第35話
「魔石の納品です」
クロエは受付に声を掛けて、肩掛け鞄の中から魔石を取り出した。
この中はアイテムボックスになっていて、魔石どころか何でも入るが、他から見れば普通の鞄でしかない。
「ああ、ご苦労さん」
受付にいたのはゲームのように可愛い受付嬢ではなく、中年の男性のロジェである。彼はクロエもエーリヒも安心して接することができる、貴重な存在だ。
「あいかわらず、綺麗な魔石だね」
そんなロジェは、クロエが納品した魔石を見て、そう言ってくれた。
「ありがとう」
お礼を言って、クロエはにこりと笑った。
「また依頼が入っているよ。受けるかい?」
「ええ、もちろん。でも全部は無理だから、優先度の高いものをひとつだけお願い」
本当はいくらでも作れるが、ここはセーブしておかなければ貴族に目を付けられてしまう。
「ああ、わかっているよ。これを頼む」
それはギルド側もわかっていて、あらかじめ依頼を優先順に選別しておいてくれる。本当に魔石が必要な人ではなく、ギルドにとって有益になる人を優先しているのかもしれないが、その辺は完全に任せていた。
「いつも助かっているよ。それで、実はあんたに話があるんだ」
「話、ですか?」
国籍の話かもしれないと思いながらも、クロエは首を傾げる。
「ああ。話が来た以上、義務として話さなくてはならないからな」
「え?」
国籍獲得の話だと思っていたクロエは戸惑って、隣にいるエーリヒを見上げた。
ロジェは、ふたりがこの国の国籍を取得するために頑張っていたことを知っている。だからそんな言い方をするということは、その話ではないのだろう。
「かなりプライベートな話だ。だから別室で聞いてもらうことになるが、もちろんエーリヒも一緒でいい」
「……わかったわ」
あまり良い話ではなさそうだ。
でもギルドからの話を聞かないわけにはいかないし、エーリヒも一緒でいいと言ってくれたので、ここは素直に従うことにした。
クロエが同意したので、ロジェは受付の奥にある個室にふたりを案内してくれた。
狭い室内に、簡素なテーブルと椅子がある。
ここはあまり内容を公にできない依頼などを聞く部屋で、以前緊急依頼を受けたときに説明を受けた場所でもあった。
クロエはどんな話だろうと緊張しながら、エーリヒと一緒に、ロジェの向かい側に座る。
するとロジェは、さっそく話を始めた。
「実は、あんたにとある貴族から、養女にしたいという申し出があった。魔力はあまり強くないが質の良い魔石が作れると、最近は評判になっていたからね」
「えっ……」
思ってもみなかった話に、クロエは困惑する。
普通の移民だったら、国籍取得どころか貴族になれるのだから、喜ぶところだろう。
だが、クロエはもともと侯爵令嬢である。
元婚約者と父から逃げるために身分を捨てたのに、また貴族の養女になんてなりたいとは思わない。
「お断りすることは、可能ですか?」
それでも、この国の貴族が絶対的な権力を持っているのはたしかだ。
たとえクロエが望まなくとも、今の身分が移民である以上、断ることは難しいかもしれない。
そう思ったが、一応そう尋ねてみる。
だがロジェも、クロエがそれを望まないとわかっていたようだ。
「先方はかなり理解のある御方で、無理強いはしないが、それでも一度、話は聞きたいとおっしゃっていてね」
「……そうですか」
少しだけ、その返答に驚く。
この国の貴族にしては本当に珍しく、こちらの意志を尊重してくれるらしい。
それでも、面談は避けられないようだ。
その貴族がどれほどの爵位なのかわからないが、姿を変えたクロエはわからなくとも、エーリヒを知っている可能性は高い。
(もし王女をよく知る人なら、エーリヒが王女のお気に入りの騎士だと気が付くかもしれない)
クロエの予想では、王女はまだエーリヒに執着している。もしその貴族にエーリヒの居場所を告げられてしまったら、大変なことになる。
「もし面談をするのなら、私ひとりで行きま……」
「クロエ?」
エーリヒは驚いた様子で、クロエの言葉を遮る。
「何を言う。ひとりで行かせることはできない」
「でも……」
ロジェの前で詳しい話をすることはできない。それにエーリヒは、もう王女は自分のことなど忘れていると思っている。
そんな彼を、どうやって説得したらいいのだろう。
クロエが悩んでいると、ギルドの奥から声がした。
「彼女をひとりで貴族に会わせたくないようですが、何か理由でも?」
第三者の声に驚いて顔を上げると、奥の方の扉からもうひとりギルド員が入ってきた。
移民でありながら、正規のギルド員になった魔導師サージェ。
彼が勝手な思い込みでエーリヒを魔法で攻撃してから、クロエにとっては、父よりも、かつての婚約者よりも嫌いな男である。
会話をするのはもちろん、声を聞くのも嫌なほどだ。しかも、まだエーリヒを疑うようなことを言うのだから、思い込みが激しすぎる。
「このギルドには、守秘義務はないのですか?」
サージェが今までの話を聞いていたことを悟り、クロエはきつい口調でそう言う。
だが今までと同じように、サージェはクロエがなぜ、自分に敵意を向けているのかわからないようだ。
「あなたを守るために必要なことです」
優しく諭すように告げられて、何を言っても無駄だと思い知る。クロエは彼を無視することにして、ロジェに向き直った。
「この話は一度持ち帰らせてください。エーリヒとよく相談して決めます」
そう言うと、戸惑うエーリヒの腕を掴んで部屋を出る。
背後から呼び止める声がしたが、絶対に振り返らなかった。
「どうしてあんなに思い込みが激しいのかしら。あのキリフ殿下だって、もう少し話を聞いてくれるわ」
足早にギルドを出たクロエは、エーリヒにだけ聞こえるようにそう呟くと、困ったような顔をしている彼を見上げる。
「エーリヒも、王女殿下の執着をあまり軽く考えないで。もし面会した貴族がエーリヒのことを知っていたら、大変なことになるのよ」
王女はもう自分には興味がないだろうと、エーリヒは思っているが、クロエにはそうは思えない。
納得してもらうまで話すしかない。
そう思っていたクロエだったが、エーリヒはクロエの忠告に真摯に頷いてくれた。
「わかった。そんなことはあり得ないと思っているけど、クロエが不安なら、きちんと考える」
「……えっ」
自分で忠告しておきながら、その返答に驚いてしまう。
それくらい、思ってもみなかった言葉だった。
心配したことを、不安に思っていることを、真摯に受け止めてもらえたのが嬉しい。
とくに、元婚約者のキリフ以上に話の通じないサージェに会ってしまった後だから、なおさらだった。
「ありがとう。ちゃんと考えてくれて」
そう告げるとエーリヒは柔らかく微笑み、クロエの黒髪をさらりと撫でる。
「クロエの言葉なのだから、当然だ。覚えていないかもしれないが、昔から俺のことを気遣い、心配してくれたのはクロエだけだった」
エーリヒは、昔のクロエを思い出すように目を細めてそう語り、そして今、隣にいるクロエの肩を抱く。
「そうやってクロエが俺のことを心配してくれて気遣ってくれるからこそ、俺は公爵令嬢や王女のお気に入りの人形などではなく、人間だと思うことができる。クロエの存在だけが、俺を生かしてくれるんだ」
「エーリヒ……」
真摯にそう語るエーリヒの言葉に、クロエは何だか切なくなって、自分の肩を抱くエーリヒの背に手を回す。
正式な婚姻ではなく庶子として生まれたエーリヒは、公爵家に引き取られたものの、ずっと従僕のような扱いであったと聞く。
義姉である公爵令嬢は、美しい容姿のエーリヒを気に入り、ずっとお気に入りの玩具のように傍に置いていた。
その姉が婿を迎えることになり、今度は厄介払いのように騎士団に入れられてしまう。
さらにあの王女に目を付けられて、ずっと行動を制限されてきた。しかも今度は王女の縁談があるからと、廃棄される予定だったと彼は語っていた。
他人にどんなふう思われようと、どうでもいい。
ずっとそう言っていたエーリヒはその言葉通りに、サージェに疑われ、攻撃されても憤ったりしなかった。
向けられる悪意も敵意さえも、仕方のないことだと受け入れてしまうまで、虐げられ傷ついてきたのかと思うと、胸が痛い。
「エーリヒ」
クロエはもう一度彼の名を呼んで、自分の肩を抱いている彼の背に腕を回す。
「私が絶対にしあわせにするから。あなたを守るためなら、どんなことでもしてみせる。だから、私から離れないでね」
どんな運命だろうと、この力でねじ伏せてみせる。
「それは普通、男のセリフだと思うんだけど」
照れたように笑うエーリヒに、クロエは自らの中に眠っている魔女の力を確かめるように、静かに目を細めた。
「いいの。私がそう決めたんだから」
以前のクロエなら、こんなことは言わないだろう。
ふと不安に思ってエーリヒを見上げたが、彼の瞳に宿る優しさは、まったく変わらなかった。
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