第20話

エーリヒの提案に、クロエは頷いた。

「うん。さっそく魔法ギルドに行ってみたいけど、エーリヒはどうするの?」

 彼は魔法こそ使えないが、剣の腕はあの父が認めるほどたしかだ。クロエと同じように、冒険者ギルドに所属するのが一番よさそうだと思う。

 だが彼の場合は、クロエと違って変装もしていない。しかもこれほどの美形だと、すぐに噂になってしまうだろう。

 心配だったが、エーリヒはその辺りはまったく気にしていなかった。

「俺も冒険者ギルドに行って登録する。一緒に行って、パートナー登録をしてしまおうか」

「パートナーって、つまりパーティーを組むってこと?」

「そう。互いの依頼に協力しあうことができる」

「エーリヒと一緒なら私も心強いけど、大丈夫なの? 王女殿下に見つかったりしたら……」

「俺は大丈夫だ。どうせ、もうすぐ処分される人形だったから」

「しょ、処分?」

 物騒な言葉に、思わずエーリヒを見上げる。

 彼は自分のこととは思えないほど、淡々と話してくれた。

「アウラー公爵令嬢……。異母姉のクラーラのときと同じだ。もうすぐ婚約者が決まる年頃の令嬢が、いつまでもお気に入り人形を傍に置いているのは体裁が悪い。国王陛下は、そろそろ俺を王女殿下から引き離そうと思っていたようだ」

 いくら我儘放題の魔女カサンドラでも、国王には逆らわない。

 王女は魔女の力が判明したばかりの頃、あまり我儘を言いすぎて、国王によって塔に幽閉されたことがあるらしい。

 魔法の発達したジーナシス王国に特注して作ったというその部屋の中では、いっさい魔法を使うことができないという。

「それじゃあ、もう少し待っていたらエーリヒは自由になれたんじゃないの?」

 国王がそう決めていたのなら、わざわざ逃げ出す必要はなかったのではないか。そう指摘すると、エーリヒは首を振る。

「その場合は、命と引き換えの自由になっただろう。王女殿下のお気に入りの俺を、疎んでいる者も大勢いた。後々、面倒なことになっても困る。だから事故に見せかけて殺すつもりだったようだ」

 エーリヒは自分の立場の危うさを、よく理解していた。

 いつ殺されるか、わからない。

 そう思いながら、常に周囲を警戒していたのだ。

 だからこそ、自分を処分する計画も事前に知ったのだろう。

「でも、たとえ計画を知っていても、クロエがいなかったら逃げ出すこともできなかったからね」

「……そんな」

 お気に入りの玩具なら、片時も離さずに自分のものだと主張することも、大人になれば不要になり、処分することもあるかもしれない。

 だがエーリヒは人形ではない。人間だ。

 そんな扱いをする王女にも国王にも、怒りがこみ上げる。

「ひどいわ。そんなことをする人達は……」

「クロエ」

 憤りのまま言葉を口にしようとしたクロエを、エーリヒが抱きしめた。

 突然の抱擁に驚いてしまって、怒りが消えていく。

「エーリヒ?」

「あんな奴らがどうなろうと関係ないけど、クロエがあとで苦しむのは嫌だ。だから、落ち着いて?」

「あ……」

 そう言われて、自分が強く願ったことを叶えてしまう魔女だったことを思い出す。怒りのままに、ひどいことを願ってしまうところだった。

「ごめんなさい、エーリヒ。止めてくれてありがとう」

「クロエが俺のために怒ってくれたことは、嬉しいよ」

 神々しいほどの笑顔でそんなことを言われて、恥ずかしくなって視線を逸らした。

「これくらい、当然よ。だって相棒だもの」

 慌ててその腕の中から抜け出しながら、そう言う。

 エーリヒの手が、名残惜しそうにクロエの黒髪に触れたことには、気付かないふりをした。

 そうでなければ、とても心臓が持ちそうにない。

「えっと、つまりエーリヒは、普通に出歩いても平気なの?」

「王城さえ出てしまえば、多分ね。俺を探す人は誰もいないし、処分しようとしていたものがなくなったからといって、わざわざそれを探す人もいない。王女殿下だって、またすぐ別のものに夢中になるだろう」

「……それなら、いいんだけど」

 でも王女はエーリヒを常に魔法で監視していたり、王城から出られないようにしていた。それを聞くと本当に王女が彼を忘れてくれるのか、少し不安になる。

 でも今から悩んでも仕方がない。

 できることからやるしかないと、気持ちを切り替えた。

 もともと、あまり思い悩む質ではない。

「じゃあ、さっそく一緒にギルドに行く?」

「ああ。ただ、移民として登録する場合には、気を付けなくてはならないことがある」

 エーリヒの目は、クロエを案じているように見えた。

 真剣な表情に、クロエも気を引き締める。

「うん。何かな?」

「このアダナーニ王国はただでさえ移民に厳しい。とくに国籍を持たずに移民になっている人間は、ギルド内でさえ差別されることが多いようだ。クロエはこの国の人間だけど、移民として登録してしまうと、移民を嫌う者達のターゲットにされてしまうかもしれない」

 この国の者によくあるような、茶色の髪にした方がいいかもしれないとエーリヒは言う。

 クロエがそんな差別を受けてしまうかもしれないと、心配してくれているのだろう。

 でも、侯爵家から逃げ出してきたクロエには、身分を証明するものは何もない。

 外見だけこの国の人間を装ったとしても、身元を証明できないのでは、やはり移民として登録されてしまうだろう。

 それなら、馴染みのあるこの色がいい。

「私なら大丈夫よ。そんなのには負けないから」

 にこりと笑って、そう言う。

「クロエがそう言うなら」

 エーリヒは心配しながらも、承諾してくれた。

 もともと、女性の立場があまりよくない国である。

 さらに他国の人間を嫌い、移民を差別する。

 ここはそんな国なのだ。

「くだらない国だわ」

 思わずそう言い捨てると、エーリヒは同意するように頷いた。

「そうだね。俺もそう思うよ」

 その綺麗な顔を見つめながら、自分達はよく似ているのかもしれないと思う。

 父に支配され、婚約者には軽んじられてきたクロエと。

 自由を奪われ、人格さえ認めてもらえずに、ただ人形のように扱われてきたエーリヒ。

「上等だわ」

 クロエはエーリヒに笑顔を向ける。

 まさに、最下層からのスタート。

 でも、だからこそ闘志がわく。

 ここから這い上がって、自分の手で未来を掴み取ってやろうと決意する。

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