第19話「関われるからこそ出来ることがある」

「――ごめんなさい、ファンの方に見せる姿ではなかったですね」


 俺に声をかけられて戸惑っていたネコトちゃんは、少しして取り繕うような笑みを浮かべた。

 やはり彼女は俺の名前を呼んだことに気が付いていないようだ。

 もし気が付いているのなら取り繕うようなことはしなかっただろう。

 

 だったら、俺も当初の予定通りに彼女に気が付いていないふりをするべきだ。

 それを、彼女が望んでいるようだからな。

 

「アイドルだって人間です。泣きたくなることだってありますよ」

「でも、ファンの方には笑顔だけを見せないとだめです。それに、ファンの方に話せるような内容でもないですから」


 ネコトちゃんは両目に涙を浮かべた状態で笑顔を続ける。

 見れば膝元にある手がスカートを強く握りしめていた。

 話しそうになる気持ちを必死に押し殺しているのだろう。

 やはり彼女は見た目以上に強い女の子だ。

 

 だけど、ここは話してもらわないと困る。


「――きゃっ! な、ななななななななな、なにを!?」


 薄いジャケットを脱いだ後それを頭から被せると、ネコトちゃんはとても驚いたように俺の顔を見上げてきた。

 こんなことをすれば動揺するのは目に見えていたけれど、思った以上に反応が大きい。

 顔も真っ赤に染まっているし、シャイなところは相変わらずのようだ。

 

「誰も見ていない状況なら、独り言を漏らしても仕方ないですよね?」

「あっ……」


 俺が言いたいことを察したのか、何かに気が付いた様子をネコトちゃんは見せる。

 そしてキョロキョロと周りを見た後、何かに縋るような表情でもう一度俺の顔を見上げてきた。

 

 コクリ、と俺が頷くと、彼女はゆっくりと深く俺のジャケットを頭から被り直す。

 

「――私ね、なんのために頑張ってきたのかな……?」


 嗚咽が混じった声で出てきた言葉は、状況を何も知らなければ唐突にしか感じないようなものだった。

 無理に抑えていた気持ちを吐き出せるようになったことで自分の口にしたい言葉が先に出てきてしまったのだろう。

 既に状況を理解している俺からすれば何も問題はないし、おそらくネコトちゃんがここまで取り乱しているのならのちの記憶に混乱が生まれるはずだ。

 俺がクララちゃんのことを知っていたとしても、彼女の中では話したかもしれないと錯覚してくれる。

 

 まぁ、できたら辻褄が合うように彼女の口からクララちゃんのことも説明してくれるのが一番なのだけどな。

 

 ――それからネコトちゃんは、もう止まることがない滝のごとく自分の気持ちを吐き出し続けた。

 俺は周囲に気を配りながらそれを黙って聞き続ける。

 

 要は、ネコトちゃんとしては三人でやっていくことに意味があって、誰か一人でも欠けたら今までの頑張ってきた時間を踏みにじられたと思ってしまうようだ。

 俺は彼女が人気になり始めた頃からしか知らないけど、それまで三人で積み重ねてきた時間があるのだろう。

 

 事務所の判断が正しいとわかっていても、まだ子供な彼女は自分の心を納得させることができないらしい。

 だけどそれは彼女が悪いわけではない。

 むしろ彼女がまっすぐないい子だから、こんな切り捨てるようなやり方を納得できずにいるのだ。

 

 やっぱり、この子を好きでいてよかったと思う。

 

 初めて会った時――いや、正確には二回目だけど、彼女はその頃から変わらない。

 俺が彼女のことを好きになったきっかけは、湊たちに無理矢理連れて行かれた初めてのアイドルのライブにある。


 そこである人・・・からの電話で湊たちから離れた俺は、たまたま迷子になっている幼い女の子を見つけたのだ。

 人が多くて親と離れてしまったらしきその女の子は、俺が声を掛けるよりも前にフードを被った小さな人の手によって保護された。

 人込みでフードを被っている人間を怪しく思った俺は、子供が誘拐されるかもしれないと思いその後を付いていったのだが、すぐにそのフードを被った人間は幼い女の子を警備員へと預けようとしたのだ。

 だからもう問題はないだろう――そう思って離れようとした俺は、幼い女の子の予想外の行動で足を止める。

 

 それは、幼い女の子がフードを被った人間にしがみついて離れようとしなかったのだ。

 それを見たフードを被った人間も警備員に対して誤魔化してしまい、また親探しを始めてしまった。

 

 無事に女の子の親が見つかったのはライブ開始時間から一時間ほど経った頃。

 フードを被った人間は親に女の子を預けると、すぐさま走り出してしまった。

 いったい何をそんなに急いでるのか気になった俺はそのまま後を付いていってしまったのだが、それによって目撃してしまったのだ。


 フードから猫耳の髪型をしたかわいい女の子の顔が出てくるところを。

 

 ――そう、フードを被っていた怪しい人間は、ネコトちゃんだったのだ。

 おそらく何かあってぎりぎりの時間になってしまいライブ会場が待ち合わせ場所になっていたところ、迷子の女の子を見つけてしまったのだろう。

 彼女がいなかったことでライブが遅れてしまい、めちゃくちゃマネージャーに叱られていた。

 どうやらその時スマホは持っていなかったようで、連絡手段を持ち合わせていなかったらしい。

 

 それなら余計にあの時警備員に幼い女の子を預けるべきだったのだが、それも出来なかったのだろう。


 多分女の子はネコトちゃんに気が付いていたんだ。

 子供は時に大人よりも鋭いことがあるからな。

 

 そして不安を抱いている幼い女の子を放っておけなかったネコトちゃんは、自分が後で凄く怒られることもわかっていたのに幼い女の子の気持ちを優先してしまったのだ。

 

 それくらいに彼女は優しくて素敵な子だった。

 

 ただ、もうちょっとやり方を考えればいいのにとも思ってしまう。

 まぁだからこそ、その頃から彼女のことが気になってしまったのかもしれない。

 

 愚直なまでにまっすぐな女の子。

 そんな彼女のことが俺はとても魅力的に見えてしまう。

 

 そしてそんな彼女には変わってほしくないとも思うし、彼女が苦しんでいるのなら力になりたいとも思う。

 とはいっても、普通ならアイドルと関わることなんてできやしないんだけどな。

 だから、今彼女と接点を持てている自分の強運に感謝をしよう。

 

 関われるからこそ、出来ることがあるのだから。

 

「――これは俺の独り言ですが、周りのことを一番に考えることができるのはとても素敵なことだと思います。しかし、時には自分の気持ちを押し殺す必要がないことだってあると思うんですよ。無理矢理納得することが後に響き、気持ちが途切れるなんてことは珍しくないですからね」


 ネコトちゃんの独り言が終わった後、俺は独り言と言いながら自分の考えを告げる。

 当然、こんなふうにすれば彼女が反応しないわけがないのだが。


「でも……だったら、私はどうしたらいいのですか……?」


 もう独り言は終わっているからか、ネコトちゃんの言葉が敬語へと戻る。

 そういえば、同級生だというのに早乙女さんもずっと俺に対して敬語だ。

 同級生なんだからタメ口でいいんだけどな。

 

 …………それに、ネコトちゃんにタメ口を使われているなんてなんだか嬉しいし。


「あの……?」

「あっ……すみません」

 

 ちょっと一人別方向に考えごとをしていると、ジャケットの中から顔を出さないまでも不安そうにネコトちゃんが声を掛けてきた。

 今別の事に意識を向けるのはよくない。

 頭を冷やすために深呼吸をして、彼女の質問に答えることにする。

 

「君の好きにしたらいいと思います」

「えっ……?」


 俺の言葉を聞き、ネコトちゃんはジャケットから顔を出して俺の顔を見上げてきた。

 だから俺は再度ネコトちゃんの顔をジャケットで隠す。

 これはネコトちゃんに一人の空間を意識させるだけでなく、この場をパパラッチに写真へ撮られたとしてもネコトちゃんだという証明にさせないための意味も持っている。

 俺が周囲を警戒しているとはいえ、先程のように意識を飛ばした際にパパラッチが現れたら困るからな。

 念のための予防策でもあるのだ。

 

「ネコトちゃんがしたいことをするのが一番だと思いますよ」


 俺はなるべく優しい声を意識し、彼女の背中を押す言葉を告げる。


「でも……私の話は聞いてもらえませんでした……」


 彼女は先程独り言で、自分の希望はマネージャーにはねのけられたと言っていた。

 だから八方塞がりになってここで一人抱え込んでいたのだろう。

 

「大丈夫です。あなたの本気を相手にわかってもらえれば、きっと大丈夫ですよ」

「私の本気を……?」

「そうです。おそらくマネージャーさんは今のネコトちゃんの気持ちを一時の感情でしかないと思っているはずです。時間が経てばきっと言うことを聞くだろうってね。だから、こちらは本気だという気持ちを相手に伝えましょう。例えそれが何日かかろうと、訴え続けることに意味があるのです」


 そう、何日かかろうと今のネコトちゃんの言葉が本心なら訴え続けてもらわないといけない。

 そうじゃないと、優しい彼女はきっと自分に我慢をさせてしまうだろうから。

 

「本当にそれだけでいいのですか……?」

「それだけ、ですか。相手に怒られても自分の意見を通すことは、思っている以上に簡単ではないですよ。ただ、あなたがそれでも訴え続けるなら、きっと事務所は折れてくれます」


「…………わかりました。でしたら、私はクララちゃんを外さないでもらえるように頼み続けます」


 そう発した彼女の声は、しっかりと力強いものとなっていた。

 ジャケットの隙間から見える彼女の瞳を見てももう心配はいらないだろう。

 

 そして、ネコトちゃんが望んでいることもしっかりとわかった。

 後はネコトちゃんががっかりしないで済むように、俺がうまくやらなければいけないだけだ。

 

 ――その後の俺は周囲にパパラッチなどが潜んでいないことを確認した後、ネコトちゃんからジャケットを受け取って早々に立ち去る。

 そして、ある人へと電話をかけた。


 俺が知る限りこの世で一番の切れ者で、クライアントでもあるあの幼馴染へと――。

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