第48話

 アリーシャの覚悟を疑っていたわけではないが、マードレット公爵家の実権を握っているのは、彼女の父である。

 複雑な手続きもあるだろうし、実際に身分証を手にするのは、もっと先のことだと思っていた。

 でもそんな予想に反して、翌日にはクロエとエーリヒの身分証が届けられた。

 ギルドに所属していたときのものとは違い、王都の外にも出ることができるものだ。

(これが、身分証かぁ)

 身分証は、腕輪の形になっていて、色や細工で身分を示すようだ。

(何となく、免許証みたいなものを想像していたけど、これならなくす心配もなさそう)

 クロエが貴族だった頃には、こんな身分証は身につけていなかった。

 以前のクロエやアリーシャのような上位貴族には、必要ないようだ。けれどクロエのような養女になった者や、下位貴族には必須らしい。

(貴族の中でもまた、厳しい身分差があるのね)

 そんな国で、王太子ジェスタやアリーシャのような最上位の人たちが、この国を変えるために立ち上がってくれた。

 素晴らしいことだが、貴族たちの反発も激しいだろう。道のりはかなり険しいものとなる。

(これ、どうやって外すのかな?)

 気になって色々と調べてみると、専用の鍵がないと外せないらしく、盗難の心配もないようだ。

 クロエの腕輪は、金細工に鮮やかな緑色の宝石。

 エーリヒのものは、銀細工に青い宝石が飾られている。

「まさか、こんなに早く用意してくれるなんて」

 貴族ではなく、移民のクロエにここまでしてくれるのだ。魔石のためかもしれないが、その覚悟は本物だと信じることができる。

 クロエはそう思っていたが、エーリヒはまだ警戒している様子である。

 腕輪を見つめながら、静かに考え込んでいた。

「アリーシャさんは、信じても大丈夫だと思うよ」

 だから、そう声を掛けた。

 けれどエーリヒの答えは、意外なものだった。

「たしかに、彼女は今までの貴族たちとは違うのかもしれない。だからこそ、信用できない」

「え?」

 それは、どういう意味なのか。

 首を傾げるクロエの手を取って、エーリヒは自分の方に引き寄せた。

 逆らわずに、素直に身を任せる。

「俺は、クロエを守るためなら、たとえ誰であろうと戦うつもりだ。手段を選ぶつもりもない」

「……うん。私だってそうだよ」

 その言葉に、深く頷いて同意する。

 たとえ相手がこの国唯一の魔女のカサンドラであろうと、エーリヒを守るためなら戦う。

 ふたりで生きる未来のためなら、何だってする。

 その覚悟は、アリーシャにも負けないだろう。

 そう思った途端、エーリヒが彼女の名を口にする。

「きっと、アリーシャ嬢もそうだ」

 そう言って、クロエを宥めるように、そっと背中に手を添えた。

「俺たちを保護しようとしてくれている気持ちは、本物かもしれない。でも掲げた理想や、留学して魔術を学んでまで守ると決めた婚約者のためなら、きっと何でもするだろう」

 クロエとエーリヒが、互いのためならどんなことでもやると決めているように。

 どちらかしか選べない状況になれば、アリーシャは迷いなく、婚約者と彼の掲げた理想を守ろうとする。

 それは、クロエにもわかった。

 アリーシャにとって一番大切なのは、クロエたちではない。

「うん、そうね。エーリヒの言う通りかもしれない」

 アリーシャの誠意を疑っているわけではないが、あまり信じすぎても良くない。互いに大切なものを守るために協力関係にあるだけだと、思い直す。

「エーリヒ?」

 抱きしめられている腕に力が込められたことに気が付いて、クロエはエーリヒを見上げた。

「どうしたの?」

「……いや、何でもない」

 そう言葉を濁しながらも、クロエを離そうとしない。

 マードレット公爵家に来てから、こんなことが増えたような気がする。

 王都の小さな家で暮らしていたときは、もっと色んな話をしていた。クロエの前世の話や、町であったことなど、楽しそうに聞いてくれた。

 エーリヒもギルドでのことや、依頼を受けて魔物退治に行ったときの話をしてくれたものだ。

 それなのに今のエーリヒは、こうして何も言わずに、ただクロエを抱きしめることが多い。

 彼も同意してくれたとはいえ、貴族社会はエーリヒにとって、二度と戻りたくなかった場所だ。何だか思い詰めているような気がして、不安になる。

(ここは、きちんと話し合わないと)

 クロエはそっとエーリヒの腕に手を掛けて、顔を覗き込んだ。

「ねえ、エーリヒ」

「うん?」

 相変わらず綺麗な顔が、不思議そうにクロエを見つめる。

「私には、何も隠さないで」

 真剣にそう告げると、エーリヒは少し戸惑ったような顔をした。

 こんなふうに、強要するのは間違っているのかもしれない。

 けれどこうやって問い詰めないと、なかなか心の内を話してくれない。

 そんな思いを込めてじっと見つめていると、エーリヒは柔らかく微笑む。

「たいしたことではないよ。ただ、俺がもっと強ければ、クロエに人を疑わせることなんて、言わずにすんだと思っただけだ」

 たとえアリーシャが裏切ったとしても、それくらい問題はないと言えるくらい、自分が強ければ。

 そう思っただけだと、話してくれた。

「エーリヒは強いよ。初めてギルドに行ったとき、驚いたもの」

 自分よりも遙かに屈強な男たちを、楽々と倒していたことを思い出す。

「まぁ、剣の腕はそれなりかもしれない。でも、貴族には通用しないからね」

 貴族が自ら剣を手に戦うことはない。

 彼らが駆使するのは、権力である。

 エーリヒが求める強さは、その権力にも屈しない力。

 だからこそ、自分の手で冒険者として名を上げて、たとえ貴族でも粗末に扱えない存在になろうとしているのだ。

「町で暮らしていた頃は、クロエの魔法に助けられることが多かった。もともと、俺が王城から逃げ出せたのも、魔法の力に目覚めたクロエに便乗したからだ。だから今度こそ、クロエを守れるように強くなってみせる」

 彼の強い決意はすべて、クロエのため。

 でも、それがかえって不安になってしまう。

 傷や痛みもすべて隠して、ひとりで何もかも抱えてしまうのではないか。

 自分を犠牲にしてまで、守ろうとしてくれるのではないかと。

「エーリヒ。私はお姫様じゃないの」

 だからクロエも、自分の思っていることをすべて、彼に伝える。

「当然だ。クロエを、王女と一緒だと思ったことはない」

「あ、違うのよ」

 例えが悪かったと、慌てて否定する。

「お姫様って、王女殿下のことじゃなくて……。以前のクロエのような、生粋の貴族のお嬢様じゃないのよ。ある程度のことは自分で出来るし、これから魔法をしっかりと覚えて、戦えるようにもなるつもり」

 エーリヒの気持ちは嬉しいけれど、ただ守ってほしいわけではない。

「最初に、相棒になろうって言ったでしょう? 私はこれから夫婦になっても、互いに支え合いたい。ひとりがピンチになったらもうひとりが助けるような、そんな関係になりたいの」

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