第325話 チームソフィー⑤ 王と王女(2)
「そのレーゼル様について話がございます」
ソフィーは何の感情も表に出さず、ゆっくりオルバース王を見た。
しかし、あまりの感情の高ぶりに表情は消したはずだが、頬に涙が零れてしまう。
ソフィーは2年生になってローゼンヘイムの学園から、ラターシュ王国の学園に転入した。
今の年齢が50歳のソフィーはフォルマールと違い学園に通っていた。
ローゼンヘイムには1つの学園があり、1年間才能のある同級生たちと、勉学と担任から出される課題を達成してきた。
そして転入して翌年に襲ってきた数百万にも上る魔王軍の侵攻だ。
通年の5倍以上の数の魔獣にローゼンヘイムは、ギアムート帝国やバウキス帝国と同様の対応を取った。
ローゼンヘイムの上層部は国家存亡の危機に、国民を救うため対応をせざるを得なかった。
バウキス帝国からやってきて、まだ2年生のメルルにも出されたのと同じ対応だった。
それは、学園に通いまだ卒業をしていない、2年生及び3年生の戦場への召集命令を出した。
当然、ローゼンヘイムでいうところの王族、貴族のみ適用の召集命令だが、ソフィーと共に1年間学園生活をした者たちは多くいた。
未熟な生徒たちのその大半は、死体が1年経った今でも見つかっていない。
恐らく魔獣たちに食われてしまったのだろう。
今でもエルフの女王と長老会に対して、泣きながら探索願を出す遺族たちが大勢いる。
死体も見つからず、死亡認定された学園の友たちの顔が浮かんでくる。
学園に通う以前から交友関係のあった者も大勢いる。
ソフィーはローゼンヘイムの王女として怒りを押し殺し、平静に戻そうとする。
「何故だ? む? そういえば、去年も聞いてきたと報告があったな」
オルバース王は無表情の下に、ソフィーの怒りと無念の感情に気付いた。
そして、あることを思い出して、外交を司るジアムニール長老に視線を送った。
エルフの国ローゼンヘイムとダークエルフの里ファブラーゼは、対立しているものの最低限の国交がある。
去年、ローゼンヘイムの女王から来た親書とともに質問書が届いていたことをオルバース王は思い出す。
戦争で大きな被害を受けたと聞いたオルバース王が親書を送ったのだが、その礼状とともに質問書が同封されていた。
質問書に書かれた質問はたった1つだった。
『ファブラーゼにレーゼルという者はいますか』
質問書など普段来ないし、何かあれば外交部門の長老に確認するからだ。
外交部門の長老は回答の権限を持っているため、長老が答えないものは質問書にしても意味はないことくらいローゼンヘイムは知っている。
ファブラーゼは検討の結果、何かの理由があって探しているダークエルフであると判断し、「現王の父と同名である」と答えた。
質問書に回答書で答えた以降、何も音沙汰がなかった。
忘れていたが、なぜ今になってとオルバース王は思う。
理由は何か、問うように真剣にこちらを見つめるソフィーを伺うように見てしまう。
「去年のお返事のとおりなのでございますね。今から話すことについては、ローゼンヘイムの王女として、オルバース王にお伝えしないといけないことがある。そのための話でございます」
「仰々しいな。態々王女が会って話をしないといけないことか」
オルバース王は回答書を送った後、音沙汰のない理由を理解する。
王族がわざわざやって来て質問書の真意を伝えるためであったのかと思う。
「はい。レーゼル様は、去年のローゼンヘイムに侵攻した敵の総大将の名前です」
「「「な!?」」」
ソフィーが何を言ったのかダークエルフたちはすぐには分からなかった。
魔王軍の侵攻を受け、多くの犠牲を出したことは聞いている。
首都であり、世界樹のあるフォルテニアすら陥落し、国家存亡の危機であったことも知っている。
だから、敵国であると認識しているエルフの国であっても哀悼の意を示し、相応の対応をしてきたと考えていた。
我らの礼に対する言葉が、それかと。
次期女王と呼び声高い王女の言葉がそれかと。
一気にダークエルフたちの褐色の顔色が怒気を帯び赤くなっていく。
広間が騒然とする。
「馬鹿な!!」
「ふざけたことを申すでないわ!!」
「休戦協定など破棄せよ!!」
ソフィーが精霊神を抱いていることすら忘れるほどの激怒だ。
胡坐をかいていたが、膝を立て今にも飛び掛かりそうなダークエルフもいる。
ソフィーやフォルマールほど肝が据わっているわけではないメルルの顔が不安になっていく。
激怒の中、一人の鎧を着て武装している将軍たちの中で一番オルバース王に近いところに座る老齢の兵が立ち上がった。
「やはり500年前にオルバース王が結んだ休戦協定は間違っていた。今すぐ休戦協定を破棄し、我らダークエルフは一丸となってローゼンヘイムへ攻め込みましょう」
恐らく、ローゼンヘイムでいうところのシグール元帥と同じ立場なのであろう。
そうだそうだと将軍たちも同意する。
「……少し黙っておれ」
「「「!?」」」
そんな中、オルバース王は黙れと将軍や長老たちに言う。
何を馬鹿なことをと言いそうになる将軍たちが息を飲む。
他のどのダークエルフより、怒っていたのはオルバース王だった。
「その話は真か? 次の言葉をよく選べよ。誇りのためなら、一族の血をどれだけ流しても構わぬと教えている。もちろん我もそうだ」
誰の名を汚したのかとソフィーを睨みつけている。
「およそ300万のエルフの血が流れました。それを起こしたのは魔神となったダークエルフであり、名乗った名前がレーゼルでした」
「我が父が魔神となったと?」
「はい。そして、世界樹を求め、アレン様率いる私たちのパーティーに敗れたのです」
ソフィーは一切ひるむことなく、自らが見てきた真実を言葉にする。
黙れと言ったが、ソフィーの言葉に将軍や長老たちはざわついている。
「何を求め、態々そのような話をした?」
「特に何もありません。もし、魔神になる切っ掛けのようなものがあれば情報を提供してほしいのです。私たちは魔神と戦っておりますので」
多くの犠牲を払ったが、何も求めないという。
何も求めないのは、金銭的な賠償だけでなく、謝罪も求めないこと。
ローゼンヘイムの王女が口にしたため、今後も一切求めないことを意味した。
今、ソフィーはアレンの仲間として、邪神教や邪教徒、魔神と戦っている。
だから、レーゼルの話をするのはアレンの仲間としての目的を達成するための邪魔になるかもしれない。
しかし、ソフィーはローゼンヘイムの王女だ。
邪教徒との戦いを優先し、地図や避難所などの話が全て済んでしまったら、今後レーゼルについて話をする権利は全て失う。
助力してもらった後からそんな話をするのかということだ。
数百万のエルフが蹂躙された事実を無視して、ダークエルフと相対することは王女としてできない。
アレンはそれも分かって自らを西に向かわせてくれた。
ローゼンヘイムの王族である自らの立場を分かってくれた。
既にこれまでの会話とダークエルフたちの態度でほとんどの回答を得たともソフィーは思った。
それは、ここにいるダークエルフたちの意思で、去年の戦争を仕掛けていないということがはっきりと分かった。
でなければ、「現王の父が魔神となってローゼンヘイムを侵攻した」という話を聞いてここまで激怒はしないだろう。
10数人の長老と、王族の子供の中から、次の王を決める、その様にダークエルフは統治してきた。
王の名前は知っているが、長老の名前までは完全にすべて把握していない。
ダークエルフがローゼンヘイムの大陸から去ったのは2000年ほど前の話。
休戦協定が結ばれたのは500年ほど前、オルバース王が話を進めたからだ。
このときソフィーの母である現エルフの女王レノアティールは生まれてもいない。
お互いの国に国交ができたのは200年ほど前、レノアティールが話を進め、オルバースが承認した形となっている。
こうして、初めて国交が誕生したが、別にエルフとダークエルフがお互いの経済圏を行き来しているわけではない。
外交の長老をお互いに派遣するに留まっている。
ローゼンヘイムとしてはオルバース王の父の名前が伝わっていなかったことも、ダークエルフが関与していない根拠の1つだと考えている。
オルバース王の父親は、これまで即位した王の名前の中にはいなかった。
ローゼンヘイムが把握するファブラーゼの長老の顔ぶれにも入っていなかった。
外交を通じてもお互いに長老の名前を把握するには限界がある。
ダークエルフ側に付いたエルフはいない。
またその逆も存在しない。
種族が違うため間者をお互いに送ることはできない。
お互いの王の名前は知っていたが、ある程度お互いの長老を把握できるようになって200年しか経っていない。
ずっと隠していたか、それともファブラーゼも関知しない状況にあったか、どちらかと言うと、これまでの状況から後者なのだろう。
そして、オルバース王の反応から、レーゼルは随分前にファブラーゼから離れていたように思える。
ソフィーはこれが話の全てだとオルバース王に向き合う。
皆がオルバース王の次の言葉を待つ。
思索に耽るオルバース王の次の言葉はとても長く感じた。
「里の近くに避難所を作るという話と、地図が欲しいという話だったな。用意させよう。細かい話は長老と詰めてくれ」
魔神についての話題から、1つ目と2つ目のソフィーのお願いの話に戻した。
オルバース王の表情は何かに必死になっているように思える。
そういう思考とは別に、目の前に座るソフィーに対しての話を続ける。
「ご協力感謝します。オルバース王」
ソフィーは座ったまま頭を下げ、礼を言う。
「な!? 協力されるのですか!? 王よ!!」
最側近と思われる長老が反応を示す。
「当然だ。里の周りで起きていることだからな。ここでの情報にも価値はあった」
オアシスの街ルコアックで起きたことや邪教徒が砂漠をうろついている情報の対価は払うという。
「い、いや、王よ、しかし!! あのような話の真偽を確認することの方が先決では?」
無礼な話をしたローゼンヘイムを弾劾することの方が先であると長老の1人は言う。
「真偽の確認より戦争を再開することの方が先決だ! 我が総大将となりましょう! 必ず、我らが矢はフォルテニアに届きましょう!!」
将軍の1人が開戦しようと口にする。
「そうだな。休戦しようと話をしたのも我だ。そして、今回エルフの王女に協力したのも我の判断だ。もし、我の判断に誤りがあるというなら、すぐにでも長老会を開き、我を降ろせば良かろう」
「「「!?」」」
王の立場を賭けて決定は覆さないとオルバース王は断言した。
まさかそこまでの判断をと将軍や長老たちは、胡坐をかいて座るオルバース王の足元で丸くなる精霊王ファーブルを見る。
しかし、ここまでの広間の喧騒とは裏腹に丸くなり何も言葉を発さない。
精霊王ファーブルの態度が全てであったようだ。
これ以上の反対の意見を飲み込み、誰も何も言わなくなる。
「それで、これからどうするのだ?」
「避難所の件についてはお任せします。後程、邪教徒にならない薬がありますので一部提供もします。私たちは地図を持って、襲われているかもしれない街を救いに行きます」
「ほう。魔獣か何かを使役しているらしいな」
「はい。アレン様の召喚獣です。ローゼンヘイムは『闇を振り払う光の男』に出会うことが出来ましたので」
「ぬ? アレン様? ああ、そうか」
オルバース王は聞き流してしまった1人の名前を思い出す。
たしかに、魔神を倒すのは「アレン様率いる」と言っていた。
ローゼンヘイムでは、精霊神ローゼンが精霊王であったころからの予言をエルフたちはほとんど知っている。
魔王に毎年のように攻められる中、救済を求めるエルフたちを安心させるため、精霊神の予言の言葉を伝えてきたからだ。
去年の戦争に勝つことができたのは、精霊王が『闇を振り払う光の男』を呼び寄せたためだとローゼンヘイムで多くの者が信じた。
でなければ、滅亡寸前のローゼンヘイムで、あのような快進撃が行われるはずがないとエルフたちは納得している。
エルフたちが「闇を振り払う光の男」の救世神話を信じていることはファブラーゼにも届いている。
オルバース王はとうとうエルフたちが『闇を振り払う光の男』に出会えたことを知った。
ダークエルフの将軍たちも、何日も戦ってきた邪教徒や魔獣たちを一掃する召喚獣を見てきている。
「では、御協力感謝します。申し訳ありませんが時間がございませんので……」
「……」
王女として話さないといけないこと、協力を依頼することは全てした。
これ以上時間をかけると被害が広がるので次の行動にお互い移そうとした。
そこでソフィーはオルバース王の表情の変化に気付いて話を止める。
オルバース王が何か取ろうと必死に手を伸ばす少年のような表情を見せたからだ。
まるでまだ会話が終わっていないというためらいがそこにはあった。
何かを聞きたい。
しかし、王の立場としてそれは聞けない。
そんな表情だ。
ソフィーは、オルバース王は何を聞きたいのか必死に考える。
自らの立場を賭けて助力の姿勢を示したオルバース王への礼をすべきだと判断した。
何をまだ言っていないか。
何を言うべきか。
ここまでの話の状況から1つの答えを導き出す。
「大変申し訳ありません。急いでいたので、レーゼル様が皆さまに残した言葉を忘れていました」
「そ、そうか。父は何を言っておったのだ?」
どうやら正解であったようだとソフィーは思う。
オルバース王は腰が浮き前のめりになる。
「レーゼル様は『ダークエルフたちにこの世界樹を見せてやりたかった』と最後に仰っていました」
魔神となったレーゼルが最後に放った言葉はエルフたちに対する憎しみではなかった。
ダークエルフたちへの思いを最後の言葉に残した。
アレンと仲間たちに敗れ、灰になって消えていく前に残した「レーゼルの最後の言葉」をダークエルフたちに伝えた。
「ああ。父がそのようなことを。ありがとう……」
オルバース王の表情が崩れていく。
もしかしたら何百年も求めていた答えであったのかもしれない。
ダークエルフの王であることを忘れて礼を言葉にしてしまった。
下を向いて分からなかったが、ソフィーにはオルバース王が泣いているように思えたのであった。
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