第42話
「エーリヒを助けていただいて、ありがとうございます」
それがわかったから、クロエも素直に礼を言った。
けれどアリーシャは以前教会で、クロエとエーリヒのことを手に入れたいと語っていた。
助けてくれたのも、善意ではないだろう。
「お礼なんていいのよ。私も、あの人のためを思ってしたことだから」
そんなクロエの警戒が伝わったのか、アリーシャはあっさりと手の内を明かした。
「あの人、とは……」
「この国の王太子である、ジェスタ様のためよ。彼は、私の婚約者なの」
そして、エーリヒを利用して王女を操ろうとしている人たちは、彼女を王太女にすることを目的にしているのだと告げた。
「カサンドラ様はまだ、エーリヒを諦めていない。だから、女王になれば配偶者を自由に選べる。そんなことを囁いて、唆す者がいるのよ」
そこにエーリヒの意志などない。
貴族にとって、庶子であるエーリヒなど道具でしかないのだろう。
(本当に、この国の貴族は嫌な人たちばかり)
その王女だって、エーリヒのことを人形扱いだったと聞く。
「恐ろしいほどの力を持っているけれど、カサンドラ様は、ただの我儘な子どもよ。そんな人が女王になってしまえば、この国はもっと酷いものになってしまう。私は、この国を変えようとして戦っているジェスタ様のために、あなたたちの力を借りようとしていたの」
アリーシャの言葉には熱が込められていて、嘘ではないとクロエにもわかった。
しかし彼女は、クロエがメルティガル侯爵家の娘であることも、王女と同じ魔女であることも知らないはずだ。
「エーリヒならともかく、私にそれほどの価値があるとは思えません」
「……実は、私は魔術師なの」
そんなクロエに、魔力を持って生まれた魔導師ではなく、魔石の力を借りて魔法を使う魔術師だと、アリーシャは告げた。
「守護魔法を使って、カサンドラ様の悪意からジェスタ様を守っているわ。あなたの魔石は本当に素晴らしくて、他のどの魔石よりも強い守護魔法を使うことができた」
婚約者を守るために、魔法を学んだらしい。
(やっぱり魔石だったの?)
質を抑えたつもりだったが、それでも魔女であるクロエが作った魔石は、同じ魔女のカサンドラにも強い効果があったようだ。
「ジェスタ様は移民問題や、女性の地位向上のための改革にも取り組んでいらっしゃるの。彼が王になる頃には、きっとこの国も変わるはず。それにスラム街の問題にも、きちんと向き合っているわ」
静かに見守っていたトリッドは、アリーシャの言葉に深く頷いた。
「貴族もこの国も信用できなかったけれど、ジェスタ様とアリーシャ様ならば信じられる。俺はそう思っている」
「……」
クロエも、ずっと思っていた。
この国は、あまり良い国ではないと。
そしてクロエも、スラムの子どもたちを見て、救える力があるのに何もせず、自分たちだけしあわせになってもいいのかと悩んでいた。
王太子とその婚約者であるアリーシャは、この国を変えようとして戦っているのだろうか。
「私に、何を望んでいますか? 私に魔力があるとわかったのは最近で、魔石を作ることしかできません」
自分は魔導師としては未熟だと、しっかりと伝えておく。
本当は魔法ギルドで練習するつもりだったのに、サージェのせいで何もできなかった。
「マードレット公爵家の養女に……。私の義妹になってほしいの」
そんなクロエにアリーシャは、ギルドを通して伝えた要求をもう一度伝えた。
「身内に、国に制御されていない魔導師がいることは、私たちにとって大きな力になる。ジェスタ様を守るための、魔石の確保にも協力してもらえたら嬉しいわ。もちろんあなたとエーリヒの安全と、ふたりの結婚は保障する。私の義妹の夫になれば、さすがにメルティガル侯爵もエーリヒに手が出せなくなる」
それに、とアリーシャは続けた。
「魔法なら私も教えられる。私がジェスタ様に掛けている守護魔法……。ジーナシス王国で学んだ、魔女の力から守れる魔法も、あなたに教えるわ」
「魔女の力から……」
「ええ。私は、ジーナシス王国に留学したことがあるの。もちろん、魔法の勉強のためよ」
異母弟の母の出身地でもあるジーナシス王国には、複数の魔女がいると聞いたことがある。
アリーシャは婚約者のためにその北方の国に留学して、守護魔法を学んだのだと教えてくれた。
(その魔法があれば、王女からエーリヒを守れる)
クロエは王女と同じ魔女だが、まだ制御できない力だ。どちらが強いかもわからない。
だからその魔法を教えてもらえることができれば、確実に王女からエーリヒを守れるだろう。
アリーシャが求めているのは、クロエが作り出す魔石と、身内に魔導師がいるという安心。
代わりにクロエとエーリヒの身元と安全を保障し、魔女から身を守れる魔法を教えてくれるのだという。
だがそれを受け入れた場合、クロエは移民として、貴族社会に戻ることになる。
ひとりで決められることではなかった。
これからの、ふたりの将来にも関わることだ。
「エーリヒと会わせてください。ふたりのことだから、話し合いをしたいです」
「ええ、もちろん」
クロエがそう言うと、アリーシャは頷いた。
エーリヒは隣の客間にいるらしい。
「彼は、騎士たちを全員倒してでもあなたのところに帰ろうとしていたの。でも残念ながら、ここは貴族のための国。騎士を傷つけてしまったら、メルティガル侯爵にエーリヒを排除する正当な理由を与えてしまう。だから、魔法で眠らせて連れてきたの」
しかもエーリヒは貴族が嫌いで、さらに女性も嫌っている。
アリーシャが説得しようとしても、聞く耳も持たなかったのだろう。
隣の客間に移動すると、エーリヒがソファーに横たわっていた。
クロエはすぐに駆け寄り、彼に怪我がないことを確認して、ほっと息を吐く。
(よかった……)
アリーシャが、戦闘になる前に連れ去ってくれたからだ。
そっと頬に触れると、それが引き金になったかのように、エーリヒは目を覚ました。
状況をまだ理解していなかったのか、ややぼんやりとしている様子だったが、クロエを見つめた途端、その瞳に力が宿る。
「クロエ」
「エーリヒ。無事でよかった」
手を引かれ、逆らわずに身を任せる。
「ここは……」
「マードレット公爵邸よ」
答えたのは、部屋の入り口でこちらの様子を伺っていたアリーシャだった。
途端にエーリヒは殺気立ち、抱きしめていたクロエを庇うように背後に庇う。
その殺気を受けて、トリッドがアリーシャの前に立つ。
緊迫した雰囲気に、クロエは慌てて声をかけた。
「エーリヒ、大丈夫だから」
彼にしてみれば、知らないうちに貴族の邸宅に連れてこられたのだ。
警戒するのも無理はない。
「だが……」
「あの人がエーリヒを連れてきてくれなかったら、もっと大変なことになっていたかもしれないの。だから、少し私の話を聞いて」
「わかった。クロエがそう言うなら」
エーリヒがクロエの言葉に頷くと、トリッドもすぐに背後に下がった。
「私とトリッドは部屋を出て行くわ。何かあったら呼び鈴を鳴らして」
そしてアリーシャも、ふたりでゆっくり話し合いたいだろうからと、トリッドを連れて部屋を出て行った。
マードレット公爵家から逃げ出すのは容易ではないだろうが、それでもクロエが魔導師だと知っているのに、ふたりきりにさせてくれた。
クロエたちが、ここ逃げ出すとは思っていないのか。それとも、見張ったり閉じ込めたりはしないという、誠意を示してくれているのか。
どちらにしろ、ふたりきりにしてくれたのは有難いことだ。
「今までのことを話すね」
クロエは今までの経緯と、アリーシャからの提案をエーリヒに説明した。
「ということで、こんな話があったんだけど……」
「俺は反対だ」
話を聞いてすぐに、エーリヒはこの話は受けるべきではないと言った。
「どんなに理想を掲げようと、クロエを利用しようとしていることには変わりはない。それに移民として貴族の中に入れば、いくらマードレット公爵家の名があっても、クロエを貶めようとする者は必ず現れる。そんな悪意にクロエを晒したくない」
クロエのことを大切に思ってくれているからこそ、エーリヒはそう言って反対している。
(でも、私は……)
もともと、自分だけしあわせになることに罪悪感を持っていた。
それは王太子やアリーシャのように、この国を変えたいというような崇高なものではなく、ただ自分の気持ちを楽にしたいだけかもしれない。
それでもスラムにいる子どもたちや、虐げられた移民たちを救いたいと思う。
(それに、自分の野望のためにエーリヒを排除しようとした父や、彼を自分のもののように扱っていたカサンドラ王女を、許せない気持ちもある)
逃げ続けるよりも戦って、自分で居場所を確保したい。
そう思ってエーリヒを見上げると、彼はふと、表情を和らげた。
「それでもクロエが戦いたいのなら、俺も、一緒に戦う」
「え?」
まだ何も告げていない。
そう思って戸惑ったが、そんなクロエを見て、エーリヒは笑った。
「顔を見れば、全部わかるよ。クロエが過去と戦うというのなら、俺も一緒に。それだけだ」
「……ごめんなさい」
エーリヒは王女を嫌い、自らを閉じ込める檻だった王城を嫌っていた。
それなのに、クロエは彼をそんな場所に戻そうとしている。
「クロエ、最初に言っただろう?」
思わず謝罪の言葉を口にしたクロエの頬に、エーリヒはそっと手を添えた。
「やりたいことは何でもやろうと。俺はいつだって、クロエの味方だ」
「……うん。エーリヒ、ありがとう」
感極まって、その腕の中に飛び込む。
「この国に定住するかどうかは、まだわからない。でも王太子殿下とアリーシャ様の地位が不動になって、その計画が上手く軌道に乗るまでは、協力したいと思っているの」
「ああ、了解した」
エーリヒは力強く頷いてくれた。
「ただクロエが本当は移民ではなく、メルティガル侯爵家の娘であることは、伝えないほうがいいと思う」
「……うん。私も、魔力のある移民の女性として、養女にしてもらうつもり。でも王城に行けば、父やキリフ殿下と会うこともあると思う。それが心配ね」
さすがに髪色を変えただけだ。
父やキリフは気付かなくても、周囲の人間の中には、クロエだとわかってしまう人もいるかもしれない。
どうすればいいかと悩むクロエに、エーリヒは言った。
「クロエの力を使えばいい」
「魔女の?」
「ああ。そうすれば、ふたりともクロエにはまったく気付かないだろう。おそらく今も、無意識に発動している」
「そうだったのね」
いくら面識がなくとも、王太子の異母弟の婚約者だったクロエにまったく気が付かなかったのは、それが原因だったのかと納得した。
エーリヒは自分のことなど誰も探さないと言っていたが、実際には王女もまだ彼に執着していた。
さらにクロエの父は、自分の野望の弊害になると考えて、見つけ次第排除しようとしていたのだ。
クロエは、エーリヒが外出するたびに、見つからないようにと願いを込めて送り出していた。
それが、エーリヒを守ってくれたのだろう。
(よかった……)
この魔女の力があってよかった。
クロエは心からそう思った。
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