第43話
それからふたりは話し合い、移民としてのクロエの設定を作り上げた。
両親とともに他国から流れてきた移民の娘で、すでに両親は亡くなっている。
王城から逃れてきたエーリヒと出会い、彼の助言によって、自分に魔力があることを知った。
「こんな感じかな?」
本当の身元はもちろん、魔女であることも隠しておく。
さすがに魔女だと知られてしまったら、この国を出ることが難しくなってしまう。まだ他国への憧れもあるので、選択肢は残しておきたかった。
それにクロエ自身もまだ、自分の力を自由に使えない。
魔法も知識だけで、実践は皆無だ。
そんなクロエに、アリーシャは守護魔法などの魔法を教えてくれると言っていた。
今までは魔石しか作れなかったが、魔法ギルドでは学べなかった魔法を、一から勉強する良い機会かもしれない。
アリーシャに魔法を学び、自分の力を完全に制御できるようになること。
それも、目標のひとつだ。
「クロエ、本当に大丈夫か?」
マードレット公爵家の養女になってしまえば、過去にクロエを虐げてきた元婚約者のキリフや、父と顔を合わせることもあるかもしれない。
エーリヒは、それを心配してくれている。
「私なら大丈夫」
むしろ不誠実だったキリフと、クロエを虐げ、エーリヒを排除しようとした父を、このままにはしておけないと思う。
それでもあの王女のように、私情で魔女の力を使うつもりはない。
(人を傷つけたり、言うことを聞かせるために魔女の力を使ってはいけない。この力はとても強いものだからこそ、溺れないようにしないと)
最初に禿げるように願ってしまったのは、まだ魔女だと知らなかった頃なので仕方がない。
「エーリヒこそ、大丈夫?」
「ああ、もちろんだ」
あの場所に、トラウマを抱えているのではないか。
それが心配で尋ねると、エーリヒは力強く言った。
「あの頃とは違う。今の俺は何があっても、クロエと一緒に生きる未来を諦めない」
「…・・・うん」
エーリヒはもう、王女の人形などではない。クロエのパートナーで、恋人で、これからの人生を一緒に生きていくと約束した婚約者だ。
「ふたりで、頑張ろうね」
見張りもいなし、ここから逃げようと思えば可能かもしれない。
でもどんなに遠くに逃げても、きっと心から安心することはできない。
ずっと逃げ続ける人生を送ることになってしまうだろう。
それよりは、自分の居場所を確保するために、ふたりで戦うことを選んだ。
その意志をもう一度確認し合い、それから呼び鈴を鳴らしてアリーシャを呼んだ。
「先ほどの話、お受けしたいと思います」
エーリヒと手を取り合いながらそう告げると、アリーシャは心から安堵したような顔をして、その場に座り込んでしまった。
「……ありがとう」
気丈に振舞っていたが、魔女である王女カサンドラ、そして彼女を操ろうとして動く勢力との戦いで、彼女もかなり疲弊していたのだろう。
だからこそ、移民として過ごしていたクロエにまで目を付けて、味方に取り込もうとしたのかもしれない。
「私の義妹になるからには、あなたのことは全力で守るわ。もちろん、エーリヒのことも」
「私たちなら大丈夫です」
決意を込めてそう言ってくれたアリーシャに、クロエはエーリヒの手を握りながら笑顔でそう答える。
「自分たちの力で、居場所を確保したいのです。それに私は、少しでもこの国が良くなることを願って、おふたりに協力することにしたのですから」
座り込んだままのアリーシャは、その言葉に決意を固めたように頷き、立ち上がった。
「私たちも、理想のままで終わらないように、全力で頑張るわ」
アリーシャはギルドからの伝言を聞いたようで、体調を心配してくれた。
クロエは正直に、体調不良だと言ったのは、断るための口実だったと告げる。
「実は、スラムの子どもたちに会ってから、あの子たちのために何かできないかと思って。差し入れを持って、教会に行ったことがあるんです」
これから一緒に戦うのならば、隠し事はしたくないし、されたくない。
だからクロエは教会でアリーシャを見たこと。そのときの会話を聞いて、エーリヒを守るためにギルドを去るつもりだったと言った。
「……そうだったの。ごめんなさい。私が悪いわ。あのときの私は、魔法を使い続けて少し限界で。ジェスタ様のために、何とかしてあなたたちを味方にしなくてはと、思い詰めていたの」
あのときの言葉を謝罪して、それを聞いたのに味方になってくれたことに、アリーシャは心から感謝してくれた。
「あの特別依頼も、あなたたちのことを知りたかったから、私からギルドに依頼したの。本当は教会の子どもたちには、もう治療薬は届けられていたのよ」
「そうですか。それを聞いて、むしろ安心しました」
クロエたちを手に入れるために、教会の子どもたちが苦しんでいるのに放っておくような人ならば、信用できなかった。
すべてを打ち明けて謝罪してくれたアリーシャを、信じてみようと思う。
それから、これからのことを話し合った。
クロエはこのマードレット公爵家の養女になる。もちろん、当主であるアリーシャの両親も承知してくれているようだ。
「ふたりには、この屋敷で暮らしてもらうことになると思うの。部屋はたくさん空いているし、不自由はさせないつもりよ」
貴族の養女となれば、まだ結婚していない以上、エーリヒと同じ部屋では暮らせない。
それでも婚約者ということで、隣の部屋にしてくれたようだ。
アリーシャはさっそくメイドを呼んで、それぞれの部屋に案内してくれた。
(広い部屋ね……)
侯爵令嬢だったクロエの部屋と比べても、かなりの広さの部屋である。
今までエーリヒと一緒に小さな家で暮らしてきたから、少し寂しい気持ちもあるが、正式に結婚するまでの辛抱だ。
(もう夫婦のように一緒に暮らしてきたんだから、婚約者じゃなくても良い気がしたけれど……)
彼女の申し出を受けると答えたとき、そのことについても相談してみた。
だがアリーシャは、無効にされてしまう可能性があるから、きちんと貴族になってから結婚した方がいいと忠告してくれた。
移民と貴族の庶子の結婚など、貴族にとってはそんなものだろう。
アリーシャはこんな国を変えたいと言っていたし、クロエもそう思っている。
(忙しくなりそうね)
クロエは、これから暮らすことになる部屋を見渡しながら、そんなことを考えた。
貴族令嬢として生きるのなら、学ばなくてはならないことはたくさんある。
幸いなことに、クロエはもともと侯爵令嬢だったので、マナーやダンスなどに関しては、予備知識がある状態だ。
それを、少しずつ覚えていったことにすればいい。
真剣に取り組まなくてはならないのは、魔法の勉強だろう。
そんなことを考えていると、さっそくアリーシャが部屋を訪ねてきた。
「ごめんなさい。時間が掛かってしまうから、まずドレスの採寸をしないと」
「あ、はい」
貴族令嬢になるからには、ドレスで過ごさなくてはならない。
今まで気楽な生活をしていただけに、少し窮屈に思うが、それでも採寸するメイドたちに抵抗を覚えなかったのは、クロエの記憶があるからだろう。
色々と採寸をしたあと、アリーシャはクロエが予想していた通りに、マナーやこの国の歴史などを学ぶ家庭教師をつけてくれると言った。
「色々と大変だと思うけれど、私も精一杯サポートするわ」
「大丈夫です。決めたのは私ですから」
それも、クロエとして生きてきた記憶があるから言えることかもしれない。
(さすがに最初から、何の予備知識もないまま貴族令嬢になるのは大変だからね)
少しずるいような気もするが、やはりクロエとして生きてきた人生が無駄にならなかったことは、嬉しく思う。
魔法も、アリーシャが自ら教えてくれるそうだ。
王太子の婚約者として、彼女も忙しい毎日を送っていると思うが、これだけは自分が教えたい。それがクロエたちに対する誠意だと言ってくれた。
そして、夜になってからアリーシャの両親であるマードレット公爵夫妻と対面した。
どちらも金髪に白い肌と、典型的な貴族の外見をしていたが、ふたりとも誠実な人たちで、クロエを巻き込んでしまうことを謝罪してくれた。
形式的な養子縁組ではなく、本当の家族のように何でも頼ってほしいと言われたが、横暴な父と、そんな父の言いなりだった母しか知らないクロエは、かえって戸惑ったくらいだ。
対面を終えて部屋に戻ったクロエは、訪ねてきてくれたエーリヒに、それを打ち明ける。
「ふたりとも、とても優しそうだったわ。この国の貴族にも、あんな人たちがいるのね」
今、この部屋にはクロエとエーリヒのふたりだけだ。
貴族令嬢になるとはいえ、着替えやお茶を淹れたりするのもひとりでできるので、この屋敷の中ではメイドの手は借りないことにしている。
だから気兼ねなく、ゆっくりと話すことができた。
「……マードレット公爵はかなり有能だと聞いている。優しいだけの人ではないとは思うが」
そう言われて、たしかに信じすぎてしまうのも問題だと、気を引き締める。
「そうね。エーリヒの言う通りだわ」
華やかに見える貴族社会だが、実際は恐ろしい場所だということを、クロエもよく知っている。
そんな場所に自ら飛び込むのだから、少し疑い深いくらいがちょうど良いのだろう。
「エーリヒの方は大丈夫?」
「俺はとくにやることもない。一度、ギルドと向こうの家の様子を見てこようと思うが」
「あ、荷物なら私が全部持ってきたから大丈夫」
アイテムボックスに入れたままだったことを思い出して、それを告げた。
「でも家具はここでは使えないし、衣服は別のものを用意してもらったし、調理器具も必要ないから、このまましまっておくね」
「そうだな。いつかまた、使う日が来るだろうから」
彼は頷き、それから少し残念そうに、しばらくクロエの手料理は食べられないな、と呟いた。
「この屋敷にいる間は自由にしてもいいと言ってくれたから、たまには料理をさせてもらえないか、聞いてみる。私も、エーリヒのために料理をするのは好きだから」
「そうか。楽しみにしている」
嬉しそうに、そう言ってくれた。
もともとエーリヒは食が細いが、クロエが作ったものなら、何でも食べてくれる。
「それと、ギルドの様子は私も気になるけど、エーリヒが行くのは心配だわ。また騎士と遭遇するかもしれないし」
半壊したギルドと、騎士団に連れて行かれたサージェのことも気になる。
でもまだクロエが公爵家の養女になることも、そんなクロエとエーリヒが婚約したことも、公表されていない。
「クロエがそう言うなら、やめておくよ」
不安を訴えると、エーリヒはすぐにそう答えてくれた。
「たしかに行くにしても、もう少し時間を置いたほうがいいかもしれない」
「うん」
こうやってエーリヒは、クロエの不安を減らすように努力してくれている。
だからクロエも、エーリヒが安心してくれるように、しっかりしないといけない。
(きっと大丈夫。父や元婚約者に会っても、平然としていられる)
それは前世の記憶が蘇ったからというよりは、エーリヒと一緒に過ごしてきた日々のお陰だ。
地味だと蔑まれていたクロエを、綺麗だと。
あんな男には勿体ないとまで、言ってくれたのだ。
その言葉を思い出せば、たとえ移民だと蔑まれても、まっすぐに前を向けるだろう。
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