第44話 (第一部 完)
それからは、貴族として生きるためと、魔法を学ぶための勉強に明け暮れた。
移民を貴族の養子にすることも、前例があったようで、思っていたよりもスムーズに手続きを終えることができた。
だが、これほどの大貴族では初めてのことらしく、やはり注目されてしまうのは仕方がないようだ。
「それでも、クロエを見たら文句なんか言えなくなると思うわ」
アリーシャはそう言って、うっとりとしたようにドレス姿のクロエを見つめる。
あれからひと月ほど経過して、クロエも貴族令嬢としての立ち振る舞いが完璧にできるようになっていた。
「生粋の貴族令嬢みたいに洗練されているし、黒髪もとても綺麗。もしエーリヒが婚約者でなかったら、希望者が殺到したと思う」
そう言ってもらえるのは嬉しいが、生まれは間違いなく貴族だから、何だかズルをしているような気持ちになってしまう。
でもエーリヒの隣に立っても、誰にも文句を言われないようにするのがクロエの目標だった。だから公爵令嬢のアリーシャにそう言ってもらえるのは嬉しい。
(でも……)
クロエは隣にいるエーリヒを見上げて、思わず溜息をつく。
今まで騎士服や、冒険者として過ごしていた頃のラフに服装しか知らなかった。
でもこうして貴族の装いをしてみると、その整った容貌が際立って、どんなに自分を磨いても、敵わないのではないかと思ってしまう。
(そう考えると、常にエーリヒを傍に置いていた王女ってすごいわね……。よほど自分に自信があったのかしら……)
そんなエーリヒは、クロエを見て複雑そうだ。
「クロエが綺麗なのは知っている。でもクロエは俺のものだ」
そんな言葉で独占欲を出されてしまえば、いつまでも自信がないとは言っていられない。
「もちろんよ。それにエーリヒだって私の婚約者だから、誰にも渡さないからね」
そんなことを言って抱き合うふたりから、アリーシャは少し頬を染めて視線を逸らす。
「相変わらず仲が良いわね。昔のエーリヒしか知らない人が見たら、きっと驚くわ」
今のエーリヒを見て、もう王女の人形だと言う者はいないだろう。
アリーシャはそう言ってくれた。
彼女も婚約者である王太子のことがとても好きらしいが、立場もあり、あまり自分の気持ちを表には出せないらしい。
彼女には魔力はないのに、それでも魔術師となって他国に留学して学ぶくらい、王太子のことが大切なのだ。その気持ちを相手に伝えることは大切だからと、ふたりだけのときは、言葉にして伝えるように言ってみた。
すると、この国を良くするための協力者でしかないのだからと、互いに相手に対する気持ちを抑え込んでいたことがわかった。
それからは相思相愛の婚約者として、以前よりもずっと深い話をできるようになったと喜んでいた。
(その王太子殿下にも会ったわ)
マードレット公爵家の養女としてのお披露目はまだだが、アリーシャの婚約者である王太子のジェスタとも対面した。
母親が違うからか、キリフとはあまり似ておらず、真面目で誠実そうな人だった。
クロエやエーリヒを巻き込んでしまったことを詫びてくれて、ふたりの自由を奪うようなことはないと約束してくれた。もし貴族社会が耐えられなかったら、いつでも解放すると。
(それも、私が魔導師だと思っているからだよね。もし魔女だと知られてしまったら、そうは言ってくれなかったかもしれない)
あらためて、魔女の力に目覚めたのが、エーリヒと再会したあとでよかったと思う。
あの後のギルドの様子も、先日、公爵家を訪れたトリッドが教えてくれた。
彼はアリーシャの命を受けて、スラムや町の様子などを事細やかに報告しているらしい。アリーシャが町に出るときは、護衛も務めているようだ。
ギルドを半壊させ、町中で攻撃魔法を放ったサージェは、やはりギルド員を解雇され、国籍も取り上げられてしまったらしい。
このまま貴族に使い潰される未来もあり得たのだから、まだ運が良かったのだ。
どれだけ実績を積んでも、もう国籍を取得することはできないが、この国では珍しい魔導師なのだ。真摯に仕事に取り組めば、まともな生活は送れるだろう。
「だがあいつのような、プライドが高くて自分が特別だと思っている人間には、難しいだろう。身を持ち崩す可能性が高い。住む世界が違うから会うことはないだろうと思うが、逆恨みには気を付けた方がいい」
トリッドにそう忠告され、彼の言う通りだと頷いた。
会うことはないと思いたいが、魔導師ということに目を付け、利用しようと近付く貴族もいるかもしれない。
「来月、王城で夜会が開かれるの。そこで、あなたのお披露目をしようと思っているわ」
抱き合うクロエとエーリヒから視線を逸らしていたアリーシャが、そう告げる。
「はい。わかりました」
もう覚悟はできている。
クロエはしっかりとアリーシャの目を見て頷いた。
この日のために、彼女に守護魔法を学んで、それをしっかりと実行できるようになっている。
クロエにとってこの一か月は、貴族令嬢としての立ち振る舞いを学ぶというよりも、この守護魔法を完璧にするために費やした時間だった。
そうでなければ、エーリヒを王城に連れて行くことはできない。
「私の義妹が、異国人で魔導師であることはもう知っていると思うけれど、もう決まっているという婚約者がエーリヒであることは、誰も知らないわ。この私の義妹と婚約者に表立って絡む者はいないと思うけれど、何かあったら私に言ってね」
「はい、お義姉さま」
クロエは淑やかに笑ってみせた。
エーリヒが言っていたように、アリーシャの父であるマードレット公爵家は、かなり力を持っているようだ。
それは魔女として生まれたカサンドラの母を側妃に迎える際に、多額の支度金を用意する必要があり、そのお金を王家はマードレット公爵家から借りたことにも関連していた。
カサンドラの母は強い魔力を持って生まれ、その嫁ぎ先を巡って、かなりの争奪戦が起きていたようだ。それを、支度金という名目でお金を積んで、この国の国王陛下が勝ち取った。
だから国王も、いくら可愛い王女の希望とはいえ、マードレット公爵家に喧嘩を売るような行為は認めないだろう。
この立場と守護魔法で、クロエもエーリヒも守られている。
あとは、王太子とアリーシャの懐刀としての役目を果たすだけだ。
そうして、いよいよ夜会の日。
クロエはエーリヒの瞳の色である真っ青なブルーのドレスを着ている。
髪飾りや装飾品は、もちろん銀色である。
どちらも最高級のもので、クロエを美しく彩っていた。
上品で大人っぽいデザインのドレスは、侯爵令嬢だった頃には縁のなかったものだ。
王太子とアリーシャのあとに、エーリヒに手を取られて会場に入ることになっている。
(ああ、でもやっぱり緊張してしまう……)
控室で待っている間、緊張から深呼吸を繰り返すクロエの手を、エーリヒはしっかりと握ってくれた。
「俺も少し、緊張している。こんな夜会に正式に参加するのは初めてだ。でもクロエと一緒なら、きっと大丈夫だ」
「……うん。私も」
互いにしっかりと手を握り合って、気持ちを落ち着かせた。
そろそろ出番だろう。
会場中の人たちが注目する中、クロエはエーリヒのエスコートで、夜会の会場に足を踏み入れた。
(ああ、キリフ殿下もいるようね)
あの日、美しい恋人を腕に抱きながら、クロエを蔑んだ元婚約者は、今夜はひとりのようだ。
(あの令嬢はどうしたのかしら?)
周囲を見渡してみても、それらしき人はいないようだ。
キリフが以前よりも髪をさらに短くしているのは、もしかしたらクロエの魔法の影響かもしれない。
父であるメルティガル侯爵もいる。
エーリヒを見て苦々しい顔をしているが、娘であるクロエに気付いた様子はない。
そして。
「エーリヒ?」
可愛らしい女性の声がした。
顔を向けると、豪奢なドレスを着たカサンドラが、エーリヒを見て駆け寄ってきた。
「今までどこにいたの? その女は何?」
夜会という正式な場で、アリーシャが紹介する前にそんなことを言ったカサンドラに、注目が集まる。けれどそんな視線さえ顧みず、カサンドラはエーリヒに詰め寄る。
「勝手にいなくなるなんて。私から逃げられると……」
そうまくしたてるカサンドラに、エーリヒはクロエですらぞっとするほど冷たい視線を向ける。
「……エーリヒ?」
さすがの王女も、殺気すら感じるような鋭さで一瞥されて、怯えたように後退した。
魔女の力を有していても、彼女自身はか弱い王女でしかない。
呆然とした様子で名前を呼ぶ声にはまったく答えず、エーリヒはクロエに向き直った。
「行こうか」
「う、うん」
愛しさを隠そうともしない、柔らかな笑みを向けられて、見慣れているはずのクロエでさえ、動揺してしまう。
「エーリヒ? どうして、そんな顔で……」
それが信じられない様子で、呆然と呟いている。
差し出されたエーリヒの手を握りながら、クロエは王女の方は見ないようにして、会場の内部に移動した。
国王の指示なのか、近衛騎士が駆け寄ってきて、放心したままの王女を連れ出していく。我に返って暴走する前に、移動させたのだろう。
(あれが、王女カサンドラ……)
一度、彼女らしき姿を夢で見たことがある。
あのときは、周囲の人たちも彼女に怯え、ただ我慢してやり過ごすしかないといった感じだった。
けれど今のカサンドラは、エーリヒに詰め寄り、拒絶されて、どうしたらいいかわからずに狼狽えていた。
王太子とアリーシャの最初の目的は、こうして大勢の前で、カサンドラは恐ろしい魔女ではなく、ただの我儘な子どものようなものだと知らしめることかもしれない。
それからクロエとエーリヒは、アリーシャに連れられて国王と対面したあと、マードレット公爵家と親交の深い人たちに挨拶をしていく。
エーリヒが言っていたように表立ってマードレット公爵家に敵対する者はなく、クロエの黒髪を美しいと褒める人もいたくらいだ。
たしかにこうしていると、金髪ばかりの人たちの中で、クロエの黒髪はとても目立っている。
異質な自分を受け入れる者と、表向きは歓迎しながらも、思うところがあるような者。
そして最初から、遠巻きに見ている者たち。
様々な視線を受けながら、クロエはエーリヒに手を取られて歩いていく。
(まさか、またここに戻ってくるなんて思わなかったな)
王城の夜会で婚約破棄をされて、逃げ出した。それから魔法の力に目覚め、エーリヒと再会し、彼に恋をした。
(最初はそのまま国を出て、自由に生きようと思っていた。でも……)
こうして別人となって、王城に戻ってきている。
けれど以前と違って、すべて自分の意志で決めたことだ。
きっとこれからも、自分で決めた人生を歩んでいく。
でも、クロエがこの先どんな人生を選んだとしても、エーリヒが必ず傍にいてくれるだろう。
クロエは立ち止まり、隣に立つエーリヒを見上げて微笑んだ。
※書籍化・コミカライズが決定しました!
詳細は、決まり次第近況ノートにて報告させていただきます。
第二部も頑張りますので、引き続きよろしくお願いします~。
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