第24章 蛟(みずち)

「いたたた……」

 地面に転がったハンナは、パンパスグラスの丘に倒れていることに気が付いた。すぐ隣には、のたうち回っている小さな龍がいる。

 顔を上げると、自分を見つめているパトラの悲し気な瞳にハンナは気が付いた。パトラは弱々しくハンナの手を取り、その手を龍の前足に触れさせた。そこには赤い石が光っている。

 ハンナがその赤い石に触れると、小さな龍は閃光を放った後、小さなレオの姿に戻った。

「ねぇ、これ、何て言うゲーム? 僕、負けちゃったの?」

 ハンナは、言葉が出て来なかった。

「ねぇ、僕の負け?」

 パトラが、勝っても負けてもいないよ。と言うと、小さなレオは不思議そうな顔をした。それから辺りを見回して、声をあげた。

「ここ、どこ? パンパスグラスに連れて来てくれたの?」

「ああ、そうだよ。パンパスグラスはすぐそこだ。すまないね、レオ。お前を守る方法が、他になかった」

 力なく立ち上がったパトラは、呪文を呟くと、再びレオを眠らせてしまった。それから、青い光の前まで進むと、ひれ伏して言葉を発した。

「森の精霊よ。精霊たちが、証を受け入れました」

「そのようですね。確かに、相当未熟なようですが、それも一興」

「それでは、今しばらくこの森にいることにしましょう」

「証は、お譲りしました。最期に、この年寄りの願いを一つ聞いてはいただけませんか」

「何でしょう?」

「私の身体は、その役目を終えたがっているようです。この身体は、精霊の力で何とか立ち上がることが出来ていることはご存じでしょう。どうか、私の身体と魂を、精霊の力から解放していただけませんでしょうか。今、私の心は、とても、とても苦しいのです」

「最大級の復讐は、果たし終えたのですか?」

「ある意味、復讐は、たった今、果たされました。それに、このライラを見ていて、気づいたのです。たとえ数百年の命があっても、戦いは無くならず、人々は傷つけ合い。恨みには恨みが、呪いには呪いが返ってくる。私はそれを見続けなければならない。限りがあるからこそ、貴重で、大切だった。失ったものは戻っては来ない。

 この子らを捧げた今、私の役目は終わりました。復讐を果たした時に得られたものは、思っていたものとは違っていました」

「そうですか」

「では、精霊との誓いを終えましょう。けれど、これからも我々の小さな精霊たちを守るものが必要です」

 青い光は、そう言うと、倒れたままのライラを指さした。

「お待ちください、その者は……」

「ここで命尽きるよりは、ましではないですか? それに、あの時のあなたと同じような底知れぬ強い力を感じるのです。おそらく、呪いの力、妬み、欲望、それこそあなたがたが、生きるために最も必要とする力。我々よりも、下等なものである所以……」

「どうか、お待ちください」

 パトラが、この言葉を発したのと、ほぼ同時に青い光からまっすぐな光の糸が再び放たれた。

 倒れていたライラは、うめき声を上げると意識を取り戻した。しばらく突っ伏したまま、頭を右手で抱えていたが、徐々に辛そうな表情で辺りを見回し始めた。

「あなたに、数百年の命と精霊の力を与えましょう。その代わり、我々が望むものを」

 現状を理解したのか、よろめき立ちあがって、ライラは声をあげた。

「あたしに何をしたんだ。そっちの都合のいいようになんか、なるもんか」

「では、今すぐその身体と命を元に戻しましょう」

「待って!」

 ずっとその様子を伺っていたハンナは、突然青い光の前に飛び出し、立ちはだかった。

「ねぇ、さっきから何を言っているの? あなた、本当に精霊なの? どうしてあなたは、そうやって偉そうにしているの? パトラばあ様に何をしたの? どうして、この人をいじめるの? どうして、あなたはそんなことをしているの? この人の命は、この人のもので、他の誰のものでもないわ! この人のことは、全然好きじゃないけど、でも、この人の命は、あなたのものじゃない!」

 青い光は、ゆらゆらと漂っている。黄色い光の妖艶な美女は、柔らかく微笑んだ。

「どうやら、未熟なものの人間臭さは、相当なものですね」

「でもそれも一興。こんな風に言われたことが無いので、なんだか対等の立場のようで、とても面白い」

「子供が口出しすんじゃないよ」

 ライラは、ハンナに向かってそう言ったが、その視線は変わらず青い光を睨みつけている。

「あなたが、今立っていられるのは、私の力のおかげです。それを拒否するならば、ここで、今すぐパンパスグラスの餌となりましょう。私が与える力は、我々を守ろうとする限り続きます。パトラに与えていた力を、パトラから奪って、あなたに差し上げようと言っているのです。悪い話ではないでしょう?」

「その代わりに、あんたらが望むものって何だい?」

「少しは、話を聞くつもりになったようですね。まずは、その下品な言葉遣いを直すこと。それから、ここに埋められているものは、時が来るまで持ち出すことは許しません。あなたが我々に従うというのなら、その時が必ず来ることを約束しましょう。あの国は、あなたが手を出さずとも、いずれ亡びる運命。あなたがすべきことは、精霊とこのロゼの丘を守るためにふさわしい者たちを、必要に応じ、我々に捧げるだけです。

 そうすれば、この森、この村、この国は守られます。あなたのその強い呪いの力は、まさしくかつてのパトラのよう。醜い呪う力や底知れぬ欲望は、あなたの身体に蓄積し続けるでしょう。けれど、それこそあなたが生きる力となるもの。それを無駄にせず、愚かな方向に使う事なく、役に立てることが出来るのです。どうするかは、あなた次第です。あなたの代わりがいない訳でもありませんので」

「代わり? この娘に?」

 ライラが、ハンナを指さした。黄色い光は、微笑んで頭を傾げ、ハンナを見つめた。

「この娘は、すでに我々のしもべとして捧げられました。変わりは別の者です。精霊使いが村にもうひとりいるのです。パトラがとても可愛がっていたと聞きます。けれど残念なことに、あの者には強い心が足りない。この娘の命が危うくなった今なら、あの者にも強い力が生まれているかもしれませんけれどね」

 ライラは、愕然となった。

 あの女は、ユラ神としてだけでなく、この村でも精霊使いとしての地位を継ぐものとなろうとしていたのか。

 今頃ミチコが苦しみ、悔しがっていると想像すると、それがライラには喜びだった。けれど、ミチコの恨みの力が増幅すれば、自分の力をはるかに凌ぐかもしれない。そう思うとライラは焦った。

「あんな女に、精霊使いの力は使いこなせないよ。ここで死んじまうくらいなら、その力をあの女でなく、あたしによこしな。グリーングラスの残したものを持っていけないのは口惜しいが。時を待つだけでいいってんなら、条件を飲むよ。別にこの村を守りたいってわけじゃないが、何すればいいか教えてくれれば、何でもするさ」

 それを聞くと、青い光はパトラに向き直った。

「パトラよ。我々は、この者と誓約を結びます。あなたの願いは聞き届けましょう。

 以前にあなたが願っていたとおり、自宅のベッドで安らかに眠れるよう、少しの時間を差し上げましょう。ルーク、あとは頼みましたよ」

 言い終えると、青い光はハンナの方へと近づいてきた。

「未熟なあなたとみずちが、どう育ってゆくかを楽しみにしています。ひとつ言っておきますが、あなたはもう、以前のあなたではありません。みずちの教育を頼みましたよ。私のしもべよ」

 二つの光とライラは、ゆらゆらとその場から消えていった。

 みずち

 聞いたことのない言葉と、しもべと呼ばれたことにハンナは戸惑った。パトラは、突然その場にうずくまり倒れた。その呼吸は少しずつ微かな呼吸に変わる。

 許しておくれと、誰に言うともなく囁き、パトラはゆっくりと目を閉じて、そのまま動かなくなった。ルークが表情を失った顔でジャックの胸に輝く赤い石に降れると、閃光の中から現れたペガサスは、ピンク色のグラデーションの羽根を広げて後ろ足で立ちあがり、ひときわ大きな声でいなないた。

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