第34話

 不安や戸惑いはあったが、それでも『特別依頼』を果たしたことには変わりはない。

 魔石作りで実績を積んでいたクロエは、いよいよ国籍獲得も間近になってきた。

 このまま頑張れば、移民ではなく、この国の正式な移住者になれるだろう。

 だから今日も、朝から魔石作りに熱中していた。

 数をこなしてきたせいで、最近はちょうど良い感じで魔石が作れるようになっている。

 魔力の質が良く、けれどそれほど強い魔力を込めていないクロエの魔石は、いつしか手頃な値段で高品質の魔石だと評になっていた

 だから、上級冒険者や貴族の護衛などからの依頼がとても多い。

 それでもあまり大量に魔石を流出させると、貴族達から目を付けられるかもしれない。

 エーリヒとも相談して、まだそれほど多くの魔石は作れないということにして、来た依頼をすべて引き受けてはいない。

(それでも、結構忙しいのよね)

 クロエの魔力にしてみたら微々たるものだが、それでも手間は掛かる。

 朝から作り始めて、昼食のあともせっせと魔石を作っていると、身支度を整えたエーリヒがクロエの部屋を訪れた。

「出かけるの?」

「ああ。依頼を受けたから、出かけてくる」

「何の依頼?」

 少し心配になって尋ねる。

 最近エーリヒは、ひとりで依頼を受けて出かけることが多い。

「地下道に出た魔物退治だ。それほど強くないようだから、さっさと終わらせてくる。クロエは忙しいみたいだから、帰りに夕飯を買ってくるよ」

「うん、ありがとう。お願いね」

 エーリヒはクロエの頬に軽くキスをして、出かけていく。

(……何だか、本当の夫婦みたい)

 その姿を見送りながらそんなことを思ってしまい、恥ずかしくなって俯いた。

 でも、それが現実になる日も近付いている。

 魔石作りで実績を上げているクロエはもちろん、エーリヒもその剣の腕を買われて、指名依頼が多くなってきた。

 近いうちに、ふたりともこのアダナーニ王国の国籍を獲得できるだろう。

 なかなか早い出世だが、エーリヒが元騎士であることを考えれば、それだけの実力があるのも当然だ。

 国籍さえ得ることができれば、婚姻が可能となる。

 エーリヒは、そうなったらすぐにでも結婚しようと言ってくれている。

 もちろん、クロエもそのつもりだ。

 最初は戸惑いもあったが、今ではその日を心待ちにしている。

 けれど幸せな未来を思い描く度に、あの朽ちた教会を思い出してしまい、自分だけ幸せになっていいのかと考えてしまうのだ。

(前世ではこんなに思い悩むことはなかったから、やっぱり私はクロエなのね)

 たとえ記憶が蘇っていても、前世とまったく同じではない。

 今のクロエの考え方、生き方を、少しずつ模索していくしかないのだろう。

 ギルドで聞いた話によると、ふたりが受けた依頼のお陰で、教会の子ども達も無事に回復したようだ。エーリヒと相談して、一度、教会の様子を見に行くことになっている。

 最初はエーリヒも、クロエがスラムに行くことに反対だった。

 けれど自分の気持ちを語り、しあわせになることに後ろめたさのようなものを感じていると伝えると、クロエの意志を尊重してくれた。

 この国では、やはりエーリヒのような存在は稀有だと思う。

 そんなことを考えながら黙々と魔石作りに熱中していたら、いつの間にか手元が見えにくくなってきた。

「あれ?」

 視線を上げてみると、窓の外はもう薄暗くなっている。

「もうこんな時間?」

 慌ててランプを点けようと思って、立ち上がった。

 この国には魔導師が少なく魔石も高価なので、一般市民は蝋燭を使ったランプを使用していることが多い。

 けれどこの家では、日頃から魔石を使うランプを使用している。クロエが魔石を作れるので、その辺は問題ない。

 魔石を使ってランプを点けようとして、ふと不安になる。

 エーリヒはまだ戻らないのだろうか。

 早めに終わらせてくると言っていたのに、日が暮れるまで戻らないのはさすがに心配だった。

(どうしよう……。迎えに行ってみようかな?)

 魔石を箱にしまい、立ち上がった途端に、エーリヒが家に駆け込んできた気配がした。

「クロエ?」

「エーリヒ、どうしたの?」

 部屋に飛び込んできたエーリヒは、クロエの姿を見てほっとしたように表情を緩めた。そのまま腕の中に抱きしめられる。

「よかった。部屋が暗かったから、あまり魔石作りに集中しすぎて倒れてしまったのかと思った」

「ごめんなさい」

 クロエを心配していたのだと知って、謝罪する。

「つい熱中しすぎて。今、明かりをつけようと思っていたの」

「クロエは身体があまり丈夫ではない。無理はするなと、いつも言っているだろう?」

 優しい口調だったが、抱きしめてくれる腕にはいつもより力が込められている。本当に心配をかけてしまったようだ。

「今度から気を付ける。でも、エーリヒも遅かったね。心配で、迎えに行こうと思っていたのよ」

「ああ、そうだね。ごめん。依頼自体はすぐに終わったんだけど、ギルドで時間を取られてしまって」

「ギルドで? まさか、またあの人が?」

 またサージェがエーリヒに絡んだのかと思い、険しい顔をするクロエに、エーリヒはそうではないと首を横に振る。

「違う。サージェではなくてロジェだ」

「ああ、ロジェね」

 エーリヒを呼び止めていたのが、いつも親身になってくれる受付の男性だったと知って、クロエは首を傾げた。

「新しい依頼の斡旋とか?」

「いや。もうすぐクロエは、この国の国籍を取得できるだろうと教えてくれた」

「そうだったの。エーリヒは?」

「俺はもう少し掛かりそうだ。でも、すぐに追いつくから」

 最近ひとりで依頼を受けることが多いのは、その差を埋めようとしてくれたのだろう。

 けれどクロエは魔石を納品するだけで功績になっているが、エーリヒは地道に依頼を受けて、それを果たさなくてはならない。

 だから、クロエよりも時間が掛かるのは当然だ。

「急がなくてもいいの。だから無理はしないで」

「俺なら大丈夫。クロエのお陰で、最強の盾を手に入れたから」

「……盾って、もしかして」

 クロエが魔法を掛けてしまったエーリヒの右腕を、クロエは抱きしめる。

「もし魔法が不完全だったら、怪我をしてしまうわ」

「クロエの魔法だ。そんなことはない。それに、何度も魔物の攻撃を受け止めたが、なんともなかった」

 さらりとそんなことを言われて、息を吞む。

「危ないことはしないで。お願いだから」

 魔法の効果なんて、いつまで有効なのかわからない。

 そう訴えると、エーリヒは素直に頷いてくれた。

「わかった。クロエが不安になるようなことはしないよ」

「……よかった」

 ほっとして、そのままエーリヒに寄りかかる。

「明日、魔石の納品に行くわ」

「そうか。もしかしたらその時に、ロジェが国籍取得の話をするかもしれない」

「うん。エーリヒも行く?」

「もうすぐ移民のクロエは、正式にアダナーニ王国の国民になれるだろう。

 エーリヒはもう少し時間が掛かるかもしれないが、あれほど依頼を受けてすべて達成しているのだ。

 焦らずとも、じきに許可は下りるだろう。

 そうすれば、ふたりで新しい人生をやり直すことができる。

 クロエはそう信じていた。

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