第19話

「魔法の実践をしてみたいの」

 この日。

 朝食を終えたあと、エーリヒに今日の予定を聞かれたクロエは、力強くそう宣言した。

 魔石の作成もかなりの確率で成功するようになり、それなりの数を用意することができた。魔法の練習をするには充分だろう。

 そう思って魔法書も何冊も読み、知識も得ることができた。

 あとは実践のみ。

「そうだな。知識も充分に得たようだ。あとは実際に使ってみるのが一番だろう」

 エーリヒも、すぐに同意してくれた。

「それで、どこで練習すればいいかな? この国には魔導師も魔術師も少ないって言っていたから、あまり派手にしないほうがいいよね?」

「魔法ギルドの練習場が使えればいいが……。ああ、いっそ魔法ギルドに登録してしまおうか」

「魔法ギルドに? でも……」

 自分達は逃亡中の身だ。

 だからこそ、こうして身を潜めている。

 公式の場に出て行けば、すぐに見つかってしまうのではないかと心配だった。

「うん。そのことだけどね。王城を出てから、俺はずっとメルティガル侯爵家の様子を探っていた」

 エーリヒが度々出かけていたことを思い出して、クロエは頷く。

「うん」

「向こうがクロエを必死で探しているのは間違いない。どうやらキリフ殿下との婚約に関して、王家と何か契約があったようだ」

「そうだったの?」

「団長に、キリフ殿下の機嫌を損ねないように命じられたと言っていたよね?」

「うん、そうよ」

 エーリヒの問いに頷く。

 だからこそ前世の記憶が蘇る前のクロエは、何とかして彼を繋ぎとめようとした。

「それが不思議だと思っていた。キリフ殿下は、はっきり言ってしまえば王家の血を引くということ以外、それほど価値がないからね」

「……はっきり言いすぎるような気もするけど、たしかに」

 アダナーニ国王には、子供が四人いる。

 正妃の子供は王太子の長男と、まだ十歳の三男。そして第二王子のキリフと魔女のカサンドラの母は、それぞれ違う側妃である。

 側妃ではあるが、カサンドラの母は他国の王家の血を引く女性である。

 それほど王位に近い血筋ではないらしいが、もし産後まもなく亡くなっていなければ、魔女を産んだ功績で正妃になっていたのではと噂されていた。

 たいしてキリフの母は伯爵家の娘であり、実家の権力もそれほど強くはない。それを考えるとむしろキリフのほうが、クロエとの結婚で得るものが大きかったはずだ。

「でもあの人は……。父は、その王家の血が欲しいんじゃないかな?」

「そうかもしれないが、何か他の理由がありそうだ。だからこそ、クロエのことを必死に探している。だけど団長は、ただやみくもに探せと喚き散らすだけだ。クロエがどこに逃げたのか、クロエには頼れる友人がいたのかとか、そんなことをまったく知らないようだ」

「だから王都の出口ばかりを、騎士を使って厳重に見張っているのね」

 もっとも父が知らないのも当たり前で、クロエに頼れる友人などひとりもいなかった。

「そうだね。ただ今のクロエを見て、メルティガル侯爵家のご令嬢だと思う人はいないよ。たぶん、キリフ殿下や団長の目の前に立ってもわからないような気がする」

「え、そんなに?」

 クロエは首を傾げて、自分の姿を眺めてみる。

 変わったことといえば、髪を黒髪にしただけだ。

「それだけ私に興味がないってこと?」

「まず彼らはクロエに魔力があることを知らない」

「うん、たしかに」

 クロエだって今まで知らなかったくらいだ。

「そして、黒髪になったクロエは人目を惹くほど綺麗になった。俺としては、クロエは以前から綺麗だったと思うけれどね」

「あ、ありがとう……」

 面と向かって言われると、つい頬が熱くなってしまう。

(もう、社交辞令かもしれないのに、いちいち反応しちゃう)

 あまりにも男性に慣れていなくて、自分でも呆れるくらいだ。

「あと、クロエの雰囲気が以前とはまったく違う。以前のクロエはおとなしくて、すべて団長の言いなりだった」

「それは……。おとなしく言うことを聞いていたほうが楽だから」

 前世の記憶が蘇り、以前のクロエとはまったく違う存在になってしまった自覚はある。

 言い訳のようにそう言う。

「たしかに。それは完全に同意する」

 苦し紛れの言葉に、エーリヒは何度も頷いた。

 彼も、王城でかなり苦労してきたのだろう。

「つまり、髪の色も違う。性格もまったく違う。しかも魔導師としてギルドに登録してしまえば、誰も私だと気が付かないってこと?」

 さらに、クロエは移民のような黒髪をしている。

 この国の常識として、貴族女性が移民のふりをすることなど、あり得ないらしい。

 クロエという名も、そう珍しいものではない。

「しかもクロエは、貴族の令嬢とは信じられないくらい、ここでの暮らしに馴染んでいる」

「……そ、そうね」

 たしかに屋敷での生活よりも、ここでの暮らしのほうが性に合っている。

 さすがにエーリヒにも不審に思われるだろうかと、上目遣いで彼を見上げた。

「えっと……」

「わかっている。いつか屋敷から逃げ出そうと思って、ずっと準備してきたんだろう?」

 エーリヒは、そう解釈してくれていたようだ。たしかに、それが一番自然かもしれない。

「うん。そうなの。いつかは屋敷から逃げ出して自由になろうと思っていたから」

「俺もそう思っていた。だからずっと機会を伺っていたんだ。それに、この国は他国から移住していた者だけではなく、身分証明書を持たない移民も多い。そういう人達はギルドに所属して信用を積み上げていくしかない。名を上げれば、移民でも国籍を与えられる」

 そうすれば、王都の外にも出られるようになると、エーリヒは説明してくれた。

 エーリヒはとても詳しい。

 本気で王女から逃れたくて、その方法を探していたのだとわかった。

 クロエは黒に変えた髪に触れた。

 たしかに移民に見えても構わないと言って、黒髪にしたのだ。

「えっと、つまり私は移民として魔法ギルドに登録して、地道に依頼をこなして信用を積み上げる。そうやって、魔導師クロエとして人生をやり直すってことね?」

「そういうことだ」

 なかなか魅力的な提案だった。

 新しい人生を手に入れることができて、魔法を練習する場所も確保できるのだから。

 本当に大丈夫なのかという不安はあるが、たしかにエーリヒの言うように、今のクロエは以前とはまったく別人だ。

「うん、やってみる。失敗したら、そのときに対処法を考えればいいもの。やる前から不安になっても仕方ないわ」

「ギルドに登録したら、魔石を作れるとアピールすればいい。魔力はそれほど多くなくとも、コントロールが得意な人は魔石を作るのが上手い」

「魔力があることを、隠さなくてもいいってこと?」

「侯爵令嬢クロエとの差別化のためにも、そうしたほうがいい。それに、この国の魔導師は全員王城に勤めているが、異国人を採用することはない」

 魔力があると公言することで、侯爵令嬢クロエとの差別化になり、さらに魔法ギルドでの価値を上げることができるようだ。

 最初は魔石を使って魔術師として生きていこうと思っていたが、エーリヒの言うように、魔力があることを公言したほうが、父に見つかる可能性がなくなるようだ。

 もちろん、魔女であることは絶対に内緒だが。

「わかった。あまり上等な魔石を作らないように、それだけ気を付ければいいのね」

「その通りだ。小さい魔石はそれほど大きな利益にはならないが、需要がある。実績はそれで簡単に作ることができるだろう」

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