否定は最高の支配

 ナポリタンを食べ終え二人は店を出た。会計は別にして奢られることを拒否した春に、少々堅物なところがあると坂口は感じずにはいられない。


「今日こちらからお誘いしたのに、すみません」


 むしろ自分がお金を出すべきだったと謝罪する春の姿を見て何となく恋人がいない理由を察した坂口だったが、坂口にはむしろそんな春の不器用で男勝りなところが可愛く見えた。


「いいえ、楽しかったから良いんです」


 二人は最寄り駅に向かい歩き始める。


「お家はどちらなんですか?」


「ここから二駅ぐらいです」


「いい場所に住んでらっしゃいますね」


 そんな他愛もない話をしながら居心地の悪さを感じさせないお互いの雰囲気に、二人は次のデートを待ち侘びる思いを抱いた。


「西田さんは何か嫌いなこととかあります?」


「嫌いなこと、ですか?」


 春はうーんと声を出して考えるが、嫌いなことと聞かれてパッと何かを思い出すことは出来ない。


「難しい質問ですね。大体なんでも楽しめちゃいます」


「なら良かった」


 坂口はとあるA4サイズのポスターを歩きながらカバンから取り出した。


「僕が担当した小説家の作品が映画化したんです。土曜日見に行きましょう」


 春はそのポスターを受け取りまじまじと見る。


「わぁ! よかったですね!」


 最近流行りの俳優陣が勢揃いのそのポスターを見て、春は坂口の仕事の成功を祝した。


「はい! この先生は僕がこの仕事に就いた時からずっとお世話になっていたのですが、沢山苦労されてここまで有名になったので僕も感無量です」


「楽しみです」


 嬉しそうな坂口を見て春は笑みを零した。


「僕桜坂方面の電車に乗りますが、西田さんは?」


「私は氷坂方面です」


 駅の改札を通り二人は分岐点に立つ。


「では土曜日、楽しみにしています。気を付けて帰ってくださいね」


「はい、坂口さんもお気をつけて」


 春は一礼した後に歩き出し腕時計をちらっと見た。想定していたより遅くなってしまったと小走りでホームへ向かう。一度も振り返らない春の後ろ姿に、坂口は少しだけ愁傷の意を抱きとぼとぼと歩き始めた。


「ただいま」


 春が家に付いたのは20時頃で、拓馬はリビングでくつろいでいたそぶりを見せた。本当は春が今夜は帰ってこないのではないかなどあらゆる心配をしていたが、そんな情けない心情を悟られるような面構えは春には見せようとしない。


「おかえり」


 いつも通り拓馬は微笑んで春を出迎える。荷物を下ろしベッドのある部屋で部屋着に着替える春。


「お風呂入ってきたら?」


 部屋着を着て自分の隣に腰かけた春に向かって拓馬は言った。


「そんなに臭い?」


「いや、そんなことはないけど」


 自分の服の匂いを嗅いで体臭が臭くないか確認する春は、いつも通り無臭な自分に安心した。


 床に手をつき体をのけ反って天井を見上げる春に、拓馬は気を利かせて冷蔵庫で冷えたビールを差し出した。


 「お、気が利くねぇ」


 春は上機嫌でビールを開け飲んだ。しかしいつもより飲みっぷりに威勢がない。喉を鳴らすどころか一口飲んで満足したように春は机にビールを置いた。


 「どうしたの、元気ないじゃん」


 いつもと違う春に気が付いた拓馬は春の顔を覗きこむ。


「ん? そう?」


 小説の評価をどう拓馬に話そうか悩んでいた春は、自然と食欲も落ちていた。


「小説、イマイチだった?」


 勘のいい拓馬は春の様子を見て春の心中を察していた。春は嘘をつくことが出来ず苦笑いをして、冷えたビールを額に当てる。


「異端だけど、それ以上でもそれ以下でもないって」


 春の体が芯から熱く、額に当てたビールもすぐに温くなってしまいそうだった。春は原稿を拓馬に返す。


「まぁ、自己満足だから」


 拓馬は受け取って原稿をぎゅっと握った。憂寂な顔をする拓馬を見て、こんな憂目に合わせるならば坂口に見せなければよかったと春は後悔する。リビングに沈黙が起こった。


「でも私は好きだよ。坂口さんも好きだって言っていたよ」


 春はそうフォローするが、拓馬は自分の小説は所詮価値のないただの文字の羅列だと拓馬は自虐する。


「ありがとう」


(坂口って誰だよ、どんな奴でどんな面引っ提げて無責任に何言っているんだよ)


 自虐の末に生まれた拓馬の苛立ちは知らない坂口という人間に向けられる。きっと今日春が会ってきた出版社の人間が坂口というのだろう、拓馬は憤懣を解消すべく冷静になろうと努めた。


「もっといろんなこと経験して、いっぱい書いたらきっと出版できるぐらいの小説が書けるよ。だって拓馬は天才だもん」


 嬉しそうに語る春の笑顔ですら拓馬には鬱陶しく、そう思う自分の醜い心が煩わしくて仕方ない。


「ありがとう」


 感謝の言葉とは自分の気持ちを悟られないための最高の盾なのだな、と拓馬はその時思った。


「今度の休みはどこか行く? 何か買い物ある?」


 自分の感情が春に伝わってしまう前に空気を変えようと、拓馬は話題を変えた。


「あー。日曜日ならいいよ。どこか行く?」


 春は拓馬から目を逸らし、何かを隠すかのような言い草だった。


「春さん買い物あるなら。食材とか買わなきゃいけないよね」


 春のよそよそしい態度が拓馬には土曜日の予定について追及して欲しいように見えて、なんとも不愉快であった。


「そうね」


 春は何かを考え込んでいるようでビールもあまり進んでいない。


「なんかあった?」


 空気を読んで拓馬は春に聞いた。とぼけた春の顔まで全て計算されたもののように思えて、拓馬は堪らなく気に入らない。


「土曜日、デートにでも誘われた?」


 ペコっと春の持つ缶が鳴った。きっと動揺して春の缶を持つ力が強まったのだろう。


「デートってわけじゃないよ、別に」


「ふーん」


 何故自分の恋慕う人の彼氏候補の話を聞かなければならないのだろう、そんな疑念を抱きつつも拓馬は自分の役割をしっかりと理解していた。


「どんな人?」


 春の話を聞いて男性不信を少しでも和らげ春がまた恋愛できるように手助けする。例えその恋愛相手が自分じゃなくても、それは致し方ないこと。むしろ自分が春と恋人関係になれることなどありえないのだから、自分にはその役割しか回ってこないのだ、と自分に言い聞かせながらも、拓馬は内心不祥で仕方ない。けれど今傍に春が居てくれることだけでもありがたいと思わなければいけないのだ、と拓馬は自分に言い聞かせた。


「真面目で仕事熱心で誠実で礼儀正しい人」


「いいところばっかりじゃん」


 体育座りをして自分の顎を膝に乗せる春。拓馬も同じ体勢をとり春の頬を突っつく。


「何がそんなに不満なの?」


 浮かない顔をしている春に拓馬は聞いた。


「戸惑っているの。ここ数年、元彼に振られてから誰とも恋愛なんてしてないし、こんな干物女で相手に好かれる自信ないや」


 はぁっとため息をつく春。拓馬は優しく春の頭を撫でた。


「俺はその人に会ったことないから何も分からないけど、春さんのことを否定しない人ならいいと思う」


「なんで?」


「否定は最高の支配に繋がるから」


 拓馬の返事に春は首を傾げた。

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