第657話 獣神ガルム ※シア視点

 ピラミッド構造で各辺1キロメートル以上あるため、建物の端から端まで視界に収めることはできない。

 シアは持ち前の度胸でズイズイと足を運んでいく。


「む、誰かおられるな」


 進む先に神殿内へ入る大きな門があるのだが、入り口を塞ぐように、2体の獣が2足歩行で立ち上がり、こちらを睨みつけている。


 顔面は虎と豹をしている。


 魔獣でも霊獣でも精霊でもないことは何となくシアは分かった。

 獣神ギランほどではないが、何となく神々しさを感じる。

 聖獣も幻獣も見てきたシアの、目の前の2体は亜神級の獣神のようだ。


 ソフィーから、亜神級の精霊である、精霊王の2体が大精霊神イースレイの神殿を守っていたと聞いたことを思い出す。


『そこで止まれ。シアとルバンカだな』

『そこで止まれ。シアとルバンカだな』


 2足歩行で体型が逆三角形の虎と豹の獣神がそこで止まれと言う。


「そうです」


『そうだ』


 ルバンカもとりあえず返事をする。

 人を敬い敬語を話すことの少ないシアも丁寧な口調をとりあえず試みる。

 2体のうち1体の亜神級の獣神に見覚えがあった。


『シアよ、お前のことはギラン様に聞いている。よくぞ、ギラン様の試練を超えた。流石は虎の獣人といったところか』


 見覚えのある獣神から声をかけてもらった。


「恐縮です。もしや、ライガ様でいらっしゃいますか?」


『そのとおりだ。流石はバリオウの系譜よ。我ら、ライガとクウガはガルム様の神殿を守る番人よ』


 シアは「バリオウ」の言葉に目尻がピクリと動くが表情に出さないように努める。

 ライガがぐいぐいとシアに話しかけてくるので、たまらず豹面のクウガが声を上げる。


『おい、何を親しそうに話をしている。バリオウ獣王国は今は関係なきこと。我らの立場に私情を挟むではない』


『分かっている。それで、ルバンカよ。どの面下げてここに来た。この恥さらしめ』


『まったくだ。ガルム様の恩情で聖獣になれたものを、みすみすそのような形で終わらせるとは……』


 獣神ガルムの神殿を守る2体の亜神級の獣神がルバンカに睨みつける。


『……どうやら呼ばれていないようだ。シア殿よ、我は帰るとしよう。ん? 待て、我はそのような話をしに来たのではない。いい加減にせよ。我は交渉などせぬぞ』


 自らの命を含めて何にも固執しないルバンカは、あっさりと身を引こうとする。


「どうしたのだ?」


『ふむ、アレン殿が交渉してでもお前も入れと言っている』


 ルバンカは首を振っていった。

 どうやら、シアだけが神殿に入らないよう、目の前の2体の獣神に交渉をアレンが共有越しに持ちかけているようだ。

 未だにルバンカは完全な協力関係にないのか、鼻で笑い、アレンの案を断っている。


『何をごちゃごちゃ言っている』


『俺らを相手に随分余裕だな』


『気を悪くさせて申し訳ない。我は退散しよう。シア殿をお任せする』


『おい、いい加減自分の立場が分かっていないようだな』


『何を勝手なことを言っている。貴様がどうするかは俺らが決めること』


 2体の体からゆっくりと神力が漏れ始め、堅気(かたぎ)の世界では考えられないような威圧をしてくる。


『ふむ……』


 ルバンカは2体の獣神を睨むこともなく正面から見つめ、用があるなら言えば良いと胸を張っている。

 へり下ることもなく、それでいて尊大でもない、ありのままの態度だ。


 シアはさすがに何か言うべきかと思ったところで、門の奥から声が聞こえる。


『ライガとクウガよ。良いのだ。ルバンカには儂も用がある。このまま通すのじゃ』


『が、ガルム様!?』


 扉の奥からしわがれた声が聞こえてきたため、2体の門番はビシッと気を付けの姿勢に変わった。


「……ガルム」


 獣王家に身を置いていたシアもはっきりと自らの心で聞いたことのある声だ。


 2体の門番がお互いの視線を合わせ頷いたかと思うと、シアたちに背中を見せ両手で重厚な扉を左右それぞれが押し始める。


 ゴゴゴゴゴツ


 大きく開いた扉の奥から突風が吹いたかと思うと、どこまでも道が続いている。


『ゆけ。ガルム様がお待ちだ』

『無事にこの扉から出て行けるとは思わぬことだな』


 覚悟することを伝えたいのだろうが、随分な脅迫になっている。


「……うむ」


 小さく頷くとシアはルバンカと共に、奥へ奥へと入っていく。

 シアが足を踏み入れると、どれだけ扉を開けた者がいないのか、換気をしていなかったためか、古く生臭い空気が鼻を抜けていく。


 シアが嗅覚で最初に古臭い空気だなと思ったあと視覚であることに気付いた。

 この道は果てしなく続いているのだが、灯りの類は何もない。

 どうも壁自体が発光しており、シアたちを優しく照らしている。


 そういえば、日のカケラを見つけた神殿もピラミッド構造で壁自体が光っていたとアレンから聞いたことを思い出す。

 ガルムから報酬を手にしようと思っていたが、月のカケラはもしかして、随分近くにあるのかもしれないなと随分古くなった壁に触れて思う。


 しばらく歩いていると、大広間へと通路は繋がっていたようだ。

 天井も通路に比べてかなり高く100メートルは優に超えている。


 ここは巨大な階層構造の1階部分のようだ。

 つい最近まで、大地の迷宮を必死に攻略していたからか、奥に見える上に上がる階段から、ここは複層構造の1階部分と分かる。


 数百メートルの巨大な広間の中央には1体の老人が胡坐をかいていた。


『もう少し、こっちにくるのじゃ』


 随分遠くで皺の深い口元から呟いたのだが、


『ガルム様……』


 獣神ガルムがそこにいた。

 シアとルバンカの意識の全てが目の前の身長120センチメートルほどのしわがれた猿の老人に向けられる。

 アレンの前世で猿の種類はいくつもあるが、ルバンカの視界に映るのは「チンパンジー」が一番近いだろう。

 さらに言うと共有した視界によって「猿の惑星かな」と心の中で思っていそうだ。


 ガルレシア大陸には様々な人種の種族がいる。

 3億人を超える獣人、鳥人や竜人も数千万人存在する。

 さらに、数百万人しかいない種族も合わせると4億人を超える亜人種の種族たちが暮らしている。


 彼らは様々な神や聖獣などを信仰しているが、最も偉大な1柱は何かと聞かれたら獣神ガルムと答えるだろう。


 圧政から救われた獣人は心のよりどころにしてきた。


 獣王が率先して、獣神ガルムを最上位の神として祀ってきたため、獣人からの信仰はとても深い。


『よくぞ、きたの。アルバハル獣王国のシア、そして、聖獣のルバンカよ』


「……参りました」


『申し訳ありません』


 シアもルバンカも言葉が見つからなかった。

 1人と1体は、獣王位の継承権を放棄し、聖獣であることを止めている。


『放棄してまで手にしたいものがあるのじゃな』


「そのとおりでございます」


『何を得るのか……。その前にルバンカよ。お前を招いたのは礼を言うためじゃ。ほかにもあるがの』


『礼ですか?』


 ルバンカは太くて曲がらない首をかしげて、ガルムに聞き返してしまう。


『エルメアに頼まれておっての。召喚獣にしたいから、誰か活きの良い者がいないかと。どうも、エルメアはアレンとか言うたかの。あの黒髪の青年を気にかけていると見える。儂も少しは気にかけてもらいたいものじゃのう』


『……それで我を』


『まあ、選択したのは紛れもないお主じゃ。止めなかったのは儂じゃがの』


 ガルムはニヤリと頬の皺を深くして笑うが、その目は決して笑っていない。

 シアはガルムの中の深淵よりも深い闇を見て背筋がざわつく。


『この選択に後悔はありませぬ。それに聖獣にしていただいた感謝も忘れておりませぬ』


 獣神ガルムにも都合が良かったようだ。

 しかし、ルバンカは自らの選択は常に自らの心に問いかけ決めており、自らの選択に一切の後悔はないと言う。


『まあ良いのじゃ。それで、シアよ。おぬしらが儂に何を望むのじゃ』


「魔王を倒し、余は獣人の帝国を作りたいです」


 シアが真っ先に答えた。

 答えは短文で即答したのは、すでに問われると想定していたからだ。


『ほう、アルバハル家の獣王位の継承権を捨てようとしたが、統治する夢は捨てきれぬと?』


「あらゆる獣王国をまとめ上げ、1つの獣王国家を私は実現して見せる。何卒、私に相応の試練を与えていただきたい」


『ふむ、神技、加護、そして神器か。上位神たる儂の力の全てを欲するか』


 細い目をゆっくりと開き、絶望する程の漆黒の瞳でシアを見つめた。

 明らかにこの空間の空気が変わったことに、シアは頬に一筋の汗を流す。

 言動の1つ1つがガルムとの対話となっており、誤った行動をすれば、その瞬間、自らの未来が絶たれそうだ。


 だが、シアは自らの意志で押し返すように、獣神ガルムの視線を見つめ返した。


「どのような試練も超えてみせます」


『……覚悟も知らぬ小僧か。それとも……ふうむ』


 覗き込んでいた瞳を閉じてしまった。

 試練を督促してしまったことがまずかったのか、シアは頭の中で最善の行動は何だったのか考える。


「あ、あの……」


『黙るのじゃ』


「申し訳ありません」


 黙れと言われてシアは黙った。

 何かこの状況に既視感があった。


 そういえば、よく分からない待ち時間とか、待機時間というのは、獣王家として生きている上でとても多かった。


 そこから何か幼少期の頃、正座をさせられていたことを思い出し、目尻が思わずピクついてしまう。


『何か思いだしたかの? 本心でしかこの神殿では語ってならぬのじゃが』


「偽り……。余は偽ったことなどありませぬ」


『そうかの。まるで言い聞かせておったから聞いただけじゃ。自らの立場が随分ふわついておったからのぅ。じゃが、もう少し待ってもらおうぞ』


「待つとは……」


 獣神ガルムの言う「待て」という言葉の意味がよく分からない。


 何をいつまで待つのか。

 何故待たないといけないのか。


 シアとルバンカはお互いに視線を合わせることもなく、しばらく待つことにした。


 5分、10分、30分とただただ時間だけが過ぎていく。


 シアが、アレンたちは大地の迷宮に挑戦しているころかと考えているころ、ガルムがようやく口を開く。


『ぬ? 丁度よいタイミングになるよう調整したようだが……おい! ライ

ガ! クウガ!!』


『は!!』


 2体の門番がガルムに呼ばれ、凄い勢いで広間に駆けてきた。


『なんじゃ。昨日の説明どおりせんか!!』


 小さな体で肉がほとんどない骨と皮だけの腕を掲げ、ガルムはぷりぷりと怒る。


『も、申し訳ありません。この時間に到着するよう調整したのですが……』

『ちょっと、迎えに行ってきます!!』


「……」

『……』


 何が起きたのか分からないが、クウガがガルムを宥めつつ、クウガが脱兎のごとく建物から走り抜けていった。

 そのことに無言で2人は目が合った。


『ぬ? なんじゃ? 何か文句あんのか?』


「いえ、決してそんなことはありません」


 シアはやはりガルムなのだと、ここにきて思い出す。


 たしかに獣神ガルムは獣人たちの心の拠り所であるが、その性格は厳格とか規律を守る真面目さのようなものは感じない。

 遊び心があり、雰囲気や勢いも大切にする。


 これも善し悪しではあるのだが、獣人国家の獣王がこの影響を強く受けるため、運営は人族国家よりも安定しないと言われている。


 上体を落としたガルムからメンチを切られてしまうのだが、この状況で「打合せはもっと念入りにしておいてください」とは絶対に言えない。


 それからさらに30分が経過した。


 ライガとクウガが息を切らせて戻ってきたのであった。

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