第414話 牢獄の中で
アレンたちがベクを追う上で、シアからベクについての逸話をいくつも聞いた。
ベクの生い立ちや行動原理から、未だに姿を見せないベクの行方の手掛かりを得ようとした。
シアは、ベクにゼウ獣王子と違い特別な感情を抱いているようだ。
それは尊敬とかそういった言葉では表せない何か畏怖のような思いだった。
『余が獣帝王を目指すきっかけはベクにある』
アレンがシアにベクについて聞いた時に初めに口にしたのは、内乱を仕掛けた首謀者に対してとは思えない言葉だった。
シアは今回の内乱はとても腑に落ちない状況であるという。
シアの語るベクはとても優秀というか、遥かに見上げる存在であった。
それはもう獣王史に名を残すのではというほどだ。
シアの倍ほど年の離れたベクは30歳を超えている。
そんなベクが獣王太子になったのは15歳のことだ。
何故15歳なのかというと、アルバハル獣王国の法で獣王太子になるのは成人してからという決まりがあったからだ。
もっと早く獣王太子にすべきだという議論が王城内で出るほど、ベクは幼少のころから優秀であった。
しかし、議論は出たが、実現はしなかった。
それは、現獣王がまだまだ獣王として就任しているだろうと予想ができたからだ。
獣王太子になる年齢を少々早めても意味がない。
そんな結論が出るのはそこまで時間が掛からなかったからだ。
ベクは皆の期待を一身に集め成長し、獣王立学院を首席で入学し、首席で卒業し、その年で獣王太子になった。
そして、獣王国の法に基づき冒険者になった。
獣人を支配する獣神ガルムは、創造神エルメアと違う理で才能を与えているため、身分の高い者の子にも星の多い才能を与える。
そして、獣神ガルムは獣王子には必ず、星3つの才能を与える。
力のある者が獣人を支配せよ。
獣王の子供は成人になったらすぐに王城に勤めるのではなく、冒険者になり、神の試練を越えよということだ。
15歳で冒険者になったベクは、18歳になるとAランクの冒険者となる。
18歳、Aランクの冒険者になり、獣王武術大会の参加資格を得た。
この時ほど、獣王国がベクに期待したことはないという。
その時、アルバハル獣王国は国家存亡の危機にあった。
ベクが参加する前年度の総合優勝者であり『獣王』の称号を得たのは、隣国ブライセン獣王国のギル獣王子だった。
獣王武術大会は、まず10の部門に分かれて各部門の優勝者を決める。
そして、10の部門からトーナメント形式でたった1人の総合優勝者を決める。
総合優勝者は大会が行われた国で、その年の『獣王』と呼ばれる。
これは覇者の称号のようなものだ。
アルバハル獣王国のある大陸はガルレシアと呼ばれているのだが、ガルレシア大陸にある獣王国がそれぞれの国で獣王武術大会を行っていた。
獣王武術大会には国家の形すら変える大きなルールがある。
他国の獣王が、自国の大会で『獣王』の称号を得たのであれば、優勝した『獣王』の国に対して、国家の一部を割譲しないといけないとある。
ギル獣王子は、ブライセン獣王国の『獣王子』であったため、アルバハル獣王国は土地と民を失うことはない。
もし優勝者が獣王に就任してから、大会に参加すればアルバハル獣王国は国家の一部を失いかねない事態であった。
皆の期待を集めたベクは大会に参加し、爪・ナックル部門で優勝を果たす。
そして、『獣王』を決めるトーナメント戦に臨んだ。
その年も参加してきたギル獣王子に、ベクは初めて挫折を味わったという。
ギル獣王子の圧倒的な力にベクは手も足もでなかった。
その年も、ギル獣王子に『獣王』の称号を奪われ、アルバハル獣王国はベクでも無理かと大きく沈んでしまった。
その翌年にもアルバハル獣王国で獣王武術大会は行われる。
獣王国で大会を行わないという選択肢はない。
獣王武術大会は各国で尊厳と誇りを賭けて毎年行われる。
ベクは大会に参加するが、ギル獣王子の前に再度敗れ、闘技台に伏してしまった。
アルバハル獣王国では3年連続で他国の獣王子が『獣王』になる事態となっていた。
3度の優勝を果たした年にブライセン獣王国で、実績が認められたのかギル獣王子が獣王に就任する。
獣王の就任の挨拶でギル獣王は、『翌年もアルバハル獣王国の獣王武術大会に参加する』と表明した。
アルバハル獣王国の多くの民は、これで希望はないと思った。
獣王武術大会のルールには、獣王は自国の大会に参加できないとある。
もし、国家を割譲され失った領土を取り返すなら、他国の獣王武術大会に参加し、優勝し『獣王』になるしかない。
力のあるムザ獣王なら奪われたアルバハル獣王国の土地を取り返すこともできるかもしれない。
しかし、アルバハル獣王国のムザ獣王に比べてギル獣王は圧倒的に若かった。
いずれ、ムザ獣王は力を失い、ギル獣王の時代がやってくる。
アルバハル獣王国の未来はとても暗くなっていた。
そして翌年、アルバハル獣王国で獣王武術大会が始まる。
アルバハル獣王国の領土と民を賭け、ギル獣王との戦いにベクは臨んだ。
3度目の大会で奇跡が起きた。
20歳になった年の獣王武術大会、3度目のギル獣王に対する挑戦で、ベクはとうとう優勝を果たした。
ベクは初めて『獣王』の称号を得ることが出来た。
シアは、アルバハル獣王国を守るために死闘を繰り広げるベクを、獣王国の民と同じく叫ぶように応援をした。
ベクが戦いに勝った時、大会を観戦する獣人たちのベクに向けられる絶叫のような歓声を、シアは小さいながらも今でも覚えているという。
あれが国を背負うということだと知ったと言う。
これはベクがアルバハル獣王国最強になったことを意味した。
強き獣王が誕生するぞと、アルバハル獣王国は熱狂した。
シアの話では、ベクが変わってしまったのはこの大会のせいだという。
この年の獣王武術大会で、ベクはギル獣王を殺してしまった。
獣王武術大会は死人も出る激しい大会だ。
しかし、その時のことがきっかけで、ベクは何かにとり憑かれたかのようだったと、その時のことを知るルド将軍も口をそろえて言う。
冒険者を引退し国政に入ったベクは、人族への報復に大きく舵を切った。
同族である獣人の死すら厭わない急進的な施策を幾つも掲げ続けた。
ベクの後ろについてくる者は1人、また1人と減っていった。
ベクが英雄であるのに、優し過ぎる次男のゼウ、獣帝国を夢見る自分に試練が与えられたことには理由がある。
ベクが変わってしまったからではとシアは言う。
シアやルド将軍の語るベクは、一言では言い表せない、ずいぶん複雑なものだとアレンは思った。
ここは罪人を捕まえるためか、陰気臭い牢獄のようだ。
ピチャンピチャン
打ちっぱなしのコンクリートのような無機質な牢獄の天井から雫が零れる。
「……シア?」
牢獄の中で何百回何千回見てきたか分からない雫の滴りを、1人の獣人が見つめていた。
獣人は何かずいぶん昔のことを思い出してしまったような気がした。
長いこと会っていないシアが自らの名を呼びながら泣きながら叫んでいる。
そんな幻覚のようなものが見えた。
獣人の姿は異常で、両手足を根元から切り落とされ、首元を鎖で繋がれていた。
ヒタヒタヒタ
白衣を着た老人がゆっくりと鉄格子の前にやってくる。
『ひひひ。ベクよ。まだ生きておるかの?』
卑しい笑みを零した白衣を着た老人が鉄格子越しに話しかけてくる。
「また来たのか。我を殺せ、シノロムよ」
感情的になることもなく、冷たい怒りをベクはシノロムに吐き捨てる。
『生きておる。生きておる。何より、何よりじゃ』
シノロムは白衣を着た年老いた魔族の姿をしていた。
ベクが生きていることを確認すると、うんうんと納得する。
白衣を着ているので、この状況がまるで実験動物の生存を確認する研究者のようにも見える。
鉄格子の側には看守となる魔族たちがいた。
シノロムはしっかり、監視するように伝える。
『魔獣兵研究所長シノロム様、魔王様がお呼びです』
すると、ここに来ることを予見していたのか看守には言伝があった。
『またかの? まったく、せっかちじゃな。この前に報告したじゃろうに』
『いかがされますか?』
『行くに決まっておる。この前、無視したらひどい目にあったからの』
シノロムはやれやれと言いながら、牢獄が並ぶ監獄室から出ていく。
そして、そのまま移動した先にある部屋に入った。
部屋の床には魔法陣のようなものが描かれており、シノロムがブツブツ何かを唱えるとその場から消えてしまった。
シノロムがやってきたのは、先ほどまでいた部屋と同じように、魔法陣の描かれた部屋であった。
『ギイィ!』
『おお! ギィちゃんよ。元気にしていたかの?』
人の背丈の倍ほどある目玉の化け物が、シノロムが来ることを待っていたようだ。
やってくるなり、長い触手をシノロムに絡めてくる。
『ギイィ!!』
『そうか、そうか。元気か元気か。あぶぶ。く、苦しいのじゃ!?』
シノロムを押しつぶし、触手で締め上げるほどの愛情表現をする。
シノロムが泡を吹き、目玉が飛び出るほどの悶絶をする。
まるで、飼いならした大型犬の愛情表現で潰される老人のようだ。
やっとの思いで振りほどいて、部屋から出ると、そこは魔王城の廊下であった。
『これはこれは、シノロム様。魔王様がお呼びですよ』
『分かっておる。分かっておるわい』
言われなくてもやってきたと文句たれながら、魔王のいる所にギイちゃんとともに向かう。
いくつかの廊下を抜け、広間を抜け、階段を上がった先に魔王が玉座に座っていた。
その横で魔王軍参謀のキュベルが何か話をしていた。
「遅かったな。魔獣兵研究所長シノロムよ」
『魔王様がお呼びとあらば、すぐにでも向かいますのじゃ』
「やれやれ。結構待ったのだがな」
その言葉に、魔王は眉を顰め、指で目頭を押さえる。
このシノロムというマイペースな男は、自分の研究のためなら魔王の指示すら無視をする。
研究がいくつも実を結んだので、研究員から所長というポストに据えたものの、それが本当に良かったのか、今でも疑問に思っている。
だが、この研究熱心な性格のお陰で、人の世界に溶け込みやすいというメリットもある。
頭はおかしいが、高度で専門的な技術を提供してくれる。
人間世界にもいる有能だが頭のおかしなタイプなので、知識や技術を求める王家などに溶け込ませやすい。
『魔王様は、邪神の復活はどのようになっているのかお尋ねだよ』
目頭を押さえる魔王に代わり、キュベルが魔王が聞きたいことを尋ねる。
『もちろんそちらはつつがなく。贄も確保しましたしの。準備は万全でございますのじゃ』
状況を求められるので、あれこれ答える。
先ほど、贄の様子を見たが、使える状態にしていると言う。
「ふむ」
その言葉に魔王は眉間にしわを寄せる。
随分疑っているようだ。
『魔王様、理としても問題ないでしょうね』
「そうなのか? そんな、絵本のようなものを本当に当てにして良いのか?」
今回の行動の発端が、何百年も前に魚人が描いた本である。
根拠が気薄なだけに心配もする。
『はい。それに、エルメアを殺すのに、邪神の力は必須。必ず、手に入れなければなりません』
「ああ、そうであるな。ん? もう戻ったか」
問題ないと言うキュベルとシノロムの言葉に何となく納得しつつあるところに、さらに3体の上位魔神が魔王のいる階層に入ってきたのであった。
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