第22章 赤い石
空を飛ぶペガサスは、大人を三人乗せても全く平気な様子だったのだが、しばらく空を滑空しパンパスグラスの丘の手前に降り立つと、大きく嘶きはじめた。
「ごめん、俺、馬語、分かんね~。ところでパトラばあ様、今度は一体何ごとです?」
経験者ルークが、げっそりした顔になったパトラに声をかけている。ペガサスから降りて地面に足をつけたライラは、驚いた表情のままでペガサスを見つめていたが、嘶き続けるペガサスに近寄ると、その頭にかけられたネックレスの中央の赤い石に触れようと手を伸ばした。
「うわ、ちょっと、勝手に僕の守り人に触れないで!」
「あ、でも、あの、早く石に触れろと……」
嘶き続けていたペガサスは、経験者ルークと共にその動きを止めた。
「パトラばあ様、このご婦人は、精霊使いですね」
「そうとも言うが、もっとたちが悪い」
「たちが悪いって、どういう意味?」
ライラは、眉を吊り上げた。
「言葉通りの意味さ」
「敵、という事であれば、ここで裁きます」
ルークが、背負っている刀剣の柄に手をかけると、ライラは咄嗟に小さなレオを抱えたまま後ろへ数歩下がり、胸に付けたペンダントを強く握った。ハンナの目の前は突然真っ暗になった。
「お待ち、ルーク。この女が抱えているのは、見ての通りグリーングラスの人質だ。切り札は、最後まで置いておくもんだろ? それに、この女が手の中に握っているあのガラス玉の中にも、グリーングラスの少女がいる」
そう言われ、ルークは刀剣の柄から手を離した。しばらくすると、ハンナの視界がまた開け、明るくなった。
「どうされるおつもりですか? 話によっては、従うことは出来ません。我々は、もう、あなたではなく、精霊の使いなのですから」
「ライラ、このふたりに話をつけなさい。あたしの仕事はここまでだ」
パトラはそう言うと倒れ込んだ。ペガサスが大きく嘶く。経験者ルークがペガサスの頭の石に触れると、ペガサスは守り人ジャックに姿を変えた。
呆気にとられているライラに突進したルークが、ライラから眠ったままの小さなレオを奪い取る。ジャックが素早くパトラを抱えると、ライラとルークとが睨み合う形になった。
「あなたの望みは何です? ここは精霊の領域です。無礼は許しません」
ルークの強い語気に気おされ、ライラは少し上ずった声で叫んだ。
「その子を返しな! さもないと」
「さもないと?」
「このガラス玉を握りつぶすまでさ」
「その子は、人質なのでは? 切り札は、最後まで置いておくものですよ。さっきの話を聞いていましたか? どうやら、知恵のないお方のようだ」
知恵が無いと言われ、学力コンプレックスの塊だったライラは頭に血が上った。
「うるさいっ! 早く、その子を返せ!」
「だから、何が望みかと聞いているのです。あなたは、理解していないかもしれませんが、ここは全方位が精霊の領域です。私の呼びかけで、あなたを消し去ることなどは、いとも簡単です。パトラばあ様の頼みで無ければ、とっくにパンパスグラスの餌にしていました」
パンパスグラスの餌?
ハンナは聞き間違いかと思い、ガラスの外側に耳を密着させ、限界まで耳を立上げた。しばらくの沈黙の後、ライラは睨みあう姿勢のまま声を発した。
「ユラ神様が予言をした。ここに触れてはならないものが埋まっている、グリーングラスはそれに触れて自滅すると」
「ユラ神。下級の能力者ですね。それを見たと?」
「下級だって? あんた、言葉を慎みな!」
「あなたは、本当に、知恵がない。自分の世界しか知らない。怒りと恨みに囚われ、広い世界に出て来ていても、狭い枠から出ることを知らない。
いいですか、精霊の世界では、ユラ神は、我らのしもべ。我らの言葉を伝えることのできる、単なるメッセンジャーです。どうやら、あなたはユラ神ではないようだ。ユラ神ならは、我らのしもべであることは自覚しているはずですからね。我らにとってユラ神は、下級能力者です。
あなたがたは、いつも自分たちの方が上だと思っている。我々を従わせている、精霊を操っていると勘違いしている方が多すぎる。実際は、その逆ですよ。
だから、その無駄な戦闘意識をこちらに向けず、解りやすく説明を。この百年間、我らを守り続けたパトラに免じて、あなたの望みを聞かなくもない」
ライラは、悔しそうな表情をして、経験者ルークを睨みつけている。ハンナは、ユラ神様が、下級と言われたことにショックを受け、漠然とした不安が胸に渦巻き始めるのを感じた。
この《経験者》ルークは、能力者だとは聞いていたけれど、それ以上のものなのだろうか。
「その子を、その隠されたものの場所に連れて行け」
「やれやれ、とても人にものをお願いする言い方とは思えませんね。でもなぜ?」
「予言を信じるからだ」
「この子を、そこへ連れて行けば、グリーングラスが亡びるとでも?」
「ああ、そうだ。それに、その子自身が行きたがっている」
「この子が?」
「ああ」
「誰が、この子をそそのかしたのでしょう? そんな嘘を。自殺行為ですよ」
「知らないね。とにかくその子がそう話していた」
ルークは、話の真偽を見定めようと、ライラを見つめ続けているようだ。ジャックは、パトラの頭を膝に乗せて涙を浮かべている。ハンナは、動かなくなったパトラが気になって仕方なかったのだが、パトラがわずかに目を開けて話を聞いている様子に気が付いた。
「よろしい。では、この子をその場所へ連れて行きましょう。但し、何が起こっても我々は責任を持ちませんよ」
「どういうこと?」
「それは、グリーングラスに聞くべきではないでしょうか。私たちにではなく。我々は、勝手に置き去りにされた荷物をお預かりしているだけです」
そう言うと、経験者ルークは嫌味っぽい笑みを見せた。
「そういう回りくどい言い方、あとどれくらいしたら抜けるかしらね、ルーク」
どこからか声がした。森の奥が、明るく青色に光っているのがハンナの目に映った。光の塊がゆっくりとこちらへ近づいて来る。経験者ルークは、担いでいたレオを静かに地面に横たえさせると、深く頭を下げ、片膝を立てた姿勢でひれ伏した。
「まぁ、まだ二年目ですからね。威張ってみたいお年頃っていうか、何て言うか。普段、守り人ジャックに話す時は、あんな風に上品かつ偉そうに話してはいませんからね。あんな精霊っぽく話そうとするとか。《経験者》なりたてあるあるですよ」
光から少し離れたところには大きな牡鹿がいた。牡鹿がゆったりと話をしている。おそらく、この場にいるレオ以外の皆が、その言葉が理解できているはずだ。端正な顔立ちのルークは、横を向いて真っ赤な顔をしている。涙を浮かべていたジャックも、少し笑顔になった。
「そうです。僕いつも、馬とか、てめぇとかって言われてて……」
「おい、ジャック、お前……」
青色の光は、二階建ての建物よりも大きかったのだが、ライラの前に近寄りながら徐々に姿を変え始めた。光が強すぎてよくは見えないが、ライラと同じくらいの背丈になると、その姿は、そのまま動かなくなった。青い光は、牡鹿に向かって話しかけた。
「そう言えば、あなたもそんな感じだったわ。あの最悪な時期、思い出しちゃった」
「うわ、余計なこと言うんじゃなかった」
牡鹿は、二本の後ろ足で立ち上がったかと思うと、身体に沿った美しいドレスをまとった姿に変わった。大きなウエーブのかかった長い髪が、光り輝いている。ふたりが並んで立つと、青の光は、黄色の光に影になり、光が混ざり合った。影は一つだが、二種類の声が聞こえている。
「あなたが、あの箱をその子に渡したい理由はなんでしょう」
目を大きく見開いていたライラに向かって、大きな光の塊が尋ねた。ライラは、言葉が出ない様子だ。
「訳も無く、そんなことをするとは思えないので、聞いてみたのですが。どうやら、大した理由もなさそうですね、ルーク」
光が、揺らぎ、消えようとした時、はっとした表情になったライラはようやく言葉を発した。
「あの国を、滅ぼしたいんだ!」
消えかけていた光は、また元の大きさに戻り、黄色の光と青の影になった。ふたたびふたつの声が重なるように響く。
「滅ぼしたい?」
「どうしてでしょう」
「あの国が、私の国を滅ぼしたからだ!」
「それで?」
「滅ぼせば、どうなるのでしょう」
「それは、分からない。でも、恨みを晴らせる」
「それで?」
「恨みを晴らせば、どうなるのでしょう」
「さ、さあ、それは、やってみないと分からない」
「それで?」
「やってみなければわからないことを、とりあえずやってみて、どうなるのでしょう」
「わ、わからないさ。とにかく、あたしはすっきりするんだ!」
「それで?」
「すっきりした後は、どうなるのでしょう」
ライラの顔は、みるみる真っ赤になった。
「何なんだよ、あんたたち。先のことなんかわかりはしないさ。とにかくこれまでの恨みを晴らしたいんだよ!」
「それで?」
「あなたに滅ぼされる国の人々とは、お知合いですか?」
「え? そ、そんなことあるわけない!」
「全然ご存じ無い人ばかりを、消す意味は?」
「同じことを人間同士で何年もやり続けるのは結構ですが、これ以上こちらの領域を犯すのは許しません」
「とにかく、あいつらが消えれば満足なんだ!」
ライラが、そう言うと、青と黄色の光は、質問を変えた。
「あなたが、消したいのは、本当にグリーングラスでしょうか?」
「本当の望みを聞いているのですよ?」
ライラの顔は、醜く崩れてゆく。
「これまで、恨みを持ち続けた相手は、グリーングラスの見知らぬ人たちでしょうか」
「本当にそうでしょうか」
「そうさ。だから、必死で耐えてきた、その恨みを晴らすんだよ!」
「それで? その先は?」
「どうなるでしょう」
「うるさい、うるさいっ!」
「うるさい?」
「うるさいのは、あなたの方ですよ」
「あんたら、グリーングラスの肩を持つのか?」
「私たちは、あなた達、下級の者たちの、どの未来にも興味はありません」
「どれほど、あなたたちの数が減ろうと、増えようと、全く興味はありません」
「と、とにかくそれが、あたしの一番の望みなんだ。そのために生きてきたんだ」
「あなたの一番の望みは、それではないと思うのですけれど?」
「認めて欲しいというあなたの叫びが、ずっと聞こえているのですけれど」
「認めてもらいたかったのですね。下級のしもべとして」
「認めてもらいたかったのですね。自分には力があると」
ライラは、引きつった顔で言葉が出ない様子だ。
「けれど、その願いを叶えるために、私たちの未来を脅かすのであれば、話は別です」
「過去も、今も、変わらず、恨みを持ち続けられる力は感服します。素晴らしい呪いの力です。けれど、残念なことに、その先のことを考えていない。知恵もない」
「先のこと……」
「それはなぜなら、恨みを晴らすことだけが生きる目的そのものだから。それを果たして目的を失った時、あなたにはもう目的はない」
「つまり、それから先は、あなたには必要ないのですね」
ライラの脳裏に、ふと、パンを焼く自分の姿が浮かんだ。コーヒーを淹れ、カフェオレを楽しむ。そんなつまらないことが、ライラの頭に浮かんだたったひとつの事だった。
「では、あなたの願いと引き換えに、我々が必要としている物をいただけますか」
「その結果が、どのようなものであれ、受け入れますね」
ライラは、即答が出来なかった。その少し離れた位置でいつの間にか立ち上がっていたパトラが、ルークと同じようにひれ伏して言葉を発した。
「森の神よ。どうか、我々の無礼をお許しください。どうか、この国から立ち去られることの無きように。私たちは、これまで以上に、ここを守り続けるでしょう」
「この者の願いを聞き届け、我々との誓約を破ったのは、あなたです。パトラ」
「それに、この村を、森を守っているのは、あなた達でなく、我々です。パトラ」
「考え違いをお許しください。私は、この者をここへ導きました。どのようなお叱りも受け入れましょう。ただ、この場所に埋められたものを、埋めた国へ返すだけで、他には何も望んでおりません」
揺らぐふたつの光は、ひとつになった。
「良いのですね? 他に何も望まないと? では、その証を。我々のもとへ」
「証?」
パトラは引きつった顔をしている。ライラは、その会話を様子を伺うように聞いているようだ。
「パトラよ。新たな《経験者》と《守り人》を我らに。お前は分かっているのでしょう。この森をこれからも守るために必要な二人を」
「けれど、まだこの子たちは……」
「七つの石など、あなたが時間稼ぎをするための、ただのまやかし。というよりも、子供たちを守るための、小さな精霊たちとのちょっとした条件付き誓約。そんなことは、我々にはとっくに分かっています。
未熟なままでも我々に不都合はありません。むしろ、未熟なものが、どのように精霊たちと関わってゆくのか、そちらの方に興味があります。今だって、そのジャックという守り人は、どうにも未熟ですか、十分我々の役に立っています」
そう言うと、青の光はライラのペンダントに向け、鋭い光の糸を発した。青い光の糸は、一直線の光となってライラの胸を貫いた。ライラは苦しそうに胸を押さえて倒れると、ピクリとも動かなくなった。
ペンダントの中にいたハンナは、突然の出来事に目を閉じることもできず、目の前が光の残像で真っ白になっていた。ガラス玉の端から亀裂が広がると、音を立てて砕け散った。ハンナの身体は、ガラス玉から放り出されると、見る間にもとの大きさに戻り、レオが眠る地面の横へ投げ出された。小さなレオは、意識を失ったまま眠るように穏やかな顔をしている。
「さあ、パトラ」
青い光に促され、パトラは、ゆっくりと立ち上がり、ハンナの元までやって来た。目に涙をいっぱいためて、ハンナのところまで来ると、ハンナの頬を優しくなでた。
「パトラばあ様、大丈夫?」
心配して問いかけるハンナに頷きながら、パトラはハンナの手を取った。許しておくれと小さくパトラが囁いたように聞こえた後、パトラはレオとハンナの手を取り呪文を唱え始めた。
ルークとジャックは、少し悲し気な顔つきで横を向いている。
パンパスグラスの精霊たちよ。
我らの証、この者たちを捧げましょう。
この者、ハンナを《経験者》たらしめる力があり、
この者、レオを《守り人》たらしめる力があり、
捧げるにふさわしき我らが証であれるならば、
精霊たちの光と力をこの者たちに与え給え。
パトラの祈りの言葉と共に、ハンナの右手の指輪の中央に赤い石が光り輝き、強烈な閃光に辺りは包まれた。レオの指輪には、一斉に七色の石が輝いたかと思うと、すぐに粉々に砕け散り、中央の赤い石だけが残った。焼けるような衝撃が全身を貫くと、ハンナの目の前は再び真っ白になった。まるで巨大なスクリーンの中にいるようだ。
そうして、そのスクリーンに映像が現れ、少しずつ色を付け始めた。
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