第9話 王女カサンドラの不安

 アダナーニ王国の王女カサンドラには、お気に入りの騎士がいた。

 アウラー公爵家の庶子で、カサンドラの友人であるクラーラの異母弟のエーリヒという男だ。

 彼の母親は貴族ではなく、アウラー公爵に勤めるメイドだった。

 エーリヒとの出会いは、カサンドラがまだ幼く、魔女としての力に目覚める前のことだ。

 カサンドラの遊び相手として選ばれた公爵令嬢のクラーラが、たまにエーリヒを連れて来ることがあったのだ。

 彼女にとってエーリヒは異母弟になるが、婚外子という立場のせいか、公爵家では従僕のような扱いだったようだ。

 クラーラはお気に入りの人形を見せびらかすように、エーリヒを連れ歩いていた。

 たしかに、とても美しい少年だった。

 煌く銀色の髪に、北方の人間のような白い肌。サファイアのような青色の瞳。表情もなく、ただ黙ってクラーラに従う姿は、本当に生きた人形のようだった。

 カサンドラも綺麗なものが大好きだったから、エーリヒの幼いながらも卓越した美貌には心惹かれた。だが言葉にはせずとも自慢そうなクラーラの態度が気に入らず、ずっと興味のないふりをしていた。

 ふたりの前からエーリヒの姿が消えたのは、クラーラとカサンドラが十四歳になった頃だ。

 理由は、彼の異母姉であるクラーラの婚約が決まったせいだ。

 婚約者が決まったというのに、娘がいつまでも異母弟に執着していては、体裁が悪い。そう考えたアウラー公爵が、エーリヒを騎士団に入れたのだ。

 あんなに綺麗な少年を騎士団に入れるなんてもったいない。

 そう思っていたが、カサンドラはちょうどこの頃、魔女としての才能に目覚め始めていた。

 このアダナーニ王国で、魔女が生まれたのは初めてのことだった。

 周囲は騒がしくなり、カサンドラ本人もすべてが自分の思い通りになる力に酔いしれた。

 カサンドラの力は、魔女の故郷と言われているジーナシス王国で生まれた魔女と比べると、随分弱いものらしい。

 それでも、目の前の人間を思うように動かすことはできる。

 小言ばかり言う家庭教師を三人ほど、言葉が出ないようにしてやったあと、カサンドラに逆らう者はいなくなった。

 さすがに父には叱られたが、もともと父は、アダナーニ王国の王家に魔女が生まれたことをとても喜んでいた。

 だからあまり強く言うことはなく、むしろ娘の力がどれほどのものなのか、様子見をしているような状態だった。

 高位の貴族にさえ力を使わなければ、父が怒ることはない。

 そう学んだカサンドラは、下位貴族や王城で働く者達に対しては、わがままに振る舞った。

 そんなとき、騎士になっていたエーリヒと再会した。

 成長した彼は、思わず言葉を失って見惚れるほどの美形だった。

 今度こそ自分の手元に置きたい。

 強くそう思った。

 もう邪魔者だったクラーラはいない。

 彼女は去年、結婚をしている。公爵家を継ぐために婿を迎えたらしい。クラーラよりも年上の地味な男だと聞いて、カサンドラは盛大に祝ってあげたのだ。

 カサンドラはすぐに彼を近衛騎士に命じて、自分の傍に置くことにした。

 騎士だった頃、彼はとても人気があったらしい。

 あれほどの美形なのだから当然かもしれない。

 でも近衛騎士になってからは、彼に近付く女性は容赦なく排除した。さらに監視魔法や、王城から出ることができなくなる魔法などもかけた。

 その甲斐あって、どんな命令にも彼は黙って従っていた。

 もう手放さない。エーリヒは、これからもずっと自分の大切な人形だ。

 だが、あの夜。

 カサンドラは髪型が気に入らなくて、王城で開かれた夜会を欠席した。すぐに専属のメイドを首にするように言い渡すと、もう寝てしまおうと部屋に引きこもった。

 エーリヒはこの日、王城の警備をしていたようだ。

 朝になり、起床したカサンドラは、すぐに彼を呼び出そうとした。

 だが、いくら呼んでもエーリヒは現れない。

 こんなことは初めてだった。

 苛立って魔法を使おうとしたが、彼の気配が王城のどこにもない。

 監視魔法も、移動を制限した魔法も、すべてが跡形もなく解除されていたのだ。

(どうして……。なぜ、こんなことに?)

 魔導師などでは、カサンドラの魔法は破れないはずだった。

 そもそもこの国には、その魔導師ですら少ないのだ。

 それなのにどんなに探っても、エーリヒの気配を感じ取ることはできない。

 何が起こったのかまったくわからず、不安が胸に広がっていく。

 こんなに不安になったのは、魔女になってから初めてだった。

 この国には、カサンドラですら叶わない、得体のしれない何かがいるのかもしれない。

 カサンドラは、震える両手を握りしめた。

 エーリヒ、と小さくその名を呼んだが、答える声はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る