存在が愛おしくて仕方ないっていうのに。

 「なかなか面白かったね」

 

 映画館から出て外の眩しさに目を細めながら坂口は言った。

 

「う、うん」

 

 そうは答えたものの春は映画の内容の半分ぐらいまでしか理解が追いつかなかった。

 

「小説よりも人間関係がドロドロしていたなぁ」

 

 映画は途中主人公が不倫をしてしまう展開もあり、顔の良い俳優が演じていなければ見ていられないものだった。

 

 坂口が時計を見ると丁度お昼時だった。

 

「お昼にしようか」


 坂口はそう言って歩き出し、春はそれに付いて行く。5分ぐらい歩いたところに坂口一押しのパスタ屋さんはあり、土曜日だからか10分ほど待ってようやく店内に入ることが出来た。

 

「そういえば、この間も二人でパスタを食べたね」


 カフェで二人でナポリタンを食べたことを春は思いだし、苦笑いをした。



「でもここのパスタはもっと美味しいから」


「へぇ~! 楽しみ」


 春はメニューを見ながらどれにしようか心を躍らせる。そして坂口はカルボナーラ、春はボロネーゼを選び注文した。

 

「さっきの映画は、小説とだいぶ違った展開だった?」


 春は敬語を使いそうになりながらもそんな質問を坂口にする。


「そうだね。登場人物も増えて話に厚みも出て、映画になったなぁ、って感じ」


 嬉しそうに語る坂口はカバンから一冊の本を差し出す。


 「これ、さっきの映画の原作小説。よかったら読んでみて」


 「ありがとう」


 春は受け取り、パラパラとページをめくる。あとがきの最後のページには作者のサインと、担当編集者の部分に坂口の名前があり春は微笑んだ。


「貴重なサイン本、借りちゃっていいの?」


「いいよ。家にあと5冊ある」


 坂口は困ったものだと呟いて後頭部を掻いた。春は笑ってカバンに小説を仕舞う。

 

「今どきの俳優さんも出ていて、面白かった」


 しみじみと言った坂口は満足そうで、仕事が上手くいった達成感は自分にもわかるなぁと春は微笑んだ。


「なかなかドロドロしていたけど。最近の流行りなのかな」


 坂口は店員が最初に持って来たお冷を飲んだ。


「まぁ浮気は男の人の性だろうから……」


 春は苦笑して言った。


「え? そうなの?」


 坂口がキョトンとしていると店員がカルボナーラとボロネーゼを運んできた。いただきますと言って二人は食事を始める。

 

「そうじゃないですか? まぁ女性が浮気したりする場合もあるけど、ほとんどが男だろうし」

 

 フォークとスプーンを使って春はボロネーゼの麺と肉を絡める。


「いやぁ、それは人によるよ」


 カルボナーラの中央にある黄身を割って麺とそれを絡める坂口は答えた。


「そうかなぁ」


 ボロネーゼをフォークに巻き付け口に運ぶ春。思ったよりも熱く、口元を抑えた。


「そうだよ、現に僕は浮気したことないし」


 口元を抑える春に水を差し出しながら、坂口は言った。

 

「なんで?」

 

 差し出された水を飲んで口中を冷まし、我ながら変な質問だと思いつつ春は聞く。

 

「うーん」

 

 カルボナーラをフゥフゥと冷ましながら坂口は目線を上にして考える。そしてそれをパクッと口の中に入れた。咀嚼しカルボナーラが喉を通り坂口は一口水を飲んだ。

 

「例えば、100%彼女のことを好きな気持ちがあるとするじゃん?」

 

 坂口はフォークを皿の上に置いて語り始める。春は静止し話を聞いた。

 

「でもきっと毎日好きって言ったって綺麗な花を贈ったって、何をしたってきっと僕の気持ちは彼女には50%ぐらいしか伝わらない」

 

 春は頷きながら坂口の話に耳を傾ける。


「なのにどうして他の人に使う時間を設けようと思うのか、僕には分からない」


 カランとお冷の氷が鳴って、春はこの世の中に自分と坂口二人しかいないような錯覚に陥った。


「彼女の全てを知りたくて僕の全てを知って欲しくて一生一緒に居たとしても、きっと時間も愛情も足りないんだ」


 春の目頭がジワリと熱くなる。本当に愛していたら4年という月日でもまだ物足りない。時間も愛情もまだまだ育みたかった。


「なのにどうして浮気なんてできるの? ほかの人を知ろうと思うの? ほかの人に愛情を注ごうと思うの? 存在が愛おしくて仕方ないっていうのに」


 否定が最高の支配、ならば肯定が最高の愛情だ。春は今まで自分を囲んでいた殻が破られる音がした。


 カルボナーラを口に運び春の様子を窺う坂口。春にはもう周りの雑踏は聞こえない。


 坂口が好きだという想いでいっぱいだった。


「大丈夫? ぼーっとしているけど」


 坂口の問いに春は優しく微笑んだ。


「うん、大丈夫」


 今まで拭えなかった春の緊張感が払拭され、そこで坂口に見せた春の笑顔はそこはかとなく甘く、坂口はそれに魅入り絆され溶けてしまいそうだった。


「美味しい」


 ボロネーゼを食べて春はそう呟いた。久しぶりの恋に耽溺する感覚を、大人でありながら味わう。


「これからどうします?」


 動揺しつい敬語になる坂口。


「美術館言った後に甘いものを食べにカフェとか。どう?」


 春はデートにお勧めのカフェをスマホで検索した。


「いいね」


「坂口さん敬語使ったから、私の奢りで」


 あっ、と口元を抑える坂口をフフッと笑って春はまたボロネーゼを口に運んだ。


「参ったなぁ」


「ここのカフェなんてどう?」


 春は可愛らしいマキアートが売りのカフェを見つけて坂口に見せた。


「おしゃれだね。デートにはもってこいだ」


「夜ご飯は、デートっぽくないところに行くから」


「それも又、乙だねぇ」


 フフフと二人は笑顔を交わし、デートという言葉の響きの愛らしさを共有した。完食し店を出た二人はパスタの感想を話題にしながら美術館へ向かう。


――恋ってこんなに可笑しくわくわくするものだっけ? 

 春は見るもの触れるもの全てが新鮮に思えて楽しくて仕方ない。今まで猫背気味で歩いていた街並みを、好きな人の隣でおしゃれして歩く喜びを春は噛み締めていた。


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