第51話

 きっと以前のクロエなら、そんなことは考えない。

 そう思って不安になる。

 そんなクロエに、エーリヒは優しい声でこう言ってくれた。

「クロエらしくないとか、以前のクロエと違うとか、そんなことはもう、気にしなくていい。俺が愛しているのは、今、この腕の中にいるクロエだ」

「……エーリヒ」

 今の自分を愛してくれている。

 はっきりとそう言ってくれた。

 それが、とても嬉しい。

「最初に言っただろう? クロエのやりたいことは、何でもやろうと」

「うん。そうだね。散々迷惑を掛けられたんだから、少しくらい、役に立ってもらってもいいよね」

 それに、彼は禁じられている攻撃魔法を、人に向けて放った罪。

 ギルドを半壊させた罪。

 そして、王都の城門を無理やり突破した罪がある。

 彼のこれからの人生のためにも、きちんと償うべきだ。

「さすがに長期間の依頼になるだろうから、マードレット公爵家の了承が必要だ。それを得てからギルドに行って、詳しい説明を聞いてこようと思う」

「うん」

 王都を離れるなら、王女と顔を合わせることもないだろう。

 もちろん、このまま逃げ回るつもりはないが、今のクロエはまだ、魔女の力を使い慣れた王女カサンドラには敵わないかもしれない。

 だからサージェを探しながら、魔物退治などの依頼もこなして積極的に魔法を使う。そして自分の力を完全にコントロールできるようになってから、王都に戻りたいと思っている。

 アリーシャに説明するときにも、それをきちんと話した。

 エーリヒのギルドでの評価を上げるため。そして、クロエの魔法の修行のために、この特別依頼を受けるのが最適であると思ったこと。

「もちろん、魔石もたくさん在庫があるので、すべてお渡しします」

 アリーシャがクロエを義妹にしたのも、婚約者のジェスタを魔女であるカサンドラから守るために、質の良い魔石が大量に必要だからだ。

 予備としてマジックボックスに入れておいた魔石を机の上に置くと、彼女は安堵したように表情を緩めた。

「こんなにたくさん……。これだけあれば、半年は大丈夫だわ。ありがとう」

 魔石さえあれば、アリーシャは自分で王太子ジェスタを守れる。

 彼女には魔力はなかったが、魔法大国と言われるジーナシス王国に留学してまで魔法を学び、魔術師となった。

 それもすべて、婚約者である彼を守るため。

 だからアリーシャが使えるのは、魔女から身を守る魔法だけだ。でもその魔法で、今までカサンドラの悪意からジェスタを守ってきた。

 アリーシャはクロエにも、その魔法を教えてくれた。

 でもカサンドラのエーリヒへの執着があまりにも強いため、効きにくいかもしれないと、申し訳なさそうに言っていた。

 この魔法は、魔女からの注意を逸らし、関心を持たせなくする効果があるようだ。

 現にカサンドラは、兄で王太子でもあるジェスタとは、ほとんど交流がないらしい。

「ジーナシス王国には、魔女も何人かいる。それでも、そう簡単に会える相手ではないけれど、魔女に関する話を、色々と聞いて回ったわ」

 アリーシャはそう言って、その話をクロエにも聞かせてくれた。

 魔女の力にもランクがあって、この国唯一の魔女であるカサンドラは、その中でも低い方だった。

「カサンドラ王女殿下の魔法は、自分の領域でだけ、その効果がある。それは、魔女の力があまり強くないことを示している。でも彼女が王女である以上、その領域は王城全体になってしまうから、厄介だった」

 彼女の婚約者であるジェスタは王太子であり、その生活圏もカサンドラと同じ。

 カサンドラは、魔女の力に目覚めたばかりの頃、その力を好き勝手に使い、魔法が使えない部屋に何度も閉じ込められたという。

 それからは、使用人や下位貴族しか力を使わないそうだが、彼女の中身は、わがままな子どものようなものだ。御しやすいと考えて、カサンドラを傀儡にして権力を狙う者もいる。

 そんな人達に乗せられたカサンドラがジェスタを害さないように、アリーシャは魔法で彼から意識を逸らしている。

 クロエはアリーシャと違って、魔力がある。

 だからもっと強い魔法も使えるかもしれないが、それにはやはり、魔法の勉強が必要となる。

 アリーシャもそれをわかってくれたようだ。

「王都から出ても、クロエは私の義妹で、マードレット公爵家の娘であることには変わりないわ。宿は、貴族用のものを使うこと。エーリヒはあなたの婚約者だけど、公爵家で正式に護衛としても雇うわ。それなら、同じ部屋でも大丈夫だから」

「……はい」

 貴族用の宿に泊まるのは窮屈だが、警備もきちんとしているし、何よりもエーリヒが護衛として同室できる。

 さすがにまだ婚約者の状態では、貴族であるクロエとエーリヒは同じ部屋には泊まれないだろう。

「クロエ、貴族専用の宿の食事は、とても美味しいらしい」

 エーリヒが、ぽつりと耳元でそう囁いた。

「え、そうなの?」

 それなら、多少窮屈でも我慢しなければ。

 そう思ったのがわかったのか、エーリヒが楽しそうに笑う。

「クロエは、食べるのが好きだから」

「うう、今さら否定できない……」

 でも地方には、その土地しか食べられないような美味しいものがあるだろう。

 そう思うと、ますます楽しみだった。

 馬車も用意すると言ってくれたが、さすがに罪人を追いかけるには、目立ちすぎるので辞退した。長距離を移動するときは、辻馬車や貸し切りの馬車を利用することになるだろう。

 マードレット公爵からも許可が出たので、さっそくエーリヒがギルドに向かい、特別依頼の説明を受けてきてくれた。

 特別依頼を受けると言ったら、ギルド員には本気で感謝されたらしい。

 ギルドとしても、サージェのことは何とかしたいが、相手はギルドの正職員にまでなった魔導師。

 依頼を引き受けてくれる者がおらず、困っていたようだ。

 さらにエーリヒはクロエを守るために依頼を受けると言ったらしく、美貌の元騎士と貴族令嬢になった移民の話は、町中の噂になっていると、アリーシャが教えてくれた。

(恥ずかしい……。でも、嬉しいかも)

 しかも最近は城下だけではなく、貴族達の中でもふたりのことは密かに噂になっているらしい。

 エーリヒが王女のお気に入りであることは広く知られているが、エーリヒはその王女から逃げ出して、移民の女性と真実の愛を貫いた。

 その噂が広まり、その上でエーリヒが見事サージェを捕縛すれば、彼の評判はますます上がっていくに違いない。

 もしかしたら、移民への対応にも変化があるかもしれない。

(王女にはますます恨まれそうだけど……)

 カサンドラの関心がエーリヒではなく、クロエに向いてくれたら、むしろ好都合である。

 こうして出発の準備を整えて、クロエはエーリヒと一緒に、特別依頼の達成のため、マードレット公爵邸を出た。

「王都を出るときだけ、公爵家の馬車に乗った方がいいわ。魔導師の逃亡があったせいで、いつもよりも出入りが厳しくなっているみたい」

 城門を守っている騎士も、殺気立っている。

 でもマードレット公爵家の馬車ならば、長時間待たされることも、馬車の中を見られることもなく、王都の外に出ることができる。

「ありがとうございます」

 クロエは有り難く、その申し出を受けることにした。

 城門を守っているのは、父の部下。

 そしてエーリヒの元同僚達だ。

 彼らには、なるべく関わらないほうがいいだろう。

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