第29話 夢の跡
その日は大変だった。
久しぶりの登校で先生には呼び出されるわ、勝手も全然わからないわ。
もっとも、周りの奴らに好奇の視線を向けられるっていうのは、思ったよりは全然大したことじゃなかったけど。
あと、授業。不思議なことに約半年ぶりに受けたと言う割には、案外ついていけた。
やっぱ、あれかね? 睡眠学習の成果?
で、放課後。俺は香川さんに頼んで、一緒に学校が終わったと同時に電車で上ヶ崎の街中まで来て、今は上ヶ崎病院にいる。
香川さんのお姉さんに面会するためだ。
「ここ」
香川さんがひとつの病室の前で足を止める。〈香川碧〉と名前が書いてある。
なんでも倉敷とは、香川さんが小学6年生まで名乗っていた性であるらしい。中学に上がる前に両親が離婚し、母方の香川姓を名乗ることになったというのだ。
俺は中学から香川さんと一緒だったから、そのことは初耳だった。
扉を開ける香川さんに続いて、俺も病室に入っていく。
中に入ると、背面を上げたベッド上で本を読んでいる女性がひとり。
その人が俺たちに気づき、顔を上げる。
「来たよ、お姉ちゃん」
「あ、結菜。……と、あれ? どちらさまかな?」
その人は唇に手を当てちょっと考えるようなそぶりを見せたと思ったら、なぜだか不敵な笑みを浮かべる。
「ははぁん、もしかして……結菜の彼氏?」
「ち、違うって! クラスメイトの美作君」
「…………」
俺はそんな彼女を見て絶句していた。
腰まで伸びた長い黒髪。整った目鼻立ちに、ベッドに横になっているから多分だけど、平均かそれより少し高いくらいの身長。
俺の知っている倉敷さんと比べると、大人のお姉さんって感じだ。たぶん20歳くらいだろう。それに顔色も白く、少しやつれているようにも見える。
けど、間違いない。彼女は俺の良く知る倉敷さんと同一人物だ。
俺が呆然としていると倉敷さ……じゃない、碧さんはニコッと屈託なく笑って、
「こんにちは。結菜の姉の碧です。」
と、俺に声をかけてきた。
俺は慌てて、
「あ、こ、こんにちは。美作智也です」
と、会釈する。
「ははっ、いいよ、そんなに緊張しなくても」
「あ、はい……」
こうして言葉を交わしているとわかる。やっぱり倉敷さんだ。本人としか考えられない。
でもこの様子だと、俺のことは全く知らないようだ。
もしかしたら、あの夢での倉敷さんとはまた違う存在ってことなのだろうか。
「お姉ちゃん今日の具合はどう?」
「うん、今日は調子いいよ」
香川さんと碧さんが話しているのを端から見て思う。やっぱり姉妹だからか、よく似ている。
「今日美作君を連れてきたのはね、美作君がお姉ちゃんに話したいことがあるからなんだよ」
「えっ? 私に話したいこと……?」
碧さんはちょっと不思議そうな表情で俺を見た。
「あー、えっと、なんて言えばいいのかな……」
なんて言えばいいかしばし迷う。事情が事情なだけに、なんとも口にしづらい。
でも、いつまでも悩んでいても仕方がない。俺は結局ストレートな物言いをすることにした。
「俺ら、どっかで会ったりしましたよね?」
「ははっ、なにそれー。新手の口説き文句か何かかな?」
「あ、いや、そういうのではなく……」
さすがにストレート過ぎたか?
碧さんは俺の顔をまじまじと見る。
「うーん、……たぶん初対面だと思うけど……」
「……そうですか……」
まあ、なんとなく予想はしていたけど、いざ言われてみるとちょっとショックだ。
「でもなんで、そんなこと聞いてきたの?」
「あー、その、……笑わないで聞いてくださいよ?」
「うん」
「俺、夢の中であなたと会っているんです」
「へっ? なにそれ。夢って、寝てみる夢のことだよね?」
こいつ何言ってんだとばかりに碧さんは驚いた表情をする。
「お姉ちゃん、たぶん美作君は少なくとも嘘は言っていないと思う。話を聞く限りだけど……」
「いや、でも夢ででしょ? たまたまちょっと私に似てるだけじゃないの?」
「ううん、たまたまにしては出来過ぎてるよ。だって、名前とか所属とか何もかも、高校生の時のお姉ちゃんそのままなんだよ」
「ふうん……」
碧さんはちょっと考え込んで、俺に顔を向けてきた。
「ねえ、その夢の中の私って、どんな感じだった?」
俺は、夢の中で見てきたことをすべて洗いざらい話した。
とは言っても、それは今朝香川さんに渡した設定とプロットを書いた紙と同じ内容だけど。
「ええと、俺が夢の中で碧さん……と言うか、倉敷碧さんと出会ったのは上ヶ崎高校での話で、その夢の中では碧さんは1年10組の生徒ででして……。あ、あと風紀委員と合唱部員なんです。外見も、こう……俺らと同じくらいの年に見える感じで。その世界では人は俺たち以外誰もいなくて……」
しかも説明下手だ。なんか自分で言っててわけわかんなくなってくる。
でも、碧さんと香川さんはちゃんと傾聴してくれた。
「……誰もいない街……ね。確かに、そんな夢を見たような記憶もある気がするけれど……でも、ごめん。やっぱり心当たりない」
そう、碧さんは言った。
「そう、ですか……。いや、すみません。なんか変なことで押しかけちゃって」
「ううん、いいよいいよ。それより、その夢の中の私は高校生なんだよね?」
「ええ」
「なんか懐かしいなあ、上ヶ崎高校。あれからもう5年かあ……」
そう、遠い目をして語る碧さんの笑顔は、どこか儚かった。
「私、2年に上がる前に病気で入院しちゃって、結局卒業できなかったからさ。心残りがないと言えば、ちょっと嘘になる感じでさ……」
「……そうだったんですか……」
「もしかしたら、私の未練が作り出したドッペルゲンガーみたいなやつなのかもね。君が会った高校生の私は」
そう話していると、トントンとドアがノックされ看護師の人が入ってきた。
どうやら夕食の時間らしい。病院ではずいぶんと早いようだ。
「あ、俺そろそろ帰ります」
「あ、うん。久しぶりにたくさん話せて楽しかった。よかったらまた来てね」
「はい……。ありがとうございます」
「じゃあお姉ちゃん、また来るね」
俺たちは笑顔の碧さんに見送られ、病室を後にした。
歩きながら、俺は香川さんに話しかける。
「なあ、香川さんは残らなくてよかったのか?」
「うん、私も家に帰って夕食作らなきゃだから。
それにしてもどういうことなんだろうね。もしかしたらお姉ちゃんも同じ夢を見ていたりするのかもって思っていたけど……。ほら、アニメとかだとよくあるじゃない?」
「みんなが同じ夢を見ているってやつか? まあ、そう考えればそうかも……」
みんなが同じ夢を見るねえ。なんだか最近はフルダイブするVRMMO的な設定の方が主流な感じもするけれど、まあ確かにファンタジーとかじゃあよくあるな。
……それはいいとして。
「あのさ、碧さんって、あんまりよくないのか……?」
俺は碧さんの病状について、つい香川さんに聞いてしまった。
香川さんは少しの間、沈黙する。もしかしたら触れないほうがよかったのかもしれない。
でも、答えてくれた
「……うん、白血病。ここのところは調子良かったんだけど……」
「そうか……」
白血病。俺でも知っている難病の名前だ。
俺はこういうときに、どのような言葉をかければいいのか、わからない。
「その……、碧さん、良くなるといいな」
「うん……」
わからないので、そんな月並みなことしか言えなかった。
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