第32話

 それからは積極的にギルドで依頼を受けて、それを堅実に果たす日々を過ごしていた。

 魔石も何度か納品したが、予想以上の高値で買い取ってくれた。

 ギルト員が言うには、魔石に込められた魔力は低いけれど質が良く、これでもっと魔力が高かったら、貴族からまとまった注文が入ったかもしれないそうだ。

 でもクロエにしてみれば、狙い通りである。

(あまり強い魔石を作ると、貴族に目を付けられるからね。これでいいわ)

 残念そうなギルド員に、あいまいに笑って納品する。

 クロエも、あのサージェ以外のギルド員とは、それなりに上手くやっていた。

 エーリヒもその剣の腕を生かして、地下道の魔物退治や護衛の仕事などで、着実に評価を上げているようだ。

 ただ女性からの護衛の仕事は、どんなに条件が良くても絶対に引き受けない。

 極度の女性嫌いであり、クロエ以外はまったく目もくれず、どれほど美しい女性に言い寄られても、本気で迷惑そうな顔しかしない。

「クロエ以外の女はいらない。俺には、クロエがいてくれたらそれでいい」

 そんなことを平然と口にするエーリヒは、見た目に寄らず堅実な男だと、他の男達からの評価が上がったようだ。

 ギルド員も、今では女性からの指名依頼はあらかじめ断ってくれる。

 名前が知られるようになってくると、心配なのは追手がふたりに気付くかどうかだが、今のところ問題はない。

 移民として登録しているクロエはもちろん、銀髪の元騎士なんていう目立つ存在であるエーリヒも、普通に過ごせている。

 これなら大丈夫かもしれない。

 そんなことを話していた頃、ギルドにある緊急依頼が張り出された。

 緊急依頼は、ギルドでもその働きが評価されている者しか、引き受けることができない特殊なものだ。

 難易度は高いが成功させると報酬も格別で、何よりもギルド内の評価がかなり上がり、移民ならば国籍の獲得に近付くと言われている。

 クロエとエーリヒは、緊急依頼が張り出されたという噂を聞いて、さっそくギルドに赴き、その依頼内容を確かめた。

「薬の配達……。配達先は、スラムにある教会ね」

 それだけなら簡単な依頼に思えるが、王都のスラムはかなり治安が悪い。

 しかも今、スラムでは厄介な疫病が流行していて、その治療薬を教会に届けてほしいという内容だった。

「治安が悪い上に、疫病の薬は王都全体に流行ることを恐れた富豪層に高値で売れるからね。略奪して売り捌こうと、待ち構えている者もいる。スラムに入れば、当然疫病にかかってしまう可能性もある。だから、緊急依頼になったそうだ」

 すっかり顔馴染みになった中年のギルド員が、そう説明してくれた。

 本来なら騎士団の領分だと思うが、この国の騎士団は貴族で構成されているので、スラムに立ち入るようなことはない。

 そういった仕事はすべて冒険者にやらせているらしい。

(これは、受けるべきでは?)

 深刻そうなギルド員の顔を見ながら、クロエは考える。

 何せクロエは自らの魔法によって、どんな病気にもかからない身なのだ。スラムで流行っている病気がどんなものであろうと、心配はいらないだろう。

 緊急依頼を果たしたとなれば、評価も上がる。依頼はパーティーで受けて、クロエひとりで納品に向かえば問題はないだろう。

「ねえ、エーリヒ。これ受けてみようと思うんだけど」

 そう相談してみると、彼は少し複雑そうな顔をする。

「スラムか。あまりクロエには近寄ってほしくないが」

「でも私は病気にならないから、最適だと思うの。成功させれば国籍の獲得にも近付くのよ」

「……そうだな。だが絶対に俺の傍を離れないように」

「え? 一緒に行くの?」

 驚くクロエに、エーリヒは眉をひそめる。

「もしかして、ひとりで行くつもりだったのか?」

「うん。だって、エーリヒが病気になったら大変だもの」

 だから病気耐性のあるクロエが、ひとりでスラムに行くつもりだった。そう告げると、エーリヒはとんでもないと反対した。

「スラムは、クロエがひとりで歩けるような場所じゃない。行くなら一緒じゃないと駄目だ」

 そうきっぱりと言われてしまい、クロエは悩んでしまう。

 緊急依頼は受けたいが、エーリヒを危険に晒したくはない。

 それでも結局引き受けたのは、スラムでは毎日のように人が亡くなっていると聞いたからだ。

 薬を無事に届けられたら、助かる人も増えるかもしれない。

 緊急依頼を受けたいと申し出たところ、ギルド側では引き受けてくれる者がいなくて困っていたらしく、喜んでくれた。

 もちろん今までの実績で、緊急依頼を受ける条件は満たしている。

 スラムで人が倒れていても近寄らないこと。

 もし病気になったとしても、依頼を受けてくれた人の分の治療薬は確保してあること。

 ただ、治療薬を奪われてしまった場合は弁償金を支払わなくてはならないことを説明してくれた。

「暗くなる前に向かった方が良いだろう。ただ、騎士団の助力は期待しない方がいい。彼らはスラムに立ち入らない」

「ええ、わかったわ」

 やはり騎士団は役に立たない。

 そう思ったが、エーリヒが元騎士であることを思い出して、それを口にすることはなかった。

(悪いのは騎士を使う立場の人間。つまり、クロエの父よね)

 前世の記憶を思い出してから、自分の父だという感情はまったくない。

 今のクロエにとって父は、自分を不当に虐げていた敵である。

(とにかく今は、治療薬をきちんと届けないと)

 国籍取得も大事だが、依頼を果たすことによって救える命がある。

 エーリヒのことが少し心配だが、深窓の令嬢だったクロエと違って、それなりに鍛えているようだ。治療薬も確保してあると聞いて、依頼を受けると決めた。

 明るいうちに向かった方がいいと言うギルド員のアドバイスもあり、さっそく納品に向かうことにした。

 エーリヒが治療薬を持ち、ローブのフードで顔を隠したクロエが、その後に続く。

 スラムは城門の近くにあるらしい。

 フードで顔を隠しているのは、城門を守っている騎士達に見られないように、用心してのことだ。

 今まで、なるべく父の配下である騎士団がいる場所には近寄らないようにしていた。だから、クロエが城門に近付いたのはこれが初めてである。

(ここが……)

 王都を囲う城壁の高さは知っていたが、城門も大きかった。

 人の出入りを厳しく制限しているのは、こんな遠くからでも見て取れる。威圧的に振舞う騎士の姿には、父を思い出して不快になった。

(それで、こっちがスラムね)

 王都の真ん中を通る街道の西側にある住宅街と、城門近くにあるスラムの間には、大きな用水路がある。その上に掛けられていた橋を渡ると、城壁に沿ってスラムがあった。

 もともとは移民用の住居だったらしいが、その中でも貧富の差が出てきて、成功した移民は住宅街に移り住んだ。逆に、もともとこの国の住民だったのに、身を持ち崩してスラムに逃げ込んだ者もいる。

 そう聞いていたクロエだったが、いざ足を踏み入れてみると、思っていたよりも子どもが多いことに気が付いた。

 ここで生まれ育った子どもなのか。それとも、親を亡くしてスラムで生きるしかなかったのか。

「ねえ、エーリヒ。薬の届け先の教会って、もしかして身寄りのない子どもがいたりする?」

 小声でそう尋ねると、彼は頷いた。

「ああ。そんな子ども達を集めて、面倒を見ている人がいるらしい」

「そうなんだ……」

 この国を出ることばかり考えていたクロエは、ふと考える。

 あの父と元婚約者を始めとした横暴な貴族たちを、このままにしておいていいのか。

 放置していたら、また新たな犠牲者が出るだけではないか。

 ここに住んでいる子ども達のように、自力では抜け出すことのできない人達を放っておいて、本当にいいのだろうか。

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