第22話 疑念

「…………」


 俺は言葉を発しようとする。しかし、うまく声を出すことができない。


「ひどいじゃない。私のお弁当、ちゃんと食べずにどこかへ行っちゃうなんて」

「…………」

「でも許してあげる。これからは美作君のご所望通り、毎日起こしに来てあげるからね」

「…………」

「ははっ、どうしたの、そんなに固まっちゃって。もしかして、お目覚めのキスでも待ってるとか?」

「……や……め」

「ん? 別に、私はいいよ?……と言うより、そのために来たんだから。じゃあ、もらうね」


 そいつは長い黒髪を指で押さえると、吐息がかかる距離にまでその顔を俺の顔に近づけてくる。

 なんだこれは。本来ならめちゃめちゃ嬉しい展開のはずなのに。なんでかわからないが今はただただ、怖い。嫌な汗がぶわっと噴き出してくるのを感じる。

 体、動け、動け!


「……や……めろ!」


 あともう少しで唇が重なるところで、俺の体が動いた。俺はその勢いのままそいつを突き飛ばす。


「きゃっ!」


 俺に突き飛ばされたそいつは、そのまま倒れて机に背中を打ち付けた。


「いったっ!! なにするのよもう! 突き飛ばすことないじゃない……」

「はぁ、はぁ、なに、するんだは、こっちのセリフだ倉敷さん」


 その気配の主――倉敷さん――は、机にもたれかかって少しの間苦痛に顔をゆがめていたが、すぐにけろっとした微笑みを浮かべて俺を見てくる。俺はつい、それを見て壁のほうに後ずさりしてしまう。


「なにって、起こしに来てあげたんだよ? 美作君、昨日言ったじゃない。起こしに来てくれって」

「あ?……なんのことだ……?」

「なんのことだって、また忘れちゃったの?」

「また忘れた、だって?」

「もしかして、教室で私と一緒にお弁当食べたのも忘れちゃった?」

「…………」


 全く記憶にない。

 そういや前にもこんな風に倉敷さん曰く記憶をなくしたことがあったんだよな……。

 俺が心当たりもないとばかりに顔に疑問を浮かべていると、倉敷さんは


「はぁ……。なら、仕方ないね……」


 と言って立ち上がる。


「あー……、なんか、ごめん」

「ううん、いいの。それより目は覚めた?」

「あ、ああ」

「じゃあ、学校行こ」


 そう差し伸べてくる倉敷さんの手を、俺は少しの躊躇の後に取った。

 

 通学路で歩いている間、倉敷さんは俺が覚えていないあれやこれのことを話してくれた。

 図書室で起こしに来てくれるよう頼んだこと。1組の教室で一緒に倉敷さん手作りの弁当を食べたこと。その最中に俺がいきなり倒れたこと。そしてちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまったこと。

 倉敷さんは、本当に楽しそうにそれらを語ってくれた。


「今度は忘れないでね?」


 なんて笑って言ってくれる倉敷さんのことを、俺はすっかり受け入れてしまっていた。……ほんのちょっとの違和感をなかったことにして。

 

 ほどなくして俺たちは上ヶ崎高校に到着し、図書室へとやってきた。


「ちょっと遅れちゃったね。もう9時過ぎちゃってる。ほら、美作君がなかなか起きてくれないからー」


 倉敷さんは時計を確認するなり俺の方を見て悪戯っぽく呟く。


「あー、えー。悪い」


 俺はなんとなく謝罪しておく。

 でもなんだろう。それはどこか、心の底から出てきた言葉というよりは上っ面だけって感じだ。

 何でかはよくわからないけど。

 俺たちは適当に入口近くの席に座って、カバンから教科書なり問題集なりを出していく。

 なんでも、倉敷さんはいつもこういう風に自習をしているらしく、俺もまたそれに倣ってやっていたとのこと。

 俺は倉敷さんをちらっと見る。問題集を開いて筆箱からシャーペンを取り出している。

 

「あー、ごめん。俺ちょっとトイレ。おなかの調子が悪くて……」

「え、ああ、いってらっしゃい」


 俺はそう言って図書室を出る。

 本当は別におなかの調子なんて悪くないしトイレなんて行きたいわけじゃないけど、なんとなく倉敷さんから離れたかった。


 ……さて、どうするか。


 とりあえず、校舎の中でも探検してみるか……と言っても、別にめぼしいものが見つかるわけでもないだろうけど。

 ……そうだ、こういうのはどうだろう。あのいじめっ子連中のロッカーの中身を燃やしてやれ……は、ライターもマッチも持ってないから無理として、じゃあごみ箱に捨ててやれ。

 なんか、このノリすごい久しぶりな気がするのは気のせいだろうか。

 ……いや、そうでもないか。前回この世界に来た時にやってやろうと思ってたところを実行できずじまいだったんだっけ。

 よしそうと決まればさっそく1組の教室に行ってみよう。



 1年1組の教室は図書室からは校舎の端から端になるので、割と距離がある。俺はリノリウムの廊下をかつかつ鳴らして速足で歩いていく。

 ほどなくして1組の教室に到着した俺は、さっそくいじめっ子のうちのひとりである今田のロッカーを漁りだす。

 くっくっくっ。いよいよあいつらに天誅をくらわす時が来た。まずは今田お前だ! そして陣内、目黒、坪内、小島。お前らにも鉄槌を食らわせてやるから覚悟しとけ。

 しかしその中に入っていたものを一目見て、俺はすぐに気づく。これはあいつのロッカーじゃない。今村って誰だよ。こんな奴うちのクラスにいたか?

 俺は残りの連中のロッカーも漁ってみる。どれも聞いたことのない奴の名前が書いてある。もちろん、俺のロッカーも確認してみた。松島とかいう奴のものが入っていた。


 ……どういうことだ。


 俺は頭を悩ませつつ、別の奴のロッカーを漁ってみる。すると、不可解なものも出てきた。週刊少年漫画雑誌だ。それ自体は不可解でも何でもないが、日付がおかしい。今から6年も前のやつだ。

 あー、確かこれ小学生の時に読んだことあるぞ。なんか懐かしい。でも、なんでこんなものが? この世界はそこまで現実に忠実でもないってことか? まあ確かに現実では2月なのにここでは9月だし……。

 ……うーん、わからん。情報が足らなすぎる。というより、整合性だのなんだのをこの世界に期待するほうがおかしいのか?


 …………。


 それを考え出すときりがないし、考えても仕方ないかもしれないな。

 ……とりあえず、この世界にも秩序らしきものがあるということを前提として考えたほうが、生産的かもしれない。

 いやもうこの際、倉敷さんとのウハウハ青春ライフを存分に堪能するという手も大ありだぞ。ああ、それは素晴らしく官能的で魅力的な提案だ……。

 やっぱそうするかなあ。……いやいや、ダメだぞ俺。当初の目的を忘れたか。俺はこの世界に小説のネタを集めに来たんだ。

 倉敷さんもいいが、まずはいろいろ設定を詰めていく必要があるぞ。こういう地道な下調べこそが、往々に して物語にリアリティーを与えるのだ。

 ではどうしようか。

 ……そういや、職員室に行けば生徒名簿とかあるかもしれないな。

 俺は職員室に向かうことにした。

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