第26章 ふたつの水晶

 ハンナとハンナのママ、小さなレオは、その日パトラの家にとどまることになった。外には騒ぐ記者たちがいて出られないという事もあったのだが、ママの話によれば、村の家は結界が破られ、家中がめちゃめちゃになっていて、とても住める状態ではないということだった。

「これからのことを考えなければね」

 ハンナのママは、そう言うと、思いふけった様子でため息をついた。

「レオ、一緒に暮らすの?」

「そうね。もしも、この子があの丘へ意図的に送られたという事であれば、この子も行くところはないという事になるわね。ねぇ、ハンナ、ママこれから少しやることがあるから、レオの面倒を見るのを少しだけお願いできるかしら」

「別に、いいけど……」

 ママは、ハンナの答えを聞く前に席を立った。これはお願い、というよりは、命令なのだなとハンナは理解した。元々狭い空間でじっとしているのが得意なハンナとレオは、家に閉じ込められてもさほど苦痛ではなかったのだが、まずは村の掟に従って、レオの指輪を通す紐のようなものを見つけるのはどうかしらというハンナのママの提案で、ふたりは紐を探し回ることになった。

 新しいゲームだと思っているレオは、楽し気にパトラの家を走り回った。紐の意味が分かっていないレオが持ってくるものは、ことごとく使えないものばかりだったが、レオは何度もいろいろなものを持って来ては、『これはなあに?』とハンナを質問攻めにした。

 ハンナが、パトラの遺品の中から、長さがちょうどよさそうな短いチェーンを見つけ、それを二重にしてレオの指輪を通してブレスレットにすると、不思議なことに、指輪は蛇のようにみるみるその姿を変え始め、チェーンと混ざり始めると、レオの腕で複雑な模様の黒のバングルが出来上がった。中央には大きな赤い石がはめ込まれ、キラキラと光っている。レオはそれを見て大喜びした。

 パトラを失った大きな悲しみは、状況を把握できていない小さなレオの弾けるような笑顔に少しは救われていたのかもしれなかった。それはまるで、パトラが自分の代わりに残していった置き土産のようだった。とても、手間のかかる厄介な置き土産だ。

 けれどその笑顔は、パトラも住む家も失ってこれからのことを考えることのできないハンナとハンナのママにとっては、『これからのことを残された自分たちで考え、生きてゆきなさい』というパトラのメッセージのように思えた。

 レオの笑顔は、ハンナとママの『この子を守らねば』という、決意のようなものへと変わり、寂しさを紛らしてくれる少しばかりの救いとなっていた。もっと簡単に言えば、目が離せない小さなレオの相手をすることは、自分のことを考えるより前に、レオのために自分の時間を使わねばならず、悲しんでいる暇さえ無くなってしまった、ということだ。

 ハンナは、その後も、『もっとゲームがしたい、パンパスグラスに行きたい』と駄々をこねるレオを何とかなだめ、一日中レオの質問に答えるという過酷な時間を過ごすことになった。

 恐らく、その赤い石にハンナが触れるとレオはみずちに変わるのだろうという事は、ハンナには容易に想像できたのだが、その後どうすればいいかがわからないのだ。ハンナは、絶対にレオの赤い石には触れないようにしようと細心の注意を払っていた。その間、ママはパトラの家の書斎で、ずっと険しい顔をして何かを見つめていた。

 陽がすっかり落ちて、お腹が空いたふたりには、ママお手製のドーナツとホットミルクが出された。チーズとコーンがたっぷり乗ったドーナツと、砂糖にくるまれたドーナツだ。お腹がいっぱいになると、さすがにレオもぐったりし始めた。レオはまだ遊びたかったのか、しばらくの間、ぐずったようにぶつぶつと何か言っていたのだが、そのうちうとうとし始めた。

 それを見てママは、ソファーにレオを横たわらせると、そのぽかぽかと温かくなった手を握り、これは魔法をかけなくても朝まで起きなさそうね。ようやく話ができるわと、微笑みながらハンナに手招きをした。涙を堪えたり流したりを繰り返したママの目は、まだ赤く腫れている。

「久々の小さな子の子育ては答えるわねぇ。ハンナ、立派にお姉さんしているから、ママ、驚いちゃったわ。偉かったわね。今日一日、いろいろあったから、とても辛かったはずなのに」

 ハンナは、ママに褒められて少し嬉しくなった。そうして、今日一日の出来事を思い出した。辛い事が次から次からやって来て、訳が分からないうちに自分でも理解できない力を得たのだ。けれど、嬉しくも無ければ、ワクワクすることも無かった。その力を自分で見つけていきなさいというパトラの遺言を守るためにはどうしていいのかも、全く分からなかった。

 あまりに色々なことが一度に起こると、目の前のことを必死にこなすだけで精いっぱいになるのかもしれない。ハンナの身体も思考も、限界まで働いた一日だった。

 眠い目をこすりながら、ハンナはママがずっと見つめていたものを指さした。

「ママ、それ、何?」

「これはね、あなたのおばあちゃんから受け継いだ、水晶という石で、遠くの景色が浮かぶのよ。これを使えるのは、未来を見ることのできるユラ神だけ」

 そう言うと、ママはその紫色の水晶を両手で包んだ。大きかった水晶は見る間に小さくなり、ママのペンダントにすっぽりはまる大きさになった。

「そして、こちらの黄色い方は、過去を旅する者に与えられるのだけれど、実は、ママもどうやって使うのかわからないの」

 手渡された水晶は、少し黄みがかっていて、ママの水晶よりもずいぶんと小さかった。ママは、お揃いのペンダントをもうひとつポケットから出すと、その黄色の水晶をペンダントにはめた。ふたつのペンダントの先端に収まった石を、ハンナは見つめた。

「あの怖い女の人が探してた、ユラ神の命って、これのことかな」

「もし、彼女が何かを探していたのなら、きっとそうね。でも、ハンナ、『あの怖い女の人』っていう表現は良くないわね。あの人はママの従妹で、おばあちゃんのお兄さんの娘よ」

 ハンナの頭はこんがらがったが、とにかく、遠い親戚であるようだ。

「じゃあ、なのに、なんで、あんなひどいことするの?」

 ママは、沈んだ表情になり、一言、ママのせいなのよと言っただけだった。ママは、黄色い小さな水晶のはまったペンダントのほうをハンナに手渡すと、こう言った。

「これは、あなたが持っていなさい。ハンナ、今から、ママがやることよく見ていてね」

 ママはそう言うと、自分が持っていたペンダントから紫の水晶を取り出して、両手で包んだ。水晶は今度は見る間に大きくなり、両手で覆いきれないくらいの大きさになった。

 ママが小瓶をポケットから取り出し大きな紫の水晶の上に振りかけると、ライラックの香りが辺りに広がった。ママの呟く短い呪文の後、水晶の中に小さなスクリーンが幾つも浮かび、そして消えていった。絵本をめくるように映像は変わっていく。ハンナは、その映像に目が釘付けになった。

 ひとつ目の映像には、泣き叫ぶレオの姿が映っていた。今ここで眠っている本物のレオではなく、豪勢な屋敷で暮らす名前の無い偽物のレオの方だ。そのもうひとりのレオが、部屋のドアの前で。ごめんなさい、ごめんなさい。と、泣きじゃくっている。

 もう一つの映像は、ニーナのものだった。部屋の床に足を投げ出し、ベッドにもたれかかったまま、天井を見て呆然としている。その顔は、目が腫れ上がり、相当泣き続けたであろうことが見て取れた。いつも綺麗に結ばれている左右のおだんご頭は、片方の三つ編みがほどけ、ウエーブのかかった金色の髪が顔の半分にかかっている。それは異様な姿だった。床には幾つかの色の石が砕け散っているのが映っていて、ニーナの指輪には、半分だけ石が残っていた。残っている石の方は、恐らく偽物なのだろう。

 映像が変わると、書斎で電話をしているボバリー伯爵の姿が現れた。かなり怒っている様子で、すごい剣幕で話をしているのが分かる。屋敷の中には、他に誰もいないようで、働いていた多くの人々は、休みを取らされたのか、キッチンにもダイニングにもどこにも見えなかった。

 広間では、ボバリー夫人が、ティーセットを前にして豪華なドレスを身に纏い、写真を撮られている。どうやら記者のインタビューに答えているようだ。

 玄関の左手側に映像が代わると、奥の方で白い煙が上がっているのが分かった。セバスチャンが、暗闇の中で山積みになった本を燃やしている。玄関の左手奥にあったはずのニーナのペットの小屋が壊され、ロール状に巻かれた大きな芝生が見えている。これから芝生でも敷くのだろうかと、ハンナは怪訝に思った。

 大きな正門の前には、馬車が一台止まっている。

「この家はカオスね。ああ、いろんなものが混ざり合っててめちゃくちゃっていう意味よ。誰も子供たちのことを見ていないわ」

 ママが言葉を発すると、水晶の中の映像はパタパタと閉じて消えていった。相当の能力を使う作業なのか、ママはすっかり疲れた顔になっている。もう一度水晶を手で包むと、小さくなった水晶をペンダントに納め、ママはそれを首からかけた。

「これはね、少しだけ先の未来なの。ほんの少し先の未来」

「未来?」

「そう、これから間もなく起こること。だからあなたには使えないのよ、ハンナ」

「私が見えるものは、過去ばかりなの?」

「そうみたいね」

「そんなの、何の役にも立たないよ……」

「そんなことないって、パトラばあ様が、おっしゃっていたでしょう? 今は分からないかもしれないけれど」

 ハンナは俯いた。

「それにね。未来が見えたところで、何もできないの。水晶で覗けるのは、ほんの少し先のこと。これとは別に《予言》と呼ばれているものは、目の前に広がるスクリーンのように見える未来なのだけれど、それがいつ、どこで起こるのかもわからないの。どうしてこんな力を与えられたのか、ママは何度もこの力には意味が無いのではないかと悩んだわ」

 ママは、そう言うと、ハンナを抱き寄せた。

「けれど、今日、初めてこの力を役立てた気がする。あなたを見つけ、パトラばあ様を見送ることが出来た。多分,この力は、他の人のために使うためのものだったのかもしれない。今更だけれど……」

 ライラックの香りが消え、ママが、淋しそうな微笑みながら立ち上がった。ハンナは、自分の胸にあるペンダントを見つめた。

 どうやって使うものかわからないけど、これも人のために使うものなのかな……? 

「ハンナ、《経験者》になれたこと、おめでとう。って言っていいのか分からないけれど、精霊使いの私たちが、精霊に選ばれたのだとしたら、それはとても大きな意味があることだとママは思っているわ」

 そう言うと、ママは辺りを見渡した。窓から外を覗くと誰一人そこにはいなくなっているようだった。記者たちの騒ぎ声はすっかり聞こなくなっている。もう何も起こらないことにがっかりして立ち去ったのかもしれなかった。新月の景色は、映画が始まる直前のスクリーンのように、何も見えず真っ暗だ。

「まだ、パトラばあ様がおうちのどこかに居そうな気がするわね。寝る前に、大切なことをお話しておくわ。百年前の戦いのお話よ。眠いだろうけれど、今日のうちに話しておくわね」

 そうして、ママは、パトラから聞いたという話をハンナに話し始めた。

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