第3章 末裔(まつえい)たち

《ユラ神様、いえ、お母様へ。

 長い間、連絡が取れなかったことを、まずはお詫びいたします。

 お母様のことですから、私が今何をしているかなど全てお見通しなのだろうかとは思います。けれど、どうしても一言、外からは見ることのできない、私の内なる心を伝えたくて、この手紙と、お菓子を、精霊たちに託しました。今お母様が、この手紙を読んでいるという事は、無事にこの手紙がお手元に届いたという事かと思います。

 五年前、私は、お母様の言いつけに従い、閉ざされた山での厳しい修行に耐え、いくつかの能力を授けられました。けれど、山の冬は、ウエストエンドではあり得ないような気候で、秋が終わるのは想像以上に早く、そんなことを知らなかった私は、満足な食糧の貯えもないまま、この世界から消え去る寸前の状態までになりました。その時、私は、お母様のことを初めて恨みました。こんなところへ、ろくな知識も与えられずに送られたのは、いつまでもユラ神として覚醒しない私を捨てるためだったのではないか、私をこの世界から消すつもりだったのかと絶望し、その恨みと悲しみの力は生きる力を奪っていきました。精霊と虫たちと山の動物たちだけと生きる日々、楽しいという記憶もなく生きた日々、私はずっとそれが《普通》のことと考えていました。ある人に出会うまでは。

 命尽きる寸前、私はひとりの人に助けられました。目覚めた時、私は、異国の地にいました。言葉も通じず、知っている人もいないという環境は同じでしたが、助けてくれた人は、言葉も通じないまま、懸命に私の手当てをしてくれ、私の身体が癒えるまで介抱してくれました。後になって知ったのですが、その人は、グリーングラス王家から最も遠い血縁の者でした。彼に言葉を習い、彼の行動を見て、私は少しずつ心を取り戻していきました。恨む心や、自分を卑下する心ではなく、人を敬い愛する心を、です。

 一年ほどが過ぎ、言葉が分かるようになると、彼は遠い異国の話を幾つも私にしてくれ、何度もウエストエンドまで行ったことがあるとも言いました。私は、嬉しくなって、自分がそこから来たと話すと、彼は大層驚き、『ウエストエンドは、数年前に消えてなくなってしまった。君がそこから来たという話は、この国では決してしてはいけない』と言うのです。

 私は愕然としました。山で眠っていた間に、この国で言葉を学んでいた間に、祖国が消えてしまった。自分がユラ神になることが叶わなかったせいで祖国が滅ぼされてしまったのだと、随分と自分を責め続けました。お母様の予言通りに、もう東の果ての国イーストエンドから《呪われた子》が、やって来てしまったのだと。

 泣き悲しむ私を、彼は日々、言葉の代わりに笑顔と行動で励まし続けてくれました。彼の家族は、皆温かく、優しく、物質的にも精神的にも豊かでした。王家の人々は、ウエストエンドの王とは違って、身分の隔てなどなく、すべての人に平等に接する人たちで、彼の家族だけでなく、グリーングラスの国民皆が、豊かで、笑顔に溢れていました。物質的な豊かさが、精神的な豊かさを生むのかもしれません。

 慎ましやかに生きることを悪いと言っているのではありません。ただ、いろいろな考え方があるのだという事を、私は異国の地で教わりました。お母様を恨む私を諭し、私の怒りの心を溶かしていってくれたのは彼でした。異国の地で初めての友人ができ、スミレのお菓子の作り方を学び、そのお菓子を販売して得たお金で必要なものを買う。そんな日々が私には想像できないほど幸せでした。ウエストエンドにいた頃、国のお金と、お供えで慎ましやかに暮らし、生活を保障され、人々から敬われていた日々は、私には遠い過去のものになりました。自分の力で生きていくことの喜びを知ったのです。そして私は、ユラ神になることを完全に諦めました。今更、ユラ神になれたところで、守るべき国は私のせいでなくなったのだからと、一生を懺悔する気持ちで生きようと思っておりました。

 私と彼は愛し合うようになり、天から一人娘を授かりました。そうして私は、ようやく、お母様の心というものが少し分かった気がしたのです。何故あれほど私に厳しかったのかも。

 私の娘は、彼と同じ容姿を持つ、まぎれもないグリーングラスの血を受け継ぐ者でした。その一方で、虫たちと会話することのできる私たちの能力も持ち合わせていました。赤ん坊でありながら、様々な虫たちと楽しそうに遊ぶ娘の様子を見た人々は、気味が悪い、虫の生まれ変わり、汚れた血だ、魔女の化身かもしれないと噂をし始め、友人たちも、異国から来た私の血のせいではと恐れだし離れていきました。私たちの国で当たり前だったことは、この国では忌み嫌うべきことでした。

 人と違うことを指さされ、それがなぜ悪いのかなど分かるはずのない我が子を守ろうとするたび、ユラ神の子として、周りから距離を置かれていた私を懸命に守ってくれていたお母様の気持ちを想い、心が痛みました。

 そして、私は知ってしまいました。そうです。お母様のように、未来の映像を見たのです。

『妖術使いと繋がる王家の血筋の子供、魔女の子が、母親と共に現国王を呪い殺した』と人々が言っている映像を見てしまったのです。夢ではなく、目の前に映像が広がる経験をしたのです。私はこのグリーングラスの地で覚醒してしまったのかもしれません。これがもし、お母様が見ていたのと同じ《予言》であるならば、近い将来、この国の王は何らかの手段で殺害されることになるのかもしれないのです。

 そしてもうひとつ、私が逃げるように娘を抱えて砂利道を走る映像もまた、続いて目にしたのです。その場所はウエストエンド近くの村外れでした。この時から私は、ウエストエンドは亡びたのではなく、お母様の術で消されているのではないか。一刻も早くお母様に会わねばならないのだと思うようになりました。それが私たち家族とグリーングラスを守る鍵になる気がしてならないのです。

 詳しいことは書けませんが、私は今、ウエストエンド国境の村に滞在しています。夫は明日にはここへ来ると約束してくれています。村の映像は、私が予言の映像で見た通りでしたが、私が歩いたあの砂利道がどこにあるのかまだ分からず、毎日子供を抱いて国境の村沿いを歩き続けています。この手紙がお母様の元へ届き、もしも許して下さるのならば、私たちを受け入れてはくれないでしょうか。どうすれば、そこへたどり着けるのか、どうか教えて欲しいのです。

 ユラ神になることを放棄した私を、ユラ神を待つ人々が、決して許さないであろうことは分かっています。お母様も、私が俗世間に染まってしまったと嘆くかもしれません。

 私は、ただ自分の過ちを詫びたいのです。ウエストエンドは決して滅びたりなどしないと人々に伝えたいのです。何故なら、私は、ユラ神としてすでに覚醒しているかもしれないからです。どうか、信じて欲しいのです。どんな国の人々も、悪い人々ばかりではありません。少しの偏見はあるかもしれませんし、どこの国にもあるようないくつかの勢力は存在するかもしれません。が、私が今こうして覚醒し、そして生きているということは、必ず何か意味があるはずです。

 私が未来を見ることができる日は限られています。覚醒したにもかかわらず、お母様のような千里眼は得られていません。どうすれば、思いのままに未来が見られるようになるのか、今起こっている事柄を遠くから確認できるようになるのか、分からないことだらけで、お母様に教えていただきたいことが山ほどあるのです。

 思うまま書き、まとまりのない文章をお許しください。私の願いは、ひとつです。どの国民も、国の境など関係なく助け合い、皆が幸せに暮らすこと。それだけです。

 このライラックの聖水は、お母様に作り方を教わっていたものです。精霊たちが気にいらないと、手紙は相手には届かず消えてしまうと、お母様はおっしゃっていましたね。実は何度も作り直しています。今度こそ、この手紙が無事にお母様の元に届き、この子を抱いていただける日が来ると、私は信じています。

                    愛をこめて ミチコ・フレデリック・ルベウス》


 ユラ神は、無限に広がり収束する幾つもの次元からメッセージを受け取り伝える受容体(レセプター)、あるいはメッセンジャーのようなものだ。自分で都合のいいように世界を変えるようなことなど出来ない。それができるものこそ神と呼ぶべきものだろう。サラは自分がいかに非力かを思わない日は無かった。拭えない怒りと後悔とが入り混じり、サラの心に広がってゆく。

 何故、私は選ばれてしまったのだ。なぜ何もできないのに、未来を見せられるのだ。あの子は産まれてしまった。そして、ここへやって来る。どんなに手を尽くしたとしても、運命には抗えない。やはりあの時、娘を山の雪の中で消すように、精霊に願いを請うべきだったのだ。

 私は最後まで、国の未来より自分の娘の命を選んでしまった。これは国を裏切る大罪だ。もう取り返しはつかない。愚かで可哀そうなわか娘は、グリーングラスこそが《東の果ての国イーストエンド》だという事も、自分の子供こそが《呪われた子供》であるという事も、そして、もはやこの国にユラ神が必要とされていないことさえも解っていないのだ。平和ボケした国で、あり得もしない平和を夢見て幸せに溺れている。

 サラは、怒りを鎮めようとキャンドルに火を灯し、その光を見つめた。そして、掌で握りつぶしていた三枚の便箋をキャンドルの灯に近づけると、ライラックの香りの便箋はキャンドルの炎と共に青く煌めく粉となってすっと消えていった。そうしてからサラは、引き出しから真新しい便箋を取り出し、呪文を唱え始め、そこに再びライラックの聖水を振りかけた。便箋の上には、あっという間に短い文字が一行だけ描かれ、そして消えていった。

「ライラ、ちょっとお願いがあるのだけれど」

 サラが書斎から呼びかけると、勢いよくライラが笑顔で部屋にやって来た。

「はい。何でしょう」

「これを、精霊の森に置いて来ておくれ」

 差し出された何も書かれていない便箋を手にしたライラの顔は、何かを理解したという表情に変わった。ライラックの香りが、少し開いたドアの隙間から部屋の外に流れ出る。

「えっ……あ……でも」

「封筒は、精霊たちが準備してくれるわ。できるだけ人目につかない時間帯にね」

 サラの様子が普通でないことを察知したライラの表情が、笑顔から不安と絶望の表情に変わっていく。サラは追い払うようにライラを部屋から追い出すと、部屋中の窓とカーテンを閉めて、キャンドルに再び火をつけ深い祈りの儀式に入った。

 私は、自分の血を引く孫を、この手で消すことなどできるのだろうか……。

 サラは首を左右に振り、両手で頭を抱えた。玄関ドアがゆっくりと開き、閉じる音が室内に響く。さっきまでの騒々しい足音は聞こえなくなり、重い音が一定間隔で響き、ドアの外へと消えて小さくなっていった。その音を耳で追っていたサラは、小さくなっていく音とは別の、もうひとつの音が響き始めるのを感じ始めた。

 ゆっくりと、ニ次元映像が浮かび上がり、目の前にスクリーンが大きく広がってゆく。まるで映画を見ているようだ。それは現実のようでもあり、夢のようにも見える。

 空に浮かぶ新月、結界の向こう側でこちらの世界を見つめながら道の脇に潜む数人の武装した者たち、その潜む者たちが身に着けている深い緑色の軍服にサラは見覚えがあった。結界が解かれた隙をつき、ウエストエンド王国へなだれ込んで来る緑色の軍服を着た者たちと、それと反対に子供を胸に抱き国外へ必死に走り去る娘、城の中で逃げることもせずただ怯える王、石に囲まれた狭い場所で、小さな窓から月を見上げている自分自身……そこから先の映像は、目の前が徐々に暗くなっていき見えなくなった。

 それが自らの最期の時の映像だということが、サラには直感的に判った。

 最期は静かな場所でひとりきりだった。幸いだ。どうやら見たこともない場所で一生を終えるようだ。

 サラは長い息を吐いた。けれど、どんな映像が見えても、サラには、悩んだり、落ち込んだりしている暇などなかった。

 その時までに、しなければならないことが、私にはある。

 サラは全身にまとわりつき始めた影を振り払うように立ち上がった。

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