第30話

 それからふたりで手を繋いだまま、明日のためにお弁当の買い出しに行くことにした。

 いつもは別々に買い物をしているので、こうしてふたりで行くのは初めてだ。

「すごい人ね」

 町中には人が溢れていて、クロエは思わずエーリヒの腕に掴まる。はぐれたら迷子になってしまいそうだ。

 咄嗟の行動だったのに、腕を組まれたエーリヒは嬉しそうに笑顔を見せる。

 それを見て、何だか恥ずかしくなってしまう。

「……はぐれてしまいそうだから」

 思わず言い訳を口にすると、エーリヒも頷く。

「そうだな。クロエが迷子になるといけないから」

 顔を見合わせると、つい笑顔になった。

 そして腕を組んだまま、市場を歩いた。

「行きたいところはあるか?」

 そう聞かれて、少し考える。

「そうね。いつもエーリヒが買ってくれるサンドイッチのお店に行ってみたいわ」

「わかった。じゃあ行こうか」

 いつも包み紙が同じなので、エーリヒが食事を買う店は決まっていると気が付いていた。どんな店なのか、ずっと気になっていたのだ。

 エーリヒが連れて行ってくれたのは、老夫婦が経営している町食堂だった。きっとこの食堂なら、他の女性にしつこく声をかけられることもないのだろう。

 ふたりは移民の姿をしているクロエにも、普通に接してくれる。

 いつもは持ち帰りで買ってきてくれるが、せっかくなのでここで食事をしていくことにした。

 クロエはチキンとハムのサンドイッチにスープ、フルーツタルトを注文する。どれもおいしくて、つい食べ過ぎてしまった。

「また来てね」

 そう言ってほほ笑む老婦人に必ず来ると約束し、町にお弁当の材料を買いに行く。

 おいしいものを食べた直後だったので、いつもより張り切って、たくさん材料を買ってしまった。それなのにエーリヒは、その荷物をすべて持ってくれた。

「ごめんなさい。重いでしょう?」

 片腕で持つには思いだろうと、クロエは繋いでいた手を放そうとした。

「いや、これくらい何でもない」

 でもエーリヒは手を放してくれなくて、むしろもっと強く握られた。

 人前で手を繋いだりするのは、やっぱり少し恥ずかしい。

「クロエとこんなふうに町を歩けるなんて、まだ夢のようだ」

 でも幸せそうにそんなことを言われてしまえば、もう何も言えなくなってしまう。

 クロエだって、エーリヒと寄り添って歩くのは、とても嬉しい。

 買い物を済ませて家に戻る。

 明日は朝からお弁当を持って、東にある大きな公園で薬草採取だ。

 

 翌朝。

 クロエはエーリヒが起きる前に手早くお弁当を作り、軽く朝食を作ってからエーリヒを起こした。

「おはよう、エーリヒ。良い天気よ」

「……うん」

 まだ少し寝惚けているのか、いつもよりもゆっくりとした動作で起き上がる姿が愛しい。

 心が通じ合うと、ごく当たり前の日常だったことも、こんなにも愛おしく感じるのかと驚いた。

 ふたりで朝食をとり、身支度を整えてから、お弁当を持って家を出た。

 いつも行く商店街ではなく、自然の多い東側に向かう。

 この王都は、周囲を頑丈な壁で囲われている城塞都市だ。

 大きな城門は騎士団によって厳重に守られていて、簡単に出入りすることはできない。けれど規模はかなり大きい。

 広い王都の中央に大きな街道があり、それは北にある王城まで続いている。

 街道の両側には商店が立ち並び、市場や王都の外から来た商人の屋台もある。

 そして王城の周辺には貴族の邸宅があり、クロエの生まれ育った屋敷もそこにあった。

 さらに西側は住宅街で、今はそこにエーリヒと住んでいる。クロエは行ったことがなかったが、西南の方向にはスラムもあるようだ。

 今回向かうのは、王都の東側だ。

 そこには畑や大きな公園などがあり、そこで薬草が採取できるらしい。

「こっち側に来るのは初めてね」

 エーリヒの腕に掴まりながら、クロエは周囲を見渡す。

 畑にはいろいろな野菜が植えられ、自然も豊かで、ここが王都の中とは思えないくらいだ。

(いいなぁ。実家の田舎を思い出すかも)

 人の多い住宅街や商店街とはまったく違い、豊かな自然とのんびりとした雰囲気で、クロエはすっかり気に入ってしまった。

 畑の合間にある舗装されていない道を通り、公園に向かう。

 公園といっても整備されたものではなく、森とそう変わらない。

(自然公園って感じね)

 広い場所だが、クロエ達と同じように薬草を探している者の姿も見受けられる。

 事前に薬草の形と採取する上での注意事項は勉強してきたので、さっそくふたりで公園内を探し回ることにした。

「なかなか見つからないね」

 けれど、一時間ほど探し回っても、納品できる状態のものは少なかった。

 少し枯れていたり、大きさが充分ではなかったりする。

「この辺はあらかた採取されてしまったようだな。もう少し奥に行ってみよう」

「うん」

 奥に行くほど自然がそのまま残っていて、木々が生い茂り、鬱蒼としている。

 日中なのに薄暗いほどだ。

 周辺を見渡しながら歩いていたクロエは、何かに足を取られて、危うく転びそうになる。

「きゃっ」

「クロエ、危ない」

 後ろを歩いていたエーリヒが、すぐに支えてくれた。

「ごめんね、ありがとう」

「歩きにくい道だから、気を付けて」

 優しい笑顔でそう言われて、胸がどきりとする。

 そういう設定だからという言い訳をやめたエーリヒは、クロエに対する好意を隠さなくなった。

 これほど愛されて、幸せを感じないはずがない。

 ふたりでくまなく公園を回り、昼近くには規定の数の薬草採取を終えることができた。

 運よく群生している場所を見つけたので、まだ薬草はたくさんあった。

 でも引き受けた以上の数を採っても、買取の金額はさほど変わらないらしい。薬草採取の仕事を引き受けた他の人達の仕事を妨害することにもなってしまうので、採取はここまでにして、公園でお弁当を食べたら戻ることにした。

「今日はおにぎりと、唐揚げ。それにだし巻きたまごだよ」

 草むらに防水シートを敷き、そこに座って日本風のお弁当を広げる。

「おいしそうだな」

 普段は食の細いエーリヒが、クロエの手作りだと喜んで食べてくれるのも嬉しい。

 ゆっくりと食事を楽しんだあと、薬草を持ってギルドに納品に向かう。

 薬草は、思っていたよりも高値で買い取ってもらえた。

「品質も良いし、採取方法も丁寧だ。良かったらまた頼むよ」

 ギルドの受付の男性にそう言われて、笑顔で頷く。

 こうして、クロエの初仕事は無事に成功した。

 ふと視線を感じて受付の奥を見ると、あの魔導師のサージェがこちらをちらちらと見ている。話しかけたそうな雰囲気を感じたので、エーリヒの手を引いてさっさとギルドから出た。

「もう、どうしてあんなに私に関わろうとするのかしら。放っておいてほしいのに」

 思わずそう呟くと、エーリヒは複雑そうな顔をしてクロエの手を引いた。

「エーリヒ?」

 そのまま腕の中に閉じ込められる。

 町の真ん中で、たくさんの人達がこちらを見ている。恥ずかしくなってその腕から逃げ出そうとしたけれど、エーリヒはますます強くクロエを抱きしめた。

「……どうしたの?」

 何だか様子が違うことに気が付いて、その顔を覗き込む。

「薬草を納品していたとき、また冒険者に声を掛けられていただろう?」

 そう言われて、ひとりで待っている間に数人のパーティーに声を掛けられたことを思い出す。

 パーティーの誘いというよりは軽いナンパのようなものだった。聞き流していたところで、戻ってきたエーリヒに睨まれて逃げて行った男達だ。

「あの魔導師もクロエに執着している。どうやったら声を掛けても無駄だと思うくらい、クロエが俺のものだと知らしめることができるのだろう」

「……エーリヒ」

 切なさを感じるような声でそんなことを言われてしまえば、もう人前だから恥ずかしいなどと言ってはいられない。

 彼の背中に手を回して、クロエは告げる。

「私はエーリヒのものだよ。だから、国籍を得られるように頑張って、早く結婚しよう?」

「ああ、そうだな」

 それを聞いたエーリヒが、見慣れてきたクロエさえも赤面してするような、蕩けるような笑顔で頷いた。

 周囲の女性達から悲鳴のような声が上がったのを聞いて、言わなければよかったと後悔する。エーリヒが笑顔を向けるのはクロエにだけ。

 だからクロエだけの笑顔だ。

 誰にも見せるものかと、隠すようにして抱きついた。

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