第22話「たった一年で随分と丸くなり、考えが甘くなったね」
「――どうぞ」
何やら夜見さんが取り乱してしまったとのことで、一旦休憩と称して紅茶が振る舞われた。
メイドさんの綺麗な所作に対して頭を下げながら俺は目の前に置かれた高級そうなカップを手に取り、ゆっくりと紅茶を口から喉へと流し込む。
おそらく最高級な茶葉が使われているのだろうけれど、正直言っておいしい以外の感想は出てこなかった。
チラッと夜見さんの顔を盗み見れば、何を考えているのかわからない無表情で同じように紅茶を飲んでいる。
今のうちにこの後の展開を想定して策を練っておいたほうがよさそうだ。
――と、思ったのだけど。
「さて、話に戻ろう」
俺が考えを巡らせようとした途端に夜見さんがそう切り出してきた。
おそらく俺の反応を見て話を切り出してきたのだろう。
要は考える余裕もくれないというわけだ。
「話に戻るって、聞いてもらえる気になって頂けたのでしょうか?」
「しらない」
「えぇ……」
じゃあどうして話に戻ろうと言ってきたのか。
今日の夜見さんはなんだか変だ。
「そもそも君、まだ何か隠してるでしょ?」
「えっ?」
いきなりの切り出しに俺はドキッとする。
確かに俺はまだ夜見さんに話していないことがあった。
だけどそこまでわかるのだろうか?
さすがにここまで来ると、天才というよりも超能力者だ。
「なんのことでしょうか?」
「ふ~ん、夜見相手にとぼけるんだ? そもそもいくら推しアイドルのためとはいえ、君が自分から踏み込む時点でおかしいんだよ。君は線引きをする人間のはず。それなのにどうして今回に限って自分から関わってるの?」
責めるような言葉遣いはきっと見せかけだけではなく、本当に俺のことを責めているのだろう。
夜見さんの言う通り普段の俺ならいくらネコトちゃんが相手だとはいえ、自分から関わるようなことは絶対にしない。
相手には相手の立場があるし、俺の知らないところに事情があったりする。
だから下手に関わることは逆に迷惑をかけかねないのだ。
俺はそれを恐れて自分から関わろうとはしない。
しかし、今回は――。
「答えられない? だったら当ててあげる。アイドルネコトの正体に気が付いたんでしょ?」
普通なら絶対に当てられないことを言われ、思わず俺は目を見開く。
すると、夜見さんは呆れたように溜息をついた。
「図星だね」
「いや、あの……どうしてそこまでわかるんですか?」
いくら頭がよくて洞察力に優れているとはいえ、俺がここに来てからの様子だけで読み取れるとは思えない。
つまり――。
「夜見はアイドルネコトの正体を随分と前から知っていた。そして、君が自分から関わろうとしていることで確信した。君が関わろうとするのは、身近の誰かを助ける時だけだから」
やはり、予め情報を集めていたのか。
俺の性格を理解していたからの推測とはいえ、ネコトちゃんの正体を知らなければできない推測だ。
……まずいな、これは圧倒的に不利だ。
彼女がわざわざこんな回りくどいことをしたのには他に意味がある。
それを彼女と長く過ごしてきた俺はすぐに読み取ってしまった。
「君はここに来るまでに夜見を説得する材料を持ってきたはず。だけど、君の考えは夜見に読み取られているし、事前に得ている情報量にも大きく差がある。さて、君はこの状況で夜見を説得できる何かをまだ用意していると言い切れる?」
俺は夜見さんの言葉に黙り込む。
夜見さんがわざわざネコトちゃんの話題を持ち出したのは、既に彼女はそこまでの情報を持っているという情報量を提示するため。
そして、彼女が先程俺の話を聞く姿勢を見せなかったのは、結果までを本当に読み切っていたからだ。
「君はわかっているはず。君がどれだけのことを提示しようと、それらは全てアイドルクララを切り捨てたほうがより良い効果を持つことを。だからそのことを夜見が気付く前にアイドルネコトたちに関与するメリットだけを示そうとした。逆に言えば、そのことを夜見に気が付かれたら終わり。だから今現在君は何も言えない、違う?」
……何も違わない。
全て夜見さんの言う通りだ。
もう一年以上会っていないから俺のことなんて関心を示していないと思っていたが、完全に誤算だった。
ここまで準備万端に待ち構えられていたとなると、この超能力者に近い天才を説得できる手が浮かばない。
「はぁ……失望した。たった一年で随分と丸くなり、考えが甘くなったね? もう君に用はない」
夜見さんは大きく溜息をつくと、とても冷たい声を出して隣のメイドさんに視線を向ける。
それにより一瞬でメイドさんが俺の両腕を拘束してきた。
考えることに気を取られていたとはいえ、わずかに反応が遅れただけで避けられないとは思わなかった。
この人、見た目によらず凄く強い……!
夜見さんのお世話係だけじゃなく、護衛でもあったのか……!
くそ、完全に油断した……!
「申し訳ございません、風早様。お引き取り願います」
「ちょっ! まだ待ってくださ――えっ……?」
メイドさんを振り払うために力を入れようとした瞬間、俺は体がふらついてしまう。
そして思ったように力が入らず、膝をついてしまった。
「まさか……!?」
「全く、象にさえ一瞬で効く即効性の毒だというのに効くのに時間がかかるなんて……相変わらず、君の毒への耐性は夜見でさえ理解できない」
夜見さんは感心しているのか呆れているのかわからない声を出しながら俺の傍まで歩いてくる。
そして、俺の顎を細い指でクイッと持ち上げてこちらを見下ろしてきた。
「やっぱり……俺に毒を盛ったのですか……?」
「安心して、体が痺れるだけの毒だから。君なら数分もすれば歩けるようになる」
「なんで……そんなことを……?」
「決まってる、こうしないと君を押さえ込むことができないからだよ」
夜見さんがそう言うと、背後からなぜか言いようのないプレッシャーを感じた。
夜見さんに掴まれているから顔は動かせないけれど、嫌な感情を向けられていることだけはわかる。
おそらくこの人のプライドを刺激してしまったのだろう。
背後のプレッシャーは気になったが、殺意を向けられているわけではないので俺は気にしないことにした。
「だから……紅茶に盛ったのですね……?」
「正解、さすがにそれはわかるみたいだね。夜見の喉が動いてないことに気が付いていればもっと早く気が付けただろうに、取引をしにきたくせに気を緩めすぎなんだよ」
俺が毒を盛られたタイミングなんて他になかったからだが、完全に油断をしていた。
まさか毒を盛られるなんて想像をいったい誰ができるようか。
自分の迂闊さに俺は後悔しかない。
「さて、じゃあこのまま家の前に置いてきて。急がないとそろそろ動き始める」
「普通、丸一日は動けなくなる薬のはずですが……。本当にお家までお送りしなくてよろしいのでしょうか……?」
一応思うところはあってもメイドさんは俺に気を遣ってくれるようで、主である夜見さんに少したてつくような感じで聞き返してくれた。
「いい。さっきも言ったけど、ものの数分で動けるようになるから甘やかす必要なんてない」
「かしこまりました」
メイドさんは夜見さんの言葉を聞くと、それでもう迷いがなくなったのか俺の腕を引っ張り上げた。
そして、そのまま移動し始める。
「ちょっ……! 夜見さん……!」
体に力が入らない俺は夜見さんに必死に呼びかけるが、彼女はもう俺に背中を向けており答えてくれない。
そしてそのまま本当に、俺は夜見さんの屋敷の前へと放り出されてしまうのだった。
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