王城編

第45話(第二部開始)

 クロエ・メルティガルは転生者だった。

 前世は橘美沙という名の、ごく普通の一般女性である。

 仕事と趣味に全力で、恋愛する暇もなかったという、やや残念な感じではあったが、人生を大いに楽しんでいた。

 死因は覚えていないが、若くして死んでしまったのだろう。

 気が付けば、アダナーニ王国という、魔法もある西洋ファンタジー風の世界に転生していた。

 メルティガル侯爵家の令嬢という生まれだったが、父は横暴で、婚約者は浮気者。

 しかもその浮気者の婚約者に、婚約破棄を宣言された最中に、前世を思い出してしまう。

 でも、それが幸いだった。

 クロエは父と婚約者を捨て、さっさとその場から逃げ出した。

 せっかく生まれ変わったのだから、自由に生きたい。

 そう思って家から飛び出したクロエは、元近衛騎士のエーリヒと再会し、彼と一緒に逃亡生活を送ることになる。

 クロエには魔力があり、しかも願っただけですべてを叶えられる、『魔女』だった。

 でも『魔女』の存在はとても希少であり、クロエが『魔女』であることを知られたら、大変なことになる。

 だからそれを隠し、普通の『魔導師』として、ギルドに所属して魔石の納品を行っていた。

 すべては両想いになったエーリヒと、正式に国籍を得て結婚するためだ。

 それなのに、クロエに執着するギルド員に妨害されたり、クロエの納品する質の良い魔石のせいで貴族に目を付けられたりと、散々だった。

 結局クロエは、魔法で髪の色を変えた姿のまま、『移民』として、マードレット公爵家の養女となり、再び貴族社会に戻ることになった。

 強要されたのではなく、クロエ自身がそう決めたことだ。

 貴族の、しかも男性ばかりが優遇され、女性や移民たちが虐げられているこの国の状況を、少しでも変えたいと思ったからだ。

 偽善かもしれないが、自分たちだけが幸せならそれでいいとは、どうしても思えなかった。


「本当に、前途多難だったわね……」

 夕暮れ時。

 マードレット公爵邸の広い部屋から窓の外を見つめていたクロエは、今までのできごとを思い出して、そっと溜息をつく。

 移民の魔導師として冒険者ギルドに所属していたクロエに目を付けたのは、王太子ジェスタの婚約者である、マードレット公爵令嬢のアリーシャだ。

 彼女はクロエと同じ『魔女』である王女カサンドラから婚約者を守るために、魔力はないのに魔法を学び、『魔術師』となった。

 魔力があり、願っただけですべてを叶えるほどの力を持つ、クロエやカサンドラのような存在を『魔女』と呼ぶ。

 そして魔力を持って生まれ、魔法を学び、呪文を唱えて魔法を使うのが、『魔導師』。

 魔力がなくとも、魔法を学び、魔導師が作り出す魔石を使って魔法を使うのが、アリーシャのような『魔術師』である。

 国唯一の魔女だったカサンドラ王女は我儘で、侍女に怪我をさせたり、気に入らない者を排除したりと、やりたい放題だった。

 アリーシャは、そんなカサンドラと対抗すべく、質の良い魔石を求めていた。

 そこで移民のクロエを自分の義妹にして、魔石の確保、そして国に所属していない魔導師という存在を得ようとしたのだ。

(この国では魔導師も極端に少なくて、全員が国に仕えているのよね)

 窓の外の夕陽を眺めながら、そんなことを考える。

 だから、移民の魔導師であるクロエを味方にしようと考えた。

 だがそのクロエの元婚約者は、第二王子のキリフだ。

 彼はクロエにまったく興味がなく、いつも蔑んでいたから、髪色を変えただけで、顔を合わせてもわからないだろう。

 それでも貴族社会の一員となれば、父や兄と会う機会もあるかもしれない。

 そこでクロエは魔女の力を使い、身内と元婚約者だけではなく、エーリヒを除いたすべての人間が、クロエの顔を思い出せないようにした。

 直接顔を合わせ、会話をしたとしても、それがメディカル侯爵令嬢のクロエだとは、誰にもわからないだろう。

 本当のクロエは、エーリヒだけが知ってくれている。

 もう二度と、メルティガル侯爵家のクロエに戻るつもりはないから、これでいい。

 そして先日、クロエはマードレット公爵家の養女として、王城での夜会に参加した。

 エスコートしてくれたのは、もちろん婚約者のエーリヒだ。

 エーリヒは、アウラー公爵の庶子である。

 アウラー公爵家で侍女をしていた母親が亡くなり、その後は公爵家に引き取られたが、正式に認知されておらず、今もきちんとした身分はない。

 間違いなく貴族の血は引いているものの、移民のクロエと同じような立場だった。

 エーリヒもクロエのように、どこかの貴族の養子となる話も出たが、彼は、完全に貴族の一員となることを嫌がった。

 たしかに条件付きでマードレット公爵家の養女となったクロエとは違い、一度貴族の養子になってしまえば、この国から出るのは難しくなってしまう。

 いずれ、この国を出て自由に生きたいと言ったクロエのために、エーリヒは不安定な立場のままでいる。

 クロエは、それが少し心配だった。

 けれどマードレット公爵令嬢となったクロエと正式に結婚すれば、エーリヒも公爵家の身内となる。

 エーリヒを守るためにも、早く結婚したかった。

「クロエ、どうした?」

 そう問いかけられて、我に返る。

 クロエの部屋で寛ぎ、魔法の本に目を通していたエーリヒが、心配そうにこちらを見ている。

「何度も溜息をついていた。何か不安なことでもあるのか?」

「……うん」

 頷くと、エーリヒは本を閉じて机の上に置き、クロエの傍に来て、隣に座った。

「何が心配なんだ?」

「エーリヒのことよ」

「俺の?」

 不思議そうな彼に、こくりと頷く。

 エーリヒは、貴族の中でも滅多に見ないほど、整った容姿をしている。

 アウラー公爵譲りの、煌めく銀色の髪。

 氷の刃ように研ぎ澄まされた、冷たく美しい容貌。

 そのせいで王女カサンドラに執着され、ずっと囚われていた。王城の夜会で遭遇したときの言動から考えても、まだエーリヒを自分のものだと思っているだろう。

「エーリヒを守るためにも、早く結婚したいと思ったの」

 そう告げると、彼はクロエの肩を抱いて引き寄せる。

「俺も、早くクロエと結婚したいと思っている。あの夜会で、クロエのことを狙っている男が何人もいた。移民でもクロエは綺麗で、しかも魔導師だ。さらに今は、マードレット公爵令嬢でもある。庶子でしかない俺との婚約など、些細なものだと思っているだろう」

「私はエーリヒとしか結婚しないわ」

「俺もそうだ。クロエ以外の女など、必要ない」

 愛しそうに見つめられ、そっと額にキスをされて、クロエは真っ赤になって狼狽えた。

「そんなクロエの初心な反応に、エーリヒは目を細める。

「愛している。俺には、クロエだけだ」

「……わ、私も」

 前世も今も、ほとんど男性と縁がなかったクロエには、そう返すのが精一杯だった。

 でも、こうして寄り添っているだけで幸せを感じている。

 穏やかな時間が流れていく。

 王都で暮らしていたときのように、まったりと過ごしていると、クロエの部屋に義姉となったアリーシャが訪ねてきた。

 応接間に通して、向かい合わせに座る。

 エーリヒの部屋はクロエの部屋の隣にあるが、彼は寝るとき以外、ほとんどクロエの部屋にいる。婚約者同士なのだからと、マードレット公爵家でも、それを容認してくれていた。

 今日もエーリヒがいることを確認したアリーシャは、微笑ましそうに笑ったあと、ふたりに聞いてほしいことがあると言った。

「あの夜会のすぐ後に、カサンドラ王女殿下から抗議があったの」

 王女の名前を聞いて、エーリヒの体が僅かに強張る。

 クロエはそっと、彼の手を握った。

「エーリヒは自分の近衛騎士だから返してほしいと。それと、アウラー公爵からも」

「あの人から?」

 予想外だったらしく、エーリヒは驚いたように聞き返す。

「ええ」

 夜会のあと、我に返ったカサンドラは周囲に当たり散らし、大騒ぎをして、国王によって魔法の使えない塔に閉じ込められたらしい。

 そんなカサンドラのエーリヒへの執着を目の当たりにして、利用価値があると思われてしまったのかもしれない。

「それと、クロエに婚約の話を持ち掛けてきた者もいたわ」

「私にも?」

 驚くクロエの手を握っていた、エーリヒの顔が険しくなる。

「……誰だ?」

「侯爵家の子息と、アウラー公爵家の血筋の者。そして、キリフ王子殿下ね」

「へ?」

 かつての婚約者の名前を聞いて、思わず間の抜けた声が出てしまった。

「キリフ殿下って、ジェスタ王太子殿下の……」

「ええ。異母弟よ。彼にはもう後がないから、必死なのでしょう」

 アリーシャはそう言って、キリフの今の状況を語ってくれた。









※本日、書籍発売になります。

「婚約破棄されたので、好きにすることにした。」

講談社 Kラノベブックスf

イラスト:砂糖まつ先生

電子特典、限定SSペーパーなどございますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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