第32話 碧い空の下でⅠ

 気が付くと私は誰もいない教室にいた。

 どうやら私は、窓際最後尾の席に座っているようだ。

 なぜ、私はこんなところにいるんだろう。私は今まで、病院のベッドの上で寝ていたはずだ。

 窓の外からは朝焼けだろうか、眩しい朱色の光が差し込んできている。

 それにこの服装。高校生の時に毎日着ていた、あの懐かしい上ヶ崎高校の制服だ。

 周囲を見渡してみる。机の配置や展示物からして、多分ここは自分がよく知る上ヶ崎高校の1年10組の教室だろう。

 どうやら私は窓際最後尾の席……つまり、かつて自分の席だった場所に、いつの間にか座っていたようだった。

 これは、高校1年生の時には毎日のように見ていた光景。

 そして、もう一度だけ見たいと願ってやまなかった風景。

 それが今、目の前に広がっている。

 でも私の胸の中ににあふれてきたのは、そんな郷愁だけではなかった。

 どうしよう。こんなところ誰かに見られでもしたら……不審人物として通報されちゃう私!?

 いい年して高校の制服なんか着て、知らない間に高校に忍び込んでるなんて!

 いやいや、……ちょっと待って。こんなこと、現実に起こるものなの?

 そんなわけない。そんなわけはないでしょ。

 ……つまり、これは夢だ。そうとしか考えられない。

 私は自分の頬をつねってみる。……痛い。

 なにこれ、どゆこと。無駄に感覚リアルすぎない?

 もしかして本当に現実とか? まさか。

 と、とりあえず……ここでただ座っているのもなんだし、外に出よう……。

 私は教室を出て、誰かいないかちょっとびくびくしながら小走りで廊下を駆けていく。

 幸か不幸か、朝早かったからか人は見当たらない。

 でも、本当に懐かしい。私が通っていたあの頃のままだ。



 校舎を後にした私は、とにかくぶらぶらしているわけにもいかないので、家に帰ることにした。

 ここから家まではそう遠くない。歩いて20分もかからない。

 私は早朝の通学路を急ぎ足で歩く。

 こんな姿をご近所さんに見られたらやだなー……と心臓を弾ませつつも、ちょっと別の意味でも私は心を弾ませていた。

 なんでか知らないけど、体がすごく軽い。病気になる前の、元気だった頃に戻ったように。

 


 ほどなくして、私は家に到着した。

 玄関を開けようとドアノブに手をかけて、ふと気づく。

 あれ、鍵とかどうなっているんだろう……。

 試しにノブを引いてみる。案の定、鍵がかかっていた。

 鍵、持ってたかな……。私はポケットの中をまさぐってみる。……ない。

 なら、お母さんと結菜いるよね……。私はインターフォンを鳴らす。


 ――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……――


 何度か鳴らしても、一向に誰かが出る気配がない。

 嘘でしょ。……勘弁してよー。この服装で放置プレイって……。

 もうすぐ人の動きも活発になってくるころだし……どうしよう……。

 もう仕方がないので、私は玄関の前で座っていることにした。

 仕方ない、仕方ない。自分にそう言い聞かせて、羞恥心を抑えつつ。



 どれだけの間そうしていただろうか。日も随分と高くなってきている。

 なのに、一向に人の気配が周囲に感じられない。もちろん車だって一台も走っていない。

 それどころか、鳥や猫みたいな動物だって一匹もいない。

 どういうことだろう。……ちょっと、様子を見に家の周りを歩いてみようかな。

 私は立ち上がり、歩き出した。

 駐車場に止めてあったバイクの脇を通る時に、ふとサイドミラーに映る自分の顔が目に入る。


 …………ん?


 そこに映る自分の顔を見て、こう思う。……なんだか、気持ち若くない? 最近鏡で見慣れたそれと比べると少し若く……というよりは、子供っぽく見える。高1の結菜とほとんど変わらないくらいだ。


 …………。


 やっぱり、これは夢なんじゃないか。そう思うと、すごくしっくりくる。

 それもたぶん、5年前の世界を見ているんだろう。だから、私は高校1年生というわけだ。

 なるほどー。納得納得。

 なら、別にこそこそする必要はないよね。仮に誰かが出てきたとしても、私は高校1年生だもんね。高校生が高校の制服着てても何の問題もないはず。

 ていうかこれ、そもそも夢か。



 私は結局、学校まで戻ってきた。

 ここに来るまでにもやっぱり、誰にも出会わなかった。学校内にも人は誰もいなかった。

 そうして、10組の教室までやって来た。

 そこは、私ひとりの教室。

 ……どうせなら、みんな出てくればいいのに。どうせなら、あの時のような高校生活が再現できればいいのに。

 そしてできるのなら、あの続きが見てみたい。私が病気になって学校行けなくなって、ついに見ることがかなわなかった、高校生としての続きを。

 夢でもいいから。

 でも、出てこないものは仕方がないのかもしれない。残念だけど……。

 私が肩を落としていた、その時。

 ガタッと、何かの物音が遠くから聞こえたような気がした。

 私はその音を聞いて、ビクッと軽く肩を震わせる。


 何!? 何の音!?


 ……もしかしたら、誰かいるのかも……。

 ちょっと見てこよう……。怖いけど……。

 私は10組の教室を出て、廊下を歩いていく。確か、こっちだったよね……。

 隣の教室を覗いてみる。特にこれといった異変は見られない。その隣も、そのまた隣も、同じように異変は見られなかった。

 そして1組の教室。どうやらここが物音の発生源のようだった。今もガタガタと音がしている。

 私は恐る恐る、中を覗いてみる。

 そこにいたのは、高校生くらいの男子だろうか。なんだか、ロッカーの中身を漁って何かしているようだ。

 なんだ、びっくりさせないでよー。変な怪獣でも出てくるのかと思った。

 ……でもなんでパジャマ着て学校来てるの。結構いい度胸してる子ね……。

 なぜか若返っているとはいえ、20歳過ぎて高校の制服着ている私も大概だけど。

 私が唖然としてその男子を眺めていると、向こうもこっちに気付いたようだ。「あ、いや、これは、その……」とか何とか言って、すごく慌てふためいている。

 私はそれを見てちょっと微笑ましくなってくる。なにあれ、なんか可愛い。


「君、こんなところで何してるの?」

「あ、い、いえいえ、なんでもないです! さよなら!」


 そう言って、その男子は走って教室を出て行ってしまった。


「あ、ちょっと!…………行っちゃった」


 多分このクラスの生徒だよね。どうせなら、ちょっとお話でもしてみたかったな。

 でも高校生となんて、話合うのかな。ちょっとジェネレーションギャップとか出そう。

 ……それはそうと、やっぱりひとりになってしまった。これからどうしよう。教室にいてもやることないし……。

 とりあえず、図書室にでも行こう。あそこなら時間をつぶせるだろうし。


 結局その日は一日中、図書室で昔借りたことのあった本を懐かしみつつ読んで、ひとりで過ごした。

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