第10話
エーリヒが外出したあと、クロエはひとりで宿に残っていた。
今日は天気が良くて、窓から見上げる空も綺麗な青色だ。外を歩いてみたら、きっと気持ちも晴れるだろう。
でもその前にやらなければならないことがあった。
「うーん」
クロエは、エーリヒに買ってきてもらった大きめの鏡を覗き込み、思案する。髪色と瞳の色を変えたほうがいいと言われてから、どう変えたらいいのかずっと考えていた。
(何色がいいかな。やっぱり馴染みのある色がいいかも?)
黒髪に、少し茶色の黒い瞳。
顔立ちは違うが、前世と同じ色にしてみた。
目を瞑って、そうなった姿を想像してみる。
(ちゃんと変わっているかな?)
もし失敗したら、外出することができなくなってしまう。
少し緊張しながら目を開くと、鏡に自分の姿が映っていた。
「おおお?」
思わず声が出た。
色素の薄い金色の髪に、水色の瞳。真っ白い肌をしていたときは、地味すぎてどうしようもなかった自分の顔。
だが、こうして前世で馴染みのある色合いをしてみると、なかなかの美少女だったことに気が付いた。
(これ、ちょっと化粧をすればもう少し化けそう。うわぁ、今まで知らなかった……)
薄い色素のせいでぼんやりとしていた印象が、色を変えただけでこんなにも変わるとは驚きだ。
エーリヒが綺麗と言ってくれたのは、ただのお世辞ではなかったのだと思い知る。
これだけ印象が変わったのなら、魔導師のローブを被っていれば、外出しても気付かれないに違いない。
(うん、こうなってみると町で暮らすのも楽しみになってきた。ひさしぶりに料理もしてみたいし)
昨日食べたケーキセットから考えると、食文化はそれなりに発展していると思われる。
食べ歩きが大好きだった前世では、料理もそれなりに楽しんでいた。
異世界にしかない料理も、きっとあるに違いない。
いずれ地方に行くにしても、まずは王都を楽しんでから。
(魔法の勉強も必要だしね。よし、頑張ろう!)
そう気持ちを切り替えて、クロエはエーリヒの帰りを待った。
エーリヒが戻ってきたのは、もう日が暮れようとしているときだった。
宿屋の寝台に腰を下ろし、カーテンの隙間からぼんやりと外を見ていたクロエは、部屋の扉が開かれたことに気が付いて振り返る。
「あ、おかえりなさい」
「……ただいま。黒髪にしたのか」
戻ってきたエーリヒは、すぐにクロエの髪と瞳の色が変わったことに気が付いたようだ。
「うん。似合うかな?」
「とても綺麗だと思うよ。でもこの国に黒髪はいないから、移民だと思われてしまうかもしれない」
「移民、かぁ」
町で黒髪の人間も見かけたから、それほど珍しくないと思っていた。
「でも、移民だと思われた方が好都合かもしれない」
父も、貴族の令嬢が移民に成りすますとは思わないだろう。
「そうだな。正規の手続きを得て入国している外国の商人もいる。黒髪でも問題はないだろう。よく似合っている」
「あ、ありがとう……」
社交辞令だとわかっていても、やっぱり嬉しいものは嬉しい。
それに自分でも、新しい姿はなかなか気に入っている。
クロエは自分に自信がなくて地味な服装ばかりしていたが、この姿ならばおしゃれを楽しんでみるのもよさそうだ。
「家は見つかった?」
「ああ。少し手間取ったが、ちょうど良い物件が見つかった」
そう言ってエーリヒが手渡してくれたのは、今日の夕食だ。
鶏肉っぽい揚げ物を挟んだパンに、果物。焼き魚もあった。
「おいしそう。まだ温かいね」
「冷めないうちに食べたほうがいい」
「うん、ありがとう」
テーブルに座って、まずは食事を楽しむ。
食後のお茶を飲みながら、彼が探してきてくれた物件の話を聞いた。
「少し大通りから離れているが、大きな広場や公園があって自然が豊かだ。家は狭いが、ふたりで暮らすには充分だろう。周囲は若い夫婦が多くて、治安もそう悪くはない」
「そうなんだ。いいところみたいね」
「クロエと一緒に見てから決めたほうがいいと思って、まだ契約はしていない。明日、一緒に見に行こう」
「ありがとう。楽しみだわ」
エーリヒは、貴族の令嬢がいきなり冒険者になるよりも、庶民として暮らしてみた方がいいと言っていた。
でも今のクロエは前世の記憶が蘇り、むしろその記憶の方が強くなっている。
もともと平凡な日本人だったのだ。
今だったら侯爵令嬢として大きな屋敷で住むよりも、小さな家で一般市民として暮らす方がずっと楽かもしれないと思う。
エーリヒが探してきてくれた家は、たしかに住みやすそうな場所だった。少し古い家らしいが、外装は塗り直しをしているらしく、とても綺麗に見える。床も張り直しているようだ。
(部屋も綺麗。リビングに寝室。キッチンもある。ちょっと狭いけど、いずれ王都から出るんだから、荷物は増やさないほうがいいからね)
大通りから離れてはいるが、近所に食料品と日常品を売る店、そしておいしくて安い食堂がある。
普段の買い物ならここで充分だ。さらに大きな公園には散歩コースがあり、運動不足の解消にもよさそうだ。
近所も、同い年くらいの夫婦が多かった。
この区画は主に家族用に売り出しているようで、結婚したばかりの人が多いようだ。
「うん、私もここがいいと思う」
気に入ったかと聞かれて、クロエは頷いた。
ここで、新しい生活が始まる。
やりたいことはたくさんあった。
(でも、あまり浮かれていては駄目。追われているということを、忘れないようにしなくちゃ)
そう自分に言い聞かせながらも、クロエは、高揚感を抑えきれなかった。
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