第49話

 そう熱弁したクロエは、急に恥ずかしくなって、エーリヒから離れようとする。

「ごめんね、急に。ただ、私のわがままでここに戻ってきてしまったから」

「わがままなどではないよ。クロエは昔から優しかった」

 エーリヒは離れようとするクロエを捕まえて、引き寄せた。

「昔の話は嫌か?」

「ううん。クロエも、ちゃんと私の中にいるってわかったから、もう大丈夫」

 どちらが本当の自分がわからなくなって、エーリヒに迷惑を掛けてしまったこともある。

 でも、今の自分は前世の「橘美沙」ともかけ離れている。

 美沙のように楽観的な部分もあれば、クロエのように臆病だったりする。そんな自分を受け入れて、この世界で一生懸命生きていこうと思っていた。

「あ、でもどっちの私も、一番大事なのはエーリヒだからね」

 照れながらも素直に気持ちを伝えた。

 彼にばかり話させて、自分のことを話さないのは不公平だ。

「俺は……」

 エーリヒは何か言いかけて、クロエを後ろから抱きしめる。

「うん」

 彼の胸に寄り添いながら、急かさずに、静かに頷いた。

 ずっと人形のように扱われてきたエーリヒは、こうして自分の気持ちを話すことが苦手なのかもしれない。

 でもクロエは、エーリヒが何を思っているのか、その考えを知りたい。

 大切だからこそ、話がしたいと思っている。

「俺も、大切なのはクロエだけだ。本当は、この国にもあまり興味はない。貴族はもちろん、町の人間や移民だって、ろくな人間はいなかった。でもクロエは違っていた」

 そう言うとエーリヒは、クロエにだけ見せてくれる優しい笑みを浮かべる。

「昔から、怖くてたまらないのに、俺のことを助けてくれた。それに、どんなに酷い扱いをされても、逃げ出さずに役目を全うしようとしていた」

「……それは、父が怖かったからで。結局、王城からは逃げ出したし」

 以前のクロエは、恐怖から言いなりになっていただけだ。

 逃げるという選択肢が、最初から彼女の中にはなかった。支配され、虐げられるのが当たり前だと思っていた。

「あのままだったら、クロエは壊れてしまっていた。だから、逃げ出してくれてよかったと思っている」

「うん」

 実質、あの婚約破棄宣言で、クロエは壊れてしまっていたのかもしれない。

 もし前世の記憶を思い出し、魔法の力に目覚めていなかったら、クロエにもエーリヒにも未来はなかった。

 そう思うと、こうして一緒に居られることが、本当の奇跡だと思う。

「それに、クロエはこうして戻ってきた。そしてまた、戦おうとしている。この国のことはどうでもいいけれど、クロエの傍にいるために、クロエの夢を叶えるために、俺は戦うつもりだ。……本当は」

 何かを言いかけて、エーリヒはまた、黙ってしまう。

 クロエは急かさずに、静かに待っていた。

 今まで自分の気持ちを話すことがなかっただけに、こうして言葉に詰まってしまうのだろう。

「王女殿下……。あの魔女に目を付けられている俺が傍にいると、クロエが危険かもしれない。俺が傍にいない方が、クロエの理想通りの未来に近付けるかも……」

「それは違うよ!」

 黙って話を聞かなくてはと思っていたのに、思わずエーリヒの言葉を遮って、クロエは背後から自分を抱きしめるエーリヒを見上げた。

「私がアリーシャさんに協力しているのも、この国の有り様を変えたいと思ったのも、心置きなくエーリヒと幸せになりたいからだよ」

 一番大切なのは、掲げた理想でも平穏な生活でもなく、エーリヒだ。

「だから、エーリヒと一緒じゃないなら、全部意味のないことだから」

 きっぱりとそう告げると、エーリヒは、見慣れてきたクロエでも直視できないような、神々しいほど美しい笑みを浮かべる。

「……うん。俺も、クロエと一緒に生きるためなら、何だってできる。誰にも負ける気がしない。クロエの隣に相応しいと言われるまで、自分の価値を上げてみせる」

 その眩しいほどの笑顔を見つめながら、クロエは王女カサンドラのことを思う。

 彼女はエーリヒの笑顔が、見ているだけで自分まで幸せになるほど綺麗なことを知らないだろう。

 人形のような無表情なエーリヒは、本当の彼ではない。

(そんな人に、エーリヒは渡さないから!)

 今は国王によって、魔力を封じる塔に閉じ込められている王女だが、そのうち出てくるだろう。そう簡単にエーリヒを諦めるとは思えない。

 本場の魔女と比べると、彼女の力は弱いらしいが、クロエは自分の力がどの程度であるかさえ、まだ知らない。

 それでも、負けるつもりはなかった。

「こうなったらこの身分証を利用して、依頼を受けまくって強くならないと」

 そう言って腕を掲げると、エーリヒもクロエと同じように、銀に煌めく腕輪を見上げる。

「そうだな。明日、早速ギルドに行って、依頼を受けてくる」

「うん。頑張ろうね!」

 そう誓い合った。

 

 翌日。

 エーリヒはひとりでギルドに向かった。

 本当はクロエも同行したかったけれど、今はマードレット公爵家の養女である。

 気軽に出かけるわけにはいかず、今まで移民の冒険者だったのに、急に従者を連れて馬車で行くのも気まずい。

 だからおとなしく帰りを待っていたのだが、戻ってきたエーリヒは、複雑そうな顔をしていた。

「どうしたの? 何かあった?」

 慌てて駆け寄り、怪我をしていないか確かめる。

 昔から優美な外見をしているエーリヒは、ギルドに集まる屈強な冒険者たちの中では浮いた存在だった。

 だから、また何かに巻き込まれてしまったのではないかと心配した。

「いや、大丈夫だ。ギルドも建物が復興していたし、クロエが貴族になったことは知られていたから、絡んでくる者もいなかった」

「そう……。よかった」

 移民の冒険者が貴族の、しかも公爵家の養女になったのだから、知られているのは仕方がない。それでエーリヒが絡まれることがなくなったのなら、良かったとさえ思う。

「だったら、どうして?」

 エーリヒが複雑そうな顔をしている理由が知りたくて、クロエは尋ねる。

「……サージェが王都から逃亡したらしい。しかも魔法を使って、城門を強行突破した」

「えっ」

 予想外の事態に、クロエは声を上げた。

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