第28話

 ふたり揃って家を出ると、まず先に依頼を受けるためにギルドに向かった。

 エーリヒと並んで入口から入ると、まっすぐに依頼書が貼られた場所に向かう。

「えーと、どれかな……」

 周囲から視線を感じるが、誰も近寄ってこない。

 ギルドに新規登録に来た日にエーリヒは冒険者を何人も叩きのめし、クロエは魔法ギルド職員を平手打ちしている。

 ふたりには関わり合いになりたくない人が多いだろう。

 だが、当然のように昨日の騒ぎを知らない者もいるわけで。

「おう、お嬢ちゃん。俺らと……」

 クロエに声を掛けようとした男の前にエーリヒが立ち塞がる。殺気立った視線に臆したのか、男はそそくさと逃げて行った。

 ちゃんと実力差がわかる人でよかったと、クロエは胸を撫で下ろす。

(さすがにこれ以上、ギルド側の印象が悪くなるのは避けたいからね)

 絡んでくる向こうが悪いのだが、エーリヒも言葉より先に手が出るタイプだ。優美な外見に騙されて勝手に侮っているようだが、元は騎士団の精鋭である。

 エーリヒが周囲に睨みを利かせている間に、クロエは引き続き依頼書を眺めていく。

(届け物とか買い物とか、戦う力がない人でもできるような依頼もあるのね)

 薬草採取もきっと、そんな人がよく依頼を受けているのだろう。

「あ、あった」

 薬草採取の依頼書を見つけて手に取ろうとしたとき、ギルドの奥から声がした。

「ああ、会えてよかった。たしかクロエさん、だったよね」

 親しげに名前を呼んだのは、昨日クロエが平手打ちをした相手。魔法ギルドのギルド員、サージェだった。

「……何か御用でしょうか」

 不機嫌そうに固い声で返したクロエに、向こうは戸惑ったようだ。

 勘違いだったとはいえ、善意で助けようとした相手に嫌われているとは思っていないようだ。

 だがクロエにしてみれば、勝手に勘違いをした挙句エーリヒを傷付けた相手の顔など、二度と見たくない。

 エーリヒの腕にしがみつき、睨むように自分を見ているクロエに、サージェは戸惑いつつも用件を告げる。

「いや、昨日は勘違いをしてしまって申し訳なかった。お詫びと言っては何だが、よかったら君に魔法を教えようかと思って。魔導師でも、あまりまだ魔法に慣れていないようだったから」

「……」

 魔導師に魔法を習える機会などそう多くはないし、あったとしても魔法書よりも高額な授業料が必要となる。魔力を持って生まれた魔導師は、自分の魔力を込めた魔石作りと魔法の指南で充分に暮らしていける。

 しかも彼は魔法ギルドのギルド員になるほどの腕前だ。魔導師や魔術師なら、そんな機会を逃すはずがない。

 そう思っているのだろう。

 でもクロエにとっては、正直に言うと迷惑でしかない。

(前と同じ。こちらの都合など一切考えていない、善意の押し付けだわ)

 周囲からは、魔法を報酬なしで教えてもらえるクロエを妬むような視線を感じる。

 しかも彼は不特定多数の人間の前でクロエに魔力があることを、魔導師であることを公言した。

 魔力持ちはこの国では貴重な存在だが、女性で移民のクロエにとって、それは危険を伴う暴露だ。

(彼も移民だったというのに、そういうところを配慮してはくれないのね)

 今はエーリヒが傍にいるから問題はないが、もしクロエが本当に移民で単独行動をしていたら、危険な目に合ってしまってもおかしくはない。

「……必要ありません」

 色々な感情を押し殺してそう答える。

「遠慮する必要はないよ。昨日のお詫びだから」

「もう私に関わらないでいただければ、それでいいです」

 クロエの冷たい態度と言葉に、妬むような視線を向けていた人達さえ困惑している。

「本当に君達は恋人同士なのか? 信じがたいよ。彼がそう言わせているようにしか思えない」

 断られたサージェは、まだエーリヒを疑っているようだ。

 自分の申し出をクロエが断るはずがない。そんなことを言うのは、エーリヒにそう指示されているからだと思っている。

 力を封印していてよかったと思う。そうでなければ、彼の不幸を願っていたかもしれない。

「私はエーリヒに相応しくない。そう言いたいのですか?」

 なぜ昨日会ったばかりの人に、そこまで言われなくてはならないのだろう。

 クロエはむっとして、しがみついていたエーリヒの腕をますます強く抱きしめる。

もっと恋人らしくしないと駄目なのだろうか。

「そ、そういうわけでは……」

 慌てるサージェの言葉を遮るように、エーリヒがクロエの肩に腕を回して抱き寄せる。

「そんなはずがない。むしろ俺が、クロエに相応しい男にならなくてはならないのに」

「エーリヒ?」

 黒に変えた髪を優しく撫でられ、愛しそうな瞳で見つめられて、どきりとする。

「俺はクロエを守れるような男になりたくて、必死に強くなったのだから」

 恋人のふりの延長だと思うには、あまりにも真剣な言葉だった。

(本当に、私のために?)

 軽く受け止めてはいけない。

 ちゃんと決意を伝えよう。

 そう思ったクロエは、エーリヒを見上げて柔らかな笑みを浮かべる。

「嬉しい。私も、もっと頑張るわ。あなたの隣に立っても、誰からも文句を言われなくなるくらい」

「クロエ……」

 優しく名前を呼ばれて腕の中に閉じ込められる。

 抱き合うふたりを前に、周囲から冷たい視線がサージェに向けられた。

 一部には、こんなにも想い合っているふたりを疑うような言葉を投げかけたせいで。

 そしてギルドに居合わせた独身の男性からは、この場をギルドに相応しくない甘い雰囲気に変えてしまった原因として。

 クロエはエーリヒの手を掴んだまま、立ちすくむ彼を無視して依頼書を手に取った。そのまま受付に持っていく。

「すみません、この依頼を受けたいんですが」

「……わかった。少し待ってくれ」

 昨日と同じ男性に受付をしてもらい、注意事項を聞く。薬草は見極めが難しいらしく、違うものを持ってきてしまうと依頼達成にならないから気を付けて欲しいとのことだった。

「君なら、そんな依頼を受けなくても……」

 サージェがまだ何か言っていたが、完全に無視をする。

(そもそもギルド員なのに、依頼を差別するなんて)

 もう二度と関わり合いたくないと思いながら、そのままエーリヒと一緒にギルドを出た。


「本当に嫌な人ね。もう会いたくないわ」

 怒りのままに早足で歩くが、エーリヒは余裕さえ感じる足取りでついてきている。もともと身長差があるのだから仕方がないが、何だか意地になってしまって、必死に歩いていた。

「クロエ、あまり急ぐと危ない」

 ぐいっと腰を引き寄せられ、仕方なく足を止める。

「攻撃されたのも疑われたのもエーリヒなのに、どうしてそんなに冷静なの?」

「俺はクロエ以外の人間に興味がないから。他からどう勘違いされようが、どうでもいい」

 宥めるように髪を撫でられて、思わず頬が染まる。

「あの、さっきのは、本当なの?」

「さっき?」

「うん。その、私のために強くなったって」

「……もちろんだ」

 エーリヒは、迷うことなく頷いた。

「俺を助けてくれたクロエも、幸せに暮らしているわけではないとわかっていた。だから強くなって、クロエを助け出そうと思っていた。王女にさえ目を付けられなかったら、もっと早くクロエを連れて逃げられたのに」

 父よりも婚約者よりも、王女の方がずっと危険だった。

 絶対にクロエに近付けるわけにはいかないと、エーリヒは王女の横暴に耐えながらずっと機会を伺っていた。

「だが魔女の力は強すぎて、どうしても逃げ出すことができなかった。結局また、クロエに助けられている」

 強く握りしめられたエーリヒの手に、クロエはそっと触れた。

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