第334話 シア獣王女②
「騒然としているな」
そう言って、シア獣王女は大きな神輿を運ぶかのように、10体の水牛に運ばれる建物から出てきて辺りの様子を伺う。
魚人の兵たちは騒然としており、「真か?」とか「2万だと!?」など困惑と絶望が顔に出ている。
そんな魚人の兵たちを切り分けていくように、立派な角のある鹿の獣人が、シア獣王女の元に駆け寄ってくる。
「ラス副隊長。状況はどうなっている?」
駆け寄って来たラス副隊長よりも先に、シア獣王女は話しかける。
状況の確認を優先するため、形式的な問答は不要だということだ。
「は! シア殿下。斥候兵たちの話では2万の魔獣が迫っており、まもなく最後尾に接触するとのことです」
列から外れて、後方の様子を見ていた斥候部隊が魔獣の動きを察知したという。
もう何十分もしないうちに、この魚人たちの列に向けて異形の姿をした魔獣たちが2万体ほど突っ込んでくるという。
「2万か。ずいぶん張り切っておるな。そろそろ逃げ切りそうなことを敵側にも察知されたということか」
シア獣王女がニヤリと笑みを浮かべ、犬歯をちらりと見せる。
「シア様。笑い事ではありませぬ。ルド隊長は我らだけでも撤退すべきだと進言しております」
ルド隊長は撤退を視野に入れるべきだと言っており、ラス副隊長も同意見だと言う。
「そうだな。そうすれば、せっかく移動させたクレビュール王家も民も終わりか。王都も捨て、何日もかけ逃げてきたというのにな」
せっかく王家を説得して王都を捨てさせたのにと言う。
とてもじゃないが、これだけ距離を詰められたなら、彼らの兵だけでは戦えないし、逃げ切れない。
後方の列にいた兵もろともクレビュール王家は殺され、身を守る術のない数十万の民は大虐殺され、クレビュール王国は今日終わる。
「やはり厳しい作戦でございました。伝令部隊の話では既にカルロ要塞都市に、兵、物資、食料の補給が始まっています。シア様におかれましては、そこまで撤退を」
ラス副隊長はそれでもシア獣王女の身の方が大事であると断言した。
あともう少しで、補給物資も兵も十分あるカルロ要塞都市まで逃げることができる。
「分かった。伝令部隊には2日粘る故、兵を前線に出し、クレビュールの王家と民を救出せよと伝えよ」
ここから2日移動した位置まで粘るので、応援に駆け付けるようシア獣王女は伝える。
「そ、それはかなり厳しい作戦かと。お、お考え直しを」
ラス副隊長が制止しようとするが、シア獣王女は自らの馬に飛び乗り最後尾に移動して行く。
「仕方なかろう。さすがに、クレビュール王家が落ちれば、余の未来もないのだ。そう思って皆には時間を稼ぐように言うのだ。同盟も組んだこともあるのでな」
逃げるという選択肢はないと言う。
「は? 同盟?」
「先ほど、アルバハル獣王国とクレビュール王国は同盟関係にあると話をつけたのだ」
「また、勝手なことを。また獣王陛下に怒られますよ……」
仕方ないなとラス副隊長が言いながらも、いつものことだと諦めている。
そうして、最後尾に到達すると、2000人ほどの獣人たちにシア獣王女は囲まれる。
何となくシア獣王女の表情でこれからの作戦が理解できたようだ。
皆がシア獣王女の第一声を待っている。
「余は、余の覇道のためにある。余と共に覇道へ進みたくないものは去るが良い」
皆に逃げても良いとシア獣王女は言う。
恐らくかなり厳しい戦いになる。
誰も逃げるべきか考えもしない。
そして、囲まれた2000体の獣人は知っている。
決戦の時しか、シア獣王女はこの言葉を発しない。
邪神教の教祖討伐の時は数百人の兵たちが死んだ。
これからの戦いはそれだけの覚悟がいるとシア獣王女の言葉からも分かる。
兵たちは命の懸け時かと、武器を強く握り締めた。
「厳しいのは分かっております。クレビュールの兵も共闘しますので。死力を尽くしましょうぞ」
ルド隊長がクレビュールの王国の軍と話をつけていたようだ。
クレビュールもさすがに多くの兵を出さないという選択肢はないようだ。
「では、足止めをする。魔法隊は防壁を作れ。時間さえ稼げばよい。分かっているな?」
「「「は!!」」」
魔法隊が氷魔法や土魔法で10メートルを超える壁を作っていく。
この壁は戦うためのものではない。
複雑で入り組んだ防壁を作り、時間を稼ぐためのものだ。
クレビュール王国の民はほとんどが徒歩だ。
少々無理をしてでも、急いで先に進むように指示をし、ここでやってくる敵を足止めし、時間を稼ぐ必要がある。
攻め落とされないことを優先した構造の防壁になるよう、シア獣王女は指示をしていく。
「元気がいいな。もう来たのか。弓隊は持ち場につけ!!」
そうやって作戦を指示してほどなくしてやって来た。
下半身が人間のサイズより一回り大きい蛙やサンショウウオ、上半身も頭であったり手の先が魔獣化している者が大勢いる。
人間の面影が一部残されており、彼らは邪教徒たちだ。
それ以外にも、この湿地帯での動きに適したリザードマンや大蟹の魔獣などが、泥を掻き分けやってくる。
大型の魔獣はBランクがほとんどで、Aランクも混じっている。
「弓隊構え、倒す必要はない。狙うは足と目ぞ!!」
弓使いは本来、前衛というより中衛だ。
前衛ほど攻撃力が上がっていかないのだが、獣人は違うようだ。
パンパンに筋肉が張った二の腕と胸板の背筋で強弓をメキメキと引いていく。
弓隊たちはシア獣王女の言葉を背にし、昨晩のうちにクレビュール王家に催促していた矢で狙いを定める。
一気に距離を詰めてきた邪教徒や魔獣の目や足に狙いを定め矢は放たれた。
『『『グピャアアア!!!』』』
目を貫通した矢はそのまま脳を破壊し、後頭部に突き出す。
足の膝を貫通し、邪教徒たちが絶叫する。
勢いを殺しながら視界を失い、足を射られ攻めの勢いが一気になくなっていく。
「魔法隊よ。氷か雷で攻めよ。間違えても火など使うなよ!!」
「「「は!!」」」
ここにいる隊の全てが才能のある者たちだ。
魔法隊には全身をぬめりのある粘膜で覆われた邪教徒や魔獣たちに氷魔法か雷魔法を使うように指示を出す。
氷魔法で足元を凍らせ動きを封じる。
邪教徒や魔獣たちが障壁となりさらに動きを遅くする。
敵が多すぎるため、そもそも殲滅することは計算に入れていない。
雷属性は、この辺りの邪教徒と魔獣の弱点属性で、火魔法には強い耐性がある。
氷魔法で動きを封じつつ、BやAランクの魔獣には弱点の属性を攻めさせる。
防壁にすら寄せ付けない作戦を取るが、多勢に無勢だ。
敵の方が体も大きく数も多い。
動けなくなった邪教徒や魔獣の上を踏みつぶすように前に前に進軍して来る。
弓矢や魔法で対応していたが、何十分も経たないうちに槍など持ち手の長い得物を使わないと対応が出来なくなってくる。
「数が多すぎるな」
既に防壁と言う防壁にへばりつくように乗り越えようとする邪教徒や魔獣たちを見ながら言う。
そう言って、後ろを見るとまだクレビュールの民が視界の範囲にいる。
ほぼ徒歩で移動しているということもあり、一旦後退をと思ったがそれほどの意味がない。
戦いの中、後方より狐の獣人が必死の形相でやって来た。
「む? どうした。レイ部隊長よ」
ラス副隊長が、斥候部隊のレイ部隊長に何が起きたのか報告を求める。
「は!! ご報告します。本陣の右翼及び左翼から、さらにそれぞれ2万の軍勢が接近中。囲まれつつあります!!」
「なんだと!!」
コの字になって、邪教徒や魔獣たちに囲まれようとしていることの報告を受ける。
このままではいけないと思い、シア獣王女を見ると、既にシア獣王女も拳を振るい戦っている。
「多勢に無勢だな。仕方ない。ここは逃げるしかないのか」
後ろを見つめるとまだ多くの民がいる。
囲まれているのであれば、ひとたまりもない。
一瞬シア獣王女がクレビュールの民を思ったその時だった。
蛙の下半身をした邪教徒たちが一斉に、防壁を超えるほどの脚力を見せる。
何体も何十体も飛んでくる中、その中の1体がシア獣王女に迫る。
「危ない! シア殿下! がは!!」
とっさにラス副隊長がシア獣王女を突き飛ばす。
ラス副隊長は身代わりに邪教徒に肩から胸にかけて大きく噛まれる。
邪教徒の頭は大きく、人間サイズの口ではなかった。
そして、ニタニタとしながら、鎧に身を包んだラス副隊長の肩から胸にかけて粉砕していく。
「ラス副隊長よ! き、きさま!!」
ルド隊長の体が陽炎のように揺らいでいく。
そして、持っていた大槌で邪教徒の頭を粉砕し、さらに前進する。
一気に飛び上がってきた邪教徒たちを一撃で屠っていく。
邪教徒から解放されたが、ラス副隊長はそのまま力を失い膝から崩れ落ちてしまう。
「お、お逃げを! 全隊よ聞け!! この隊は数万の魔獣どもに囲まれつつある。シア様を連れ、要塞まで撤退せよ!!」
ラス副隊長は最後の力を振り絞る勢いで隊に号令をかける。
「シア様、ご決断を!」
ルド隊長もラス副隊長に同意見のようだ。
「私はシア様を最初の皇帝にするために死んだのだ」
シア獣王女に抱きかかえられたラス副隊長は既に焦点が定まっていない。
自分は魔獣に囲まれ、泥を全身に被り死んでいくだろう。
しかし、自分の人生に間違いはなかったと力なく呟いた。
ラス副隊長は重傷を負ったが、シア獣王女は回復部隊を呼ぶことはしない。
「そ、そうか。ならばせめて。余の手で……」
ラス副隊長は邪教徒に噛まれてしまっている。
もう助からないことは分かっていた。
ルド隊長がさらに逃げるように叫ぶ中、シア獣王女は腰に挿した短刀を抜く。
ラス副隊長を楽にしてやるようだ。
バチバチ!!
その時だった。
天の光を遮る巨大な何かが無数に現れる。
金属がぶつかる様な金切り音が辺り一面に鳴り響いた。
『『『ギチギチ!!』』』
巨大な影に獣人たちは空を見上げる。
「ば、化け物だ!!」
「何だこれは!!」
「世界の終わりだ……」
獣人たちとクレビュールの兵たちに絶望が広がっていく。
シア獣王女のため、クレビュール王国のために命を懸けて戦ってきたが、そんなことを忘れてしまうほどの絶望だ。
「な、なんだこいつらは。こ、これほどの試練が余に待っていたとは。テミめ、占いをさぼったか」
空にはドラゴンほどの巨大な蜂たちがいる。
その数は1000を超え空を埋め尽くしている。
自分らが救おうとしていたクレビュールの民たちの方角からやってきたようだ。
自らが連合国の大陸に赴く際に、占星術師テミは何もそんなことを言っていなかった。
シア獣王女が不満を溢す中、蜂たちの中央にいるグリフォンがゆっくりとシア獣王女の元に近づいてくるのであった。
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