早く!」

「また暴れるぞ!」

「グリーングラスの犬め!」

 自分に向けられる敵意の多さにハンナは動くこともできなくなった。みずちは口を閉じ、村人を睨みつけるようにじっと動かない。小さなみずちの尾に一人の男がそっと忍び寄り、その先端に火をつけた。

「きゃああああ!」

 全身を焼かれたような痛みにハンナが叫ぶと、小さな龍、みずちとなったレオの口から、大量の水があふれ出た。火を持っていた人々に向かって一切に水をまき散らしている。その場所一帯が水浸しになった時、ハンナの頭上からルークの叫ぶ声がした。

「ハンナ、何度言ったら解る! 君と精霊は一体だ! 恐怖や恐れの心は《守り人》をも動けなくさせる。自分で強く思うだけでいいんだ!」

 ハンナは、その声に、我に返ってみずちに祈りを向けた。

『あのペガサスについていって、お願い』

 それでもみずちは動こうとはしなかった。さっきは上手くいったのに、一体何が違うのか、ハンナは分からずパニックになった。ずぶぬれになった男たちが、今度は大きな鎌や斧を持って周りを取り囲み始める。

「ハンナ、自分で考えるんだ。自分が今、できること、やりたいこと、しなければいけないことを! レオや精霊に頼るな! レオに命令するように、自分で自分を鼓舞しなさい!」

 その言葉にハンナは、戸惑った。

 自分が今できること、やりたいこと、しなければいけないこと……。

『ここから、逃げる。飛べ!』

 突然みずちは天高く舞い上がり、ハンナは、再びその頭上に立ち上がった。村の中心の広場は水浸しになっていて、人々は呆けたようにハンナと龍を見上げている。建物を飛び越え、街路樹を過ぎると、数秒でボバリー家に到着した。

「屋敷の中庭へ! 外には記者たちが溢れているわ!」

 ママの声を聴いてペガサスは、ゆっくりと屋敷の中庭へ降り立った。それを見ていた門の外にいた記者たちが『昨日の経験者だ』と叫びながら、大騒ぎを始めている、南の島の家の前に記者が一人もいなかったのは、こちらへ移動していたせいだった。

 ここで何があったんだろう?

 ハンナが考える間もなく、小さなみずちはペガサスに続いて地面に降り立った。ルークがペガサスの石に触れたのを見て、ハンナも急いでみずちの左前脚の赤い石に触れた。ふたつの強い閃光が走り、ジャックとレオが姿を現した。レオは、呆然とした顔をしている。

「ねぇ、ハンナ。僕、またゲームの夢の続きを見たのかな。お空を飛んでたよ」

 レオの靴の先が少し焼け焦げている。ハンナは涙ぐみながらレオを抱きしめた。

「レオ、ごめんね。痛かったね、やけどしてない?」

「守り人は、姿を変えている間は不死身だよ。精霊そのものなのだよ。身に纏っているものこそダメージを受けるがね。怪我はしない。代わりに、君の身体が怪我をすることになっている。君こそ大丈夫かい? その脚」

 ルークのその言葉に、ハンナは自分の脚を見た。足首のあたりが真っ赤になっているのを見て、ハンナは急に痛みを感じ始めた。

「うっ……痛い……痛いよ」

 涙目になったハンナをレオとジャックは心配そうに見つめ、ママは、跡が残るかもしれないとおろおろしている。ルークはハンナの傍までやって来ると、ジャックを一度見た。ジャックが小さく頷くと、ルークはゆっくりとハンナの脚に手をかざした。

「パナケイアよ、この一瞬、この石に宿り給え」

 ルークがそう唱えると、指輪から緑の光が立ち上がり、蛇のようにうねりながらハンナの足首にまとわりついた。じりじりと痛かった足首は、あっという間に痛みも取れ、皮膚の色も落ち着いた。ハンナもレオも、ハンナのママもその様子を驚いた顔で何も言えずに見つめていた。

「さぁ、これで大丈夫。我々の役目はここまでという事で。これから大切な用がありますので。帰りはレオ君が送ってくれますよ」

「あの、ルークさん。お願いが……」

 ママが、焦ってルークを引き留めようと声をあげた。

「何でしょう?」

「この子の、その、何というか、このふたりに、様々な事柄を教えていただく時間を、時々いただけないでしょう?」

「私は、お嬢さんに既にお伝えしえいます。自ら望まない限り、誰も助けないと」

 ルークはハンナのママを見て微笑むと、ジャックの胸の石を三回叩いた。大きなペガサスが現れると、またルークはあっという間にいなくなってしまった。ハンナは、自分の指輪に光る緑色の石にも同じ力があるのだろうかと気になった。

 ……さっき、ルーク、何て言っていたかな。

 ハンナが思い出せずに、治したまえ、と何度か呟いていると、隣でじゃがんだまま、ハンナの脚を覗き込んでいたレオが言葉を発した。

「違うよハンナ、『パナケイアよ、この一瞬、この石に宿り給え』だよ」

 ハンナは、あどけないレオの笑顔を驚いて見つめた。レオはどんな言葉も、一度聴いたら全て吸収してしまうようだ。恐らくレオはその意味など分かっていないだろう。言葉を録音するように、そのまま記憶しているのだ。スポンジのような能力だとハンナは思った。

「パナケイアよ、この一瞬、この石に宿り給え」

 ハンナが呟くと、緑色の石から細くて弱々しい光がすうっと現れたのだが、それは一瞬で消えてしまった。

「まだまだ、勉強が必要みたいね」

 その様子を見ていたママが、ハンナの肩を抱いた。

「あなたの力は、これから磨かれてゆくはずよ。それに今は、もう怪我をしていないから、その力は無駄に使ってはいけないわ。ハンナ、あなたはもう自分の意思で何度も精霊の力を使ってしまったのよ。分かっているかしら?」

 ママにそう言われ、ハンナは「あ……」と呟き、小さくうなだれるように頷いた。

「さぁ、行きましょう」

「どこに?」

「屋敷の中よ。おそらくもう誰もいないはずだけれど」

「あれ? 僕、ここ知ってるよ!」

 落ち着きを取り戻し、辺りを見回し始めたレオが嬉しそうな声をあげた。

「ねぇ、ここ、大きいレオがいるところでしょ? 僕も近くにいたんだよ。あれ、でも?……」

 そう言うとレオは、中庭から玄関の方へと走って行った。そこには整地され、芝生が敷かれた地面と大きな木が並んで数本見えているだけだった。

「レオ、あなたがいた場所は、もう無いと思うわ。こっちへいらっしゃい。急がなくては」

 レオは怪訝そうな顔で、辺りを見回している。そうして、ハンナとママと一緒に玄関のドアの前まで来ると、ピタリとその動きを止めた。レオはハンナをじっと見つめている。

「どうしたの、レオ?」

「うん……あのね、この中に入っちゃいけないんだって」

「それも、セバスチャンに言われたのかしら? また、死んじゃうよとか言ったの?」

 ママの問いに、レオは、こっくりと頷いた。

「セバスチャン、嘘つきだから!」

 ハンナは、怒りに任せて切れ気味にそう言うと、玄関のドアを思い切り叩いた。

「すいません! 誰かいませんか?」

 大きな声が響いたせいで、屋敷の塀の外にいた記者たちがざわつきだす声が聞こえた。塀から顔を出している者もいる。大きなはしごか脚立でも使っているのだろう。ハンナが力任せにドアノブを握ると、驚いたことにドアは何の抵抗も無くバタンと開いた。

 まだ、怯えた様子の小さなレオは、ハンナの腰にしがみついている。ママは、そのレオの後ろから慌てたように続き、屋敷の中へ入った。

「ボバリーさん、いらっしゃいますか?」

 ママが声をかけたが、屋敷の中は静まり返っていた。玄関ホールを横切り、偽物レオの誕生会のあった大広間を抜けると、大きな来客用のダイニングテーブルがあり、床の上には電線が引きちぎられたままの豪華な細工の付いた電話が転がっていた。その周りには、椅子が無造作にあちらこちらに倒れている。それ以外は見事に何もなくなっていた。部屋の壁にかかっていた大きな家族の肖像画を見て、ママとハンナは愕然となった。

 その肖像画は、家族四人のもので、中央右に偽のレオが座っていて、そのさらに右側に大きなバルーンスカートを履いたニーナ、左中央にボバリー伯爵、左側にはボバリー夫人が立っているものだったのだが、ボバリー伯爵の顔には、いくつもの画鋲が刺さっていて、その首の部分だけが、ナイフかなにかで横一文字に切り裂かれていた。いたずらと呼べるレベルのものでは無く、絵画であることを差し引いても、とても気味が悪いものだった。その絵画の後ろを探るようにして、ママは何かを取り出した。

「ママ……それ」

「手紙よ」

「手紙?」

「あ……」

 突然、小さなレオが声をあげた。皆と同じように、肖像画を見つめている。

「どうしたの、レオ?」ママが尋ねた。

「これ、写真?」

「ああ、これはね、写真じゃなくて絵よ」

「ふうん」

「何か気になるの?」

「真ん中は、おっきいレオでしょ?」

「そうね」

「この子は、ニーナでしょう?」

 ママとレオの会話を聞きながら、ハンナはレオの指さす場所を見つめた。忌々しい顔だと思うと、指輪の中央がまた熱くなってくる。ハンナは、余計なことを考えないようにしようと頭を振ると、レオの顔の高さまで腰をかがめ、レオと目線を合わせレオに話しかけた。

「よく知っているわね」

「うん。じゃあ、こっちが、ママとパパ?」

「……そうよ」

「おっきいレオのママとパパ……。パパのお顔は見えないから、分からないね。このパパのお顔の上にあるものはなあに?」

 ハンナとママは、顔を見合わせた。それからママは、急がなくてはと言いながら、キッチンの奥へと向かった。レオは、いつもなら質問の答えが聞けるまで執拗に質問してくるはずなのだが、気になることがとても多いようで、いろいろなものに触れ、ひとつひとつその音を確認していた。レオはキッチンまで来ると壁にかかっているフライパンなどのいくつかの調理器具に触れ、それを揺らしたり、引っ張ったりし始めた。

「僕が思っていたものと、ぜんぜん違う」

「思っていたもの?」

「うん、僕のいたところで、僕がいつも聞いていた音があって、それをいつも何の音かなって考えていたの。セバスチャンは、お話が嫌いだったから。……ねぇ、誰もいないね」

 ハンナとママが、言葉に詰まっていると、突然、玄関のドアが開く音がした。数名の足音が、奥へと近づいて来ている。レオは再びハンナの腰にしがみつき、後ろに隠れるようにして動かなくなった。

「そこの裏口から、外へ出ましょう」

 ハンナのママの声に従って、ハンナたちは急いで外に出た。けれど中庭の反対側に出たところには、すでに数名の男たちが立って待ち構えていた。男たちはどうみても、畑で働く農夫の格好をしている。

 先頭にいた細身の薄い唇をした男が、口をゆがめた笑みを作りながらハンナたちに近寄って来た。他の男たちと違い、ひとりだけ緑色のスーツを着ている。

「無断侵入とは、驚きましたね。ミチコ、フレデリックさん。いえ、ミチコ・ルベウスさん」

「どうして、私の名を……」

「ボバリー家を、どこに匿っているのですか?」

「え?」

「あなたには、精霊使いのパトラ殺害の容疑と、ボバリー家の亡命を手助けした容疑がかかっています。証拠はすべてそろっています。今すぐ、我々と来ていただけますか」

 ニヤついた笑いを見せる男が、隣にいた男たちに見えるように顎を斜めにあげ指図をすると、睨みつけるママに向かってふたりの男が一歩前に踏み出し近寄った。

「抵抗すれば、痛い目にあいますよ」

「あなた達、何を言っている……」

 そこまで言うと、ハンナのママは口を閉ざした。男たちの帽子の不自然さに気が付いたからだった。同じような大きな不思議なかたちの緑色の帽子を、何年も前に祖国ウエストエンドの隣国の村外れで見たことがあったことを思い出していたのだ。

 スーツの男は、その服にそぐわないニットのキャップで頭を覆っていた。他の農夫のような男たちは、明らかに季節に合わないフラップキャップを被っている。

 ママは、ふたりの男に両側から取り押さえられると、持っていた手紙を取り上げられた。

「こんな方法で、連絡を取っていたのですね? なんとも原始的。さすが、非文明国。

 それにしても、十分な電力の無い国で、皆さんどうやってお暮しになっているのでしょうか。聞けば、しょっちゅう送電が止まるとか。携帯や車も使えないなんて、全く信じられません。

 さっき屋敷の中も拝見しましたが、未だに有線の電話をお使いのようだ。こんな所、たったの一日でも私には耐えられませんね。電波塔や基地局って言葉ご存じですか? この国にはひとつもないようですけれど。それが数基あれば、こんなことをしなくとも、電波の力でメールというものが飛ばせるんですよ。この国は百年近く何も変わっていないそうではありませんか。

 いやはや、全く驚きです。せめて、我々の遺伝子操作技術で作り上げた忠実な伝書鳥を売って差し上げたいくらいですが、どうやらあなたにはそのような費用を払うだけの資産はなさそうですからねぇ。残念」

 ママは口を開かなかった。ママが男たちに取り押さえられのを見て、気が動転していたハンナは、嫌味な感じの男が長々と喋っている間に後ろから男たちに近寄り、その腕にしがみつこうとしていた。ハンナは後ろにいたレオのことなどすっかり忘れていた。

「おや? この子は……」

 薄い唇の男が、緑色の軍服姿のレオに気づくと、その手をレオの頭へと伸ばした。男たちに両腕を抑えられたママは、振り返りざまハンナに向かって叫んだ。

「ハンナ! レオを連れて逃げなさい! 飛ぶの! 早く!」

 咄嗟のことに面食らったハンナは、一瞬動きを止めた。後ろにいたレオは、怯えた顔で、男の手から離れようと後ずさりしている。ハンナは後ろを振り返ると、レオのバングルに素早く手をかけた。

『飛べ!』

 ハンナの祈りと共に、閃光が走り、その場にいた男たちは視界を奪われた。一度天高く舞ったみずちに乗ったハンナが、再び地面に向かって急降下してゆく。

『ママを助ける』

 小さなみずちは、大きく蛇行した。ハンナの怒りのエネルギーと恐れのエネルギーが交錯し、それがみずちへと伝わる。それを上手くコントロールできないのか、みずちは大きく体勢を崩した。

「何をやっているの! 逃げなさい!」

 地面に向かって急降下するハンナの前に、叫ぶママの悲壮な顔が見えた。一瞬の心の迷いが、みずちの方向感覚を狂わせる。その時、ようやく視界を取り戻し始めた男のひとりが、見たことも無いかたちの長い銃をハンナに向かって構えたのがハンナには分かった。二度大きな銃声がして、ハンナの右の耳のあたりに冷たい風が通った。切れた髪がパラパラと地面に向かって落ちてゆく。だがその弾は、実際はみずちにかすっているのだ。ハンナの動揺がみずちに伝わると、スピードと方向感覚を失ったみずちは、その銃の軌道から逃げるのに精いっぱいになった。

「ハンナ逃げなさい! その子を守るのです! パトラに言われたことを思い出して! あなたはもう、こちら側のものではないのです!」

 ママが叫びながら、男の脇腹に激突し、突然のことに不意を突かれた男の力が緩んだすきを見て、ママは男の手から離れ、別の男がハンナに向けていた銃口の先に立ちはだかった。男が引き金を引くのと、ママが飛び出したタイミングは、ほぼ同時だった。

 大きな銃声の後、ばさりと音がして、ママが倒れるのが上空を飛ぶハンナの眼に映った。恐怖と悲しみと怒りとでコントロールできなくなった心のまま、ハンナは発狂するように叫んだ。

「やめて! やめて! いや! ママ! ママぁ!」

 突然、みずちはその口を開け、突風を送り始めた。横殴りの豪雨が辺りを襲う。重なる銃声に騒然となって門の外で騒ぐ記者とやじ馬たちの声が聞こえる。

「龍だ!」

 いくつもの声が飛び交い、フラッシュの音が響く。もう一度、別の男が自分に銃口を向けていることに気づいた時、ハンナの怒りは制御できない方向へと切り替わった。今度はハンナの左側の頬に冷たい痛みが走った。実際にはみずちの左の髭を銃弾がかすめたのだ。ハンナとみずち、ふたつの怒りの波長がシンクロする。

 一瞬、耳をつんざくような音と共に、銀色の稲妻が、男の銃に目掛けて落ちていった。局地的な暴風雨が辺り一帯を襲ったかと思うと、中庭のいたるところに、小さな雷が集中的に落ち始めた。塀の外にいた記者たちは、はしごや高い木から逃げるように走り去った。いくつもの雷鳴の後、その場にいたほとんどの男たちは倒れることになった。けれど、そこにはさっきママに話しかけていたスーツ姿の男は見えず、上空からは、その姿はどこにも見つけることは出来なかった。辺り一面には、焼けこげたような匂いが漂っている。

 小さなみずちは、一度地面ぎりぎりまで降下すると、ハンナのママを前足で掴み、再び天高く舞い上がって行った。

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