第18話
「あれ?」
目が覚めた瞬間、クロエはエーリヒに抱きしめられていることに気が付いた。
近頃は毎朝のように、こうして目覚めている。
この状況よりも、もう驚かなくなっていることのほうが恐ろしい気がする。
(結構離れて寝たんだけどなぁ……)
昨日の夜は、ベッドの隅に眠ったはずだ。
こんなに広いベッドなのだから、よほど寝相が悪くない限り、こんなに密着しないのではないかと思う。
(もしかして、私ってよほど寝相が悪いとか?)
そうだとしたらエーリヒも迷惑だろう。
寝室は狭いが、何とかしてベッドをふたつ置いたほうがいいのかもしれない。
そんなことを思いながらも、エーリヒを起こさないように気を付けて、彼の腕の中から抜け出そうとする。
「ん……」
いつもならすんなりと抜け出せるはずだったが、今日のエーリヒは少し眠りが浅かったようだ。
目を覚ましてしまったようで、自分の腕から離れようとしているクロエに気が付いて、それを阻止しようと腕に力を込めた。
「あっ……、待って、エーリヒ」
慌てて離れようとするが、それよりも早く、エーリヒが再びクロエをその腕の中に閉じ込める。
「もう、離して! 朝ご飯作らないと……」
両手を彼の胸に押し当てて離れようとするが、エーリヒはクロエをしっかりと抱きしめたまま離さない。
「ねえ、エーリヒってば!」
耳元で大きな声を出しても反応がない。
しかもそのまま眠ってしまったようだ。
(どうしよう……。ちょっと恥ずかしいかも……)
視線を上げると、すぐそこにエーリヒの寝顔がある。
こうしてじっくりと眺めてみると、思わず溜息が出るくらい綺麗な顔だ。そんな男の腕に抱かれていると考えると、恥ずかしくてたまらなくなる。
(クロエも橘美紗も、男性に免疫なさすぎる……)
戸惑いながらもどうすることもできずに、そのままじっとしているしかなかった。
「本当に、困ったのよ。起きないし、動けないし……」
それから、一時間後。
ようやく目を覚ましたエーリヒに、クロエは手早く朝食を作りながら文句を言っていた。
でも、まだ眠そうにぼんやりとしている彼は、あまり聞いていないようだ。
「もう……」
恥ずかしさを誤魔化すために、怒ったように言いながら、焼いたパンの上に卵とチーズ、そして薄切りのハムを乗せた。
「はい、どうぞ。でもそんなに寝起きが悪くて、よく近衛騎士が勤まったわね」
「城では、ほとんど眠れなかった。あの屋敷でもそうだ。でも、クロエの傍はすごく心地良い……」
「……っ」
まったく動じていない彼に少し嫌味を言うつもりが、その言葉にかえってクロエのほうが動揺していた。
たしかエーリヒは公爵家の庶子で、父親に引き取られはしたが、息子としては扱ってもらえなかったと聞いていた。育った家でも、その後勤めた王城でも常に気を張っていたのかと思うと、文句を言い続けることなどできなかった。
「そ、そうなの? まぁ、ゆっくり眠れたのなら、いいけど……」
「うん、クロエのお陰だ。とても助かっている」
まだ寝惚けているのかと思っていた。
でも、その言葉通りに満ち足りたような顔をしているエーリヒの姿を見て、何だか感動してしまう。
(誰かに必要とされているって、いいなぁ)
クロエの記憶では、父はとても厳しく、婚約者には適当に扱われ、ずっと自分は価値のない人間だと思っていた。
いなくなっても誰も困らない。
自分の代わりなどいくらでもいる。
ずっとそう思って生きてきたようだ。
橘美紗としての記憶が蘇った今なら、父は必要以上に厳しかったし、婚約者だったキリフはあまりにも不誠実だったと思う。
でもクロエは他の世界を知らないこともあり、ただひたすら自分を責めていたようだ。
そんなクロエに、エーリヒは助けられていると言ってくれた。
それがこんなにも嬉しい。
「私も、エーリヒにはいつも助けられているから。お互い様だよ」
嬉しいと思うからこそ、自分も言葉にして伝えたいと思う。
そう言うと、エーリヒも幸福そうに微笑んだ。
「ありがとう、クロエ」
その笑顔が綺麗すぎて、また頬が熱くなる。
朝食を終えたあと、後片付けはいつもエーリヒがやってくれるから、クロエは紅茶を淹れてゆっくりと休んでいた。
ひと息入れたら、また魔法の勉強をしようと思う。
(そういえば……)
ふとクロエは、目覚める寸前に見ていた夢を思い出す。
エーリヒに抱きしめられていたことがあまりにも衝撃的で、忘れてしまっていた。
(あの人が、魔女だっていう王女様なの? だとしたら、ひどすぎるわ)
あの若い侍女は無事だろうか。
あれだけ血が流れてしまっていたら、傷痕が残ってしまうかもしれない。
(ちゃんと治るといいな。どうか、綺麗に治りますように)
ひそかに祈ったクロエの願いは、本人はまったく気が付かなかったが、わずかに魔力を帯びていた。
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