6月18日[金] 親しかった座敷わらしとの思い出

 昨日、座敷わらしのことを書いてから昔の記憶がよみがえってきた。


 幼少の頃、わたしには仲が良かった座敷わらしがいた。

 大きいばあちゃん(曾祖母)の家のすぐ近くに神社があって、敷地内に小さな林があった。古いほこらのある林で、そこが座敷わらしたちの集会場所だった。


 小さな頃(三~五歳くらいの時期だったかな?)、大きいばあちゃんに連れられて何回か集会に参加したことがあった。本来、座敷わらしの集会に人間は関わってはならないけれど、たまに人間代表として、おさ的な人が出席することがあるようだ。座敷わらしと人間との連絡係みたいな役割だと思う。


 わたしは、集会にはあまり興味がなくて一人で遊んでいたんだけど、割と若いというか格下?(座敷わらしに年齢や序列があるか分からないんだけど)の座敷わらしも、半分遊んでいるようなもので、その中の一人とわたしは仲良くなった。

 どうやって仲良くなったのか、どちらから声をかけたのか(多分自分なのだろうか?)、もはや憶えていないけれど、その子とは気が合ったのだ。


 二人で集会が終わるまで、ダンゴムシを眺めたり、ミミズが土に潜っていくのを眺めたり、木の枝で地面に絵を描いたりして遊んでいたな…。今思えば、会話らしい会話なんてしなかったように思う。


 ある時、わたしはその子に名前を聞いてみた。この前書いたように、本来、座敷わらしに名前を聞くことはタブーで、そのことも知っていたんだけれど、どうしても聞いてみたくなったから。

 その子は、名前を教えてくれなかった。次に会った時、前回のこともあって決まりが悪いというか気まずいまま、でも同じように遊んでいたんだけれど、しゃがんで地面をほじくりながら、こちらは見ないままに一言「かえで」と言った。


 かえでちゃんは、元気にしているだろうか?そう願うけど。


 旧家や代々受け継がれてきた古い家が無くなれば、その家を守る座敷わらしも消える。そんな話は、今にはじまったことではない。

「ここのところ、古い屋敷が姿を消していて、座敷わらしの数もだんだんと減ってきている」

 そう大きいばあちゃんが言っていたのが、わたしの高校生の頃だ。大きいばあちゃんは、わたしが大学生の頃亡くなった。もう二十年近く前になる。


 かえでちゃん(いや、かえでさん、か。わたしよりもずいぶんと年上だろうから)。あの子も、もしかしたら守るべき家が無くなり、もう消えてしまったのかもしれない……。大きいばあちゃんの家にも、ずーっと行っていない……。

 また会いたいな。でも今のわたしを見ても、わたしだと分からないだろうな。ずいぶんとおじさんになってしまったからね。


 今日は物思いにふける一日だった。しんみりしちったな。寝るか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る