第25話「払った代償と報酬」
「――はぁ……はぁ……」
殺風景としか言えない真っ白な空間にいる俺は、地面に伏せる黒服の男たちを横目に両肘に手を付いて呼吸を整えようとしていた。
胸は張り裂けそうなほど肺に痛みがあり、気を抜けば倒れかねないくらいに全身に疲労感がある。
もう限界が近いと体が悲鳴を上げていた。
「この一ヶ月、本当に音をあげなかったね。さすがだよ」
もうこのまま倒れてもいいか――そんなことを考えていると、遠巻きに俺たちの様子を眺めていた夜見さんが満足そうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
さて、この一ヵ月の間に一体何があったのか。
それは、俺が夜見さんの屋敷を訪れた日のことに戻る。
◆
「――俺のことを雇ってください。あなた専属のボディガードとして」
半信半疑になりながらもそれが答えとしか思えなかった俺がそう言うと、夜見さんは少し驚いたような表情をした。
そして、試すような目を俺に向けながら口を開く。
「それは、昔と同じ長期休暇の時だけって意味?」
この質問をされた時、俺は自分の答えが合っていることを確信する。
もし違っていたのならこの人はこんな質問をせずに呆れた態度を取っているはずだからだ。
だからここは少し強気に出ることにした。
「いいえ、あなたが望む限りずっとあなたのボディガードになります。そして、報酬としてのお金はいりません。その代わり――ネコトちゃんたちの後ろ盾になってあげてください。それが、俺の求める報酬です」
俺は夜見さんの目を見つめ、自分の考えを伝える。
すると、夜見さんは少しだけ考えて再度口を開いた。
「……意味、わかってる? 夜見のボディガードにずっとなるってことは――」
「わかっています、地元を離れないといけないことは」
夜見さんが住んでいるのはこの東京都だ。
そんな彼女のボディガードとして常にいるには、俺も岡山を離れなければいけない。
正直言えば湊たちと別れることは寂しいと思う。
だけど、長期休暇のみのボディガードでは俺の要求はきっと通らないはずだ。
だからこれは仕方ないことである。
「思ったよりも早く覚悟を決めたね。それで、夜見がアイドルネコトたちの後ろ盾になり、アイドルクララをグループから外さないことを条件に事務所の後ろ盾になる、という話を事務所にしに行けばいいんだね?」
やはり夜見さんは話が早く、俺の求めるものをちゃんと理解してくれていた。
どうやらこちらの提示した条件は飲んでくれるらしい。
「はい、そうして頂きたいです。今ネコトちゃんたちの事務所は東京進出を本格的に狙っているようなので、後ろ盾を凄く欲していると思います。そこで天上院財閥という日本屈指の財閥が後ろ盾につくとなれば、クララちゃんの一件を不問にしてでも縋りついてくるはずです」
詳しくは知らないが、やはり芸能事務所ごとに力関係があったりするらしい。
その中で新たに参戦しようにも中々うまくいかず、それどころか潰される対象にされかねない。
そんな中天上院財閥が後ろ盾になってくれればもう怖いものなしだろう。
クララちゃんの一件でさえ、うまく媚びれば天上院財閥なら握り潰してくれるという考えだって持つだろうしな。
「そしてこちらとしても、今後邪魔さえ入らなければトップアイドルに届く可能性のあるアイドルたちを早い段階からイメージキャラとして起用するのは、後々のことを考えると大きなメリットになる。……うん、それに加えてさすがにタダは問題があるけれど、安値で君を雇えるのは破格の条件だね。だから夜見は君の要求を呑むよ」
「ありがとうございます! では――!」
「ただし、それにはもう一つ条件がある」
交渉成立!
そう思った俺の期待を嘲笑うかのように夜見さんは人差し指を立てた。
「これから一ヵ月、天上院で雇っているSPたちを相手に戦い続けてもらう。もちろん、仮眠くらいの時間は取るけれど、それ以外はずっと戦い続けてもらう。その際に一言でも弱音を吐けばこの話はなかったことにする」
夜見さんが出してきた条件は、今までのことが全て簡単だったかのように思えるほどに難易度が高いものだった。
正直正気を疑うくらいだ。
「いや、確か天上院財閥が雇ってるSPって全員凄く腕が立つんじゃ……?」
「君が有能だということを他の人間たちに示す必要がある。変な横やりを入れられないためにね」
どうやら、夜見さんには夜見さんなりに考えがあっての条件らしい。
彼女が言うなら必要なことなのだろう。
しかし、いくらなんでもこの条件は……。
「何、もう弱気? だったら、この話はなかったことにする」
俺の表情や態度を見て何を考えているのか察したらしく、夜見さんは呆れたように溜息をついた。
そして踵を返そうとするので――。
「やります! やりますよ!」
俺はもうやると言うしかなかったのだった。
――こうして始まった鬼畜としかいえない試練はやっと終わりを迎えたのだ。
正直今はもう夜見さんを鬼としか思えない。
「はぁ……はぁ……約束、守ってくれますよね……? ネコトちゃんたちの後ろ盾になるっていう……」
「もちろん。というか、三週間前ほどに既に話はつけた」
「行動、早くないですか……?」
「君はやり通すと確信していたから、行動は早めにしておいたほうがよかった。君の望み通りの結果になったから安心して」
「そうですか……」
夜見さんの言葉を聞き、ホッと俺は胸を撫でおろす。
彼女が引き受けてくれた時から交渉などの心配は一切していなかったけれど、それでも結果を聞いて安心をした。
「うん、だから次は君に約束を守ってもらう」
「えぇ、わかっています。約束は守りますよ」
夜見さんが約束を守ってくれたんだ。
俺が約束を守らないという選択肢はない。
そして、自分が選んだこの選択肢にも後悔はなかった。
ネコトちゃんが望んだ結果にしっかりとなったし、夜見さんは既に天上院財閥が経営するいくつかの会社を任されているほどに頭がキレる。
そんな彼女がネコトちゃんたちの後ろ盾になってくれたのだから、彼女たちはもう心配いらないだろう。
少しの間クララちゃんには苦しんでもらうことになるけれど、それは彼女に対する罰だ。
悪いことをした人間は裁かれないといけない、それが俺の考えである。
だから結果としては十分すぎるものになっただろう。
夜見さんを頼って本当によかったと思っている。
……ただ――少しだけ、心残りがないというわけでもない。
もう少しみんなと一緒にいたかったし、ネコトちゃん――早乙女さんが、折角俺には心を開いてくれたのに、このままお別れというのは思うところがあるのだ。
だけど会えば余計に未練が出てくるし、俺の状況を下手に説明するわけにもいかない。
だからこのまま会わずに別れるのが一番いいはずだ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
「…………」
そんなことを考えていると、何やらジッと夜見さんが俺の顔を見つめているけれど、まだ何かあるのだろうか?
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