第65話 未遂、宿題


 それから、瑠奈はただ無言で走り続けた。

 僕、瑠奈のいい香りに包まれながら、それなのに冷たい水をぶっかけられたような気分になっていた。


 見覚えのある景色が増えてきた。

 もう、僕のうちも近い。

 日も昇ってくるし、そろそろ気をつけないと瑠奈が走る姿を目撃されたり、僕自身が直射日光で焼かれたりしちゃう。


「ごめん」

 僕、つぶやいた。

 僕と瑠奈は違う高校だ。男子校と女子校だから。つまり、今謝っておかないと、早くても今日の夕方以降になっちゃう。


「覚悟はしていたよ」

 と、瑠奈。

 その口調は僕が恐れていたほど冷たくも、呆れたふうもなかった。


「ヨシフミ。

 あんたの『好きだ』は、キスから始まってえっちにたどり着くまでの流れとは別だもんね。

 ファースト・キスは事故だったし、そのあともほとんど踏み込んでこなかった。ヨシフミ、自覚しているんでしょ?

 自分の愛情表現が、相手の存在を根本的に変えてしまうことを。

可哀想だとは思うよ」

「ごめん」

 僕、それしか言えなかった。


 未遂ですんでよかった。

 そして、すっごく年上の彼女を持っていることに感謝した。きっと、その余裕が僕を許してくれたんだ。


「ヨシフミ。

 宿題を出すよ。

 あのね、私、ヨシフミのことが好きだよ。

 でも、その代償に私が私でなくなる決心はまだできてない。

 それにね、血を吸う以外の愛情表現は本当にないの?

 たとえば、ダンピールっていうヴァンパイアと人間の間に生まれた存在って、どうやって生まれてくるの?

 まさか、女性の血を吸ったら妊娠するわけじゃないよね?

 つまり、妊娠した女性がヴァンパイアになっちゃったら、生まれた子はヴァンパイア同士の子だからダンピールじゃないかもって考えると、出産まで人間のままでいたんだよね、その母親。

 それってどういう関係なのかな?

 ヨシフミにわからないかな?」

 ……そうか。

 瑠奈と血を吸う以外の関係を作れるなら、そっちの方がいいよね。


 ただ、たださ、僕は僕が怖い。

 今まで血を吸いたいなんて欲望が、あんな勢いで身体を灼いたことはなかった。次にまた、あの欲望が僕を襲ったとき、僕は自分の牙を止められるんだろうか……。



「……うん、調べてみる」

 そう答えた僕の言葉は、とても弱々しかった。


 瑠奈が僕のうちの前を横切るのに合わせて、僕は自分の翼で2階の自分の部屋に飛び込む。

 もうそろそろ朝日が射してくる時間だ。

 瑠奈も、朝早くから散歩なんかしている年寄りとかに見つからないように、残りの距離を走るんだろうな。


 僕は、考えなきゃいけない。

 瑠奈の存在を消さないように愛する方法を。

 そして、その課題って、これから僕が過ごす無限の時間の中で、絶対に解決済みにしておかないといけない問題なんだ。


 愛する相手が、愛することでいなくなってしまう。

 これって、ハードな問題だよね。

 ただでさえ、僕の両親とかだって、僕の時間の尺度で言えばあっという間に死んでしまう。

 僕は、僕という存在が絶対的すぎることを自覚して、どう生きていくかを先延ばしせずに考えなきゃいけないんだよね。

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